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原始佛教 その4

1 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/21 02:00
前スレ http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1035423266/

ここではアーガマやニカーヤに説かれている教法や教理を中心に、様々な議論を重ねて
いけたらと思います。佛教の原点を闡明できる良スレになること期待して・・・。引き
続きよろしくお引き立てのほどを。

2 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/06/21 02:06
2げと(笑)

3 :666改:03/06/21 02:14
前スレに600付近からいる私って、やっぱり常連さんなのでしょうか?

4 :名無しさん@3周年:03/06/21 02:24
>前スレに600付近からいる私って、やっぱり常連さんなのでしょうか?

いや、カスでしょう(笑

5 :長助 ◆E38A/eF2FY :03/06/21 06:24
5ゲトヲ
ROM記念

6 :名無しさん@3周年:03/06/22 18:27
hakuchi


7 :666改:03/06/23 00:14
>>992
>私の質問に答えてください。もう徒労はよしましょう。
あなたの発言内容は矛盾を含んでいるように私には思えます。
あるいは私の間違いかもしれませんが、こんなことを突き詰めても得るところは少なさそうです。
徒労は私も好きではありません。
では、お話を仏教の方に戻しましょう。

>>985
>原始仏教のある部分をその文献から抜き出して記述しました。それが非論理的であっても別に差し支
>えありませんが?上記のものを分析する時、その価値基準と立論形式、記述内容の整合性と意味につ
>いては論理、非論理を追及できます。なんか勘違いしていませんか?
文献中の記述だとは考えませんでした。要するに勘違いです。

>縁起とは観察する方法、目次みたいなものであって、その観察を完了したと
>き、全ての真理を一気に悟ってしまう。
>その内容が「現觀」です。
悟りの内容が現観である、ということでいいですか?

>縁起の内容ではなく、縁起の後に
>得る知恵のことです。因果関係といってもいいでしょうね。
縁起の観察の結果得る智慧を現観という、ということでいいですか?
縁起から現観へのgapが激しいので説明に皆苦慮しているということですね。

8 :666改:03/06/23 00:15
>>986
>一般的な意味での「有部」など無いと言うのが主張です。もっと冷静に文章を読んでください。
>sarva-asti-vAdin と言うのはもっと広い概念です。経量部が内在していてもそういいます。
>総合大学のように捕らえて方がいいのかもしれません。いろいろな考え方があるのです。
>有部の代表的なものとされる論書では三世両重の因果を説くだけです。
一応了解しました。
代表的な有部の説く三世両重の因果とその展開に興味がありますが、今は不適切でしょう。

>経典が絶対前提になるというのは私の言葉であり、仏教教団を言い表したものです。
経典が絶対前提になることが仏教教団を言い表したことになる意味が私にはわかりません。

>対象照準不安定というあなたの認識不足は私の補足で補うしかありません。
是非お願いします。私にわかるように・・

>>987
>外しているのはあなたのほうです。その科学水準を釈尊が身に付けていて、
>問題視しないと言う文脈にあるのですから。
おなかの中の大腸菌との共生に関する知識を釈尊が身に付けていようがいまいが
菌交代症を起こせば下痢するんですが・・
もしかして下痢をしても問題視しないのが原始仏教なのですか?
この話題は、もともと原始仏教の世界観が自己の認識の中にとどまるという説明から発しているわけですが、
これは仏教学に共通した見解と考えてよろしいですか?


9 :666改:03/06/23 00:16
>>無記の対象は「確認できないこと」ですか、それとも「確認しても仕方の無いこと」ですか?
>両方です。「確認しても仕方ない事」の中に「確認できない事柄」(全てだとは断定しない)があり
>ます。つまり、解脱には必要の無いことと言う意味になります。
無記の対象は形而上学的問題なのでしょ?
「確認しても仕方ない事」の中には確認できることも含まれますよね。

>>私が不合理だと思った理由は、善因悪果・悪因善果をシカトしているからであります。
>だれが、どのように業報をシカトしているのですか?
知りません。(キッパリ
善因悪果・悪因楽果を認めた上で善因楽果・悪因苦果を強調しているのでしょうか。
だとすれば、こんどはその偏った強調の理由がわかりません。
ただし、例外のある単なる経験論としてなら理解できます。

>いいえ、依存しあうというのはあくまでも「個」限定です。ウパニシャッドこそ重々無尽に近いもの
>があります。
よく知らないのですが、ウパニシャドといったらアートマン・ブラフマンですよね?
私は我を否定した思想が重々無尽を生んだと解釈していたのですが。

>神話的なヴェーダなどの世界観から哲学的な思弁的な瞑想的な思想にシフトする時、重
>々無尽などを体験するのは宗教神秘主義の学問分野では常識です。ユダヤ神秘主義、錬金術、道教、
>すべて適用されます。
しかしあなたは私の、
「私の解釈する縁起の法とは、時間及び空間におけるあらゆる物質間・現象間の相互依存であり相互作用です。」
という発言を現観のことだと言っています。
それとも電波さんの重々無尽は私のイメージと違うのかな。


10 :名無しさん@3周年:03/06/23 00:23

喧嘩しちゃいかんよ。

11 :名無しさん@3周年:03/06/23 00:44
唯識・華厳スレの二の舞はやめてほしひ

反省したんじゃなかったんですか?



12 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 01:11
もはや恒例となりましたが宣伝しておきます(笑)。下記は昔のレスのコピペです。

181 :阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/09/03 00:52
その昔講談社から刊行されていた『原始仏典』全10巻が重版されるという
話が出ています。「復刊ドットコム」で投票が行われていますので、読みた
い方はどうぞ投票してくださいませ。ちなみに私も一票入れました(笑)
学術文庫で出れば助かるのですがねえ・・・。
182 :阿呆陀羅經 ◆PuxvZ3xQ :02/09/03 00:56
情報はこちらで
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kiraya/news0108.html
復刊ドットコムはこちら
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=2542
です。



13 :666改:03/06/23 01:19
>>11
もしかして私に言ってる?
あんときは楽しかったけど、今回は真面目なんです、わたくし。
今度のお相手はあの電波男だもんね。
そこらの厨房とは格が違のよ。
お勉強させてもらってまつ。

14 :11:03/06/23 01:35
>あんときは楽しかったけど、今回は真面目なんです、わたくし。
>今度のお相手はあの電波男だもんね。
>そこらの厨房とは格が違のよ。

やー、格の問題じゃないでしょ。
話合いの動因を666さんが握っていて、
電波さんが666さんに踏込んでいかない以上。

無理やり盛上げようとしなくてもいいしょ。
殺しあいとしての論争と、啓発・教育を目的とした対話は違うわけで。

もしかして何かしら怒りを感じてるのかな?

15 :666改:03/06/23 01:36
>>14
感じてません。勘違いも甚だしい。

16 :11:03/06/23 01:51
善因楽果自体が神秘主義だ。
なぜなら証拠ないもん。

  ー 糸冬  了 ー

これでいいじゃん。
なんで、善因楽果の業報論を縁起から導き出したかったん?
事実がそうなら、それでしょうがないじゃん。

17 :11:03/06/23 01:58
>15
勘違いすまそ。
>7の
>縁起とは観察する方法、目次みたいなものであって、その観察を完了したと
>き、全ての真理を一気に悟ってしまう。
↑ここらへんが気になったもんで。

18 :666改:03/06/23 02:09
>>16
善因楽果は神秘主義ではないです。
縁起への条件としての真理ですよ。
電波さんとムリヤリにでもお話しなかったらこんなことはずぅーっとわからなかったでしょう。
あなたも前スレにもう一度行ってレスを読み返してみてください。

19 :名無しさん@3周年:03/06/23 02:14
>あんときは楽しかったけど、今回は真面目なんです、わたくし。
>今度のお相手はあの電波男だもんね。
>そこらの厨房とは格が違のよ。

なにを媚びているんだか(笑)

20 :666改:03/06/23 02:19
>>19
事実だ。

なんだか新スレは進むのが早いな(w

21 :11:03/06/23 02:20

>縁起への条件としての真理ですよ。
本気で言ってるんですか?

前スレの>630
>善因苦果だって悪因楽果だってありそうなもんです。
>ってゆーか、あるんじゃない?
密かに禿同だったのに。。。

>17
内容じゃなくて改行の仕方ね>気になったのは。

22 :666改:03/06/23 02:24
>>21
>本気で言ってるんですか?
真理の定義の問題です。
非科学的な結論ではありません。

>密かに禿同だったのに。。。
今でもそう思ってますって。
新しいレスも読んでよね。

>内容じゃなくて改行の仕方ね>気になったのは。
意味不明でし。

23 :11:03/06/23 02:44
>真理の定義の問題です。
>非科学的な結論ではありません。

一行目に付いてはこう言い変えてよろしいでしょうか?
縁起についての真偽の判定以前に、このスレで話を進めていく上で、
善因楽果について仏教の教理上で真理をどう定義するかの問題です。

自分は明日の仕事は、午後始まりです。
666さんは大丈夫なんすか?

24 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 02:46
昼寝がたたって寝付かれない(汗)。
>>22
「異熟」という概念も併せて考察されてみてはいかがでしょうか。業報論の理解には必須かと思われま
す。以下の例は『ダンマパダ』からの引用です。他にも多数ありますがとりあえずご参考までに。

愚かな者は、悪いことを行なっても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。
しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。(69偈)

悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)
その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。(71偈)

まだ悪い報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遭うことがある。しかし悪の報いが熟したとき
は、悪人はわざわいに遭う。(119偈)

まだ善い報いが熟しないあいだは、善人でもわざわいに遭うことがある。しかし善の果報が熟した
ときは、善人は幸福(さいわい)に遭う。(120偈)

25 :11:03/06/23 03:02
>22
>真理の定義の問題です。
>非科学的な結論ではありません。

2行目については
>非論理的な結論ではありません。

にした方がよろしくないでしょうか?
一行目の真理とは仏教教理上の真理で、
>善因苦果だって悪因楽果だってありそうなもんです。
>ってゆーか、あるんじゃない?
この引用が正しい場合、縁起そのものが否定される可能性があるわけで.


26 :名無しさん@3周年:03/06/23 03:20
そんな事よりみんな、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
このあいだ、近所の別院行ったんです。西山別院。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか看板かかってて、得度習礼所、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ランサーエボリューション如きで来たくもない得度習礼所に来てんじゃねーよ、ボケが。
ランエボだよ、ランエボ。300万だよ。300万。
なんか親子連れとかもいるし。親子で得度習礼所か。おめでてーな。
それじゃママ、習礼所所長に頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、門徒式章やるからその場所、空けろと。
習礼所ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
座敷に置かれたテーブルの回りに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、少年ジャンプは駄目なんですか?とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、漫画雑誌持ち込みなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
不満げな顔して何が、少年ジャンプ、だ。
お前は本当に坊主になりたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前「僕は貴い僧侶だい」と言いたいだけちゃうんかと。
通の俺から言わせてもらえば今、通の間での最新流行はやっぱり、
座禅、これだね。
座禅念仏常行三昧。これが念仏行者の得度式。
座禅ってのは無になる事。そん代わり念仏少なめ。これ。
で、それに他力念仏。これ最強。
しかしこれで習礼にのぞむと次から本山にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らは、念仏宗無量壽寺でも行ってなさいってこった。

27 :11:03/06/23 03:57
善因楽果自体が神秘主義だ。
なぜなら証拠ないもん。

  ー 糸冬  了 ー

マジ、これでいいと思いますよ。
ただ、おいらは釈尊を信じる。わざわいをおそれる。
合理は人を守るけど、錦の旗が有るとかえって驕慢になるっしょ?
バカでミーハー。でも、しあわせ。

おやすみなさい。

28 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/06/23 05:38
>>27
あんた、いつかの55さんでしょ。

業報論が今生きている私にとってどうかではなく、
原始仏教を考える場合、前提となる当時の業報論を理解する補助として善因楽果、悪因苦果
とはどういうことかなどを考えるというのが今の文脈です。

今生きている私にとってと言うのはその後です。

>善因楽果自体が神秘主義だ。
>なぜなら証拠ないもん。

これは一面真実ですが、業報論のなにがしっくり来ないかをもっと詳しく記述することが解決の
早道です。確かに経験的に善因苦果、悪因楽果を感じる事があります。この世の中理不尽な
事がたくさん有りますね。しかし断定してしまう前に、その事象そのものを明確にすべきではな
いでしょうか?

29 :_:03/06/23 05:42
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/

30 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/06/23 09:07
>>7 666さん
>>992

>>縁起とは観察する方法、目次みたいなものであって、その観察を完了したと
>>き、全ての真理を一気に悟ってしまう。
>>その内容が「現觀」です。
>悟りの内容が現観である、ということでいいですか?
総論としてはそれでいいと思います。各論に入るともっと深い洞察が必要になります。11さんが???を
呈しているのも無理の無い事でしょう。有部の文献などで説明されている縁起説は別として、原始仏教の
縁起説自体、まだ確定されていないのです。

縁起の枝分の数とかの問題ではなく、大きな意味で以下の四つに分けられます。いささか部派的な分類
でもありますが、説明の便を考慮して最後に調整しましょう。

1 順観
2 逆観
3 流転門
4 減滅門

この中で1(あるいは1と2)が縁起と通称されるものでありその他は悟りの内容であるとする考え方も
あるのです。

31 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/06/23 09:07
>>縁起の内容ではなく、縁起の後に
>>得る知恵のことです。因果関係といってもいいでしょうね。
>縁起の観察の結果得る智慧を現観という、ということでいいですか?
>縁起から現観へのgapが激しいので説明に皆苦慮しているということですね。
現觀の内容は縁起の枝分に沿って説明するのが第一歩だとも思います。

また、縁起を考える場合、外縁起(現象界の道理)と内縁起(個人の苦の原因追及)があり、原始仏教
では後者です。666さんは前者の外縁起で原始仏教を見ようとしていたわけです。専門の人でもそのような
誤解が多いのですから仕方の無い事ではあります。有部の論書によれば、縁起は業感縁起となり外縁起
の要素が取入れられ、法界縁起など内外含めた縁議論が語られます。その一方で阿羅耶識縁起や真如
縁起などの内縁起も展開されますが、外界との関係において考察が必要になるでしょう。中観派の縁起。わたしはアホだから、原始仏教との違いが見出せない。「空」も同じ。竜樹は決して般若空
を述べているわけではないと考えます。

>経典が絶対前提になるというのは私の言葉であり、仏教教団を言い表したものです。
経典が絶対前提になることが仏教教団を言い表したことになる意味が私にはわかりません。

なぜそう考えるのか私には理解できません。

>おなかの中の大腸菌との共生に関する知識を釈尊が身に付けていようがいまいが
>菌交代症を起こせば下痢するんですが・・
>もしかして下痢をしても問題視しないのが原始仏教なのですか?
いいえ、病気の原因の追求とその解決を見出す事は医者のつとめであると言い切っています。
修行者は医術にかかわるなとも言っています。また、病気になれば医者に掛かればいいことです。

32 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/06/23 09:08
>この話題は、もともと原始仏教の世界観が自己の認識の中にとどまるという説明から発しているわけですが、
>これは仏教学に共通した見解と考えてよろしいですか?
ほぼ共通していますね。

>無記の対象は形而上学的問題なのでしょ?
>「確認しても仕方ない事」の中には確認できることも含まれますよね。
「形而上学」と説明的に使ってしまったから誤解が生じるのです。無記とは答える必要の無い事です。
その質問の内容から「形而上学的考察の無意味さ」「確認しても苦の解決とはかかわりの無いもの」
などと解釈されるのです。

>知りません。(キッパリ
あたま、ダイジョウブですか?反言してますよ。

>善因悪果・悪因楽果を認めた上で善因楽果・悪因苦果を強調しているのでしょうか。
>だとすれば、こんどはその偏った強調の理由がわかりません。
>ただし、例外のある単なる経験論としてなら理解できます。
強調の意味と意図がわかりません。その例外を必死に説明しようと原始仏教から努力しているのも
事実ですよ。煩瑣になるからここでは言いません。

>よく知らないのですが、ウパニシャドといったらアートマン・ブラフマンですよね?
>私は我を否定した思想が重々無尽を生んだと解釈していたのですが。
外縁起こそ仏教が「我化」していく要素をもたらしていくのです。外的な事象の関係性や統一性を
説明した場合、外界の実在性、実体性、独立性を無視して語れません。この傾向に瑜伽行唯識派や
中観派は警鐘を鳴らすのです。ただし、華厳思想ではそこらへんのフォローを怠りませんが。。。。

>しかしあなたは私の、
>「私の解釈する縁起の法とは、時間及び空間におけるあらゆる物質間・現象間の相互依存であり相互作用です。」
>という発言を現観のことだと言っています。
>それとも電波さんの重々無尽は私のイメージと違うのかな。
現觀は全てを取り込みます。外界の捉え方の違いが議論を呼んでいるような気がします。

33 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:39
以下は前スレの後半で電波男さんが「業と縁起」について発言された要旨を、阿呆陀羅經が私的忘備録として
書き出したものですが、このスレでの今後の議論の叩き台としても有益かと思い、電波男さんご本人の承諾
を頂戴した上で、ここにUPさせていただきます。

縁起を観察する上で業報思想は大前提となります。

業報思想は縁起から導き出されたものではなく、縁起を観ずるための知識として最低必要条件に上げられる
のです。そして戒律、善業と進み心を安定させて縁起を観ずるという順番になります。

縁起の法とは物質、現象とは直接かかわりあいません。縁起の法とは「苦」の原因追及の洞察からはじまり
ます。ですからもっと倫理的な枠組みとして考えるべきでしょう。「これあるときに彼有る」と言う言葉に
惑わされるひとが多いのですが、勘違いしている思想研究者が多いのも確かですね。

苦の原因を追求していく際、その苦とは個人的なもの以外では検証しようがありません。縁起は公理ではな
く観察方法と捉えるべきです。事実四支縁起から十二支縁起まで経典には諸説説明がありますからこれを公
理系と考えれば矛盾が生じます。

原始仏教では飽くまで「個人」、「個人の心」を中心に教法が説かれていたのに対して、それ以降は思考の
一般化が計られ、自然と物質、現象やその生成にまで言及し始めます。それは仏教外からの質問や論難、あ
るいは内部での論争から生まれてきたものでしょうが、段々と原始仏教から遠ざかっていくようです。

釈尊が世界を構築する諸現象に言及することを避けてきた記述が阿含経典群の随所に説かれています。いわ
ゆる「形而上学に言及しない」という「無記」ですね。

仏教では「世俗の真理」と「究極の真理」とを分けて考えます。業報論は前者、縁起は後者に振り分けられ
ます。このことは仏典の中で繰り返し説明されているのであって、ただ単に「真理」で全てを括るのは過誤
になります。

経験的に確認可能なことと確認不可能なものに分けて考えます。三法印は苦からの開放のためにあるもので
、形而上学的なものはそれに直接寄与しません。

34 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:41
"tathatA"とは「そのようにあるそのありよう」「有るがまま」と言う意味、一如、実相、真如
"tattva"ありのままの姿まことにして偽りなきもの、真実、真理
"satya"人生の問題(苦からの開放)とその解決法についての真理、真如四諦の「諦」
とあり、サンスクリットで既に違う概念になっています。漢訳や日本語訳では「真理」とされるから誤解が多いの
です。それと「永久不変の真理。宇宙万有の常住不変平等真実の本体」は大きな間違いです。それは仏教でなく、
ウパニシャッドやバラモン教正統派哲学です。列挙した三つの概念が指し示す外延は違っても、全仏教に共通する
ものです。原始仏教の主張は、一貫して「宇宙万有の常住不変平等真実の本体」にはならないというのが私の見解
です。この三つを大雑把に分けると、
1 前二者は静的真理
2 後一者は動的真理
と解釈できますね。動的といったのは「苦の追及とその滅」、と言う意味です。


「諸行無常」とは、正しくは「三界の一切は変化しそこに常なるものはない」と表現すべきです。そこで「三界と
は?」という疑問が出るのですが、原始仏教では「〔個人である私が経験することのできる〕世界」です。現代語
で言う「世界」ではなく、人間全てが一般的に捉える「世界」などは最初から否定されています。理由は一般的に
捉えることが出来るという普遍化を否定し、個別へ向かうのが基本になるからです。しかし部派仏教以降になると
これが破られる局面が増えてきます。阿含宗などの自称仏教原理主義たちはこの辺を大いに混同しています。

「真理」の意味は明治以降の宗教屋さんが西洋哲学を摂取しようとする日本の学問の流に追いつこうとして、ギリ
シャ風な解釈に置き換えてしまってそれがウパニシャッドとそっくりになってしまったという経緯があります。現
在の日本仏教でもこの考え方が多い事は事実ですね。とくに仏教を研究しない坊主や宗教有名人に定着しています
から誤解されやすいのです。仏教系新興宗教は殆どがこれに従っています。


35 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:44
縁起を公理系のように考えている仏教哲学は善因楽果、悪因苦果などの業報を説明するものとして縁起を位置付け
るのです。これが「三世両重の因果」と呼ばれるものです。特に説一切有部というセクトが提唱したのですが、他
のセクトは猛反発します。反発の理由は
1 縁起とは世界の説明ではなく、苦の滅と苦のありようを説明するもの
2 縁起とは三世にわたるものではなく、一瞬一瞬に内在するもの
3 その他多数
などがあります。




36 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:44
三世両重の因果は大変重要な概念なので別段でお話しましょう。この説一切有部は思想的には異端でしたが、最大の
勢力をもっていましたので、広く行き渡りました。また思想自体、原始仏教よりも他の思想に受け入れやすい要素が
あったので、あっという間に知られることになりました。他の思想哲学の体系にも説一切有部の概念が導入され、一
見、仏教との差異が見出し難いものもあります。例えば真諦という大翻訳家はサーンキャの『金七十論』を仏教論書
と間違って翻訳してしまったとの伝説まであります。この三世両重の因果の出自やそのベース、仏教内部での論争、
他哲学との干渉、その後の展開と影響を見ることで仏教思想の本質まで最短距離で近付けます。

1 現象、事象としてのありよう(業報)
2 行動原理としての真理(縁起)
になるでしょう。残念ながら明確にこの二者を弁別して思考している仏教学者は少ないのです。「縁起は世界観、人
間観としての真理であり、因縁生起という現実を説明している」と言う論点先取の虚偽を犯しているのです。因縁生
起とはまた別段に考えるべきなのです。「山口組」の人たちはこの点はキッチリしていますね。

形而上学(自然学に先立つ原理学)。最も基本的には、経験において与えられる具体的・個別的なものを超越して、
全体的・究極的・絶対的にみる哲学の部門をいう。つまり、経験的に確認不可能な根本原理について考察する学問で
す。いくら抽象的で直感的なものであっても確認可能なものもあります。

諸行無常は経験則です。経験上、事象(諸行、意味的には認識がなされるその対象)には何一つ実体的で常住不変な
ものなく、絶えず生成変化を続けている。それを認めずあるいは目をそらし、常住不変なものを求めるところに執着
が生じ、苦を招くというのが根本にあります。



37 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:47
善因楽果、悪因苦果は人の善悪の「おこない」とその報いであり、それを総称して「業」と呼びます。おこないを善
悪の二つで見ていますが、日常の通常的おこないで、楽果や悪果をもたらさないものを「無記」といい、価値的に三
種類のおこないを定義付けます。これは原始仏教問わず、全ての仏教に通じるものです。無記と言いますが、形而上
学に対する「無記答」とは全く別物なので要注意です。善因楽果、悪因苦果、おこないに三種あり、因から果が生じ
るまで一定の時間が必要。これらを一応「業報論」と括りましょう。




38 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:48
「山口組」を読み解く時、要注意点があります。
1 縁起云々の場合は必ずekadhAtu(一界、根源的なもの、事象が生じてくる源泉)という対極を想定している。
2 縁起と三法印を正確には峻別せず、等価として扱っているのでこの両者の関係は鵜呑みにしてはいけない。

【縁起そのものについて】
一般的に縁起といえば、十二支縁起を示します。縁起説を本当に理解しようと思えば、「順観、逆観」・「流転門、
減滅門」という最低でも四つの角度から眺める必要があります。また順観、逆観とでは支数が異なる場合もあり、原
始仏教の本質を見出せるキーワードでもあります。説一切有部以降の三世両重の因果(縁起に即してこれを業感縁起
という)とはその本質においてまったく違うものになっています。

業報そのものを語るにはかなりの時間を要します。一つ確認すべき事があります。仏教の業報を語る場合、取りあえ
ず、前世、来世を無視してください。「いま善いことをするから将来いつか楽をする」という今生での完結で捕らえ
ないと話が拡散してしまいます。それを捉えた上で、「業報の根拠」とは自分を時系列で冷静に観察して得た「あり
よう」(真理 tathatA)です。

原始仏教では、「世界が自己の認識を出ることはない」のです。自己の認識を出る世界は十四無記として退けます。
仏教は哲学として捉えがちですが、命題としては完全では有りません。哲学として捉える事のできる側面が非常に多
いが、「苦の解決」と言う方向性を持つ限り、「動的な存在論」つまりある一定の価値観を付与した行動規範に近づ
きます。

原始仏教の縁起は個人の個人に限定した内証を言葉にしたものです。因縁生起は個人の枠を越えて一般化し、全体的
な事柄に普遍的な法則を見出そうとするウパニシャッドの方向性に近づくものです。「生れ変りや霊魂の肯定」もそ
の文脈にあります。折角釈尊が「苦の解決としての個」を打ち出しているのに勿体無い事です。

39 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:55
仏教では業報輪廻を受け入れましたが、「生れ変りとしての輪廻」には言及しません。「何が業の報いを受けるのか」
と言う問いには様々な答えがあります。
1 刹那滅の概念を用いて、連続性を根拠にその当体を主張する(有部、無常の弁証)
2 上記思想に心の流れ(心相続)を用い、それが段々変化して苦楽の果を得るとする(経量部、瑜伽行唯識派)
というのが有名であり、仏教外の哲学もよくこれを紹介して用います。原始仏教ではどうなのかといえば、
「それでは何が苦しむのですか?」
「その苦しみの原因はなんですか?」
「その苦しみを取り除くにはこうすればよいのです」
「執着を離れ、先入観から離れ、ものごとをありのままに見て、価値観をかえることで苦しみから開放されます」
「執着した心で見るから、おこないやそのむくいなどに実体を求めてしまうのです」
「すべては空であると知るべきです」となります。阿含経典ではこのような説明が主流です。しかし、部派以降にな
ると形而上学を求めるのでややこしい事を言い出すようになるのです。私は阿含経典の「空」も中観派の「空」も同
じ事だとおもいます。

業報を絶対前提に据え、解脱に向けたときに「執着すべき実体はない」と解釈すべきです。現実世界は厳然として最
低限の執着によってものごとが維持されています。これは「執着」と呼べないかもしれません。「現実世界」と「苦
の解決を目指すもの」にはある意味かけ離れたものに映りますが、それを埋めるのが「戒」です。

形而上学として見るのなら、原始仏教は確実に不完全でしょうね。それは釈尊自身も示唆するところです。原始仏教
以外では釈尊が「一切知者」などとするのが趨勢ですが、それは教団保持や権威付けの為であり、非本来的です。釈
尊は苦から開放されるための知識を大切にするのであり、それ以外の知識は無頓着であったとある意味、言い切って
もいいでしょう。


40 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 11:55
仏教は信解の法門です。釈尊の悟りの内容は記述し尽くせないとして、その目次のようなものを縁起として残してい
るだけです。文章や口伝(くちづて)で残るような安物ではないと思いますよ。黙考沈思し、苦の原因の追及とその
滅し方を観察し、己に引き当てて苦しみから開放され、全てが明らかになったとき、人間存在の理由や事象との結び
つきが一気に明らかになります。これを「現觀」と言います。神聖視するのであれば、縁起ではなく、この「現觀」
に対してすべきです。


41 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 12:00
人の思想としての営みには必ず曖昧さがあり、組織集団では形式化できないのが常です。有部はアビダルマを仏説と
して主張しますが、経量部はそれに反旗を翻します。そして有部に対抗する膨大なアビダルマを体系化していくので
す。この経量部から瑜伽行唯識派が生まれて膨大な大乗哲学体系を生み出します。

釈尊在世当時、天文学はかなり発展していました。惑星の認識もあります。ホロスコープはインド産ですよ。釈尊も
当然学問として受けていますが解脱には関係ないとして退けます。確認しても仕方の無い事です。しかし、天文によ
って農業の収穫や海運を司る人には職能として励むべきと諭しています。釈尊在世以前から天然痘の予防接種などの
専門医学が発展しており、血液型の存在にも言及している医療分野もあります。菌等との共生も知られていました。
そうした外界に対して疑問を投げかけたのが釈尊の特徴なのです。外界には確定的なことは何一つない。そのような
外界に執着することが苦しみを生む大きな原因だと。

普遍の法則を見出そうとする方向性が当時存在していて、業報を生れ変りや罪業論と結びつけ、人間や世界を説明し
ようとするのが趨勢だったのです。それに対して鋭い切り込みと解脱で証明して見せたのが釈尊の「個としての解脱」
です。人間は一人一人違うんだぞという事です。

原始仏教以後、いわゆる普遍化、形而上学志向、権威化が始まる部派仏教では釈尊を神格化絶対化させていきます。
その流れで同じ阿羅漢でも、「一切知者」「絶対慈悲」と違いでブッダと隔絶化していきます。その背景をつかんで
おけば理解しやすいでしょうね。大乗経典もこの枠を出たものではありません。部派仏教のアビダルマで語る(六)
波羅蜜や様々な修行は大乗そのものです。

42 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 12:00
今の文脈で大乗とは
1 大乗仏教と大乗経典とは別物として考えるべき(全ての学者が勘違い)
2 大乗経典の中に実は部派仏教とほぼ同じ要素が見出せる
3 大乗仏教を宣揚する論書では積極的に阿含経典を引用して大乗非仏説を説く
3. 1 それらの論書は大乗経典ではなく、阿含経典のなかに大乗を見出そうとする
3. 2 大乗の定義が様々
3. 2. 1 全てのものが成仏できる  ←→ 唯一釈尊
3. 2. 2 皆お手手をつないで到彼岸 ←→ 一人だけの到彼岸
と言うのが私のガイドラインです。ポイントの一つは3.2.1であり、それが世親の言う大乗です。世親が批判する
「唯一釈尊」は五性客別という大乗経典に変質していきます。このように考えていくと、従来の大小の区別は何の
意味も持たないばかりか、差別の道具として作り出されてきたものとも考えられます。仏教内部で「生れ変り」を
肯定するのもその間違った流であって、罪業論や五性客別へと橋渡しするのです。

あまり知られていないのですが、「大乗非仏説論」は世親よりもかなり古い時代から言われております。そのあた
りからえぐっていかないと、後世の大乗非仏説論の輪郭は正確には見えてこないかと思います。何時の時代にも原
理主義的な傾向を持つ流が一方では存在しており、全体としての大きな流を牽制しつづけていると考えます。それ
が開花したのが初期大乗興起であり、瑜伽行唯識派であり、中観派であり、大きく変容して浄土教でもあると思う
のです。ですから、変貌してしまった仏教として捉えるだけではなく、時代時代の原理主義運動が大きな牽制力、
あるいは理想指針として息づいてきた歴史的事実に光を当てるのが新しい学問のありかただと考えます。

43 :文責 阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/23 12:07
一般的な意味での「有部」など無いと言うのが主張です。sarva-asti-vAdin と言うのはもっと広い概念です。経量部
が内在していてもそういいます。総合大学のように捕らえて方がいいのかもしれません。いろいろな考え方があるので
す。有部の代表的なものとされる論書では三世両重の因果を説くだけです。。

「確認しても仕方ない事」の中に「確認できない事柄」(全てだとは断定しない)があります。つまり、解脱には必要
の無いことと言う意味になります。

原始仏教は素朴実在論ですが、外界を否定も肯定もしません。認識された内容を重視するのであって、その範囲で経験
則を打ち出します。ただし、確定的なものは何一つなく、夢幻と断定してしまいます。これは伝統になってしまい、夢
幻論にまで言及する学派も誕生します。

依存しあうというのはあくまでも「個」限定です。ウパニシャッドこそ重々無尽に近いものがあります。神話的なヴェ
ーダなどの世界観から哲学的な思弁的な瞑想的な思想にシフトする時、重々無尽などを体験するのは宗教神秘主義の学
問分野では常識です。ユダヤ神秘主義、錬金術、道教、すべて適用されます。仏教の特殊性はこれら、人間の常道から
飛び越えて「個」を見つめなおしたところにあります。

以上、電波男さんの前スレ後半での「業と縁起」についてのまとめでした。


44 :新スレはじめましたっ!!!:03/06/23 14:13
<<<カルト警報・緊急告知>>>

【死体】念仏宗無脳壽寺第十五章【いじり】
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1056341480/

社会的地位を利用して断り難い立場の人に狙いを絞り
決して教団名を名乗らずに済度(勧誘)する。
「とにかく良い話があるから京都まで来て欲しい。」と言うだけ。
京都へ2日間行くと意味不明の説法、儀式を受ける。30数万円払う。
(詳しい事は過去ログ第一章にほぼ全て書いてあります)
京都で起こった事は例え親家族であろうと口外禁止。
念佛宗の名バラしたら無間地獄へ落ちると脅される。

同行になってからも出費(護持費、会費、廻向費、御布施など)は重む。
同行になると3人は済度しないといけないとノルマを命じられる。
同行が亡くなったら「涅槃が出たぞ」と近くの同行が集まって
その遺体を触ったり、持ち上げたり、口の中に手を突っ込んで匂いを嗅いだり。

御開祖様(教祖)は元サイコロ占い師で詐欺で告発寸前まで行った分際で
秋篠宮真子様の名付け親だと平気で豪語する始末。
主な著名人同行、皇族全員、聖徳太子、空海、徳川家康、宮沢賢治、手塚治虫など

45 :名無しさん@3周年:03/06/24 00:00
心当たりがある人、メンタルへルス板で一緒に語りませんか。元・も歓迎。
http://etc.2ch.net/utu/
自己愛性人格障害 Narcissistic Personality Disorder
 アメリカ精神医学会 DSM-IV
<診断基準>
 誇大性(空想または行動における)、称賛されたいという欲求、共感の
欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。
以下の5つ(またはそれ以上)によって示される。
1) 自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、
十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
2) 限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3) 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に
(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4) 過剰な賞賛を求める。
5) 特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的
に従うことを理由なく期待する。
6) 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成
するために他人を利用する。
7) 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、または
それに気づこうとしない。
8) しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9) 尊大で傲慢な行動、または態度。


46 :名無しさん@3周年:03/06/24 00:20
>>45
なぜか666に該当する項目が多いような気がするが、気のせいか?

47 :666改:03/06/24 00:39
>>46
とりあえず(9)だけ間違いなく当たっている(w

48 :名無しさん@3周年:03/06/24 02:04
そうですねえ。小乗はとにかく我を究めることで、
大乗は無我を徹底することですね。

ですが、ここが分かりにくいかと思われますが、
我々の言語世界や現実世界というものを、そのまま自分と一体であるとして
考えているのが大乗で、小乗は世間一般から離れ、煩悩を見ないようにと努力を重ねて
いるものですから、
小乗のほうが「無」に徹していると思われることもあるけど、やっぱり
大きな目でみるとそれは「我」に違いないんですよ。

大乗の思想で見ると、自分および他という区別を無いに近いまでに
完全に全てを飲み込んだところの視点に自分を最初から置いて見ることをしていく。
完全に無為、無作為ということの価値を知って、尚かつ、そのような方面を
究めることによって、逆に自分という存在に気づくということ、そのような道だといえます。
苦行を必要としないばかりか、この立場はいつでも、何でも全てのものを自分が完全に有している立場です。
あらゆる不要な概念を捨て去って、また捨て去って、その結果、あらゆる力を完全な形で把握し得ることになります。

荒行、苦行をしてそのことを悟る方法もあるし、そのようにした先人たちの悟ったことを聞いてそれを
自ら実行して悟れる立場もあるということです。どちらが良いかは、言うまでも
ないですよね。しかし、基本はどちらも同じことです。捨てることです。
どこでそれに気づくかの違いです。
小乗でいくと、自分がなぜ悟ったのかということは自分では理屈がわかりません。
師に従ったとしても、おそらく凡人ではなかなか道を究めることは難しいと思われます。
ですが、大乗は理屈の上からの思惟によってもかなり奥の要点まで入っていくことが可能です。
自分でも何が起こっているのかちゃんとわかっていられます。日常から離れなくても
自分の目の前の物事を通して学ばされるので、非常に楽に自分の目的地へと導かれて行けるのです。

49 :リーマン:03/06/24 02:30
大乗と呼ばれる
ニッポンのソーリョどもに
言ってやってくれーーーーーーーー。

50 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/24 16:52
>>31 電波男さん
>中観派の縁起。わたしはアホだから、原始仏教との違いが見出せない。「空」も同じ。竜樹は決して般若空
>を述べているわけではないと考えます。
専らアーガマや二カーヤを読んでいた流れで、初めて『中論』に目を通したとき、これって原始佛教思想の解説書じゃない
かなとという印象を持ちました。冒頭の「帰教偈」からして『ウダーナ』や『ウダーナヴァルガ』の詩偈の引用ではないかと思
いましたね。



51 :名無しさん@3周年:03/06/24 17:21
難しい漢字の多いスレだ。。

52 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/25 01:00
元来、各個人の苦のありようを解明するためのツールとして「価値的命題」であるべき「縁起」が、外界の事物の
生起の説明原理という「客観的命題」にまで拡張して解釈される傾向は、現代においても盛んなのではないかと
思います。私も最初はそう考えていましたし(恥)、佛教かぶれ(失礼!)の科学者や西洋哲学畑の人々、果ては
疑似科学やカルト宗教のトンデモ教義の中など様々な場所でこうした見解が語られています。これは対象知を
重んじる近代社会における佛教思想の受容によって生じた、一種の「ねじれ現象」なのではと思います。

53 :NB ◆0buMLZ/Vxc :03/06/25 07:57
>>52
うまいこと言うねえ!!

激しく同意です。
そういや、「心と体」じゃなくって「身のレベル」ってことを誰か言ってましたね。
対機説法の「機」についても実際のところはどうなんでしょうね。

まあ、こんなところにも物心二元論が。って感じなんでしょうか。

54 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/25 19:30
>>53
NBさん、毎度です。
>対機説法の「機」についても実際のところはどうなんでしょうね。
これは難しいですね。個人的には様々な教法を「自己の問題」として受け止めて追究し、あるいは咀嚼考察しながら、は
っと気がついたり、すっと腑に落ちるその時が「機」なのではないかなと考えています。そして、その「機」を起点としてさら
なる探究が始まるのだとも思っています。

佛教と西洋思想の安易な比較の危険性を恐れずに言えば、「自己知」の徹底的な探究−原始佛教−から、「対象知」の
考察−アビダルマなど−へのシフトって、なにかしらギリシャのソクラテスとその弟子筋のプラトン−中期以降は自分の
思想をソクラテスに「語らせる」傾向がみられるので要注意−やアリストテレスの間に見られる探求対象やその姿勢の変
化を連想してしまうのですが、いかがでしょう。

55 :兵力増強依頼:03/06/26 11:25
原始佛典は参加者の少ないスレで、私自身も過去ほんの数回
書き込んだ記憶があるだけです。ところで、せっかくの流れを
遮るようで申しわけありませんが、皆さんのうちで、我が国の
葬式仏教に批判的なご意見をお持ちの方はいらっしゃらない
でしょうか?

部派仏教時代の戯論は戯論として、面白いことはよく分かっていますが、
たまには気分転換(?)に、葬式坊主をからかってやろうという茶目っ気のある方、
もしおられましたら下記掲示板にご参加下さい。

目下、葬式坊主が「葬式で稼いでどこが悪い。ブッダだって葬式してるぞ」と
屁理屈をこねております。一発ガツンとやっていただければと、ご依頼に
上がった次第です。
阿呆陀羅經さん、666改さん、11さん、電波男さん、リーマンさん、
NBさん、その他名無しの皆さん、宜しくお願いいたします。

http://6128.teacup.com/futoshi/bbs

56 :名無しさん@3周年:03/06/26 21:16
http://6128.teacup.com/futoshi/bbs
ここに書いたら、削除されました。
管理人の方が無茶なこといっていると思うけど。

しかも、何か商売の臭いがするではないですか。
坊主に葬式だすのやめて、ウチで葬式だせという...



57 :名無しさん@3周年:03/06/26 21:19
>54
あなたはそんな理屈こいていて
お葬式はどうなさるのでしょうか?

58 :御礼:03/06/26 22:14
>>55です。電波男Ψ(´д`)Ψさん、有難うございました。
逮夜参りが葬式仏教ではない、と言い張る狂人が逃げました。

59 :名無しさん@3周年:03/06/26 22:22
>>56
失礼の段、お許しください。2度削除しましたが、おそらく
あなたの書き込みだったのでしょう。話が脇道に逸れてしまい
そうだったので、やむを得ない措置でした。重ねてお詫びします。

掲示板のテーマに、何の営利性もありません。堕落仏教を叩く、という
ただそれだけの趣旨です。

60 :名無しさん@3周年:03/06/26 22:28
阿含経を依経とする教団ってどこかありますか

61 :フトシ:03/06/26 22:37
>>60
阿含宗でしょう?でも、桐山さんの解釈はでたらめですよ。

62 :フトシ:03/06/26 22:46
>>56 管理人の方が無茶なこといっていると思うけど。

管理人って私のことですね。では、今からでもどうぞ。一段落つきましたので。
2度も削除しておきながら、随分勝手な言い草ですけど。でも、ここは
原始佛教のスレッドですし。電波男Ψ(´д`)Ψさんの書き込みへの疑問も
ありましたよね。

63 :フトシ:03/06/26 22:50
>>60
そうそう、オウム真理教もアーガマを重視していませんでしたか。
オウムは桐山阿含宗から枝分かれしていたはずですからね。しかし、という
べきか、やはり、というべきか、その解釈は推して知るべしでしょう。

64 :仔猫坊主:03/06/26 22:51
>>58
あー、でも、余りお坊さんに失礼しちゃ可哀想だねぇ・・・。
確かにゴロツキ坊主もいるけど、良心的な人もいるわけだし。


65 :フトシ:03/06/26 23:32
スレッドの主旨、「ここではアーガマやニカーヤに説かれている教法や教理を中心に、様々な議論を重ねて
いけたらと思います。佛教の原点を闡明できる良スレになること期待して・・・。」を尊重して、
無関係な方、すみやかに立ち去って下さい。

あっ、私こそがその無関係者だった。逝きます。

66 :666改:03/06/27 01:20
>>30
電波さん、ちょっとお久しぶりです。

>>悟りの内容が現観である、ということでいいですか?
>総論としてはそれでいいと思います。
では、現観を言葉で表現する試みというのも当然あったと考えていいですね。
現観はそれを体験する人類に共通のものですか?(そう解釈できますか?)

>現觀の内容は縁起の枝分に沿って説明するのが第一歩だとも思います。
やっぱ、説明できるのだ。
しかし、第一歩っつうことは説明しきれていないってことかな。

>また、縁起を考える場合、外縁起(現象界の道理)と内縁起(個人の苦の原因追及)
>があり、原始仏教では後者です。
内縁起のみでは人の苦の追及に不十分だ、というのが私の考えです。
文献学的な論拠を持ちませんが、当然そうだと考えるわけです。

>666さんは前者の外縁起で原始仏教を見ようとしていたわけです。
>専門の人でもそのような誤解が多いのですから仕方の無い事ではあります。
いえいえ、専門家の誤解は私のような素人にはあまり関係ありません。
ただ、仏教が真に苦の解決を追求する教えなら、内縁起のみでは片手落ちだと思うわけです。

>有部の論書によれば、縁起は業感縁起となり外縁起
>の要素が取入れられ、法界縁起など内外含めた縁議論が語られます。
このときの外縁起の要素とはウパニシャドからやってきたのですか?
外縁起が時空の相互作用を含むとする、わたしがどっかで見つけてきた縁起の解釈でいいとすると
確固たる我であるアートマンは説明し難いのではないですか??

67 :666改:03/06/27 01:20
>中観派の縁起。わたしはアホだから、原始仏教との違いが見出せない。「空」も同じ。
>竜樹は決して般若空を述べているわけではないと考えます。
私は空も相互作用だと思っていましたよ。(内外を問わないところの)
そう言った説明は巷にあふれています。
我との関係でも説得力があると思ったものです。

>>>経典が絶対前提になるというのは私の言葉であり、仏教教団を言い表したものです。
>>経典が絶対前提になることが仏教教団を言い表したことになる意味が私にはわかりません。

>なぜそう考えるのか私には理解できません。
仏教教団が何の説明も無くいきなり出てきたからです。

>>もしかして下痢をしても問題視しないのが原始仏教なのですか?
>いいえ、病気の原因の追求とその解決を見出す事は医者のつとめであると言い切っています。
そりゃそうでしょう。(文献のことは知らないけど)
しかしそれは人の精神が外界と相互作用しないことを言い表してはいません。

>修行者は医術にかかわるなとも言っています。
医術に関わることは修行者にとってどのような理由で避けるべき事柄となるのでしょう。
例えば、外傷を負ったら清らかな水で洗い清めるという知識も一種の医術だと思います。身を守る常識から遠ざかれという教えがあるとは信じがたいことです。
なにか別の意味合いがあるのではないでしょうか。

>また、病気になれば医者に掛かればいいことです。
自ら解決できることの範囲を広げることが縁起の観察の邪魔になるとは思えません。

68 :666改:03/06/27 01:22
>>32
>>この話題は、もともと原始仏教の世界観が自己の認識の中にとどまるという説明から発しているわけですが、
>>これは仏教学に共通した見解と考えてよろしいですか?
>ほぼ共通していますね。
ほぼ、ということは完全一致の見解ではないということですね。
できれば偏見抜きで例外に当たるような論説も紹介していただけないでしょうか。

>>無記の対象は形而上学的問題なのでしょ?
>>「確認しても仕方ない事」の中には確認できることも含まれますよね。
>「形而上学」と説明的に使ってしまったから誤解が生じるのです。無記とは答える必要の無い事です。
>その質問の内容から「形而上学的考察の無意味さ」「確認しても苦の解決とはかかわりの無いもの」
>などと解釈されるのです。
「苦の解決とはかかわりの無いもの」を無記として退けた、というのは私にもわかります。
問題は、何が「苦の解決とはかかわりの無いもの」なのかでしょう。
それを巷では「形而上学的問題」としています。
「苦の解決とはかかわりの無いもの」が「確認しても苦の解決とはかかわりの無いもの」
では説明になっていません。



69 :666改:03/06/27 01:33
>>善因悪果・悪因楽果を認めた上で善因楽果・悪因苦果を強調しているのでしょうか。
>>だとすれば、こんどはその偏った強調の理由がわかりません。
>強調の意味と意図がわかりません。
善因楽果・悪因苦果しか耳に入ってこないから他の二つの可能性と比較してこれらを
強調しているのだろうと考えました。

>外的な事象の関係性や統一性を説明した場合、外界の実在性、実体性、独立性を
>無視して語れません。
当然でしょう。それが真実です。現代人の誰しもがそれを前提に生活しています。
それを無視した外縁起というものがあったとしたらそれこそ私には受け入れられません。

>この傾向に瑜伽行唯識派や中観派は警鐘を鳴らすのです。
理由が見えません。

>ただし、華厳思想ではそこらへんのフォローを怠りませんが。。。。
まだぜんぜんそこまでいけません(泣

>現觀は全てを取り込みます。
外縁起もですか?

>外界の捉え方の違いが議論を呼んでいるような気がします。
私の言う外界とは精神の外側、認識の届かない場所です。

70 :名無しさん@3周年:03/06/27 06:08
竜樹に凝ったかと思えば今度は原始仏教か。広く浅く頑張れよ。
質問しまくりの割には偉そうだぞ。教えて君は謙虚にいけよ。

>>また、縁起を考える場合、外縁起(現象界の道理)と内縁起(個人の苦の原因追及)
>>があり、原始仏教では後者です。
>内縁起のみでは人の苦の追及に不十分だ、というのが私の考えです。
>文献学的な論拠を持ちませんが、当然そうだと考えるわけです。
ならば自分の言葉で反証してみなよ。それともただの煽り?

71 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/06/27 08:06
>>66
本日から7月7日まで超多忙モードに入ります。いつ発言できるかもわかりません。
その期間、宿題を出しておきましょう。

1 私の発言は原始仏教を記述するためのもの
2 そのためには便宜的に以降の仏教、思想哲学を借用
  2.1 それは私自身の仏教解釈とは完全に一致するわけではない
3 ただし、原始仏教の範囲を出ない
  3.1 違う解釈を取入れてしまうと原始仏教ではなくなる
4 666さんはご自身の解釈で原始仏教を見ようとしている

という視点でもう一度発言を読み直してください。メチャクチャな思い込みをしているところが多いのです。
例えば、↓
=================================
>>無記の対象は形而上学的問題なのでしょ?
>>「確認しても仕方ない事」の中には確認できることも含まれますよね。
>「形而上学」と説明的に使ってしまったから誤解が生じるのです。無記とは答える必要の無い事です。
>その質問の内容から「形而上学的考察の無意味さ」「確認しても苦の解決とはかかわりの無いもの」
>などと解釈されるのです。
「苦の解決とはかかわりの無いもの」を無記として退けた、というのは私にもわかります。
問題は、何が「苦の解決とはかかわりの無いもの」なのかでしょう。
それを巷では「形而上学的問題」としています。
「苦の解決とはかかわりの無いもの」が「確認しても苦の解決とはかかわりの無いもの」
では説明になっていません。
================================

72 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/06/27 08:06
無記の定義として

1 答える必要の無い事
  1.1 確認できるはずの無い事
  1.2 確認しても苦の解決とはかかわりの無い者

と言うのは私の解釈ではなく、経典の随所に見られる定義的説明です。現代の学者が便宜的に形而上学
といっているに過ぎず、「無記」こそが形而上学であると先取りして仏教を解釈するのは非論理的です。

このような勘違いはたくさん見受けられますが、その前に紹介している「原始仏教」水野 サーラ叢書
を読んでください。絶対に早道です。原始仏教を自分に引き当てて考え、何かの方途を見出していくのは
大変有意義だと考えます。しかし緻密にそれをするには原始仏教そのものを明確にする必要があります。

「では説明になっていません」、その物言い。だんだんムカツイテきております。お一人でおやんなさい。
少なくともあなたとのやり取りで、ギャラリーには色々な意味で整理できたであろう点では有意義でした。
あなたがその態度を改めない限り、これ以上は益する事はないと考えます。

>>>善因悪果・悪因楽果を認めた上で善因楽果・悪因苦果を強調しているのでしょうか。
>>>だとすれば、こんどはその偏った強調の理由がわかりません。
>>強調の意味と意図がわかりません。
>善因楽果・悪因苦果しか耳に入ってこないから他の二つの可能性と比較してこれらを
>強調しているのだろうと考えました。
二つの可能性とは何ですか?かなり説明不足ですよ。それとこのことをもう少し深く考察し、自身のなかで
まとめ上げて記述する事が今は大切だと考えます。どうもこの点がネックになっているようですから。

73 :名無しさん@3周年:03/06/27 11:43
>>72

>「では説明になっていません」、その物言い。だんだんムカツイテきております。

そりゃそうだ。

74 :名無しさん@3周年:03/06/27 11:49
もう自演やめてね。

75 :名無しさん@3周年:03/06/27 23:40
>>70
反証って誰か論証とか立証してました?


76 :666改:03/06/27 23:46
>>70
ん?竜樹に凝ったことなんてないぞ?
どなたかと勘違いしてるのかな。
私はあくまで浅く狭くだ(w

>>71
おお、電波さんから宿題が出た。
これはこれはご丁寧に。
実は私も最近糞忙しいモードでして、頻繁なやり取りがメンドイこともあります。
状況もシンクロしていて好都合です。
まったり逝きますので末永くよろしく。

77 :NB ◆0buMLZ/Vxc :03/06/28 02:47
>>54
阿呆陀羅經さん。他スレでも放置になってて大変スマソです。
ギリシア哲学はお手上げですけど、「称機」って言葉もあるんですってねえ。
阿呆陀羅經さんの「機」の捉え方って、いわゆる「可発の義」ってやつなんでしょうか?
いずれにせよ、いつもびっくりさせてもらえるんで嬉しいです。

まあ、説教師的(って、ダルマバーナカじゃないですよ)に言うならば、仏法の一つを聞いて
一つ「賢くなった」と思ってしまったとたんに、世間知のレベルに迷い堕ちてしまうように思いますね。

そういや、いわゆる伝統的な立場からは釈尊の「機」を問題化することはタブーみたいな
感じってありますけど、仏教学者における釈尊の「機」の問題化ってのも、あまりにも「文学的」
すぎる感じがありますよねえ。こういうとここそきちんと相対化して欲しいのに。

いえ、駄レスでスマソです。またいつか、阿呆陀羅經さんならではの、いろんなことをお聞き
したいです。しばらく消えますので、お返事は結構です。ありがとうございます。

78 :名無しさん@3周年:03/06/28 02:51
>666
これは見落とさない方が良いかもよ↓

>だんだんムカツイテきております。お一人でおやんなさい。
>少なくともあなたとのやり取りで、ギャラリーには色々な意味で整理できたであろう点では有意義でした。
>あなたがその態度を改めない限り、これ以上は益する事はないと考えます。

79 :11:03/06/28 04:03
おひさ!
暫く居ます。
>>28
一連の書込みは私の本音でも有りますし、
666さんへの返し矢でも有ります。>前スレ666さんのレスを切り貼りして構成

まったり行きましょ  と、言いたいところですが、
不肖11奴も暫く〜NETできなくなります。

80 :11:03/06/28 06:12
やっ時間です。

皆様の修行がますます進みますように!
お元気で!


81 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/28 17:48
>>80
お話できなくて残念でしたが、エールありがとうございます。またの機会に・・・。


82 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/06/30 17:01
>>77
NBさん、また気が向いたらお越しください。お待ちしています。お返事は結構ですがこちらもご挨拶までに。

「可発の義」について詳しくはないので何とも申し上げにくいのですが、その「機」にせよ因縁生起したものに過ぎないの
であって、さらなる探究への糧としても、それに執著して止まるべきものではないと考えております。『スッタニパータ』の
「蛇の章」などを読んでいると特にそれを痛感しますね。また、「無上正等覚」に達したブッダが、それでも終生一求道者
あるいは修道者としての姿勢態度を崩さなかった意義もここいらにあるのではないかと愚考しております。

83 :666改:03/07/03 01:06
真理運動などかつての原始仏教運動は当時の研究成果に基づいて展開されていたとのことですが、
現在の研究と引き比べた時どのような相違点(研究上の進歩)を認めることができるのでしょうjか。
識者の皆様方、どうぞよろしく御教授ください。

84 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/03 21:17
>>83
666改さん
「真理運動」時代−昭和初期−の前提にあった原始佛教観は、「大乗経典非佛説」とヨーロッパのインド学研究の
影響を受けた近代佛教学の当時の学的風潮に基づいていたと思われます。つまり「ブッダの直説=現存阿含経
典(パーリ聖典&漢訳阿含)」という見解に立脚したものですね。また、『南伝大蔵経』の刊行開始もそれに刺激を
与えたのでしょう。当時は「根本佛教」という呼称も主張されていましたしね−姉崎正治説など−。しかし、その後
の経典成立史研究は現存阿含経典の中にも新古の層−詩偈と散文など色々複雑−のあること、編纂年代が大
乗経典と同時期に被ることなどを解明し、また、サンスクリット語やチベット語の経典写本の研究が発展し、こうし
た前提は事実上相対化されたと思います。つまりは歴史主義的・文献学的な意味での「ブッダの直説」の確定は
最早不可能という見解に落ち着いているようです。えらく雑駁になりましたがこんな状況だと思いますよ。

*加えて最近次々に佛典の古写本が発見され解読が進んでいるようです。今後の研究成果に期待です。http://www.nb.no/baser/schoyen/5/5.19/index.html
http://tiger.bun.kyoto-u.ac.jp/letter/007/matsuda.html
http://www.h4.dion.ne.jp/~indology/Blb.htm

85 :836:03/07/03 21:35
61
阿含宗のどこがでたらめなんだ。答えろ。

86 :名無しさん@3周年:03/07/03 21:38
教祖が念力で火をつけるってほおんとうですかあ?

87 :666改:03/07/03 22:03
>>84
早速のご教示ありがとうございますm(_ _)m

>つまり「ブッダの直説=現存阿含経典(パーリ聖典&漢訳阿含)」という見解に立脚したものですね。
>つまりは歴史主義的・文献学的な意味での「ブッダの直説」の確定は最早不可能という見解に落ち着いているようです。

もし現代に原始仏教の啓蒙団体が発足するとしたとき、真理運動との具体的な相違点はどのようなものになると考えられますでしょうか?

88 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/03 22:25
>>87
666改さん
「真理運動」が目指したは、結局は当時の原始佛教観に基づく既成教団めいたものであったのだと思います。増
谷文雄氏が袂を分ったのもそのあたりのスタンスのずれにあったと聞いています。しかしながら現在に至る原始
佛教観の変容を鑑みれば、何らかの固定化された教義に基づく教団的な運動は、事実上不可能なのではないか
と考えます。もしそうした啓蒙活動が実現するならば、それは最新の研究に基づく学的成果や情報を希望者に解
りやすいかたちで公開される研究機関−ネット上でも可−のようなものが理想的な形態なのではないかと思いま
す。そこで得たものを各人が個人的営為としての佛道実践に役立てられ、また意見や見解を自由にしかも責任を
持って交換できるようなシステムが望ましいのではないかと考えます。

89 :666改:03/07/03 22:52
>>88
>しかしながら現在に至る原始佛教観の変容を鑑みれば、

勉強不足ゆえ私はその変容の内容すら知らないのです。
”変容”は教団の維持を難しくする内容を含んでいるのでしょうか。

90 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/03 23:04
>>89
>勉強不足ゆえ私はその変容の内容すら知らないのです。
>>84に書き込みました、学的成果による原始佛教観の変化です。「真理運動」のような教団ドグマを構築すれば
そうした日進月歩の変化にはついて行けなくなり、下手をするとカルト化する懸念が生じます。あるいはテーラヴ
ァーダ協会のようなアビダルマ的偏向が生じる可能性も出て来るでしょう。それに組織化すると、その存続そのも
のが目的化する本末転倒な状態に陥る可能性が大です。各個人が各々に最適の「筏」を選択出来るような研究
機関的システムが最適なのではないかというのはそうした理由からです。


91 :666改:03/07/03 23:11
>>90
>それに組織化すると、その存続そのものが目的化する本末転倒な状態に陥る可能性が大です。

この部分には個人的によく納得できます。
さて、私は「学的成果による原始佛教観の変化」を知りたいのですが、それはリンク先を参照ということでしょうか。


92 :666改:03/07/03 23:20
学的成果は原始佛教観にどのような変化をもたらしたのでしょう。
もしよろしければ2,3の具体例などをお示しいただければ幸いです。
例えば、転生を認めなくなった、のように。(これは例えです)

93 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/04 00:19
>>90
おっと、私の読み足らずがあったようですね。すみません。リンク先を参照していただいても結構ですし、古い
本ではありますが、岩波新書の渡辺照宏氏の著書に、近代における佛教研究のあらましと興味深い問題提
起がされています。三冊ほど刊行されていますが、いずれも一読の価値があると考えます。>>92でお尋ねの
諸項に関するよい示唆も得られると思います。

それと↓も参照してみてください。なかなか面白いと思います。
http://www2.toyo.ac.jp/~morimori/

94 :666改:03/07/04 00:29
>>93
魅力的なURLの数々をありがとうございます。

95 :名無しさん@3周年:03/07/04 01:20
>>666
やっと学ぶ者の態度がわかったようだね。

96 :666改:03/07/04 01:48
>>95
ごめんね、面白くなくて。

97 :名無しさん@3周年:03/07/04 01:59
私が作りました!見てね♪
http://nuts.free-city.net/index.html

98 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/04 02:23
>666改さん
そうそう、電波男さんもお薦めの水野弘元氏の『原始佛教』(平楽寺書店サーラ叢書)は是非読んでおいて
ください。かなり昔の本で文体などに時代を感じますが、内容は未だに古さを感じない読み応え充分な格
好の概説書です。この方−100歳でご健在−の著書はどれを読んでも損はないと思います。春秋社刊行
の『釈尊の生涯』なども機会があれば一読をお薦めします。

99 :838:03/07/04 21:04
85
阿含宗になってからのことをきいてるの
わからないのでしょう。

100 :39165:03/07/04 21:06

18禁 http://www.freepe.com/ii.cgi?furima0323


101 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/04 21:08
>>99
阿含宗カルトは、ハウスハウス(笑)。

102 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/10 08:08
666さんは宿題をしないのでしょうか?

103 :名無しさん@3周年:03/07/10 23:51
うほ

104 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/11 01:01
電波男さんにお尋ねしたいのですが、釈尊が出家の修行者に説いた教えと言うのは
色々あって、それなりに知っているのですが、在家の信者を対象に説いた教えとは
どう言うものがあるのでしょうか?具足戒と五戒の違いなどはよく言われますが、
在家信者に対しての具体的な教えや、修行項目などがあれば教えて頂けますか?
またそういう経典などがあればその名前も教えて下さい。

105 :名無しさん@3周年:03/07/13 01:40
あげとこ

106 :筑紫の日向の橘出版@ぜんじ軍 :03/07/13 01:47
ごみんなさーーーーーげまんとひひ。ぱぷぽきっるるううん。

107 :山崎 渉:03/07/15 13:59

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

108 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/15 16:17
>>104
横レス失礼します。
原始佛典と呼ばれるニカーヤやアーガマは、基本的に出家者によって出家者向けに編纂集成されたもの
で、在家者向けの修行法を体系的には説いていなかったと思います。どちらかというといわゆる修行よりも
徳目の遵守を勧める、あるいは徳目の実践を以って修行とするようなスタンスではなかったかと考えます。

109 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/15 16:38
>>108の続き
とはいえ、在家者であろうが、それらの佛典に説かれている思想を抽出して実生活に活用するのは充分可能で
あると考えます。しかし、それを一般化するための体系やマニュアルを作成するのは不可能でしょうし、よしんば
出来たとしてもあくまで「個人的覚書」以上の意義を持ち得ないと思いますね。むしろそのほうが、各個人の苦と
の対峙を最も重視して教法が説かれる、原始佛教本来の趣旨に適うのではと愚考します。

110 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/15 23:35
阿呆陀羅さん毎度どうも。

確かに出家修行者が保持して来た三蔵には、出家者の出家者による出家者の為の
教えが中心となって編集されてきたのは当然の事かとも思います。ただ、その
出家者も出家者だけでは生活できないわけで、在家の信者とも当然なんらかの
関係があった事と思います。その辺が後に大衆部や大乗運動との関わりになって
いくのかもしれないと想像しています。

在家者に対しては、布施や喜捨の福田思想や五戒を守る事、呼吸法や数息観などの
初歩の禅定、後は、善行を積んで、死後の昇天などが説かれているだけなのかな?

111 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/16 17:32
>>110
出家者といっても、もちろん在家者の布施供養を前提としていたわけで、それなりの交流はあったと思わ
れますが、一方で世俗との親密な交流を諌めるような教説もありますから、修行に関する教法が在家者
にどの程度まで説かれていたかは不明な部分が多いですね。在家者の悟りについても経典の中では説
話的に記述されるか抽象的に説かれるかに止まっていますし、その到達点を不還果までとする上座部や
大衆部系の北道派のように在家阿羅漢を認めたりなどの議論はあっても、具体的な修行体系は説かれ
ていなかったと思います。もちろん私の調査不足もあるとは思いますけど(笑)。



112 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/16 21:18
原始仏教において、基本的には在家出家の差別は無く、ものごとを正しくとらえ、心の安穏を得る
のが目的だったと推測しております。幾つか根拠らしいものがあるのですが、確定していないので
ここでは言及を避けます。

ただ言えるのは「出家第一主義」は組織教団が作り上げてきた佛教への妄想的要素がかなり含ま
れているということです。

ところで>>666さん。宿題はまだですか?それと質問です。あなたは@Niftyの思想系、仏教系フォーラム
で発言されていますか?

113 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/16 22:21
>>112
電波男さん、お久しぶりです。そういえば『ミリンダ王の問い』にもナーガセーナ比丘が「出家第一主義」を説く箇所
がありましたね。アーガマやニカーヤにも在家者の成道を認めるような記述がありますが、その聖典を奉じる出家
教団がこうした教説に対して肯定的態度を採らなかったのは、在家者に対する教団組織の優位性や特権性を保
持するためであったのではないかと思えます。

114 :NB@夏休み中 ◆0buMLZ/Vxc :03/07/17 00:23
もしかして、「真理の担い手」論争っすか…。


あるいは、末法の普遍性とか…?

115 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 00:31
>>114

> もしかして、「真理の担い手」論争っすか…。
> あるいは、末法の普遍性とか…?

いいえ、全く違う文脈にあります。創価学会が求める真理の担い手論争とかまったく関係ありません。
完全な文献学的な推測です。その根拠はたくさんあるのですが、今は語れません。あえて言えば、

1 戒律の問題
2 三法印に係わる出家在家の無意味性
3 解脱の定義
4 福徳の定義
5 福田の定義
6 如来の十号について
7 菩薩の定義

などが観測点になるでしょう。但し、あくまでも原始仏教での範囲です。

116 :名無しさん@3周年:03/07/17 00:37
質問です。 お釈迦様が禁止された
蛇とか、禿げ鷹とか、ハイエナとかを食べてはいけないと
言うのはどうしてでしょうか?

現代でも、TVで蛇を食べてたりします。
とくに、表面上は変化が無いように見えますので。

117 :名無しさん@3周年:03/07/17 00:41
それと、お釈迦様のお弟子さんが何故、
お釈迦様の境地になれなかったのでしょうか?
悟りを開いたのに、そこからの秘奥をお釈迦様が
渋って、自分が一番でいたとは考えたくないですから。

118 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 00:57
>>116

> 蛇とか、禿げ鷹とか、ハイエナとかを食べてはいけないと
> 言うのはどうしてでしょうか?

だれがそんなこと言ってるのですか?

> それと、お釈迦様のお弟子さんが何故、
> お釈迦様の境地になれなかったのでしょうか?

最初釈尊に五人の弟子がいました。そしてそれぞれ悟ることが出来ました。
その時釈尊は「この世に私と五人の悟ったものがいる」と明言しました。

釈尊の悟りの境地に到る事は無いと教義に盛り込まれていくのは教団組織化
されていく過程にあります。つまり、釈尊を神格化し、それを権威として教団の
利潤を追求したのでしょう。

119 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/17 01:04
電波男さん、
と言う事はこの世界で釈尊と同じ境地にまで至ったものは複数いるって事ですか?

120 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/17 01:09
よく、釈尊は「無上正等正覚」を悟ったと聞くのですが、そう言う境地で
さえも、個々人の努力によって、何人でも到達し得ると言うのが、
釈尊のお心なのでしょうか?もしそうなら釈尊から見れば「末法思想」
というのはデタラメって事になりませんか?

121 :666改:03/07/17 01:20
>>112
にふで発言しているというその厨房サマは私ではございません。
だってにふのID持ってないもん。
宿題やろっかなと思ったけど、眠くて無理です。うう

122 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 01:25
>>119
『転法輪経』に詳しいです。釈尊は如何なる人でも現觀に達し、正覚を得ると明言しております。その形容が
阿羅漢などです。時代が下ると、仏陀と阿羅漢を無理やり分けてしまって仏陀を神格化していきます。

勿論末法思想は原始仏教から見れば、偽りになるでしょう。

123 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 01:26
>>121
だれも厨房サマだとは言ってませんよ。

124 :名無しさん@3周年:03/07/17 01:27
>>118
電波男Ψ(´д`)Ψさんありがとうございます。

えっと、ある仏教の講習会に行ったのですけど、
初期仏教教団の生活を講演してくださいました。
そのときに
「僧院の所在地については、集落、阿蘭若の二つの場所が
挙げられる。  …中略…
 食事については、午前中一回托鉢でもらった食事をとり
次の日の蓄えを残さない事が戒律で決められている。
 早朝に薄い粥を食べる事は許される。
 出家者は与えられたものは何でも食べるが、肉類は、在家者の
食べ残しの肉で無ければならない。布施をする為にわざわざ殺し
て調理した肉は受けてはならない。
 また、人の肉、像の肉、馬の肉、犬、蛇、豹、熊、ハイエナの
肉は食べる事は許されない。比丘にとっては口臭がきついという
事でニラ、ニンニクを食べる事は雑多な細則の中で禁じられている。」

と説明がありました。人の肉は常識的に分かりますが
他がさっぱりです。まあ、個人的には食べるのは嫌いですけど。

125 :116:03/07/17 01:40
>>118
>最初釈尊に五人の弟子がいました。そしてそれぞれ悟ることが出来ました。
>その時釈尊は「この世に私と五人の悟ったものがいる」と明言しました。
ふむふむ。
それならば、分かりやすいです。辻褄が合いますね。
だって、やっぱり、発明者は同じ境地になろうとも尊敬に値しますもの。

それと、それを踏まえると、後世になって、多くの宗派がありますが
みんな、自分の悟り方を発表してるのなら、邪教ではなくて、
立派な仏教だと思いました。
みなさん、あくまでもお釈迦様が発明者であるから、
悟れたわけですから、別格の尊敬はするのは当然だと。

すると、悟ってないのに、新しい宗派を立てるのが大きな罪ですね。

126 :名無しさん@3周年:03/07/17 01:44
>116
基本的に、生以上の目的によって生きる生物を、殺してはならない。
それから、わざわざ蛇とかを食べるのは、馬鹿のすること。

127 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 01:44
>>124
かなり検証が必要ですが、細目に渡る戒律の規定は釈尊在世には存在しなかったと考えます。
釈尊が定めた最初の戒律は入門弟子にたいする「来たれ」の一言でした。その後、比丘たちの
相互扶助のためのルールが制定されそれも戒律に含まれるようになりました。あるとき出家した
比丘が集会に遅れたためその理由を聞くと、「もとの妻に出会ったから性交してきた」と素直に
告白すると、「出家には性交は相応しくないから止めましょう」という具合にその都度のつけ足し
が殆どだったらしいのです。また、社会情勢や地域などで戒律のある条項が無意味になるので、
適宜改変しなさいとも言っている。(実はコレが大きな問題に発展していくのであるが)

戒律は常識範囲で考えれば好いと思いますよ。まず五戒から。

128 :名無しさん@3周年:03/07/17 01:45
ヒラメ、エイ、イルカ、サメ、クジラ。
これらの生き物も食べてはならない。
時と場合にはよるが。

129 :116:03/07/17 01:51
>>125
電波男さん、たびたびすみません。
納得したのに、ふと思い出しました。

お釈迦様のお弟子さんで、舎利佛と目連という方がいたそうですよね?
記憶によると、お釈迦様より、その二人が相次いで亡くなってしまい。
その時、従者のお弟子さんに
「仏陀になれば、思いのままに寿命が延ばせるものを」
みたいな事をおっしゃったそうです。

わたしは、これを初めに聞いてたので、お釈迦様って
特別なんだなと思いました。確か、ひろさちや という人の書物です。
その従者も悟りを開いたのに、ウソは言ってないと思うのです。

130 :116:03/07/17 01:57
>>126
殺生は当然だめみたいですが、
例え、在家の人に調理をしてもらったとしても
それらの肉に関してはという条件付だそうです。

131 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 02:02
>>129
これも完全な後世の付加増広ですね。釈尊自身、「死ぬ時は死ぬ」と仰っております。
悟りと寿命は関係ありません。またその記述のある経典を私は知りません。二大弟子
は同時に入門した250人よりもはるかに遅く、半月かかって悟りを得たと言う記述はあり
ますが。

132 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 02:03
>>130
「ゲテモノ趣味に走るのは言語道断だ」ぐらいに考えた方が好いみたいですよ。

133 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/17 02:09
シャリホツとモクレンは、サンジャヤの弟子で彼の影響から脱するまで
時間がかかったって聞いた事はありますね。

五戒を守る事の重要性は良く理解できるのですが、例えば害虫を殺す事も避け
なければならないのでしょうか?また在家者もなるべくなら肉食は避けるように
すべきなのでしょうか?


134 :116:03/07/17 02:11
>>131
しかしながら、二大弟子の片方が、殺されたとか言うはなしですよね?
悟りを開けば、その憎しみも取れるような気がしますし、
殺しをさせるのもよくないと思います。なにか、すっきりしません…

>>132
わたしもゲテモノと思いますが、なんでゲテモノと思うのでしょうね?
お釈迦様は、理屈があったのかなあ。


135 :116:03/07/17 02:14
>>133
ジャイナ教かなんかは、ほうきかで、地面を払ってから
歩いたり、椅子に座るそうですね。

136 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/17 02:14
目連尊者が殺されたのは、目連自身の前世の悪業と言う事になっていますね。
いかにも組織教団がでっち上げた話にも思えますが。

137 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/17 02:15
>>133
> 例えば害虫を殺す事も避け
> なければならないのでしょうか?また在家者もなるべくなら肉食は避けるように
> すべきなのでしょうか?

害虫とは人間にとって害虫であって、自然環境から見れば人間も害虫です。
直接自分に向かってこない害虫は原始仏教の精神からすれば極力殺さない
方がいいでしょう。

飽食は貪欲につながるので避けるべきでしょうが、後は個人の考えに委ねる
べきでしょう。

138 :名無しさん@3周年:03/07/17 02:23
>害虫とは人間にとって害虫であって、自然環境から見れば人間も害虫です。
こんなこという
電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA
が、害虫

139 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/17 02:24
僕もこの時期になると蚊によく刺されますので、自分の身体に止まって血を吸って
いるのを見ると、殺さずにはおれません。そんな時はごめんなさいって思いますが。
またゴキブリやムカデなどをみると、出て来るなって思いつつ、外に逃がします。

そうですね。○○でなければならない、や××であってはならない、などと色々と
こだわって、自分を縛りすぎるとそれも執著になりそうに思います。

140 :名無しさん@3周年:03/07/17 02:54
本当の仏教徒の人は
殺されるか、死ぬかを選択しなきゃいけないときも
本当に、不殺生なのでしょうか?
また、殺さなきゃ、家族が殺されるとかの場合は?
原始仏教の時代から、そんな問題があったと思いますが。

そのまえに、出家者は家族がいないから、死ぬのは怖くないのかな?
現代には、本当の出家者ってなかなかいないですね。
在家は、状況が状況なら、殺しはやむをえないのかな?

141 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/17 03:05
自己防衛のために止むを得ず殺生を行った場合と、殺そうと言う意図ともって、
殺生した場合とでは、結果は同じ殺生でも、過程が全く異なりますので、仏教的
にはその2つを同列に考える事はないでしょう。日本の刑法でも同じですね。

盲目のビクが誤って虫を踏み殺してしまった時に、仲間のビクが釈尊に殺生戒を
犯したのではないかと訴えたのですが、釈尊は彼には殺す意志がなかったので、
殺生戒を破ったとはいえないと言ったそうですよ。

142 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/17 13:55
>電波男さん
>>118
佛教サンガにその思想的組織的統一を維持するための権威や正統性のシンボルを設定する必要が生じたの
ではないかと思いますし、デーヴァダッタ派の離反のような事件を予防し、教団組織の引き締めを図るために
開祖であるブッダの神格化や超人化が行われたのかもしれません。また、これは思いつきなのですが、こうし
た傾向は部派の分裂や大乗運動の興起などとシンクロするかたちでエスカレートし続けたとは考えられないで
しょうか。つまり、それぞれの教説を権威づけて正当化し宣揚するために、競い合うように神格化に拍車が掛か
ったのではないかと。
>>127
いわゆる「随犯随制」ですね。ブッダは小さな戒律は変更しても構わないと遺言したようですが、既にブッダの
権威を確立させようとする動きがあったのか、滅後の戒律の結集では変更なく、全部遵守と相成ったようです
ね。その時点での戒律規定は最早知るよしもありませんが。

143 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/18 09:00
皆さん。思想を語り、発信できる場として最も良心的だとされてきたところが崩壊しつつあります。
私はそれでも希望をたくし、場の維持を試み、実験いたしましたが、チンピラが跋扈する最悪の
状態となりました。

1 @Niftyのようなtty環境で
2 過去ログを確実に残し、
3 スレッド別にツリー表示ができ
4 メアドによる発言のアイデンティファイができ
5 煽りを完全排除し
6 一つのテーマをじっくり腰を据えて議論

できるMLを立ち上げたいと考えます。
勿論現在の掲示板 http://homepage3.nifty.com/fhiso/
とも連携を取りながらじっくりすすめたいと思います。

以前ご提案のあった、完全公開ですすめたいと思います。

基本的なローカルルールとして、

煽り、怨恨発言、個人攻撃、プライバシー侵害、提訴恫喝は問答無用で削除、退会処分というラインで考えております。

144 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/18 09:11
先ほどの思想発信の場は以下のような会議室があります。

番号 発言 (未読)  最新  会議室名
1 4234 ( 2) 07/18 東洋思想・日本思想
2 20208 ( 0) 07/17 ● 自主テーマ会議室「アトリエ」●
3 3620 ( 0) 07/06 生活世界の思想(コミック〜風俗〜衣食住)
4 9288 ( 0) 07/17 ☆メディア論(マス・パーソナル・ネット)
5 3244 ( 0) 05/22 現代人権論−事例・検証・陥穽・未来−
7 8097 ( 0) 07/16 科学哲学−未来への針路
9 18713 ( 0) 07/17 時事問題討論室
10 30503 ( 4) 07/18 ########## 運営室 ###########
11 4462 ( 0) 06/29 【越境する現在】知の硬直を超えて
12 11046 ( 0) 07/13 思索の森(哲学/現代思想)
13 6760 ( 0) 07/16 理性の窓を開けて批評へ★美と芸術から
14 26488 ( 1) 07/18 宗教をかんがえる
15 5303 ( 0) 07/08 神秘主義思想
16 1093 ( 0) 07/17 法と思想(人・社会・倫理etc.)
17 1899 ( 0) 05/31 フランス思想室
18 880 ( 0) 07/02 惑星地球と人類の文明
19 5264 ( 0) 07/07 教育と社会(学校・大学・生涯教育)
20 1656 ( 0) 07/05 政治の思想(政治学・政治理論・政治事象)

MLを20個立ち上げれば、同じ機能のものが誕生いたします。

145 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/18 11:30
メーリングリストを立ち上げました。取りあえず1つの会議室から

http://homepage3.nifty.com/fhiso/

より辿ってください。宗教関係はこの次に立ち上げます。

146 :116:03/07/18 15:09
電波男Ψさんに質問でございます。

お釈迦様は、対機説法という奴で、たくさんのお弟子さんを悟りに
導いたそうですが、もし、お弟子さんがお釈迦様と同列ならば、
この世は、阿羅漢がすごーくいっぱいになってると思うのです。

というのは、お釈迦様が、お一人で500人を悟らせたとしましょう!
そしたら、その500人は500×500人を悟らせる。
と面白い無い事がおきると思いますが、現実は・・・

とどのつまり、阿羅漢達はお釈迦様レベルの対機説法が出来なかった
可能性はないでしょうか?
わたしは、阿羅漢になれる素質の者が、後世になっていなくなったとは
現実的でないような気がします。
仮にお釈迦様がこの世に現れて、対機説法したら、悟りを開くものが
けっこう出てくるのではと思いますので。

147 :116:03/07/18 15:11
−感じたこと−
それとも悟ったものは、それぞれ優劣が無いけど、たまたまお釈迦様は
人に教える能力があり、それが個性であった。
人に教える能力を「本当の悟り」と決めるなら、お釈迦様しか存在しない
という事がかんがえられますでしょうか?

ということは、悟りというのは、本来、慈悲を抜きでいうことでしょうか?
だって、対機説法は相手の気持ちがわからないと不可能に思うからです。
結論としては、お釈迦様は、いろんな悟りの種類があるのだけど
それは、同じさとりの境地はなくて、人の数だけ悟りがあり、
悟りを開かない一般人からは、お釈迦様の悟りが自分達にとって
役に立つので、特別視をしたのだとなりました。
また、十大弟子とは、一般人から見れ、個性というか特徴が強かっただけ。

そうしますと、全体から、見れば、自分の気持ちを知ってくれるお釈迦様は
別格になっていったのではないでしょうか。
電波男さんの意見で考えまして、対機説法ができる奴が偉いと考えるなら
お釈迦様は別格だけど、さとりの世界で考えると、対機説法が出来るから
上だとかいうのは無いんだよ。と導かれました。

148 :116:03/07/18 15:12

あれ?これって、曼荼羅でお釈迦様が中心にいないのに似てます。
曼荼羅の宗教という奴は、お釈迦様を神格化してたのを電波男さんみたいに
付加増広した可能性があると現実的な範囲で考えられた思想なのでしょうか?
私達は、阿羅漢にはなれるかも知れないがお釈迦様という阿羅漢には
なれないし、区別をつけるために、仏陀と言ったのかな?
確かに、お釈迦様といえども、死んでしまうし、この世を創った存在でも
ないから、さらに上の存在があるのは否定できませんし、うーん。

だから、お釈迦様は「本当の自分を発見して、迷いを断ちなさい。」
「結果として、わたしはこうであり。あえて特徴をつければ、仏陀とします。」
「では、私はお釈迦様(仏陀)になれますか?」
「まあ、過去に同じような人はいたかもしれません。」

こんな考えも…
電波男さんの影響を受けまして、悟りを開くと、我がなくなりますが
アイデンティティはなくならないなと思いました。

149 :名無しさん@3周年:03/07/18 17:32
何故修行者は性交をしてはいけないのでしょうか。
悶々として妄想描くよりは自然な行為なのでは・・・・と思ってしまう今日この頃。

150 :お釈迦しゃん:03/07/18 18:21
>>149
すべては、苦しみを味合わないためってのが
出発点だからじゃない。

151 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/19 01:21
>>148
ちょっと横レス(笑)
> 悟りを開くと、我がなくなりますがアイデンティティはなくならないなと思いました。
なくなるのは「アイデンティティへのこだわり」かもしれませんね。

152 :116:03/07/19 03:52
>>151
なるほど、こだわり。その線を考えさせて頂きました。
例えば、私が誰かに自分のすべてを否定されたら、絶対怒ります。
それは、わたしはこうなんだという我があるからかもしれません。
怒って反発する事で、ようやく自分を保ってる気がします。

だから、我がなくなっても、自分を保てる事が、本当のアイデンティティ
なのかなあと考えました。 可能なような不可能なような。
今の自分から、我が無くなったら、自分がなんなのか、まったく
分からなくなりそうですが(笑)

153 :名無しさん@3周年:03/07/19 09:29
>>150
悶々としてしまう苦しみはどう処理すべきでしょうか。

154 :名無しさん@3周年:03/07/19 11:14
梵行はむしろ、子供を作らない事という意味だったようにも思える。

155 :P-たん ◆EAMVdZBJXQ :03/07/19 11:31
阿呆陀羅經さん、こんにちわ。
長い間2chから離れていたので、電波男さんの論点をまとめていただいたものはとっても有用でした。ありがとうございます。
また >>50 の阿含経典を読んだ後に中論を読んでのご印象は私も同様のものでした。

さて、
>>142
>つまり、それぞれの教説を権威づけて正当化し宣揚するために、競い合うように神格化に拍車が掛か
>ったのではないかと。
わたしも同様に思います。
これを拡大して言い直すと、何らかの集団(部派のみを意味するのではありません)が発生すれば、そこに観念としてグループが仮構され、
それがあたかも実体であるかのように一人歩しはじめてしまい、それ自体に権威をもたせようとやっきになる、ということでしょうか。
日本の既成仏教教団を見ればいくらでもあるわけで、同じようなことが初期の教団にあったとしても不思議ではないと思います。
<私の師匠(阿闍梨)はだれそれである、だからお前とはちがうんだよ>なんていう意識は個々の仏教徒それぞれにでてきたのだろうし、
文献を読み解く時には、そんな意識から生まれた教義上、戒律上の挾雑物を見分けてゆくことが必要なんですね。


156 :お釈迦しゃん :03/07/20 13:36
>>153
>>悶々としてしまう

ダンマをベンキョーしなはれ!  あなたに“こころのやすらぎ”が訪れますように!

157 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/20 14:28
>>155
P-たんさん、ご無沙汰してます。今後とも何卒よろしくお願いします。

>同じようなことが初期の教団にあったとしても不思議ではないと思います。
ブッダのような人物にまみえるということの衝撃性は、二千五百年後の我々でも理解できますが、それを崇
拝するあまり権威化してしまうと、かえって教法の新鮮な息吹が見失われてしまうと思います。しかしこうし
た傾向は佛教教団などに限らず、あらゆる社会集団に共通して起こる現象ですね。

>文献を読み解く時には、そんな意識から生まれた教義上、戒律上の挾雑物
>を見分けてゆくことが必要なんですね。
素人の悲しさで、そうした「夾雑物」を見分けるメルクマール探しに右往左往したりしています(笑)。画一的な
方法論もなさそうですしね・・・。

158 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/20 22:16
>>152
「我」の有無にこだわらなくなると楽ちんなのではと思いますね。「本当の自分」ならぬ「自己の真相」
を発見し続けるのが佛道なのではないかなと考えてます。

159 :666改:03/07/21 03:01
原始仏教でも釈尊の無記はこの14種でいいのかな?

世界は、
1.常住である。
2.常住でない。
3.(常住かつ無常。)
4.(常住でも無常でもない。)

世界は、
5.右辺である
6.無辺である
7.(右辺かつ無辺である。)
8.(右辺でも無辺でもない。)

身体と霊魂は、
9.一つである。
10.別である。

如来は、死後、
11.存在する。
12.存在しない。
13.存在しかつ存在しない。
14.存在するのでも、存在しないのでもない。

160 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/21 13:58
>>159
>如来は、死後・・・
は「タターガタ」−この文脈では衆生一般−と認識するほうが適切ではないかと思います。

ブッダが「無記」とした論題を十難あるいは十四難にまとめられるのは、経典記述がかなり整理された段階
のことではないかと思います。かえって『スッタニパータ』の第四章「アッタカヴァッガ」あたりに記される形而
上的見解や断定に対する拒否姿勢により古形が見られ、かつ「無記」である理由も説かれているのではな
かろうかと考えています。ここから十難もしくは十四難無記へ、さらには『梵網経』に取り上げられる六十二
見への批判などへと発展し、その延長線上に『中論』の思想があるのではないかと思っています。

161 :名無しさん@3周年:03/07/21 13:59
未だに仏教を信じてる奴は死ね

162 :666改:03/07/22 02:12
>>160
>ブッダが「無記」とした論題を十難あるいは十四難にまとめられるのは、経典記述がかなり整理された段階
>のことではないかと思います。
なるほど。十四無記は原始仏教的ではないということですね。

>かえって『スッタニパータ』の第四章「アッタカヴァッガ」あたりに記される形而
>上的見解や
アッタカヴァッガってのはどの部分に当たるのでしょう。
件の形而上学的見解に関する記述はこのなかにありますか?
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/sho2.html


163 :666改:03/07/22 02:24
>>127
最初期の仏教には戒が無かったらしい、ということですね。
しかし釈尊自身は悟りを得るために既になんらかの戒にしたがっていたはずではないですか?
教団の維持統制に新たに設けられた戒以前の、縁起を観察するために必要な最低限の戒があるはずです。

164 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/22 02:39
>>162
>十四無記は原始仏教的ではないということですね。
「原始佛教的ではない」とまでは言いませんが、最初からその形態が成立していたのではないと考えます。
>アッタカヴァッガってのはどの部分に当たるのでしょう。
第四章を総称して「アッタカヴァッガ(八つの詩句の章)」といいます。『義足経』として漢訳もされています。
>件の形而上学的見解に関する記述はこのなかにありますか?
主に第三経から第五経、第八経から第十三経あたりにそれが説かれていると思います。出来れば中村元
氏や宮坂宥勝氏などの丁寧かつ浩瀚な註釈が併記されている和訳を読まれることをお薦めします。

165 :666改:03/07/22 02:50
>>164
いずれ読むことになると思いますが、迂遠かも、です。
私の挙げたURLには無記に関する記述は含まれていないのですね。

166 :666改:03/07/22 02:51
>>164
>「原始佛教的ではない」とまでは言いませんが、最初からその形態が成立していたのではないと考えます。
どこまでが原始仏教だと考えるのが一般的なのでしょう。

167 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/22 02:58
追記です。
「無記」が十四難に整理されたのは、経典編集当時に巷間で論じられていた様々な哲学説に対する佛教
の態度を明らかにするためであったと考えられます。『スッタニパータ』の当該箇所はその祖形なのでは
ないかと考えています。しかし、十四難に固定化され教条化してしまうと「それ以外は論及可能」という動
きが生じて来たりしたかもしれません(笑)。

168 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/22 03:06
>>165
>私の挙げたURLには無記に関する記述は含まれていないのですね。
「無記」という態度をとる理由が説かれていると思います。加えて形而上的見解に固執する無意味さに
も言及していますね。
>どこまでが原始仏教だと考えるのが一般的なのでしょう。
上座部と大衆部への根本分裂までを原始佛教と総称できるのではないかと考えています。


169 :666改:03/07/22 03:12
>>167
>しかし、十四難に固定化され教条化してしまうと「それ以外は論及可能」という動
>きが生じて来たりしたかもしれません(笑)。
ワタシ的には、素朴な原始仏教には仏教の原理原則みたいなものが端的に見て取れるところに価値があると思ったりしています。
よーするに、初期に教条化された教義があったとしてもそれに囚われちまったら意味無いじゃん、といったところです。

170 :_:03/07/22 03:13
http://homepage.mac.com/hiroyuki44/hankaku10.html

171 :666改:03/07/22 03:15
>>168
>上座部と大衆部への根本分裂までを原始佛教と総称できるのではないかと考えています。
ではもう一度お聞きします。
十四無記は原始仏教だということでよろしいですか?

172 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/22 03:25
>>169
原始経典の最古層とされる『スッタニパータ』の当該箇所などに、かえって切れ味の鋭さや可能性の
豊かさを感じます。
>>171
厳密に言えば経典記述の定型化段階、いわば「原始佛教の新層」と考えています。アビダルマ直前
といった印象も受けます。

173 :666改:03/07/22 03:29
>>172
どもども。
またまたチャット風味のご教示ありがとうございました。

174 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/22 03:31
いえいえ、お役に立ったか心許ないですが・・・。

175 :666さんへ:03/07/22 16:14
無記説については、丹治昭義『沈黙と教説』1988、1-22頁 で主に、
   ベック『仏教』上、岩波文庫、1962、146-153頁
   http://sino-sv3.sino.uni-heidelberg.de/FULLTEXT/JR-PHIL/organ.htm
の二つの論文に依拠して考察をされています。

無記説が説かれる小マールンキャ経の和訳の読んで見てください。
『世界の名著』2、473-478頁
早島鏡正『ゴータマ・ブッダ』講談社学術文庫、310-321頁

でもあなたの求めるこたえは答えはこれらの中にありますよ。
http://www21.ocn.ne.jp/~kobataka/literature/shimoda/sairoku_kindaibukkyo03_06.html
木村泰賢『原始仏教思想論』1922
和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』1927


176 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/07/23 00:26
666さんへ追記です。
『スッタニパータ』の「アッタカヴァッガ」、『マッジマニカーヤ』の「マールンキャプッタ経」そして『梵網経』が
説かんとすることの共通点は、戯論すなわち形而上的見解や断定に基づく、当て所もない思弁や論議
が、苦へ導く執著や慢心などを熾んにするばかりで、解脱涅槃に到るには何ら資することがない行為で
あるという指摘です。

177 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/24 11:37
以前からお話しておりますML(e-グループ)が本格始動いたします。
是非前夜にお立会いください。

総合案内
http://homepage3.nifty.com/fhiso/

178 :名無しさん@3周年:03/07/24 20:28
新しい宗教の勧誘か。

179 :名無しさん@3周年:03/07/25 01:02
>>177
通りすがりの者です。
物事には、常に良い面と悪い面が隣り合わせです。
知らないうちに囚われませんよう。

180 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/07/25 02:52
>>179

>物事には、常に良い面と悪い面が隣り合わせです。
>知らないうちに囚われませんよう。

ご忠告ありがとう御座いました。
そのことが解っていても、見えていても、前進のためには小事に見えて
暫時放置したため取り返しのつかないことになる場合が多いですもんね。

181 :666改:03/07/26 00:19
ログはどこに公開されているのかな。
たどりつけないよ〜

182 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/26 00:49
666さん、何のログですか?

183 :666改:03/07/26 01:06
>>182
電波さんのMLです。

184 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/26 01:31
メルアド登録して、http://www.egroups.co.jp/group/syukyougaku
http://www.egroups.co.jp/group/free_atelierからログインすれば、
ログは読めますよ。

185 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/07/26 01:34
あと、http://homepage3.nifty.com/fhiso/の左にあるML総合案内
には会議室の一覧がでてますよ。

186 :666改:03/07/29 23:26
やっぱり思ったとおりだ。

187 :名無しさん@3周年:03/07/30 15:38
どゆ意味?

188 :山崎 渉:03/08/01 23:51
(^^)

189 :名無しさん@3周年:03/08/02 17:40
教えてよ

190 :666改:03/08/03 01:03
>>189
自分で行って、その目で確かめるのだ。
すごいぞ。
もうこんなところになんかいられなくなる!(とゆー可能性だってないとは言い切れない)

191 :名無しさん@3周年:03/08/03 11:29
行ってみたが何がすごいわけ? 分からない?

192 :名無しさん@3周年:03/08/03 13:19
   「際物」    がいなけりゃ会話は始まらないし、
「解決するべき問題」 がなけりゃ優劣・有効無効は定まらない。

お腹が空いてなきゃ  御飯も食べられない。

根っ子無しに花や実を望むのは


193 :名無しさん@3周年:03/08/03 13:32
要するに、向こうの連中も俺達と同じ。

五里霧中の甘ったれ集団。

平均年齢は向こうが上、
つまり爺になって2chでやる基礎体力が無くなったので、
自分たちに都合のいい土俵を作って

194 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/03 17:51
まだ本格始動していないだけです。
解決すべき問題もたくさんありますが、まだそれを提供していないだけですよ。
ま、気長に見てください。

宿題はまだですか?>666
宿題を終えないと、あなたの問題意識は化石化してしまいますよ。

195 :666改:03/08/03 20:28
>>194
おや、こっちでも相手してくれるんですね。
問題意識はすっかり化石化してしまいましたが、ようやく暇な季節がやってきたので過去ログでも紐解いてみましょう。

196 :666改:03/08/03 20:32
>>192
>「際物」    がいなけりゃ会話は始まらないし
それっておれのことか?(w

197 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/05 23:51
>666改さん
http://www.egroups.co.jp/group/syukyougaku で『スッタニパータ』の第四章と第五章の輪読を始め
ようかと思っています。よろしかったらご参加ください。


198 :666改:03/08/07 01:14
>>197
ご指名ありがとうございます。
折角の素晴らしい試みなのです。
公開性の強い2chでやったらいかがでしょ?

199 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/08 01:16
ただ今NHKで大嘘を言っておりました。

ある外人歴史学者がマヌスクリプトの断片に「六波羅蜜」があるからという理由でそれが早期に大乗が
存在した証拠になると言っておりました。

なにを言ってるクソジジイ。大乗でないとされている部派仏教でも「六波羅蜜」は説いています。このことは
2chでも散々発言しましたが、場所を変えてMLで致しましょう。

>>666
>公開性の強い2chでやったらいかがでしょ?
どうでも好いけど宿題はどうした?おまえ自身の問題だぞ。曖昧有耶無耶のままやり過ごすのか?
今のままでスッタニパータを読んでみても害こそあれ、なんの益する事はない。

200 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/08 01:16
>>198
細部まで時間をかけて、じっくり購読したいのでここ向きではないと思います。


201 :666改:03/08/08 01:49
>>199
いやー、いい感じぢゃないですか。
電波さん、恐くてステキです。
生姜区背の頃から宿題やるの遅くて怒られてたんですよねぇ。
私って意外と気分屋なのかもね(w

ML流行るかなぁ。
ブレイクしたら遊びに行きますね。


202 :666改:03/08/08 01:53
>>200
ではスレ立てしたら?
成否は参加者の質で決まるでしょうね。
電波さんの言うように、私が不適格なのは明瞭です。

203 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/09 00:56
>>202
「じっくり講読したいのでここ向きではないと思います。」というのは2ch向きではないということです。


204 :666改:03/08/09 01:31
>>203
私はそうは思いませんね。
2chのスレでは、私のような際物が大人しくしていれば、実にゆっくりまったり時が流れます。
このスレだって微妙にage続けなければいずれはdat落ちでしょ?
スレが自然に荒れるのは、内容が面白いときに限ります。
アゴン経典の輪読なんて誰も荒らしませんって。

あなたの力点はMLの繁盛にあるようです。
別にそれはそれで良いんですけれど、もし輪読そのものに力点を置くのなら今はまだこちらの方が
有利でしょうね、たぶん。
向こうで本当にじっくりとした購読が成り立つのか、しばらく見物させていただきましょう。

折角あんなにしっかりとした骨格のあるMLが出来上がっているのだから、機能すればとても面白いだろうとは
私でも思います。
でも、努力目標が曖昧な計画は、頓挫するか一時の流行で終わってしまう。
折角考えるのが好きな人たちが集まっているのだから、もすこし目先の現実的な計画も話し合われたら?

205 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/09 02:30
>アゴン経典の輪読なんて誰も荒らしませんって。
たちまち沈むか、荒らしであらぬ方向に話が散らかり雲散霧消するかどちらかでしょうね。どちらも
希望しません(苦笑)。
>もし輪読そのものに力点を置くのなら今はまだこちらの方が有利でしょうね、たぶん。
参照する資料や原文の語義をどう取り扱うか検討中の段階です。私も焦ってはおりませんので。

閑話休題
あなたが業報や縁起に対して抱いておられる疑問は、ここで議論されることによって益することが多
いように思われます。宿題も出ていることですので投げずに続行をお願いします。以上受益者の一人
より。

206 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/09 10:35
>>204
うだうだ言ってないで早く宿題をしなさい。
あなたが言うところの業論は、本来の業論から見ると曖昧で断片しかつかんでおらず、
本体の歪んだ影を見ているだけです。

業論に対して違和感があり、自分なりに解決したいと思うのならまずどこまで理解しているか
言葉を尽くして述べるべきです。これは非常に大切な事であり、曖昧にしたままでいると、666
さんが思想を見る場合、何時までも影を追うことにも繋がりかねませんよ。だから私は宿題を
出したのであり、それに答えるのは誰のためでも有りません。あなたのためです。

またその曖昧さは多くの人が同じように抱いている曖昧さであり、この際いい機会だから「業」
というものの姿を文献史学的、文化的に捉えなおしてその弊害と共に概略したいと考えていました。

質問者や教えてもらう人の態度として、せめて私の意図を読み取って宿題をこなすことは当然の
義務だと考えますよ。

業論は単純なものでは有りません。複雑な構造をしており、それゆえに為政者に利用改竄された
歴史もあります。差別の温床にもなりました。業論のある局面が「佛教の負の遺産」であったことを
語るに相応しい時代が来たと考えています。結局それが伝統佛教、組織教団を否定することに
なるでしょうが。

207 :名無しさん@3周年:03/08/09 17:36
 宿題 = >>71 >>72

208 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/09 17:53
>>207
宿題の意図にそって手短に答えさせようと思いましたが、それでは彼一人とのやり取りになり、
他の人を等閑にする事になりますね。

209 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/08/09 20:16
ちょっと無我説やりたいんですが。

お二方いかがでしょうか?

210 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/09 22:36
>>209
佛教の基礎教理である三法印の一つ「諸法無我」ですね。

「(知覚・経験・認識・観察可能な)一切の事物事象はアートマン(常住不変な実体)ではない」

という意味に捉えております。

211 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/08/09 23:35
波木井さん、阿呆陀羅さん、電波さん、僕もまぜて下さい。

その後、「無我」なるものに「実体」は認められない故に、全ての存在は
「因縁仮和合」の、自分以外の他のものに依存した存在(依他起生)であり、
実体がない故に「空」であると言う「外縁起」の仏教的存在論に発展して行く
のではないでしょうか。

で、世界の存在論的な縁起観を「外縁起」と言うのに対し、自らの苦悩の根源を
順逆の現観で観察していくのが「十二縁起」に代表される縁起観で、それを
「内縁起」と言うのだと電波さんがおっしゃってられましたよね?


212 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/10 12:48
>>211
原始仏教でその本質を語るとき、認識の埒外にあるものは取り扱いません。また、原理主義的になろうとすれば
この基本を外してはならないと考えます。

一般に佛教は全ての理法を解き明かしたものであるから、現代科学的なアプローチからも耐え得るものとして
現象界の説明を求めますが、それは埒外(無記答)として退けられます。でもその勘違いは結構佛教マニア
には浸透しており、かなり重症です。外縁起的な敷衍拡張がカルトに繋がってしまうのです。華厳経の「重々無尽」
も捉え違いすれば完全なカルトです。

213 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/10 13:09
>>211
「外縁起」を説こうとすれば「客観的実在」としての世界や存在一般という、形而上的前提を主張せざるを
得なくなります。結局それを巡っての堂々巡りの議論に陥ってしまうのが落ちでしょうね。それでは「苦の
制御克服」という当初の意図が閑却されてしまいます。原始佛教では外界の現象はあくまでアナロジー
として説かれていると理解していますが、そうした譬喩や方便が独り歩きしてしまう危険性にも顧慮すべ
きなのでしょうね。

214 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/10 13:18
>波木井坊さんへ追記です。
「諸法無我」にせよ「アートマンは存在しない」という意味に捉えると虚無論となり、「無記」や「中道」から
離れて「無見」や「断見」という戯論(形而上的見解や断定)に陥ると考えます。これも注意を要するよく
ある誤解かと思います。

一切は有であるとは第一の世間の領域である。一切は無であるとは第二の世間の領域であ
る。一切は一であるとは第三の世間の領域である。一切は異であるとは第四の世間の領域
である。これらの両極端を離れて如来は中により法を説く。
                                           パーリ『相応部』12・48

「一切は有」とはひとつの極端であり、「一切が無」とは第二の極端である。如来はこの両極
端を離れて中によって法を説く。
                                           パーリ『相応部』22・90

如実に[常見と断見との]二辺を離れて中に処して法を説く。
                                             『雑阿含経』34(961)


215 :666改:03/08/11 12:10
>>212
とても良くまとまっていますね。復習の手間も省けるというものです。

私は明らかに一つの偏見を持ち続けています。
一言で言ってしまえば、非科学的思考は結局のところ人を救えない、というものです。

原始仏教がいわゆる唯心論的な世界観を基調として構成されているのなら、
それは科学的には誤っていると言えるでしょう。
外界の存在を認めた上でそれを一切無視しているのなら、誤ってはいなくても世界観として不完全です。

人の苦痛の多くは外界との相互作用によるものだと考えるからです。


216 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/11 13:20
>>215
> 原始仏教がいわゆる唯心論的な世界観を基調として構成されているのなら、
> それは科学的には誤っていると言えるでしょう。

原始仏教は唯心論では有りません。
あなたの反論を成立させるには、認識論を基礎とする外界構築が唯心論であることを証明する必要があります。
その考えの筋道の曖昧さは

> 原始仏教がいわゆる唯心論的な世界観を基調として構成されているのなら、
> それは科学的には誤っていると言えるでしょう。

こんな論点先取の拡張としてフライングしてしまうところに端的な早とちりとして現れます。このような早とちり
は私の本業の工業分野でさえ相手にされませんよ。

先ず、「唯心論」と言う言葉の意味をあなたは整理する必要があります。そして「科学的」と言う言葉の意味も
全く理解できていないと推測します。また「認識」と「経験」との関係とその上での世界観の構築というプロセス
も何一つ理解できていない。その曖昧糊塗とした考え方は

>外界の存在を認めた上でそれを一切無視しているのなら、誤ってはいなくても世界観として不完全です。

という????な読解力を見ても明らかです。また???な思考は

> 人の苦痛の多くは外界との相互作用によるものだと考えるからです。

というメチャクチャな言い掛かりにも現れています。だれが外界を否定しましたか?

「唯心論」(あなたの言う)→「外界非存在」→「内界での完結」

というアヘアヘな言い方になりますね。どうでも好いですが、宿題をしないと頭が破綻していく一方ですよ。

217 :666@もう直ぐハクチ認定か?:03/08/11 14:06
>>216
そんな煽り文句だけでなく、もう少し具体的に、どこがどのようにアヘアヘなのか教えていただけませんか?

私は私の偏見らしきものを挙げました。
しかしこれが間違っているとは思えません。
宿題の要点は、私が自身の解釈で原始仏教を見ようとしていないか確かめろということだったと思います。
その私の先入観を、発見し報告しました。



218 :名無しさん@3周年:03/08/11 14:32
夏休み


219 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/11 16:05
>>217
煽っているつもりは全くないのですが。。。これが煽りなら、@Niftyでの私の発言はあなたの人格を
完全否定するほど厳しいものになりますよ。それにどこがどうアヘアヘなのかは言論を尽くしていますよ。
それが読み取れないのであれば、私の手におえません。

あなたの偏見らしきものを述べたのか、主張をしたのか全然解らない文体ですね。どちらかというと
論拠無しの作文的主張にしか読めません。その偏見を正してくれというのであれば、そう願い出る
べきです。その手の甘えは受け付けません。でも>>216に答えはありますよ。あなたの間違いも指摘
しています。

> 宿題の要点は、私が自身の解釈で原始仏教を見ようとしていないか確かめろということだったと思います。
> その私の先入観を、発見し報告しました。

その結果が先入観かも知れないけど間違っているとは思えないということですか?
もうすこし明瞭にお答えください。しんどいですよ。

220 :名無しさん@3周年:03/08/11 16:27
>210
「(知覚・経験・認識・観察可能な)一切の事物事象はアートマン(常住不変な実体)ではない」
>212
>原始仏教でその本質を語るとき、認識の埒外にあるものは取り扱いません。

個人にとっては認識の埒外に世界は存在しない。
目が潰れれば、視界はなくなる。
外界の範囲をどこまで取るか?にもよりますが、
「認識論を基礎とする外界構築は唯心論寄りになる」と思われ。


221 :名無しさん@3周年:03/08/11 16:52
 こころ が計測できたらよかったんだけどねえ


222 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/11 16:59
>>220
> 個人にとっては認識の埒外に世界は存在しない。
原始佛教では「世界の存在/非存在」は無記の対象となりこれを論じませんし、「唯○論」という一
元論を説くこともありません。「唯識はどうやねん」と言われそうですが、これは一元論ではないと
思いますし、スレ違いにもなりますのでここでは触れないようにしたいです(笑)。

223 :名無しさん@3周年:03/08/11 17:12

引用の重点は世界の存在/非存在ではないです。
あくまでその個人にとってですが世界が無い≒認識が無いというのは、
その人がいないということになりませんか?

個人とその個人の世界は1セットになっているわけです。

>スレ違いにもなりますのでここでは触れないようにしたいです(笑)。
了解いたしました。


224 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/11 17:30
>>223
>その人がいないということになりませんか?
「いる」という断定も「いない」という断定も不可能なのではないかと思います。あなたの疑問は実在
論が前提になっているように思います。

>個人とその個人の世界は1セットになっているわけです。
それを突き詰めていくと独我論に帰着しそうですね。>>214にカキコした経典引用が何らかの参考
になると思います。

225 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/11 18:03
【認識主体と外界に就いて】

原始仏教ではいわゆる「素朴実在論」的なニュアンスがありますが、決して実在論と言うわけでは有りません。

認識されたその範囲において、外界は認識対象として措定(推論の前提として、とりあえず肯定された、いまだ証明されていない命題。定立。
)されますが、認識を離れた外界のみの独立存在は人間欠如の世界観であり、人間が語る場合、意味が無いと
原始仏教では解釈します。「意味が無い」という価値観はどこに立脚するかというと、自然解釈や科学的見地
では無く、人倫から解脱に至るまでの「道」においてです。

この点は非常に大切ですので疎かにすることは出来ません。佛教は科学論ではなく道徳倫理、心の安穏
を示すものでありそれに同意するものだけが従えば言いのです。一神教のような宗教でもなく、人に強要する
ものでもありません。「現代の科学に抵触するところが無いのであるから論理的不整合がないので信じるに
値する」と強弁するのも佛教ではありません。そのようなものはカルトとして排除いたします。

いま(上記)、原始仏教から佛教一般へ拡張しましたが、この基本を外すものは佛教である事から離れてしまい
ます。いわゆる三法印から離れる事ですね。

さて、認識過程においてまず感官が〔外界によって〕刺激され認識が生じてきます。この刺激に快、不快、どちらでもない
の三つの感受がまず生じます。これはその人の価値観によって生じかたが違うのです。その感受が違えば認識した対象
への価値観が違ってくるのは当然であり、対象の取捨選択作用が生じ、同じものを見ているのに人によって違ったものに
見えてしまいます。いわゆる「価値観の相違による対象の異弁別」ですが、これが六道輪廻を語る重大タームになって行きます。

226 :名無しさん@3周年:03/08/12 08:11
そろそろ電波男Ψ(´д`)Ψをハクチ認定してあげたら?


227 :名無しさん@3周年:03/08/12 09:45
>そのようなものはカルトとして排除いたします。
それはあなたの趣味

228 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 10:08
>>227
煽っているつもりだろうけど、何の意味もなさないよ。その発言。

229 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 10:20
あんまりだからちょっとだけ。。。。

ある宗教に記述されているものをそのまま現実世界の全てに適用させる傾向が擁護者、信者、盲信者に
あることは歴史的事実です。特にキリスト教歴史を紐解くと、なんとしつこく千何百年にも渡って無理やり
適用させてきた事か。それらの行為は現代では忌まわしき反省材料であり、復活させようなら速攻で
「カルト認定」されてしまいます。モルモン教やエホバなどがバチカンによって「カルト認定」されているのは
そのような背景があります。キリスト教自体、カルトの温床なのですが一部の原理主義者たちの血の出る
努力で一応の伝統を保ちつづけております。原理主義者の存在が無くては史上最大のカルト集団でしょう。

原理主義者たちの想いは実は違う方向にあると指摘することに止めて、、、、、

「宗教や人倫道徳などをそのまま科学技術を説明できるものに還元させることは意味が無い。
またそうする行為は本質を見誤るどころか、まったく別物を産出してしまう」

と警告いたしましょう。

230 :名無しさん@3周年:03/08/12 10:24
キリスト教は原理主義者(聖書絶対主義)が戦争を起こしていますが

231 :名無しさん@3周年:03/08/12 10:48
イスラム原理主義者は刈ると集団ですな

232 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 11:16
>>230
私の言うのはキリスト教(カトリック)内部の原理主義者のことです。

キリスト教原理主義者
イスラム原理主義者

と言う固有名詞化したものと、本来の教えに立ち返ろうとする原理主義とその人(たち)との区別をして下さい。
聖書絶対主義をキリスト教原理主義者と呼びますが、その原理や本質に立ち返ろうとする意味では原理主義
とは言えないでしょうね。

プロテスタンティズムと聖書絶対主義については別項を設けて説明する必要がありますが、このスレッドでは
不適格です。

233 :名無しさん@3周年:03/08/12 12:02
日本語の不自由なヤシ藁

234 :名無しさん@3周年:03/08/12 13:35
>>229
バチカンは「カルト認定」なんてしないでしょ。
「異端」は認定するかもしれないけどね。
バチカンにとって重要なのは異端かどうかであって、
カルトであるかどうかではない。

235 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 13:41
>>234
異端認定とカルト認定とは全く別物です。
バチカンの忌まわしい歴史として異端審議会があり、これを説明するのは大変な事になります。

異端とは内部に係わる事であり、「カルト認定」とは外部の宗教に対するものです。19世紀には
「カルト」とは言わず、「悪魔の宗教」と言うような言い方をしており、佛教などはその中に含まれ
ておりました。

バチカンにとって重要なものは何であるかあなたの知見では想像できないでしょう。
現代では異端の存在そのものも希薄になっており、別に重要なことではなくなって
きております。

236 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 13:46
なお、ギリシア東方正教会やロシア正教会の「異端」に対する捕らえ方はバチカンと大いに食い違っており、
三位一体の解釈から始めなければなりません。ローマンチャーチとオーソドックスチャーチはお互いに異端
認定しているようなもので、「悪魔宗教」に対する考えかたも違うのです。

このあたりの話はこのスレッドでは止めておきましょう。

237 :名無しさん@3周年:03/08/12 13:49
諸宗教協力の先頭に立って活動している
バチカンの現在の姿勢をどう考えているのか?

238 :名無しさん@3周年:03/08/12 13:49
>>235
バチカンが外部宗教にたいしてカルト認定するんですか?
それは知りませんでした。
どこで公表してるんですか?
公表していないならば、あなたはどこで
その情報を手に入れたんですか?

239 :名無しさん@3周年:03/08/12 13:54
>カトリック内部の原理主義者
それ、プロテスタントのことでしょ。

240 :名無しさん@3周年:03/08/12 13:57
このあたりの話はこのスレッドでは止めておきましょう。
このあたりの話はこのスレッドでは止めておきましょう。
このあたりの話はこのスレッドでは止めておきましょう。
このあたりの話はこのスレッドでは止めておきましょう。
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シッタカブリガバレルダローガ!

241 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 14:41
>>237
> 諸宗教協力の先頭に立って活動している
> バチカンの現在の姿勢をどう考えているのか?
それはクリスチャンの妄想です。

>>238
> バチカンが外部宗教にたいしてカルト認定するんですか?
> それは知りませんでした。
例えば、統一教会に対して邪教認定していますが?バチカンの邪教認定ほどすさまじいものはありませんよ。
フランスのカルト認定に際して多大な影響力をもっていますが?

> どこで公表してるんですか?
バチカンです。(笑) カトリック教会には広報などで回ってますよ。

>>239
> >カトリック内部の原理主義者
> それ、プロテスタントのことでしょ。
現在では(も)聖書原典学などの文献学を真面目に修している人たちにその傾向が顕著です。素直に聖書を
読めば通常の論理的帰結として提示されるものでも伝統では全く違った解釈がまかり通っており、それを正せ
るには勇気がいるということ。
聖書絶対主義のプロテスタンティズムはカトリックの恣意解釈読みに対する聖書文言原理主義であって、
聖書に対する思想的な思考は排除されています。

>>240
このあたりの話も宗教学として専門なのですが、MLでじっくりお話しましょうか?

242 :名無しさん@3周年:03/08/12 15:07
電波の脳内カルト
電波の脳内カトリック
電波の脳内蚊取り線香


243 :名無しさん@3周年:03/08/12 15:26
電波男さん、認識があまりにお粗末なので。
もうすこし、知識のある人だと思っていたのですが、がっかりですね。

バチカンは現在他宗教に対する評価を、「保留」としています。
フランスなどは政府がカルト認定を行ないますが、かつてカトリック自身がカルト認定をこの機関に
受けた事もあるのですから、電波男さんはかなり混乱した知識だけで判断しているようですね。
現在、既存の伝統宗教の関係者が、フランスのカルト認定機関に関わっています。
勿論カトリック関係者もかかわっています。
しかし他方、カルト認定をされ弾圧された、セクト(例えばモルモン教)を弁護するという活動も
している場合もあります。

ついでに、カルトに関する文書など教会に出回っておりませんが。
極稀に指摘がある場合がありますが、キリスト教のそれもカトリック周辺に寄生するようなカルト集団ですね。

それから、「異端」と「カルト」はわけて考えた方がいいですね。
「異端」は、中心となる思想とはずれる、誤謬が見られる、ということから、排除されるものではありません。
異端が正統に変る事もあります。オリゲネスの評価などもそれに当たります。

「カルト」は社会問題にかかわる、集団犯罪的行動において為されるものです。

244 :GET! DVD:03/08/12 15:26
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245 :名無しさん@3周年:03/08/12 15:27
そもそもフランス史をしっていたら、いまのフランス政府が
カトリックなんぞ、信用していない事ぐらいすぐ判ろうはずなんだが。
電波男も、ついにおつむに電波が蔓延したという事か。

246 :名無しさん@3周年:03/08/12 15:41
>ある宗教に記述されているものをそのまま現実世界の全てに適用させる傾向が擁護者、信者、盲信者に
あることは歴史的事実です

この行動に当てはまるのは現在、ファンダメンタリストと呼ばれる
プロテスタント原理主義。福音主義はリベラルな自由主義プロテス
タント神学を保持する立場と、逐語的に聖書を理解する立場のもの
と別れている。アメリカのネオコンは後者の典型であり北部アメリ
カのリベラルプロテスタントはこうした姿勢に批判的である。
カトリックの原理主義者が居るとするならば現在は非常にマイノリ
ティな立場に晒されている。もっとも原理的ともいえる立場のピオ
10世会はバチカンから批判され、公式活動を停止させられている。
キリスト教は、プロテスタント(ルーテル・聖公会)カトリック、
正教会とで交流を盛んに行っており、勿論、聖書主義原理主義者と、
カトリックの原理主義者はこうした姿勢に批判的であるが、キリス
ト教の主流は、寧ろ、リベラルな方向へと向おうとしている。
電波男は、どこで、どういう知識を入れたのか知らないが、現状を
まったく理解していない事だけはよく判る。

247 :ふじわらふひと:03/08/12 15:46
>>245
>フランス史をしっていたら、フランス政府が
>カトリックなんぞ、信用していない事
http://www.ambafrance-jp.org/japanese/info_generales_j/imagefrance_j/societe/religion.pdf


248 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 16:11
>>243
あなたはかなり護教的な発言をされているようです。そのような偏見でものを言われては迷惑ですよ。

>バチカンは現在他宗教に対する評価を、「保留」としています。
じゃ、統一教会に対する「邪教認定」は無かったとでも?他宗教に対して以前貼ってしまったレッテル
をはがそうとせず、その再評価を迫られたときに「保留」と言うだけでしょ。なにを認識違いしてるんですか?

>フランスなどは政府がカルト認定を行ないますが、かつてカトリック自身がカルト認定をこの機関に
カトリックがフランス政府から「カルト認定」を受けたのですか?それは知りませんでした?詳しく調べる
方法があるでしょうか?教えていただけませんでしょうか。さて、現在フランス政府の「カルト認定」に大きな
影響を与えている一つがバチカンであると言うのは間違いですか?ある案件を調べた事があるのですが、
カトリック系の関与のオンパレードでしたよ。

>しかし他方、カルト認定をされ弾圧された、セクト(例えばモルモン教)を弁護するという活動もしている場合もあります。
ほう。これは聞いたことがありませんよ。バチカンがモルモン教を弁護しているのですか?バチカンが
係わらない一部のカトリックによって弁護活動がなされていることは周知の事実ですが、それはアメリカ
政府や州単位の利権も絡んでいる事なので、事情は簡単ではありません。

>それから、「異端」と「カルト」はわけて考えた方がいいですね。 <後略>
私もほぼ同じ意見を述べているのだが、それがどうかしましたか?しかし、異端が排除されてきたという歴史
を正視する必要がありますよ。

>「カルト」は社会問題にかかわる、集団犯罪的行動において為されるものです。
これは違いますね。集団犯罪を犯さないとカルトといえないのでしょうか?メチャクチャな言い分ですね。
差別思想の温床となり、助長し、確信的な差別を行う宗教は完全なるカルトですよ。抑止、牽制しないと
集団犯罪を引き起こす可能性も視野に入れる必要がありますね。

あなたには全体の行為を部分の行為によって打ち消してしまおうとする護教精神が丸見えです。

249 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 16:20
>>245
フランス協会史と国民における宗教意識とカルト認定制度における諸宗教の役割と
ごっちゃにしていないか?
>>246
面倒くさいな。
>この行動に当てはまるのは現在、ファンダメンタリストと呼ばれる <後略>
聖書絶対主義に言及したのだが、それが何か?それ以外のプロテスタンティズムについてはまだ触れていないよ。
だからあなたが引用した私の発言は一般的傾向を説明するものであって、各論には言及していないのであなたは
徒労に終わっている。ただそれだけ。

>カトリックの原理主義者が居るとするならば現在は非常にマイノリティな立場に晒されている。
そんなこと当たり前でしょ。なに言ってるの今更。

>もっとも原理的ともいえる立場のピオ10世会はバチカンから批判され、公式活動を停止させられている。
歴史的事実と一般的傾向と、現在進行しつつあるものを混同していないか?宗教を見る基本的な
学問的見地が絶対的に欠如しているよ。

>キリスト教は、プロテスタント(ルーテル・聖公会)カトリック、 <後略>
日本語になっていない。聖公会とカトリックと正教会がいまだに仲良くチンタラしてると幻想してるの?おめでたいね。
チミのいう「カトリックの原理主義者」ってなに?さっき、「居るとするならば」って否定的な言い方してたよ。
「キリスト教の主流」ってなに?「リベラルな方向」ってなに?

>電波男は、どこで、どういう知識を入れたのか知らないが、現状を
>まったく理解していない事だけはよく判る。
チミはまったく学問に向いていない事だけは確かだね。書物の齧り書きはやめてくれ。

250 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 16:29
ここは原始仏教のスレッドです。
これ以上、キリスト教原理主義に就いて語りたければ、場所を変えましょう。
ただし、護教主義や学問的手続きを踏めない人はコテンパンにしますので
宜しく。

http://homepage3.nifty.com/fhiso/

から宗教学のMLにお入りください。

251 :名無しさん@3周年:03/08/12 16:32
カトリックのどこがどう原理主義なのかを語ってもらえないかな。

252 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 16:34
>>251
>カトリックのどこがどう原理主義なのかを語ってもらえないかな。
はぁ?
カトリックの中に原理主義的な人がいると言う話ですよ。カトリックは私的にはカルトです。

253 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 16:36
明日から3日間発言できません。宜しく。

254 :名無しさん@3周年:03/08/12 16:44
電波の発言から得られるのは、電波の脳内妄想に関する情報に限られる。移動するなら、身体・健康板あたりが適当かな




255 :名無しさん@3周年:03/08/12 16:45
電波は所詮、読んで字のごとく電波ということ


256 :名無しさん@3周年:03/08/12 16:56
明日から3日間、キリスト教の泥縄勉強か?(哂


257 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 17:00
>>256
いんや。明日から2日間お盆休暇に海に行く。
その次の日は親戚が集まっての会食だよ。

その後は不定期に近場遠場に主張。

258 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:00
言ってる意味がわかりましたよ。
カトリックの中の原理主義的な人(プロテスタント寄りの人)のおかげで
カトリックが最悪なカルトになることが防がれているわけですね。
カトリックはカルトですからね。

「カトリックの中の原理主義者って」言うから、カルト原理を極めることと
勘違いしてました。
私はカトリックは「ローマ法王が原理である」と思っていたもので。

259 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 17:03
>>258
>カトリックの中の原理主義的な人(プロテスタント寄りの人)のおかげで
>カトリックが最悪なカルトになることが防がれているわけですね。

プロテスタント寄りというのが少し違います。プロテスタントも当初は原理主義的な人たちが築きあげたのでしょう。
でもいまや伝統化してしまって、その上にあぐらを書いてカルト化の一途を辿っています。

プロテスタントの中にも原理主義的(私の言う)な気概を以ってカルト化に歯止めを掛けようとする牧師が居る事を
知っています。

260 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:08
電波男が一番カルトっぽいよ・・・昔はもっとまともだったのに

261 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:09
東本願寺をカルトと呼ぶようなものか。

262 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:12
電波男は統一協会に丸め込まれたのか?
もともと、このスレでもうさんくささぷんぷんだったしな。プププ
他所様にちょっかい出す前に勉強したらどうだ?

263 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:18
フランスのセクト認定については当初、宗教関係者を入れずにやったせいで、
ほとんどの宗教が当てはまってしまったというのは読んだ事あるよ。
で、相談者にカトリック関係者を入れたとういうのは読んだけど。
もともと日本とヨーロッパじゃ、歴史が違いすぎるし。
創価学会とか、真光なんかがフランスに大量に進出してるし。
真如園や立正佼成会はバチカンと交流してるし。

電波男はどこかの紐がついてるの?(統一協会とか、創価とか)

264 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:19
アレフだろ


265 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:20
>>216
禿同。カルト救出活動しているうちに木乃伊取りが木乃伊になったらすい。
電波な情報を沢山吹き込まれているのだろう。

266 :仔猫:03/08/12 17:20
引き取りに来ますた。

267 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:22
うちの大学(某駒)にもカトリックの神父が受講に来ていますよ。
別にカルトという感じではないですが。

268 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:24
???????????????????????????
????????

269 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/12 17:24
>>263

>フランスのセクト認定については当初、宗教関係者を入れずにやったせいで、
>ほとんどの宗教が当てはまってしまったというのは読んだ事あるよ。
それは認定ではなく、試行ですね。

>で、相談者にカトリック関係者を入れたとういうのは読んだけど。
で、趨勢化してしまう弊害を生んだ。

>創価学会とか、真光なんかがフランスに大量に進出してるし。
>真如園や立正佼成会はバチカンと交流してるし。
バチカンではこれらは宗教団体ではなく、信者団体と観測しているようです。
創価学会も当初は同じように見ていたのですが、どもう様子がおかしいとなったのでしょうね。

>電波男はどこかの紐がついてるの?(統一協会とか、創価とか)
わたしは伝統宗教、組織教団を否定する立場にあります。特に創価学会とは敵対関係にあります。
詳しくは

http://www13.freeweb.ne.jp/business/itoarc/

270 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:25
電波男は良識ある仏教徒の方におまかせしよう
==============キリスト教の話題終了=================

271 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:27
電波男は精神科医にお任せしよう


272 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:31
電波男は、伝統仏教に対抗する、仏教原理主義者です。
さしずめ宗教界のアナーキストと読んで差し支えありません。
その理念に関しては、賛同出来るところもありますが、
残念ながら組織否定の為に、少々頭が電波になっています。
カトリックは世界最大の組織なので、電波男の攻撃対象になっているに過ぎません。
あまり気にせんことです。

273 :名無しさん@3周年:03/08/12 17:57
電波男は念仏宗のボウズなんだけど。


274 :名無しさん@3周年:03/08/12 19:32
>>257
ひそかに棚経のアルバイトだったら笑うんだが

275 :名無しさん@3周年:03/08/12 19:56
だいたい、出張も満足にかけないヤシだろ?


276 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/12 20:53
あらら、話がとっ散らかってますな・・・(苦笑)。

ま、中世から続いたヴァティカンとフランス王権やら国権ととの泥仕合−ガリカニスムとかもありま
したね−は面白いけど、スレ違いになりますのでこの辺でお開きにお願いします。

277 :名無しさん@3周年:03/08/13 00:42
あらら、スレまでお開きになってるよ(w


278 :666改:03/08/13 01:15
いやー、今日は盛り上がって楽しかった。

279 :名無しさん@3周年:03/08/13 12:26
う〜ん…よくわかんないなぁ。

原典に帰るべしという姿勢であったはずのものが「原典回帰党」になるとおかしなことになるということなら、まぁ、そうだろうけどね。

280 :名無しさん@3周年:03/08/13 13:42
電波などわかるはずなし、わかる必要もなし


281 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/13 14:14
>>279
「原典の意図するところの思想を抽出理解しそこへに回帰すべし」と、「原典の記述をそのまま事実であ
ると逐語的に信ずべし」の違いでしょうね。

282 :名無しさん@3周年:03/08/13 14:52
>>281
それだけなのかなぁ?

何の何某というエライセンセーの書いた原典精説も、祭壇に飾っておいて儀式の時に恭しく奏上するだけのものになってしまうことは多分、不可避であるということなんじゃぁないのかなぁ。

283 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/13 16:09
>>282
それを回避するために弛まざる探究や追究、あるいは検証や検討が要請されるでしょう。

284 :名無しさん@3周年:03/08/13 17:14
>>283
なるほどなぁ。

でも、言葉は飾るもの[でも]ある以上、なかなかにむつかしいことではないかなぁ?

285 :名無しさん@3周年:03/08/13 17:16
「弛まざる探究や追究」という言葉に酔わない人は全く居ないとは思わないけど、あんまり見たこともないなぁ。

286 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/13 17:25
>>284
>言葉は飾るもの[でも]ある以上・・・
原典などに鏤められた修辞や譬喩の奥にある論理や意味を探究し続けるのは重要な営為であると
考えます。尤もそれをいかに受け止め、人生に資するかは各個人の問題でしょう。

287 :名無しさん@3周年:03/08/13 20:22
ま、こんなとこでオナニーするのが重要な営為のはずはないやねぇ


288 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/13 21:09
>>287
あんたのことかね(苦笑)?

289 :名無しさん@3周年:03/08/13 21:34
おやぁ、傷ついちゃったかな?(w

290 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/13 21:47
>>289
自傷行為はよくありませんな(苦笑)。まあ以後お馬鹿は放置。

291 :名無しさん@3周年:03/08/13 21:59
う〜ん…学究や求道の孕むナルシシズムと党派を絡め取る惰力のようなものとは良く似ていると思うけどなぁ。

292 :名無しさん@3周年:03/08/13 23:04
放置といったヤシが放置できたためしなし。(笑

つくづく脆いね。


293 :666兼代行業者:03/08/14 23:42
くりとの対話も一段落ついたみたいですね。
しかし、クリスチャン相手に全く動じることの無い電波男ってのはやっぱ凄い。
わざわざ自分でキリスト教質問箱にリンク貼りにいくんだもんなあ。
あ、最初にリンク貼ったの私だけど(w

こんなカシコげなお方が随時待機してらっしゃるんならMLの方も魅力的かも知れないなあ。
お利巧な人の魅力には弱いのよ。

294 :Kuu ◆8x8z91r9YM :03/08/15 00:01
「電波男は、伝統仏教に対抗する、仏教原理主義者です。」

電波男Ψ(´д`)Ψ さんに質問がございます。
時間が出来たら、回答をお願いします。

仏教原理主義であることの悪い面を挙げるならば、
何でございましょうか?

それと、仏法僧の僧は認めているけど、現代の僧(団)は
法が曲がってるから認めないということでしょうか?
では伝統仏教で思想的に優れているのは、どこを考えてますか?

295 :666改:03/08/15 00:03
>>219
さて、一連のレスで原始仏教的世界観が外界を否定せず、認識された事象のみを取り扱うということがわかりました。
外界を否定しないという時点で(私の言う)非科学的とは言えなくなり、また、認識された事象のみを取り扱うこともまた、
人は認識できない事象を取り扱うことができるわけがないので、reasonableというか、当たり前とも言えるのかと考えます。
(私はこのような哲学的思考には不慣れなのです)

科学、特に自然科学は外界の認識範囲を広げ得る有力な方法といったところでしょうか?


296 :山崎 渉:03/08/15 08:21
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン

297 :名無しさん@3周年:03/08/15 22:26
>>257
梵休暇に海に行くのはいいが、祖霊は参らないのか?
ばあちゃんが死んだらどうするつもりだ?

298 :名無しさん@3周年:03/08/17 06:39
>>293
電波に呆れて去っただけと思われ。
貴殿も太鼓持ちなどしてキモイからおやめなされ。

299 :名無しさん@3周年:03/08/17 09:03
そそ、貴殿が貴電にならないうちに


300 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/17 11:49
>>293
一連の人たちはただの一般信者でしょう。フランス史にしてもバチカン史にしても会派に関する知識も
パンフ程度しか知らないようです。来るのなら聖書学者やスコラ哲学の専門家でないと、原理主義(一般用語)
については語れないでしょう。彼らの専門分野は私の専門と近いので割と交流がありました。一般信者や
ただの神学者にはヘシカスムを理解しない限り、彼らのことは絶対に想像も及ばないでしょう。

原理主義という【歴史記述】に現れたものに限定するような議論の仕方では思想や宗教を取り扱うことは
無理です。つまり議論不可能です。

>>294 kuu さん。

>仏教原理主義であることの悪い面を挙げるならば、
>何でございましょうか?
悪い面を強いてあげるなら、それは徒党化した場合に生じてくるでしょう。反体制、反伝統という相対化
しただけの集団なら自己否定している矛盾を孕みます。佛教原理主義とは個人の思想、精神と正しい
合理性です。

>それと、仏法僧の僧は認めているけど、現代の僧(団)は
>法が曲がってるから認めないということでしょうか?
本来の僧という意味や機能をなしていないばかりか、全く別物になっているからです。

>では伝統仏教で思想的に優れているのは、どこを考えてますか?
優劣という視点で見れば、優劣という枠にはまってしまい、そこから離れた見方が出来ません。
また、伝統佛教には思想を語る資格が残っていません。その中の真面目な一僧侶や一信者の思想はこの
限りでは有りませんが。


301 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/17 12:06
>>295
>科学、特に自然科学は外界の認識範囲を広げ得る有力な方法といったところでしょうか?

「自然科学分野が外界の認識範囲を広げ、それが実証され、再生産可能なものへと実用化される」

ということは釈尊自体、大いに認め、科学者たちにはその職業的使命として大いに研究する事を
推奨されました。言い方は大雑把になりますが、 数学的真理には再生産可能なものと誤差を含み、
実証不可能なものがあります。例えば微分によって導き出されるものは近似値であるが、十分以上
実用的である反面、「無限」に関しては逃げを打っています。現実問題に対処する場合、無限は当面
考える必要は無く、微分で近似値を出して解決してしまおうというのが「苦の解決方法」です。

どうですか?話がもっとややこしくなったでしょ?それは話が次のステップに入ったからです。

苦の解決方法には形而上学は必要ありませんが、形而上学を希求する人間の心理的欲求については
釈尊は回答を与えていません。また、知識欲についてはそれほど戒めてもいません。苦を解決する事を
疎かにするような形而上学や知識の希求を戒めているだけです。現代人にとって、そのような知識欲を
切り捨てて苦の解決を求める事は不可能だと私は考えます。

では釈尊原始主義に基づけば、そのような希求をどのように処理すればよいのかと言う問題に言及せねば
なりませんね。その前に、佛教における解脱のための世界解釈と、自然科学における真理とは同じには
語れないという認識が必要です。

302 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/08/17 23:39
確かに釈尊は快楽主義的な欲望や形而上学的な心理的欲求には無関心な様でしたが、
自らの苦悩の解決の為に真理を追究することには貪欲なほどに打ち込まれた様に
思います。

303 :名無しさん@3周年:03/08/18 00:02
ふ〜ん。自分さえ良ければいい椰子だったってことか


304 :Kuu ◆8x8z91r9YM :03/08/18 12:33
>>300
電波男Ψ(´д`)Ψ さん ありがとうございました。

佛教原理主義。仰々しい言葉ですが、
まず基本に合理的な思想を共有していないと、全くダメだと
思いますし、大切な基盤だと個人的に思っています。

>本来の僧という意味や機能をなしていないばかりか、
>全く別物になっているからです。
わたしもそう感じております。いまの仏教にリアルを感じません。
科学がどんどん向上しています。仏教も合理的な面を進めていく
必要があるのに、枠にはまってしまい、逆行するかたちで
合理的vs超カルト
でしかリアルな宗教でいられてないのは、間違ってますよね。

それと、合理的だけでも、仏教は終わりだと考えてます。
それは、枠にはまるからです。
例を挙げますと
単純なパソコンくんに、三角形と四角形を教えていて
五角形を受け入れられないからです。
しかも「それを例外」で片付けられたら、おしまいです。
そんなイメージがあります。

私達で言うと、2次元、3次元を教えてもらいながらも
4次元を創造するような事なのです。

いまは荒れていますが、歴史上一番優れる宗教になる可能性があるのが
仏教だと思います。
つまり、あらゆる時代に適応できるというのです。
科学が進化すればするほど、本当は仏教もより進化が出来るのに
他の宗教と同じように枠組みにはめているから、仏教が化石化を
していると感じております。

305 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/18 19:59
>>301
> 現代人にとって、そのような知識欲を切り捨てて苦の解決を求める事
> は不可能だと私は考えます。
形而上学の諸問題を「検証」することによって得られる知見もありますしね。現代諸学の傾向もそれ
に適した様相を示しているように思えます。ブッダにせよ当時の様々な哲学的見解を克服してその
教法を確立したことを鑑みればそうした探究も有意味なものであると考えられます。また、近年指摘
されるブッダとポパーなどの現代哲学との思想的親和性などにも興味を覚えております。

306 :666改:03/08/20 20:05
>>298
>電波に呆れて去っただけと思われ。
まるで逃げ散ったように見えるのは私だけなのだろうか。

>貴殿も太鼓持ちなどしてキモイからおやめなされ。
こんな失礼な太鼓持ちもないだろうに・・
過去ログ読んでみなされ。興味ないだろうけど。

307 :666改:03/08/20 20:16
>>301
微分の例えは、いわゆる「即今即所」のことを言っているのでしょうか。

>佛教における解脱のための世界解釈と、自然科学における真理とは同じには
>語れないという認識が必要です。
その世界観が自然科学の真理と矛盾しなければ誰にでも受け入れられると思います。
同じではないことに関しては了解しました。

308 :名無しさん@3周年:03/08/21 08:55
>>306
あなただけです(きっぱり)



309 :名無しさん@3周年:03/08/21 10:39
>>308
おれも306と同じに思うが、なにか?

310 :名無しさん@3周年:03/08/21 13:19
>>309
では名前欄を666改にしなされ


311 :名無しさん@3周年:03/08/21 13:41
優良スレにつきROMちう。
荒らさないで下さいませ。


312 :クリスタル:03/08/23 13:55
テスト。。

313 :クリスタル  ◆rXhk8XNQU6 :03/08/23 13:57
再テスト

314 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/23 13:59
こんにちは。
わたくしは「クリスタル」といいます。
2CHの仏教関係スレを時折り拝見しますが、
電波男Ψ(´д`)Ψさん、阿呆陀羅經さんのお二人をはじめ、
皆さんの投稿にはいつも勉強させられます・・・。
>>209 :波木井坊さんへ/このスレを紹介して下さりまして、誠にありがとうございました。)

 ところでエーと、是非ともここで取り上げて頂きたいテーマがあります。
 すでに何度と無く各スレでなされたものと思われますが、今一度、「無我説」についての話題を取り上げて議論し、その問題点や誤解の発生について、再度、それを浮き彫りにして頂きたいと思うのですが、如何でしょうか?
 まず始まりとしまして、私の側から問題提起したいと思います。これは私が常に抱いている仏教界に対する疑念でありまして、どうしても納得がいかない点なのです。
 尚、私は仏教を専門にしている者ではありません。もし、私個人の認識のほうに誤解が起こっている場合には、やんわりと優しくご指摘下さいませ。
 すいませんが、私からの投稿はすぐにはできないことが多いと思いますが、どうか宜しくお願い致します。ヾ(^-^)ゞ
(それから、できるだけ分かり易い投稿を皆さんお願いします。m(__)m ぺコリ)

315 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/23 14:03
‥‥‥‥‥無我説の誤解‥‥‥‥‥
【問題提起】
 仏陀は無記の態度をとったことはあっても、決して“アートマン(実体としての霊魂)は無い”など
とは教えなかった。阿呆陀羅經さんによる>>214の説明通り、仏陀の教えは「非我」(それはアート
マンではない)であって、それはアートマンではないものを自己(自我=アートマン)と同一認する間
違いについて戒めたものでした。実際、仏陀は真実の自己(アートマン)を探求することを教えたの
であって、このことはウパニシャッドの伝統とも何ら矛盾しない。仏教者は仏教根本思想の「無常」
を誤解し、永遠永劫なるものすらも全てを空性(無常)にしてしまった。
 結果的に人間の死後を以て生命の断滅を説く断見へと陥っている仏教者、及び霊魂は存在しな
いから輪廻する実体も無いものとし、輪廻転生(これは再び別の人間として再生誕することを含む)
の“生まれ変わり”すらも否定する仏教者を多数排出する自体になってしまった。

 つまるところ、真実の自己(アートマン)を確立するという仏教の教えが「アートマン(実体としての
霊魂)は無い」ということにされ、生まれ変わりを続ける衆生の業報輪廻を断ち切る教えが、人間は
生まれ変わりなどしていない(それは古代インドの間違った思想だ)ということにされてしまった・・・。
 この誤解を解いて正さない限りは、仏教の根本そのものがが成り立たない大問題である筈です。
 一体これは、誰がどこで間違ってしまったのか?

 是非、皆さんからの活発なご意見をお願いします。

316 :名無しさん@3周年:03/08/24 01:42
>>315
カルト?

317 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/08/24 14:01
やあいらっしゃい。クリスタルさん。マタ〜リとやりましょう。
>>316のような奴は放置プレイということで。

クリスタルさんもなかなか勉強家で原始仏教のことはよく知っている方です。
真面目に対論できる方ですのでみなさんよろしく。(^^)/

318 :名無しさん@3周年:03/08/24 20:03
>>317
さすがカルト


319 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/25 12:44
リアルでバタバタしてたもので、レスが遅れてすみません。

>>314-315
クリスタルさん、はじめまして。私も専門家や学者ではありませんので、ご理解の上おつきあい願い
ます。それとスレッドにおける過去の議論にも目をお通しください。今後の議論に資するところ大であ
ると思います。

>仏陀は無記の態度をとったことはあっても、決して“アートマン(実体としての霊魂)は無い”などと
>は教えなかった。
実体などの「ある/ない」を論じる相対論からの脱却がその主眼です。

>仏陀は真実の自己(アートマン)を探求することを教えたのであって、このことはウパニシャッドの
>伝統とも何ら矛盾しない。
その「真実の自己」とは、いわば「自己の真相もしくは真実」という意味であり、ウパニシャッドに説か
れるような常一主宰の実体や霊魂のようなアートマンを指すわけではないと考えます。また、ブッダ
が否認したのはウパニシャッドなどを含む形而上学説一般です。

320 :名無しさん@3周年:03/08/25 12:49
自己と宇宙を同一視すれば、結局「実体」としてのものはその有無の概念すら超越
してしまい、そこにすべて帰着させることは可能と思う。

321 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/25 13:13
>>315
> 生まれ変わりを続ける衆生の業報輪廻を断ち切る教えが、人間は生まれ変わりなどしてい
> ない(それは古代インドの間違った思想だ)ということにされてしまった・・・。
「生まれ変わり≠生物学的生死」であると考えます。

生物学的生死を機軸としないで「生まれ変わり」を説く、興味深い一例を。

「アングリマーラ、おん身はもう一度サーヴァッティにおもむくがよい。おもむいて、その婦人にこの
ように告げるがよい−婦人よ、わたしは生まれてこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。
このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんことを、と」
「師よ、それはわたしにとって、知りながら嘘をつくことになりませんでしょうか。師よ、なぜならわた
しは故意に多くの人の命を奪いましたから」
「アングリマーラ、おん身はもう一度サーヴァッティにおもむくがよい。おもむいて、その婦人にこの
ように告げるがよい−婦人よわたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故
意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児
に安らかさあらんことを、と」            
                                『マッジマニカーヤ』 86 「アングリマーラ経」より

322 :名無しさん@3周年:03/08/25 13:41
それはキリスト教で言う新生のような概念として使われていますね。
輪廻ではなく、輪廻を絶って仏に仕えるという意味で新たに生まれ変わるという。
「新しく」生まれ変わる転機は大変重要であると思われます。
ここで業報輪廻というものを「生まれ変わり」と表現していることに注目すると、
日常的にも小さな生まれ変わりをなしていることが言えると思われます。

323 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/25 14:03
>>322
おっしゃるような一種の「回心」や、あるいは禅定や三昧への入出定も「生まれ変わり」として把握可能の
ようです。また心的状態の転変などもこの範疇でしょう。ただ、「仏に仕える」という、いわば対象化された
信仰行為は原始佛教ではこれを重んじていなかったと考えます。

324 :名無しさん@3周年:03/08/25 21:42
>>320
>自己と宇宙を同一視すれば、

そんなこと、電波男が許さない。

325 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/26 02:08
Re.阿呆陀羅經さんへ

>私も専門家や学者ではありませんので、ご理解の上おつきあい願います。
こちらこそ、どうぞ宜しくお願い致します。
勉強したいと思います。

>それとスレッドにおける過去の議論にも目をお通しください。
>今後の議論に資するところ大であると思います。
了解しました。そのように努めます。

>リアルでバタバタしてたもので、レスが遅れてすみません。
こちらもなかなか投稿が続かない時がでてきます。
お互いにゆっくりと行きましょう。
くだらないレスばかりで、あっという間の1000レス終了などは全く無意味です。
しかしやはり、なかなか投稿が貰えないというのも寂しいもんですよねぇ。ハハハッ

>>319
>>仏陀は無記の態度をとったことはあっても、
>>決して“アートマン(実体としての霊魂)は無い”などとは教えなかった。
>実体などの「ある/ない」を論じる相対論からの脱却がその主眼です。
はい。これについては、私も賛成できると思います。

>その「真実の自己」とは、いわば「自己の真相もしくは真実」という意味であり、
>ウパニシャッドに説かれるような常一主宰の実体や霊魂のようなアートマンを指すわけではない
>と考えます。また、ブッダが否認したのはウパニシャッドなどを含む形而上学説一般です。
半分は同意しますが、全面的には賛成しません。
これも後に、仏陀が否定したものとは何であるか? 
そして仏陀がいうところの真実の自己が何を指すかについて、
私からの意見を述べたいと思います。
はたして、うまく説明できるかどうか、少し不安・・・

326 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/26 02:13
>>321
実は私、ここにアングリマーラ経が紹介されているのを見て、
正直いって「アレー?」って、かなり驚いてしまいましたね。
まぁ、ただの偶然なんですが、ちょうど阿呆陀羅經さんがこれを投稿した前日に、
その全くの同一部分を私も書いていたものでしたから、ちょっと・・・(笑)。
んー、これがシンクロなのでしょうかねぇ?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 またある時には仏陀は、難産に苦しむ婦人と出会ったアングリマーラが婦人を想って苦悩している
のに対して、「自分は生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない」という、その真実
語を発することで、婦人の安産を祈念するようにと勧めた。しかし到底、そんな嘘はつけよう筈がない
と困惑するアングリマーラへ、仏陀は更に続けた。
 『アングリマーラ、それではおん身はもう一度サーヴァッティへおもむくがよい。おもむいて、その婦人
にこのように告げるがよい。──婦人よ、わたしは尊い道に志す者として生まれ変わってからこのかた、
故意に生物の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に
安らかさあらんことを、と。』(長尾・工藤共訳[マッジマニカーヤ.86/アングリマーラ経/盗賊の帰依])
 アングリマーラが仏陀がいわれた通りにしたところ、婦人は安らかに無事に胎児を出産したという。
                                          (2003/08/24 20:56:26)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
どうです? 同じですよねぇ。
これは、中央公論社刊【世界の名著1[バラモン経典/原始経典]】から経典を紹介したものです。

327 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/26 02:19
まぁ、そのことはともかくとして、
私がいっている「生まれ変わり」とは、
当然、人の心の「改心」のようなことなどではありません。
人間は輪廻転生している存在であり、以前に幾つもの過去世(前世)を持ち、
今生の死後には、また再び別の新しい人格として誕生していくことについてをいっています。
(尚、今生での行為のカルマ的影響と結果とを、来世以降の生涯にてそれを果報として受け取る)

今回、無我説の誤解という広大なテーマを前にして、
このほうが話しがスムースかもしれないと思いましたので、
まず私は、仏陀がこの「生まれ変わり」を事実として肯定しており、
非常に具体的かつ詳細に説明しているものと理解します。
まず、このことについて主張したいと思います。
これについては、幾つかの根拠を提示できると思います。

エーと、すいませんが、
それから必用に応じて、時折りもしくは頻繁に、
各書籍や各ウェブサイトのページからの引用及び転載をさせて頂きます。
出所についてはなるべく明記するように注意したいと思いますので、
どうか皆様、なにとぞ穏便にご了承下さいませ。
これも真面目に仏教の教えについて対話するためですので、どうか宜しくお願いします。ペコリ..

328 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/26 02:30
根拠:
1)仏陀は四向四果(四沙門果)を説いて、仏道修行者がその後に何回ほど再生誕を繰り返
 すかを示すことで、修行者の進歩レベルを具体的に明かしました。

参考:四向四果
 http://oak.zero.ad.jp/padoma/main/butukyo/yougo/4kou4/4kou4ka.htm
四向四果(四沙門果)
 ・須陀桓(預流)(シュダオン・ヨル)
   =三結(身見・戒取・疑)を断ずる。天上界と人間界を
    七回往復する。
 ・斯陀含(一来)(シダゴン・イチライ)
   =三結(身見・戒取・疑)を断じて、貪欲・瞋恚薄らぐ。
    天上界と人間界を一回往復する。
 ・阿那含(不還)(アナゴン・フゲン)
   =五下分結(身見・戒取、疑、貪欲、瞋恚)を断ずる。
    天上界に生まれてこの世には還らない。
 ・阿羅漢(仏陀)(アラカン・ブッダ)
   =以後、『有』を受けないと自覚できる意識境。無餘涅槃の人。  
参照:http://www1.ocn.ne.jp/~shodesi/agon1.htm

329 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/26 02:33
参考経典:
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆ ナーディカ村にて
 続いて釈尊は、ナーディカ村(サンスクリット本によるとヴァッジ族の地方)の煉瓦堂に留まり
ます。ここでアーナンダが近づき、様々な人の死後の運命をたずねます。
 質問を受けて釈尊は以下のように答えます。

 アーナンダよ。修行僧サールハは諸々の汚れが消滅したが故に、すでに現世において汚れ
の無い『心の解脱』『智慧による解脱』をみずから知り、体得し、具現していた。したがって、こ
の比丘は今さとりの世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。
 アーナンダよ。尼僧ナンダーは、ひとを下界(=欲界)に結びつける五つの束縛を滅ぼしつく
したので、おのずから善き世界に化生した。この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入
り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。在俗信者のスダッタは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒りと迷い
(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ戻ってくる者
(=一来)』となった。この信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさ
とりの世界に入るであろう。
 アーナンダよ。在俗信女のスジャータは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、『聖者の流れに
踏み入った人(=預流)』となった。この女信者は、もはや悪しき世界に堕ちることはなく、必ず
正しいさとりを得ることが確定している。

330 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/26 02:33
 アーナンダよ。在俗信者のカクダは、ひとを下界に結びつける五つの束縛を滅ぼしつくしたの
で、おのずから善き世界に化生した。この在俗信者はその天界から直接さとりの世界に入り、
再びこの世に戻ることはない。同じように、アーナンダよ。カーリンガ、ニカタ、カティッサバ、
トゥッタ、サントゥッタ、バッダ、スバッダなどの在俗信者も、ひとを下界に結びつける五つの束
縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者たちはその天界
から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五十人以上の在俗信者たちは、ひとを下界に結び
つける五つの束縛を滅ぼしつくしたので、おのずから善き世界に化生した。これらの在俗信者
たちはその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼ
しつくしたから、欲情と怒りと迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなって
いるので、『一度だけ戻ってくる者』となった。これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、
苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。
 アーナンダよ。このナーディカ村で死んだ五百人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼ
しつくしたから、『聖者の流れに踏み入った人(=預流)』となった。これらの信者たちは、もはや
悪しき世界に堕ちることはなく、必ず正しいさとりを得ることが確定している。
―――――――『大パリニッバーナ経』等より
 http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan02.html
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(次回はもう一つ、阿含経から四向四果について説かれた経を掲載したいと思います)

331 :名無しさん@3周年:03/08/26 22:11
>>321,326

真実語の価値は斯くあり、という感が致しますね。

332 :アナゴン:03/08/27 00:49
クリスタルさんはどの境涯にいかれましたか?

333 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/08/27 00:56
まぁ。おれなんかあれだ。境涯下がるばかりだな。(苦笑)

創価。公明板に付き合っていると。(藁)

334 :名無しさん@3周年:03/08/27 01:32
波木井の商売
出張ホスト美悪の華 e-lady's clab
http://web.archive.org/web/20010810022347/www.elnolte.ne.jp/service/biaku.htm


335 :アナゴン:03/08/27 11:52
政治にかかわる宗教はその信仰に力が無いことを証明してます。
政治はサルに色の違う旗を持たせて選んでるだけです。
テレビに出て来るそして、すべての政治家は基地外外です。

336 :名無しさん@3周年:03/08/27 11:52


337 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/27 13:04
>>325
またもやドタバタ状態で遅レス申し訳ありません(汗)。月末から多忙生活がしばらく続きますので途切れがち
になるかも知れませんが、ご了承を願います。
>仏陀が否定したものとは何であるか?
いくら論じても結論を出すことが不可能で、かつまた解脱涅槃に資すことがないウパニシャッドなどの形而上
的見解とそれをめぐる議論を無記という形で否認しております。いわば「前提そのものの否認」です。
>>326
おやおや一致してますね(笑)。原始佛教における「生まれ変わり」の概念を考察するために非常に興味深い経
であると考えます。
>>327
前に述べました私の「無我」の把握を、繰り返しになりますがカキコしておきます。
 
 「(知覚・経験・認識・観察可能な)一切の事物事象はアートマン(常住不変な実体)ではない」

それと注意すべきことは、原始佛教では上の認識範疇を越えた見解を思考から排除するという姿勢です。これ
は前述の「無記」との関連で捉えてください。
>>328-329
「四向四果」や「三界六道」を生物学的生まれ変わりを前提に把握しようとすると矛盾が生じます。また経典に見
られる教説の説き方にも様々なパターンがあります。いくつか例を挙げると、
 1.ブッダが比丘に説くもの
  1-1.比丘向けの教法
  1-2.在家向けの教法
  1-3.その他
 2.ブッダが在家に説くもの
 3.比丘が比丘に説くもの 
 4.比丘が在家に説くもの
 5.在家が比丘に説くもの
 6.在家が在家に説くもの (以下略)
など様々なパターンがあり、加えて「次第説法」や「対機説法」という手法も勘案する必要があります。取り上げて
おられた『大般涅槃経』の当該箇所も、その後に続く説法へ導くために措定されたテーマであると考えます。経文
に「転生」に関する記述が見られたとしても、それを教説の結論であると即断するのは拙速であると思います。

338 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/27 13:14
追記
>>328でご紹介のURLはどちらもトンデモですのでご注意ください。ネット上の佛教サイトは玉石混交です
ので出来ればまずは信用の置ける書物を参照された方が無難だと思います。老婆心までに。

339 :名無しさん@3周年:03/08/27 15:32
と、最悪の石が云ったとさ


340 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/08/27 18:52
阿含系からの引用は・・・。ちょっとね・・・。

341 :名無しさん@3周年:03/08/27 19:16
>「(知覚・経験・認識・観察可能な)一切の事物事象はアートマン(常住不変な実体)ではない」

アートマンは五感では知覚できませんが、それ以外の器官があるのですよ。
このスレでこれ以上言うても無駄かと思うのでやめておきますが。

342 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/28 00:40
>>331
>真実語の価値は斯くあり、という感が致しますね。
そうですね。
真実を語った言葉には、何か一種、独特の響き(力?)があるということでしょうか。
まぁ、嘘つきはウソ発見器にも捕らえられるそうで・・・。
それに比べて私たちは、ウソ偽りの虚言がなんと多いことか。

>>332 :アナゴン
>クリスタルさんはどの境涯にいかれましたか?
まぁ、この年(38歳)で独身ですから、
ママゴンでもパパゴンでもありません。

343 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/28 00:41
>>337 :阿呆陀羅經
>ウパニシャッドなどの形而上的見解とそれをめぐる議論を無記という形で否認しております。
>いわば「前提そのものの否認」です。
>「四向四果」や「三界六道」を生物学的生まれ変わりを前提に把握しようとすると矛盾が生じます。
>経文に「転生」に関する記述が見られたとしても、
>それを教説の結論であると即断するのは拙速であると思います。
>
阿呆陀羅經さん、
ご意見に感謝します。

たとえ、「転生」に関する記述が見られたとしても、
それは本来、無記という形で否認している事柄なのであって、
もともと、前提そのものを否認していたのだから、
そのように読むべきだということですねぇ。

私からの意見はこうです。
無記という態度は常ではなくて、その時の場合によって取った態度です。
ある時には提示した経文のようにハッキリ明瞭に説明しました。
「“前提そのもの”について」は、もっと正確にいうならば、
仏陀の基本姿勢は、たしかに宇宙存在の性質うんぬんのようなことに
注目を向けない(向けさせない)姿勢でした。が、
しかし、存在自体は否定しませんでした。
霊魂や死後に継続する生命ということについても、当然、また然りです。
これらは、また後ほど・・・。

明瞭に“存在を説かれた”経は、
当然、明らかにそのように理解して読まなければならないものだと思います。
存在を認めて詳しく解説した教えなのですから、それは無視、否定してはならない筈です。

344 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/28 00:42
>>341
>アートマンは五感では知覚できませんが、それ以外の器官があるのですよ。
>このスレでこれ以上言うても無駄かと思うのでやめておきますが。
>
面白いと思います。
無駄などといわずにご意見を続けてください。
無意味と見なしたり、否定する人間だけしか見ない、
というわけではないでしょう。
できれば、コテハンを用いて自分の意見を展開されては如何です?

345 :名無しさん@3周年:03/08/28 00:42
http://web.quipo.it/monika2001/xxx/



346 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/28 03:31
>>343
 「無記という態度は常ではなくて、その時の場合によって取った態度です。
ある時には提示した経文のようにハッキリ明瞭に説明しました。」
 「明瞭に“存在を説かれた”経は、
当然、明らかにそのように理解して読まなければならないものだと思います。
存在を認めて詳しく解説した教えなのですから、それは無視、否定してはならない筈です。」

と述べましたが、更に追加します。

無記として知られる重要な経、「毒矢のたとえ」については、
また後ほどに紹介したいと思いますが、
しかしまず、基本的に無記においては、
「死後の生命等については、否定したりしていません」よね。
そして結局は、そこでなんと締めくくっていますでしょうか。
つまり、
 『マールンキャープッタ、ゆえに、いまここでわたしが説かないことは説かないと了解せよ。
わたしが説くことは説くと了解せよ。』(マッジマニカーヤ63−小マールンキャ経)
でした。このことはとても重要であると私は思います。

それでは「さぁー」と、いよいよ教えを説いたときに、
それを無視してしまったり、あるいは、
勝手に他の喩え話か何かの方便などと決め込むというのは、
如何なものでしょうか?

347 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/08/28 04:23
クリスタルさん、はじめまして。ベロです、よろしく。

クリスタルさんのご意見は
生まれる前(前世)と今現在(現世)と死んだ後(来世)とを貫く真実のアートマン
と言われるものを、明確に認めておられるようですが、現世以外の前世や来世を
あなたはいったいどのように確認なさって、断言されるのでしょうか?

また前世や来世の存在が、現世を生きるあなたの苦悩の克服に具体的に
どうのように関わって来るのでしょうか?

さらに経典に説かれている事柄はどんな事でも真実なのでしょうか?
また何を根拠にそれら全てがブッダ本人の言葉と言い切れるのでしょうか?


348 :名無しさん@3周年:03/08/28 05:36
>経典が真実かどうかわからない。
>ブッダ本人の言葉かどうか疑わしい。

仏典を根拠にした場合、無我説が外れてるよ。

なぜ頑なに無我を主張し、
それに合わせて自分の都合や経験によって仏典を計り
部分的に信じる信じないというおかしな読み方をするの?

349 :名無しさん@3周年:03/08/28 12:50
かるとかるとかると


350 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/28 14:12
>>341
「兎の角」や「亀の毛」を論じるようなものです。
>>343-346
>「死後の生命等については、否定したりしていません」
「否定していないから肯定している」というように主張すれば相対論に陥り、中道を踏み外します。ブッダがマ
ールンクヤ経で「説くこと」とは四諦であり、形而上的見解ではありません。それから長部経典などの諸経に
も別の文脈で形而上的見解に対する無記が頻出し、これがブッダの基本的態度であることが示されていま
す。


351 :名無しさん@3周年:03/08/28 19:21
>>347
>また前世や来世の存在が、現世を生きるあなたの苦悩の克服に具体的に
>どうのように関わって来るのでしょうか?

偉い人が、もっともらしく言ったコトを妄信できる人だけは
「死の恐怖」という苦を克服できるんじゃない?


352 :名無しさん@3周年:03/08/28 21:24
中途挫折の因縁の心ぐせ、というやつですね。
批判者の元信者はそれを皮肉にも証明してしまっている。
恐ろしいことです。

353 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 00:12
>>347 :ベロ
ペロさん、こちらこそ宜しくお願いします。
凄くいい質問が出たものと思います。

>現世以外の前世や来世を
>あなたはいったいどのように確認なさって、断言されるのでしょうか?
>
もちろん、自分が見たわけではありません。が、
それでも前世や来世を信じ足り得るというその根拠は、
ポイントとしては大きく3つあるでしょうか。
 1)前世や来世が在るとすることは、非常に合理的でものごとの道理に適っています。
 2)古代インドはもとより、仏陀ご自身もそれを認めて説かれた。
 3)前世を肯定的に考える以外に説明のつかない実際上の出来事(情報)が世界中から報告されている。
以上です。

>また前世や来世の存在が、現世を生きるあなたの苦悩の克服に具体的に
>どうのように関わって来るのでしょうか?
>
今、この現世で受けている生まれついての不可抗力、
両親や家族、生まれ環境、自己の身体的特徴などなどはすべて、
過去世における自己の行為の結果です(つまり、その果報を受けている)。
当然、この現世における行為が来世での影響を規定します。
であるから、今生における自己の行為の在り方の如何が問われるわけです。
自己の身・口・意の三業を如何に仏陀の教えに近づけるかどうかということが、
当然、仏教を信じる者の人生の在り方ということになるでしょう。

354 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 00:16
>>347
つづき.

>さらに経典に説かれている事柄はどんな事でも真実なのでしょうか?
>また何を根拠にそれら全てがブッダ本人の言葉と言い切れるのでしょうか?
>
それは各個人の、
一人一人の自由な判断に任せられており、一切、誰も強制することなどできませんよね。
それは自分自身で考え判断を下すことではないでしょうか?

 仏陀の説かれた教えがなるほど真理を反映するものであり、そのように自分で認めるならば、
その人はそれを受け入れるでしょう。しかし、たとえ仏陀であれ誰であれ、それが道理に適わな
い不条理な話であり、到底、認められざる得ないものと判断されるならば、もちろん従う必要など
ないでしょう。もし、仏陀の思想のここは良いがここは間違っているなどという継ぎハギな見方を
している人は、とてもゴータマを覚者である「仏陀」としては認められないでしょうね。

 修行の様式や形態などの細々とした部分は、時代背景その他の関係において、必ずしもその
通りでなければならないものでもないでしょう・・・。しかしながら、仏教思想の根幹部分のすべては
私(クリスタル)は真理であるとして認め、それを肯定します。
 魂(死後も継続する生命)と転生も然りです。
(尚、「転生は無いとか魂はない」などという擬似思想に対しては頑固として否定します。)


355 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 00:17
>>347
つづき.

 仏陀ご自身とその思想について知ることのできる資料は、原始経典とか根本経典などといわれ
ているパーリ五部聖典(Pan~ca-nika^ya)、もしくは漢訳四阿含経(パーリ五部中の4部が漢訳され
た経)の中に求められるべきです。
 その他の経や資料は全部がダメということではありませんが、当然、その信頼性はありませんね。
また、内容を比べれば違いも歴然とするでしょう。
 それが仏陀の説かれたものと見ていいかどうか、もしくは正しく真理として認められるかどうかは、
すべて自分自身が判断を下すことです。一切、誰も強制しません・・・。

更に・・・
 どんな天才や高僧が出現して何を云おうとも(それが全部間違いという意味ではない)、仏教は
ゴータマ唯一人が説かれたものであって、これ以外に仏教はどこにも存在しません。

356 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 00:18
>>348
>なぜ頑なに無我を主張し、
>それに合わせて自分の都合や経験によって仏典を計り
>部分的に信じる信じないというおかしな読み方をするの?
>
はい、まったく同意します。

357 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 00:23
>>350 :阿呆陀羅經
>「否定していないから肯定している」というように主張すれば相対論に陥り、中道を踏み外します。
私は、「否定していないから肯定している」などとは主張していません。
それは逆であって、仏陀は否定などしていないのに、
まるで「魂」や「転生」を否定しているかのように私からは見受けられますよ。

無記は否定も肯定をしないことですが、
しかし、別の時にはその存在を明確に教えたと私はいっているのです。
どうしてそれが、他の喩えか何かのことになるのです?
明確に説いた部分については、また後日に見つけてこちらに提示したいと思います。
それが、他の喩えか何かで済むような内容であるかどうか、
是非、そういう目でその部分をよく読んで頂きたいものと思います。

358 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/29 00:36
>>357
> まるで「魂」や「転生」を否定しているかのように私からは見受けられますよ。
魂や転生を「否定」しているとは私は一言も主張しておりません。ブッダはそうしたものの存否を問う前提そ
のものを「否認」しています。

> 別の時にはその存在を明確に教えたと私はいっているのです。
あくまで説法において有効と認められる限りにおいてです。そのために方便や譬喩として様々に措定され
た概念が利用されます。>>337に記した経典記述の分類も参照願います。それともう少し慎重且つ論理的
に経典の内容を探られればいかがですか。あなたの主張には論証が欠けていますよ。

359 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 00:52
丁寧なレスありがとうございます。

>>358 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/29 00:36
>魂や転生を「否定」しているとは私は一言も主張しておりません。
>ブッダはそうしたものの存否を問う前提そのものを「否認」しています。
>
はい、それについては了解です。
しかし阿呆陀羅經さんは、人の心の改心のようなことを生まれ変わりであるとして、
それが転生の意味であるかのように説明されたものと思います。
それでつまり、阿呆陀羅經さんご自身のお考えは、
人がまた別の人格として転生するということを否定していますか?


>>337に記した経典記述の分類も参照願います。
もちろん、その云わんとする意味は分かるつもりです。

>それともう少し慎重且つ論理的に経典の内容を探られればいかがですか。
>あなたの主張には論証が欠けていますよ。
>
了解しています。
まず敢えて、回答と主張の明確な違いについてを述べています。
論証部分はこれからです(といっても、どこまでできるでしょうか・・・)。

どこまでというのも、なかなか難しいことであり、
話の流れの中で、できれば質問やご意見を頂戴しながら、
それに大してできるだけ返答するように努めたいと考えています。
そのほうが読者にも良いと思いますが・・・。

360 :341:03/08/29 01:39
>>344クリスタルさん

> >>341
> 「兎の角」や「亀の毛」を論じるようなものです。
このように鼻であしらわれるのがオチです。
一見すると「ネットでの発言」はアートマン否定派の独壇場のように見えますが、
これは自己に目覚めた人はその共感を伝えきれないネットの世界にうんざりして
去ってしまうからだと思われます。
私はネット上の討論で限界を感じることはよくあります。「不毛」かもしれません。

361 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/29 01:44
>>359

> 人がまた別の人格として転生するということを否定していますか?
生物学的死を機軸とした転生に関しては「無記」です。また、「否定/肯定」以前に、こうした設問その
ものが成立可能かを検証すべきであると思いますし、ブッダの沈黙(=無記)はそれに対する答えで
あると考えます。様々な譬喩や方便もそうした結論へ導くために有効であると判断の上措定された
ものあると理解しています。

> 話の流れの中で、できれば質問やご意見を頂戴しながら、それに大してできるだけ返答するよう
> に努めたいと考えています。そのほうが読者にも良いと思いますが・・・。
論証を伴った主張のほうが論点を明確に出来ると思いますし、読まれる方にもわかりやすいのでは
ないでしょうか。

362 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/29 18:56
>>353
横レスですが・・・。
>1)前世や来世が在るとすることは、非常に合理的でものごとの道理に適っています。
どこがどう「合理的」で「物事の道理に適って」いるのかという論証が欠けていますね。
>2)古代インドはもとより、仏陀ご自身もそれを認めて説かれた。
この問題について原始佛教ではどう扱ったのかを目下議論中です。
>3)前世を肯定的に考える以外に説明のつかない実際上の出来事(情報)が世界中から報告されている。
その種の問題に関する調査方法や推論過程が適切なものであるかという検討が必要でしょうし、またそ
うした結論を求める思考バイアスも検証の対象にすべきだと思います。

以下にあなたが主張されるような「三世因果」についての見解はこのスレッドの上の方で批判を受けてい
ると思われます。熟読されて再考をお願いします。

>>355
>パーリ五部聖典(Pan~ca-nika^ya)、もしくは漢訳四阿含経(パーリ五部中の4部が漢訳された経)の中
>に求められるべきです。
総論には反対しませんが、現存諸経典は部派アビダルマによる影響や改変を受けているという認識を前
提にして読まれるべきだと考えます。

363 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 19:23
>>360
341さん、お返事が頂けてとても嬉しく思いました。

>一見すると「ネットでの発言」はアートマン否定派の独壇場のように見えますが、
そうですね。そうかもしれません・・・。

 特に自分のウェブサイトのページではなく、2CHのような掲示板スタイルだと余計そうかも
しれないように思います。何故なら通常、魂だの転生だのといったことを肯定する主張は、
無いものとして否定することよりも、ズーと困難が伴います。つまり、簡単にホラといって示
せるようなものではないからですね。しかも、すでに昔の仏教者たちによる無我の誤解に
よって、「魂は無い」ものとして仏陀が否定したという見解が仏教界でかなり浸透しています。
よって彼らは、当然、転生も否定することになる。
 (ただし、一般の人々においては仏教の中身などは知らないのが実体で、祖霊信仰の想い
が人として当たり前のものであるというのが常識でしょう。)

>私はネット上の討論で限界を感じることはよくあります。「不毛」かもしれません。
おっしゃることはよく分かります。
 肯定派が登場しないのは、341さんのいう通りかもしれません。やはり、肯定派のほうが主
張を展開していくのが難しいでしょうね。結果的に否定派の独断場に化してしまう・・・。

 ただ、私は無駄であるという見方はしないようにしています。例えばここで、もし阿呆陀羅經さ
んなり、誰かなりが私からの主張を結局は認めずに、否定されたとしてもです。
 その議論なり討論なりの遣り取りそのものを、読者に見てもらうことに意義があると考えるから
です。たとえ、「クリスタルさん、私は理解します」などという賛同者の言葉が投稿されなくても、ど
こかで誰かが見ており、必ず解ってもらえる人がいる、ということを私は自己の信念にしています。

 それから掲示板の性質上、元々、どうしても同意者による投稿というのはされなく、反対意見、
否定意見側が投稿されやすいものであるということでしょうね。

364 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 19:24
>>361
>生物学的死を機軸とした転生に関しては「無記」です。
そうですか、返答ありがとうございました。

>また、「否定/肯定」以前に、こうした設問そのものが成立可能かを検証すべきであると思いますし、
>ブッダの沈黙(=無記)はそれに対する答えであると考えます。
>
業報輪廻は古代インド思想の原点です。
当然、どうでもいいものではないです。
無いならばそれはないのであるし、
在るならばそれに対面して向き合わなければならないでしょう。
もう一つは、「どちらでもどうでもいい」という見方でしょう。

仏陀の無記(存在自体は否定していない)の意図は、
それがどちら(.在るのか無いのか)であるかを知らなくても、
日々の実際上の修行においては、特に問題とはならない。
だから修行に専念しなさい、ということであったと思います。
ただし、仏陀のこのような返答の仕方というのは、
常に相手や場合に応じてでした。

これを単に、魂や転生などは「どうでもいいこと」と受け取るかどうかであろうと思います。
これに対する答えは、つまり、
また別の時には詳細なまでにその解説を提供したということです。
しかも、どうでもいいものどころか、存在を明確に肯定しました。
これが私の主張していることがらです。

>論証を伴った主張のほうが
はい、もちろんそのように努めたいと思います。宜しくお願いします。
ただ正直、あまり旨くないかもしれません。

手元に資料も不足中です・・。

365 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 21:44
>>362 :阿呆陀羅經
>>1)前世や来世が在るとすることは、非常に合理的でものごとの道理に適っています。
>どこがどう「合理的」で「物事の道理に適って」いるのかという論証が欠けていますね。
>
当然、それは因果律(仏教が説くところの)という道理に適っているからです。

人は自己の行為の結果を必ず受け取ります。今生のみで済むことなどはできません。
たとえ人間が作った法規には触れず、或いは目撃者がなく罰せられずに済んだところで、
自分が行為したカルマの作用からは逃れようがないということを、私は真理であるとして理解しています。
極悪非道の限りを尽くして貪る悦楽の生涯を送っていて、それでそのまま済む道理がありません。
その見返りは当然、来世以降で受けることになります。
生まれついての悲劇や苦悩は、当然、前世および過去世における報いとして知るべきです。
「苦」は自分が集めたものであるというのが、四諦の「苦集」でしょう。
生まれついて眼が見えないなどの肉体的生涯は典型的な例と理解すべきです。
このことはつまり、生まれ変わりという三世因果なしでは説明不能な事態が生じるということを意味しています。
他の人々ならいざ知らず、これらは仏教を学ぶものとして当たり前の事柄にしか過ぎません。
大宇宙の秩序はすべての人間に平等に作用している筈です。
自己の行為はそれに等しい結果を行為者にもたらすという法則を絶対視しないのならば、
人間としての前向きな行為と、その努力というものが無意味であるということになるのです。

また、人間として成長すべきは膨大な経験、体験を積む必用がある筈です。
たった一度の人生経験で得られる体験ではその範囲に偏りがあり、小さ過ぎます。
人間は人生を経験することでそれを一つずつ学習します。
尚、一般の人間は悪しき習慣によって無駄な経験(苦)を繰り返しています。
仏道はその悪しき習慣を断滅することを可能にするものです。

366 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 21:50
>>2)古代インドはもとより、仏陀ご自身もそれを認めて説かれた。
>この問題について原始佛教ではどう扱ったのかを目下議論中です。
>
私が今、なるべく経典からその部分を抜粋、
紹介しながら説明中しようといるところです。

>>3)前世を肯定的に考える以外に説明のつかない実際上の
>>出来事(情報)が世界中から報告されている。
>その種の問題に関する調査方法や推論過程が適切なものであるかという検討が必要で
>しょうし、またそうした結論を求める思考バイアスも検証の対象にすべきだと思います。
>
もちろん、その通りです。
しかし、基本的にはその判断は簡単なことであると思います。
そのポイントとは、

367 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 21:50
 つまり、過去世を肯定せざる得ないような、たとえば分かり易くいうと、前世の記憶を語った
者のその語り内容が事実と合致していること。そして重要なことは、その情報は今生のその
人間には到底、知り得ない筈の事柄であることが確認されるという場合です。

 例としては、死去した本人とその家族(遺族)だけしか知らない事柄を、その本人の生まれ変
わりの意識を持つ人間が知っており、その正しさが確認されるケース。或いは、退行催眠にお
いて過去世の意識(らしき)が表層意識に顕れ、なんと数千年以前の古代語を語って、当時の
自分の生まれと死と生活とを詳細に語った。調査の結果、その古代語は言語学者によって正
しい当時の言葉でうることが確認され、また当時のその場所には、話しの内容に完全に合致す
る人間が実在ししていたという記録が見出された。尚、被験者はごく普通の社会人で当然、数
千年以前の古代語などというそんな知識はある筈がなく、当時のその場所についての知識も
全くゼロである。

 これは一言でいうと、今生の体験(情報)が完全にゼロであるにも関わらず、本来なら知る筈
のないことを語り、それが事実であると確認される不可思議な出来事のことです。それらの想
起された意識は、過去世(前世)における体験記憶であると見なすことが最も妥当な考え方にな
ります。


>以下にあなたが主張されるような「三世因果」についての見解は
>このスレッドの上の方で批判を受けていると思われます。熟読されて再考をお願いします。
>
了解しました。

368 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 21:51
>>355
>総論には反対しませんが、現存諸経典は部派アビダルマによる影響や改変を受けている
>という認識を前提にして読まれるべきだと考えます。
>
完全ではなく、部分的には変色しているということは理解しています。
それでも尚且つ、これ以外には歴史上のゴータマの思想を伝えている資料は見出されません。
だから、根本経典ともいわれています。

369 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/29 22:21
>>364
> 業報輪廻は古代インド思想の原点です。
それを生物学的生死を機軸としたものに捉えると常見に陥ります。また業報や輪廻を否定すれば
無因論つまりは断見となります。いずれも同値の形而上的命題です。経典の記述に見られるよう
にブッダは内外の隔てなくそうした命題に関して無記を貫いております。
>>365
>因果律(仏教が説くところの)という道理に適っているからです。
形而上的見解を捨象した上で業報や因果を説くのが、原始佛教における基本的姿勢です。
>>367
>今生の体験(情報)が完全にゼロであるにも関わらず、本来なら知る筈のないことを語り、それ
>が事実であると確認される不可思議な出来事のことです。
そうした「証言」のソースそのものを検証する必要があるでしょうね。そうした厳密な検証に耐えた例
を寡聞にして知りません。あまりこの問題に深入りするとスレ違いになりますが・・・。

>これ以外には歴史上のゴータマの思想を伝えている資料は見出されません。
経典成立史を常に念頭に入れておく必要はあると考えます。また、漢訳阿含にせよパーリニカーヤ
にせよ現存形態への編纂は大乗佛典成立時代とシンクロするかそれ以降であることは事実です。

370 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/29 22:43
錯綜し始めましたので論点の整理を。
1.「無記≠転生の否定乃至肯定」
2.「輪廻≠転生」
3.教法が説かれるパターンをきちんと整理すべき。(>>337を参照)
4.四向四果や三界六道を生物的生死を前提に考えるのは誤解。

おまけにブッダの説示の特徴を・・・。
 
 尊師がみごとに説かれた法は、現にありありと見られるものであり、直ちにききめのあるもの
 であり、実際に確かめられるものであり、理想の境地にみちびくものであり、諸々の知者が各
 自みずから証するものである。                         パーリ『大般涅槃経』
 
 歡喜信法。真正微妙。自恣所説。無有時節。示涅槃道。智者所行。
                                                 漢訳『遊行経』

371 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 23:14
>>369 :阿呆陀羅經
>> 業報輪廻は古代インド思想の原点です。
>それを生物学的生死を機軸としたものに捉えると常見に陥ります。
>
「常見」についても私は、誤解が起こっているものと見なしています。
つまり、一切は諸行無常であるという仏教の根本となる大前提についてを誤解しました。
これが元凶となって、「無我(正確には非我というべき)」とは霊魂は無い
ということにされたものと私は思っています。

では、分かり易くするために一つ、ここで阿呆陀羅經さんにお尋ねします。
「一切は無常(空性)である」という教えは、永劫不滅なるものを否定する見解ですか?

372 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 23:15
>そうした「証言」のソースそのものを検証する必要があるでしょうね。
>そうした厳密な検証に耐えた例を寡聞にして知りません。
>
そういう事例も在るものと私に見なします。
一部の心理学者や生態学者の批判は、まとを得ない身勝手なものです。


下記は、
奇跡体験『アンビリバボー』のTV番組を見て際に私が書いたものです(若干、短く編纂)。

 『番組でも紹介されたブライアン・L・ワイス博士の『前世療法』、退行催眠によって前世の記憶
が語られる現象は人間の生まれ変わりの事実を示すものとして大変、興味深く重要な意味を持
っている。生まれ変わりなどある筈がないと決め付ける学者は、これを「記憶の錯誤」であるとか、
「フォールスメモリー」(偽の記憶)などといっている。そもそも人間の全ての精神活動を脳と神経
組織の所産でしかない、と見なす彼らには到底、理解できないもののようだ。まず前世に否定的
な人々は、記憶の錯誤などといったことでは全く説明のつかない事例が沢山報告されている事
実については殆ど知らない。前世に限らず、霊的な事柄を否定する者は、自分に都合の良くな
い事例については目を向けない傾向がある。
 私たちの内部には前世(及び遙かな太古まで)の記憶が情報として蓄積されており、それを退
行催眠などによって引き出せる場合がある(この催眠で語られる前世の話が全て真実の前世の
記憶であるとは限らない)。
前世のパーソナリティー情報(人格等の個性データ)は新しい肉体人間へと提供される。表層意
識においては自覚できないが、私たちの人格や好みを形成している元になる因子はこの無意識
層から支配される過去世での蓄積記憶に拠っている。

373 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 23:16
 通常、私たちは前世の記憶を意識的に辿ることはできないが、これは平均的な人間の精神が
健全に保たれるための有難い神秘作用であって、もしも私たちが前世や幾つもの過去世の記憶
を想起できた場合には、とてもまともな精神でいることはできないと思われる。あの人は前世での
妻であり、兄弟であり、子供であり、或いは裏切り者であり、敵であり・・・と、その受けた酷い仕打
ちや苦痛までもが想起したら、昨日までの関係をとても続けられない。また、過去世で恩がある人
だから親切にしたりというのではなく、私たちは正しい人間関係とは何かについて学び、それを体
現できるようにならなければならない。
 であるから通常、意識的に過去世の記憶を持てる者はごく限られた人間であって、仏教では阿
羅漢の宿命智通として知られている。中には先天的に前世記憶を有する稀な人間などがいる。』

参考:フジテレビ系列 奇跡体験『アンビリバボー』
 2003年07月31日放送 - 殺される悪夢 謎の殺人鬼/逃れられない前世からの絆
 http://www.fujitv.co.jp/jp/unb/contents/p225_1.html


またたとえば、チベットのダライラマ14世のケースなどは世界中にかなり紹介されたものです。
チベット密教では高僧は死去、すぐに生まれ変わってくるものといわれており、
死後直ちに、再生誕した子供をチベット国内(及び場合には海外にまで)中に探す出すことがされます。
高僧当人の生まれ変わりであると認定されるには、当然、
集められた候補の子供たちは厳しいテストを受けます。
特にダライラマという最高位階者の場合は厳正なものです。

(これらの事例の紹介については、取り合えずここまでにて止めます)

374 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/29 23:17
>漢訳阿含にせよパーリニカーヤにせよ現存形態への編纂は
>大乗佛典成立時代とシンクロするかそれ以降であることは事実です。
はい、認めます。

>>370
>おまけにブッダの説示の特徴を・・・。
> 尊師がみごとに説かれた法は、現にありありと見られるものであり・・・
すいません。
この経文を紹介した意図が何であるかを説明して頂けますでしょうか。

375 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 00:07
>>371
>「無我(正確には非我というべき)」とは霊魂は無いということにされたものと私は思っています。
そのような誤解がされていると認識されたソースを併せてお示し願えませんか。それと事物事象を
「ある/ない」の両極端で認識する傾向を何とかしてください。
>「一切は無常(空性)である」という教えは
どこをどうすれば「無常=空性」と単純に連結できるのでしょうか。三法印の意味も基礎から考察し
なおしてください。
>永劫不滅なるものを否定する見解ですか?
一旦その種の形而上的辺見から離れてください。原始佛教では問題にしない事柄です。

>>372-373
原始佛教とは無縁な見解ですね。なにやら関係のない思想体系を無理矢理連結しようという意図を感じ
ます。ダライラマについてはここではコメントを控えます。

>>374
ブッダの教法は何も形而上的なものではなく、日常においても禅定や三昧の境地においてもありありと
現前の事実として証得できるものだという意味です。それには霊魂やアートマンといった概念は不要で
あると考えます。

376 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/08/30 00:50
どうかな?

377 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/08/30 01:24
クリスタルさん、ぜひ一度↓も参照なさって下さい。
http://mentai.2ch.net/philo/kako/1010/10107/1010788424.html

378 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 02:27
>>377
あんれぇ-、ベロさんこちらで随分と記述してたんですねぇ。
今パッと見ましたが、同じような事柄に沿ってご意見が・・・。
これは大変、勉強になりそうです。
ベロさん、ご紹介をありがとうございました。

379 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 02:59
>>375
>>「無我(正確には非我というべき)」とは霊魂は無いということにされたものと私は思っています。
>そのような誤解がされていると認識されたソースを併せてお示し願えませんか。
>
阿呆陀羅經さんはいいです。
「在るとも無いともいわない」という無記の話をしているのですから・・・。
そして「非我」ということもご存知です。
しかし、一般的には非我という言葉なども知られていず、
無我とは「我が無い」こと、つまりアートマンは無いという見解を示したものとして見られています。
この「無我とは霊魂が無いこと」という見解は、広く仏教界(信徒)に浸透していますよ。
ひどい話で、仏陀が無記で「答えなかったのは存在していないから」であると解釈されています。

では、まず一つですが、
これも「霊魂という実体はない」ということを述べています。
できればその他のサイトページなども見つけて、こちらに提示したいと思います。

『無我(ana-tman)
 仏教の最も基本的な教義の一つで、「この世界のすべての存在や現象には、とらわれるべ
き実体はない」ということである。それまでのインドの宗教が、個々の存在の実体としての“我”
を説いてきたのに対し、諸行無常を主張した仏教が、“永遠の存在ではあり得ないこの世の
存在や現象に実体があるわけはない”と説いたのは当然である。なお、“我”は他宗教でいう
霊魂にあたるといえる。』
-------(財)仏教伝道協会発行『仏教聖典』-巻末「用語解説」より

380 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 03:04
>それと事物事象を「ある/ない」の両極端で認識する傾向を何とかしてください。
ですから、私は仏陀が明確に存在を認めているという見解なのです。
答えなかったのは、その時の態度にしか過ぎません。
囚われや必要以上の注目に対しての戒めはありますが、存在についてはハッキリと認めました。
これは後ほど、その部分も抜粋したいと思います。
もしもそれがそう(存在肯定)ではなく、何か他のことを示すものだというご意見ならば、
一体、何のことを指しているというのか、それを阿呆陀羅經さんに説明して頂こうと思います。

>>「一切は無常(空性)である」という教えは
>どこをどうすれば「無常=空性」と単純に連結できるのでしょうか。
>
ただ便宜上、分かり易く書いたのです。

所行が無常であるというのは何故かというと、
一切は縁起に依りて生ずるからであって、その縁がなくなればそれらもまた滅してしまう。
よって、これらの一切は実在とはいえない。
これらは単にその時の縁で出現しているだけに過ぎないので、
そのような性質のことを、後の仏教者(ナーガールジュナといわれている)が説き、
「空」と呼ばれるようになったものと理解します(尚、空そのものは根本経典の教説ではない)。
結果的には「縁起即空」でもあり、
縁起とは因縁生起であるから、それらは「無常」なのです。

381 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 03:05
>>永劫不滅なるものを否定する見解ですか?
>一旦その種の形而上的辺見から離れてください。原始佛教では問題にしない事柄です。
>
その原始佛教の中で、「説くときには説く」と仏陀はいいました。
そしてそれを説いた経文も存在しているわけです。
全部を何でも答えない姿勢、もしくは「在るとも無いともいわない」という態度を固持し続けるのは、
「そうだとも、そうではないともいわない」という懐疑論者サンジャヤの見解になってしまう恐れがあると思います。

>>372-373
>原始佛教とは無縁な見解ですね。
>なにやら関係のない思想体系を無理矢理連結しようという意図を感じます。
退行催眠療法に見られるケースからも、
前世については肯定的に見ることができるということをいっています。
印象も判断も、すべて読み手側にお任せします。

>それには霊魂やアートマンといった概念は不要であると考えます。
それには同意したいと思います。
それらについて知らなくても、実際の修行行為はできますから。

382 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 03:14
ご指摘の箇所を読んだり、
各サイトや情報を検索したり、
紹介抜粋をタイプしたりしたいと思います。

しばらく投稿を控えたいと思います。
もちろん、その間の皆さんからの投稿は見ています。

失礼..

383 :護宇田摩:03/08/30 04:51
‥‥‥‥‥。

384 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 12:40
>>379
> 「在るとも無いともいわない」という無記の話をしているのですから・・・。
そうではなく、そうした命題そのものの欠陥や成立不可能性を考究した上で否認し言及しないだけです
が。
> 「この世界のすべての存在や現象には、とらわれるべき実体はない」(以下略)
よく考えられた説明だと思いますよ。「この世界」とは原始佛教に関していえば、知覚・観察・経験・認識
可能な事象事物のことであり、それ以外に言及することはありません。
>>380
> 私は仏陀が明確に存在を認めているという見解なのです。
それが説かれる経典の説法目的や論理構造などを踏まえるのが先決ですね。それと何度も言います
が譬喩や方便はあくまで措定されたものであり、それは目的の達成と共に消去されます。
> 一切は縁起に依りて生ずるからであって
その「一切」とは五蘊や十二処、十八界という知覚・認識・経験・観察可能な現象世界を指します。様々
な経典にも明記されている前提です。
> そのような性質のことを、後の仏教者(ナーガールジュナといわれている)が説き、「空」と呼ばれるよう
> になったものと理解します(尚、空そのものは根本経典の教説ではない)。
佛教思想史の把握が滅茶苦茶です。『中部経典』には大小の「空経」が所収されていますし、その他に
も「空」に関する教説は数多く見られますよ。加えて最古層といわれる『スッタニパータ』の1119偈にも
  つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死を乗り
  越えることができるであろう。このように世界を観ずる人を、<死の王>は見ることがない。
と説かれています。ナーガールジュナの思想もこうした文脈の延長線上に位置付けられますよ。
>>381
> 「説くときには説く」と仏陀はいいました。
ブッダが説いたのは霊魂説やアートマン説という戯論ではなく、四諦や縁起そして中道という「現にあり
ありと見られるものであり、直ちにききめのあるものであり、実際に確かめられる」教法です。
> 懐疑論者サンジャヤの見解になってしまう恐れがあると思います。
形而上の諸見解に関しては、ブッダはサンジャヤと共通の態度を示しました。
http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/b/sanjaya.htm

385 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 12:52
>クリスタルさん
無記を認めながら霊魂やアートマンを認める根拠が明確にされていませんよ。そのあたりを明確に
ご説明願えませんか。あなたの所見には正直言って説得力を感じません。

386 :名無しさん@3周年:03/08/30 17:25
無記は、凡俗にも聖人にも理解できる部分を説くという
態度ではないだろうか?
凡夫が修行していく上で関係のないところを省いて
自分に解らないところは解らないとして
神秘面の構造など知らなくても、
カルマは必ず帰ってくることを知れば済むことだと思ったのでしょう。
その力が何であるかの断定的な表現を避けたのであって、
実質的には何らかの働きがあることはあるが、
何であるかを言うことはそれが迷いに繋がる可能性もあるので
明言を避けたのでしょうね。


387 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 18:53
阿呆陀羅經さんへ、

 阿呆陀羅經さんが、とてもよく勉強されている方であることは心から認めており、敬意を表明します。
しかし、私が述べている事柄に対する阿呆陀羅經さんの返答は正直、全然、解答にはなっていません。
どうか、わたしからの以下の質問にお答え願えますか?

1)>>330
・「したがって、この比丘は今さとりの世界におり、再び迷いの生存を受けることはない。」
・「この比丘尼はその天界から直接さとりの世界に入り、再びこの世に戻ることはない。」
・「この信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入るであろう。」
・「このナーディカ村で死んだ九十人以上の在俗信者たちは、三つの束縛を滅ぼしつくしたから、欲情と怒り
 と迷い(貪り・怒り・愚かさ)という三つの心の毒がしだいに弱くなっているので、『一度だけ戻ってくる者』と
 なった。これらの信者はもう一度だけこの世に生を受け、苦を残りなく滅ぼし尽くしてさとりの世界に入る
 であろう。」

 私は四向四果(四沙門果)ということで、仏道修行者たちは七回再生誕する者、後一度だけ転生して来る
者、二度と再びこの世に生を受けないで済む境地にある者などがいると仏陀が解説したと主張しました。
 一例としてこれは大パリニッバーナ経の一部からでしたが、四沙門果の「預流」や後一度だけ戻ってくる必
要がある「斯陀含」の境地、二度と再誕しない「阿那含」のレベルに達している弟子たちのことを述べた部分
を紹介しました。
 しかし、転生について説明しているように見えるだけで、そうではないと阿呆陀羅經さんはいいました。それ
では具体的には、実際にこの経文が云っている「一度だけこの世に戻る/再びこの世に戻ることはない」とは、
一体、何のことをいっているのですか? その理由は何故ですか? 転生と誤解されるような言葉であると
するならば、これらは訳語ミスでしたか? それとも敢えてそうした仏陀の意図があるものならば、説明を希望
します。

 原始仏教の取っている立場から、或いは阿呆陀羅經さんのお考えから、どうかお答えください。

2)無常であるから実在とはいえないという、その「一切」の中には、ニルヴァーナや仏陀は含まれますか?

388 :387:03/08/30 18:56
国訳一切経 阿含部1巻の「仙尼経」に中で、
「慢断ぜざるが故にこの陰を捨て己りて異陰相続して生ず」
人は死んでも慢があると異陰として続いて行くのである。

389 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 18:56
1)>>329-330
でした。 失礼。。


390 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 19:13
>>388
大変、ありがとうございました。
どうかこれからも、お願い致します。。。

はい、その通りだと思います。
 執着を断滅できない人間は「異陰が相続する」と教えました。これは死後をも継続する生命形態ですね。
因縁生起のものは、因縁が無くならない限りそのまま存続します。
(異陰=<五蘊=人間存在を構成する五つもの構成要素:色・受・想・行・識>とは異なるもの)

391 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/30 19:45
「異陰相続」イコール転生のことではありませんが、
つまり五蘊、人間の心身とは異なる生命の継続があるといっているわけです。
これは明らかに死後、肉体消滅の後も続く生命存在に他なりません。
原始仏教ではありませんが、このことから「中有」という概念も否定できないことになります。

すいません。
それともう一つの大切な質問を書き忘れました。

3)もし転生が無いならば、生まれながらにして目が見えない子供は何の因果であるか?
 そして、ある者はバラモン(司祭階級)やクシャトリア(王侯・武士階級)の家系に生まれるのに、
 またある者はシュードラ(隷属階級)として生を受ける、その道理について説明して下さい。

392 :名無しさん@3周年:03/08/30 20:07

つーか
それはあなたが説明するべきでしょ
前世の因が現世に果となって(あなたの例では盲目)現れている証明を希望します。

393 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 21:11
>>387
なんか質問返しの反則に陥ってますよ。

>私が述べている事柄に対する阿呆陀羅經さんの返答は正直、全然、解答にはなっていません。
それは私の回答があなたの信念体系にそぐわないからそう思われるのではないですか。レスは根拠
と照合しながら論理的に筋道を立ててお願いします。
>一体、何のことをいっているのですか? その理由は何故ですか?
心的状態の転変を指すのが第一義です。それと禅定三昧の出入定を意味したりもしますよ。それにこ
の説法は在俗信者向けになされたことを念頭に置きましょう。折角私が提示した経典読解のヒントもあ
なたは検討活用する気がないようですね(苦笑)。

>>391
問題にもしていないことに答える義務はありません。論点を拡散させないで下さい。それに都合の悪い
論証はスルーするおつもりなのか私のレスへの具体的反論はありませんね。

394 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 21:18
>無常であるから実在とはいえないという、その「一切」の中には、ニルヴァーナや
>仏陀は含まれますか?
論点の先取りです。それを論ずる前にクリアしなければならない問題が山積ですよ。


395 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 21:26
「異陰相続」が説かれる箇所です。生物学的生死は問題にされてもいません。

雜阿含經卷第十三    宋天竺三藏求那跋陀羅譯
T02n0099_p0092c12(00)?(三三五)如是我聞。一時。
T02n0099_p0092c13(08)?佛住拘留搜調牛聚落。爾時。世尊告諸比丘。
T02n0099_p0092c14(07)?我今當為汝等説法。初.中.後善。善義善味。純一滿淨。
T02n0099_p0092c15(03)?梵行清白。所謂第一義空經。諦聽。善思。
T02n0099_p0092c16(03)?當為汝説。云何為第一義空經。諸比丘。
T02n0099_p0092c17(04)?眼生時無有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
T02n0099_p0092c18(00)?生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。
T02n0099_p0092c19(01)?異陰相續。除俗數法。耳.鼻.舌.身.
T02n0099_p0092c20(04)?意亦如是説。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。
T02n0099_p0092c21(01)?此起故彼起。如無明縁行。行縁識。
T02n0099_p0092c22(04)?廣説乃至純大苦聚集起。又復。此無故彼無。
T02n0099_p0092c23(04)?此滅故彼滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。
T02n0099_p0092c24(00)?乃至純大苦聚滅。比丘。
T02n0099_p0092c25(07)?是名第一義空法經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。
T02n0099_p0092c26(03)?歡喜奉行


396 :666改:03/08/30 21:27
>>394
とても論理的でステキです。

397 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 21:40
件の『仙尼経』です。文脈をよく考えてください。
雜阿含經卷第五    宋天竺三藏求那跋陀羅譯    
T02n0099_p0031c15(00)?(一○五)如是我聞。一時。
T02n0099_p0031c16(09)?佛住王舍城迦蘭陀竹園。爾時。有外道出家名仙尼。來詣佛所。
T02n0099_p0031c17(01)?恭敬問訊。於一面坐。白佛言。世尊。
T02n0099_p0031c18(03)?先一日時。若沙門.若婆羅門.若遮羅迦.若出家。
T02n0099_p0031c19(02)?集於希有講堂。如是義稱。
T02n0099_p0031c20(08)?富蘭那迦葉為大衆主。五百弟子前後圍遶。其中有極聰慧者.
T02n0099_p0031c21(00)?有鈍根者。及其命終。
T02n0099_p0031c22(08)?悉不記説其所往生處。復有末迦梨瞿舍利子為大衆主。
T02n0099_p0031c23(01)?五百弟子前後圍遶。其諸弟子有聰慧者.
T02n0099_p0031c24(00)?有鈍根者。及其命終。悉不記説所往生處。
T02n0099_p0031c25(00)?如是先闍那毘羅胝子.阿耆多翅舍欽婆羅.
T02n0099_p0031c26(00)?迦羅拘陀迦栴延.尼ノ陀若提子等。
T02n0099_p0031c27(02)?各與五百弟子前後圍遶。亦如前者。
T02n0099_p0031c28(04)?沙門瞿曇爾時亦在彼論中言。沙門瞿曇為大衆主。
T02n0099_p0031c29(00)?其諸弟子。有命終者。即記説言。
T02n0099_p0032a01(03)?某生彼處.某生此處。我先生疑。云何沙門瞿曇。
T02n0099_p0032a02(00)?得如此法。佛告仙尼。汝莫生疑。
T02n0099_p0032a03(03)?以有惑故。彼則生疑。仙尼當知。有三種師。
T02n0099_p0032a04(02)?何等為三。有一師。見現在世真實是我。
T02n0099_p0032a05(02)?如所知説。而無能知命終後事。
T02n0099_p0032a06(06)?是名第一師出於世間。復次。仙尼。有一師。
T02n0099_p0032a07(06)?見現在世真實是我。命終之後亦見是我。如所知説。復次。
T02n0099_p0032a08(00)?先尼。有一師。不見現在世真實是我。
T02n0099_p0032a09(01)?亦復不見命終之後真實是我。仙尼。
T02n0099_p0032a10(04)?其第一師見現在世真實是我。如所知説者。

398 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 21:43
T02n0099_p0032a11(03)?名曰斷見。彼第二師見今世後世真實是我。
T02n0099_p0032a12(02)?如所知説者。則是常見。
T02n0099_p0032a13(09)?彼第三師不見現在世真實是我。命終之後。亦不見我。是則如來.
T02n0099_p0032a14(00)?應.等正覺説。現法愛斷.離欲.滅盡.涅槃。
T02n0099_p0032a15(01)?仙尼白佛言。世尊。我聞世尊所説。
T02n0099_p0032a16(03)?遂更搴^。佛告仙尼。正應搴^。所以者何。
T02n0099_p0032a17(03)?此甚深處。難見.難知。應須甚深照微妙至到。
T02n0099_p0032a18(02)?聰慧所了。凡衆生類。未能辯知。所以者何。
T02n0099_p0032a19(01)??生長夜異見.異忍.異求.異欲故。
T02n0099_p0032a20(04)?仙尼白佛言。世尊。我於世尊所。心得淨信。
T02n0099_p0032a21(03)?唯願世尊為我説法。令我即於此座。慧眼清淨。
T02n0099_p0032a22(01)?佛告仙尼。今當為汝隨所樂説。佛告仙尼。
T02n0099_p0032a23(01)?色是常耶。為無常耶。答言。無常。世尊復問。
T02n0099_p0032a24(01)?仙尼。若無常者。是苦耶。答言。是苦。
T02n0099_p0032a25(04)?世尊復問仙尼。若無常.苦。是變易法。
T02n0099_p0032a26(07)?多聞聖弟子寧於中見我.異我.相在不。答言。不也。世尊。受.想.
T02n0099_p0032a27(00)?行.識亦復如是。復問。云何。仙尼。
T02n0099_p0032a28(03)?色是如來耶。答言。不也。世尊。受.想.行.
T02n0099_p0032a29(04)?識是如來耶。答言。不也。世尊。復問。仙尼。
T02n0099_p0032b01(03)?異色有如來耶。異受.想.行.識有如來耶。答言。
T02n0099_p0032b02(01)?不也。世尊。復問。仙尼。色中有如來耶。受.想.
T02n0099_p0032b03(00)?行.識中有如來耶。答言。不也。世尊。復問。
T02n0099_p0032b04(01)?仙尼。如來中有色耶。如來中有受.想.行.識耶
T02n0099_p0032b05(00)?答言。不也。世尊。復問。仙尼。非色。非受.想.行.
T02n0099_p0032b06(00)?識有如來耶。答言。不也。世尊。佛告仙尼。

399 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 21:48
T02n0099_p0032b07(00)?我諸弟子聞我所説。
T02n0099_p0032b08(08)?不悉解義而起慢無間等。非無間等故。慢則不斷。慢不斷故。
T02n0099_p0032b09(00)?捨此陰已。與陰相續生。是故。仙尼。
T02n0099_p0032b10(03)?我則記説。是諸弟子身壞命終。生彼彼處。
T02n0099_p0032b11(02)?所以者何。以彼有餘慢故。仙尼。
T02n0099_p0032b12(05)?我諸弟子於我所説。能解義者。彼於諸慢得無間等。
T02n0099_p0032b13(00)?得無間等故。諸慢則斷。諸慢斷故。身壞命終。
T02n0099_p0032b14(00)?更不相續。仙尼。
T02n0099_p0032b15(10)?如是弟子我不説彼捨此陰已。生彼彼處。所以者何。
T02n0099_p0032b16(06)?無因縁可記説故。欲令我記説者。當記説。彼斷諸愛欲。
T02n0099_p0032b17(00)?永離有結。正意解説。究竟苦邊。
T02n0099_p0032b18(04)?我從昔來及今現在常説慢過.慢集.慢生.慢起。
T02n0099_p0032b19(03)?若於慢無間等觀。衆苦不生。佛説此法時。
T02n0099_p0032b20(03)?仙尼出家遠塵離垢。得法眼淨。爾時。
T02n0099_p0032b21(05)?仙尼出家見法.得法。斷諸疑惑。不由他知。
T02n0099_p0032b22(03)?不由他度。於正法中。心得無畏。從座起。
T02n0099_p0032b23(04)?合掌白佛言。世尊。我得於正法中出家修梵行不。
T02n0099_p0032b24(01)?佛告仙尼。汝於正法得出家.受具足戒.
T02n0099_p0032b25(01)?得比丘分。爾時。仙尼得出家已。
T02n0099_p0032b26(04)?獨一靜處修不放逸。住如是思惟。所以族姓子。
T02n0099_p0032b27(01)?剃除鬚髮。正信.非家.出家學道。修行梵行。
T02n0099_p0032b28(01)?見法自知得證。我生已盡。梵行已立。
T02n0099_p0032b29(03)?所作已作。自知不受後有。得阿羅漢。聞佛所説。
T02n0099_p0032c01(00)?歡喜奉行

400 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 21:51
>クリスタルさん
一度「転生」という概念を捨象して、「輪廻」や「生死流転」の意味を考えてください。形而上的実在論
を前提にあなたが何をおっしゃろうと、原始佛教からは遠ざかるばかりです。

401 :131:03/08/30 22:04
原始仏教にしろ大事なことは、涅槃に行くこと
涅槃に行く、その技術が大事です。それを仏陀は教えているのです。

402 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 22:04
>>391
ついでながら・・・。
>原始仏教ではありませんが、このことから「中有」という概念も否定できないことになります。
中陰や中有という説は有部を中心としたアビダルマで説明概念として成立したものであり、原始佛教を
論じるときに使用するのは不適切です。また、有部系所伝の阿含経典にもこの語は見られますが、後
世の付加と考えるのが妥当でしょう。そしてこの説の正否を巡って部派間での論争が続いたことも念頭
に置くべきでしょうね。

403 :名無しさん@3周年:03/08/30 23:09
>クリスタルさん
不可知論者の阿呆陀羅經に何を言っても無駄かと思われます。

404 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/30 23:11
>>403
オウムや阿含宗によくいる戯論地獄の衆生だな(笑)。さっさとお帰り。

405 :名無しさん@3周年:03/08/31 01:15
神や霊の肯定なんて誰にもできないだろう。
でも存在の可能性を
否定すんじゃねぇよ。
可能性だけは残る。全面否定はできないだろう。

406 :名無しさん@3周年:03/08/31 01:19
>>405
どっかで誰かが可能性まで否定したか?
ログをリンクしてみろよ

407 :宗教ビジネス:03/08/31 01:30
まあ、問題は
それを脅し文句に使ったり、カネ儲けに利用したりするヤカラが
後を絶たないっていう現実だ罠。

408 :NB ◆0buMLZ/Vxc :03/08/31 01:33
関係ないんですけど、矩形選択できるエディタ便利ですよねえ。

>>403
(゚Д゚)ハァ?

409 :名無しさん@3周年:03/08/31 01:45
>>406
何を言っても「戯れ事」として片付けられてしまいますから。

可能性として存在が濃厚であるとしか言えないけれども、そう言うと、

「いや、釈迦はそんな可能性については一言も触れてない」とか
「釈迦がそんなものの可能性について一切触れるはずがない」とか

断言されます。釈迦が輪廻を前提とした表現をしている可能性が
かなり含まれると思われるものを、「存在しない」という
前提の下で考察することは決して正しい解釈とは言えまい。

410 :名無しさん@3周年:03/08/31 01:54
>>409
だから具体的にどの部分か引用してみなって

411 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:02
ログよんでね。>>410

412 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:06
なんで具体的な引用で論点を明確にしようとしないのだ?
自信がないんだな、きっと

413 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/31 02:07
>>409
>「存在しない」という前提の下で考察することは決して正しい解釈とは言えまい。
誰もそんな前提を採用しておらんでしょ。文字は読めても文章は読めず、論理が破綻した蒙昧
発言を繰り返すカルト盲信者みたいな体たらくだねえ(失笑)。無意味な紙飛礫はカルトスレで投
げてりゃいかが?

414 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:14
では、可能性は可能性として人間の輪廻を否定なさるな。

主流の仏教で前提となっているものを否定するのであれば、
自分でカルト仏教を体系付けて、
そのカルトを実践して自分で有用性を確かめてみれば?

415 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/31 02:18
>>414
>可能性は可能性として人間の輪廻を否定なさるな。
はて、いつ「否定」しましたでしょう。中道を理解されない相対論者には困ったものだ(苦笑)。
>主流の仏教で前提となっているものを(以下略)
その「主流の佛教」とやらを寡聞にして存じませんが。この人は一体何を主張したいのでしょうね。

416 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:29
神秘について
「考えること」は迷いになる。
それは考えてもわからないから止めたほうが良い。

考えるまでもなく、当然のことと捉えればいいものを、

無記であるから超越的なものの存在を「肯定してはならない」
と勘違いしているのだろう。


417 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:37
阿呆陀羅經の唯一の楽しみは経典を読むことなのだ、許してやれ。


418 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:43
>>416
そうすると、無記だけれども肯定してもよい、と考えるのだな。
そういうことなのだな。ええ?

419 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:47

釈迦は語らなかっただけなのに。
あるか無いかのどっちかに決まってんじゃん。


そちらこそ、存在が中道とかおかしなこと言うなよ。

420 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:52
>>419
あるかないかのどっちかに決まってんだろうけど、詮索しても意味無いから言及は避けましょうってのが無記でしょ。
ごちゃごちゃいわない。

ところで、存在が中道ってなんだ?どこにでてきた?

421 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:53
阿呆陀羅經の唯一の支えは中道なのだ、許してやれ。

422 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:56
>>421
話に参加できないんなら黙ってたらどうだ?

423 :名無しさん@3周年:03/08/31 02:57
有る無いのどちらも内包する概念が‘空’ってやつでは? よく知らんけど。

424 :名無しさん@3周年:03/08/31 03:07
>>420
そうだね^^;;

425 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 06:47
やっと、いろんな方からの投稿も始まったようですねぇ..


>>385 :阿呆陀羅經
>無記を認めながら霊魂やアートマンを認める根拠が明確にされていませんよ。
>そのあたりを明確にご説明願えませんか。あなたの所見には正直言って説得力を感じません。
>
下手ながら述べていると思いますよ。
その他の根拠になる経文も提示するつもりです。(どうかお待ちください)

>>393
>問題にもしていないことに答える義務はありません。論点を拡散させないで下さい。
>
これも深ーい意味で、関係していると思いますよ。( >>391)
しかし答えは簡単ですから、私が答えてしまいます。

 生まれの違いはその人の因縁に拠るからです。ごく当たり前のことですね。原因(因縁)なくして
今の違いが出る道理がありません。人それぞれによる生まれの違いは当然、その以前の人生に
原因(その差が生じる違い)が求められることになります。

426 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 06:48
>>394 :阿呆陀羅經
>>無常であるから実在とはいえないという、その「一切」の中には、ニルヴァーナや
>>仏陀は含まれますか?
>論点の先取りです。それを論ずる前にクリアしなければならない問題が山積ですよ
>
はい、これも答えてしまいますね。

 この場合の「一切」とは物質的現象界における事象の一切です。「ニルヴァーナ」意識はこのよう
な無常世界から超越したものです。よって永遠永劫、仏教が求める絶対不滅の境地です。「仏陀」
はその意識に到達した人間であり、ゴータマは存命中に人々の中にあってそれを達成した稀有な
人間です。よって仏陀はたとえ、この物質現象世界に在りながら、それを超越することを可能にか
る意識状態にあります。

>>397-398-399
うーーん。ちょっと素人には厳しいですねぇ。
できましたら、どこかにある和訳を紹介して頂ければ助かります。
どなたか、ご覧の方でもいいです。ご協力を..

>>402
>>391
>中陰や中有という説は有部を中心としたアビダルマで説明概念として成立したものであり、
>原始佛教を論じるときに使用するのは不適切です。・・・
>
はい、理解しております。
特にこれを出す必要もありませんので、スイマセン..

427 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/08/31 07:31
本日よりしばらく繁忙期に入ります。十日ほど遠出しますのでネット環境によっては書き込みが中断す
るかと思いますがよろしくお願いいたします。

>クリスタルさん
レスは短くても少なくても結構ですから、もう少し慎重に書き込まれてはいかがでしょう。論拠も根拠も
薄弱な発言に付き合うのは負担です。それに本当に過去ログをしっかり読んでおられますか?不効率
なやりとりは退屈ですよ。それと論点を拡散させたり先取りしたりするやり方は議論に対する誠意を疑
わせる原因ともなりますので、どうぞご留意ください。

>>425
>その他の根拠になる経文も提示するつもりです。
無記と常見の論理矛盾の解決が果たして可能かどうか見所ですね。
>生まれの違いはその人の因縁に拠るからです。
思ったとおりの回答でした(苦笑)。その種の胎生学的業感輪廻説は部派アビダルマの産物です。

>>426
>「一切」とは物質的現象界における事象の一切です。「ニルヴァーナ」意識はこのような無常世界
>から超越したものです。
教証に基づく根拠が伴わないとただのオカルト説ですし、「一切」の把握すらなっていませんよ。本当にアー
ガマやニカーヤを直接参照していますか?
>>和訳を紹介して頂ければ助かります。
図書館などの『国訳一切経』や、佛教辞典などを参照されればいかがでしょう。前者の経典は比丘に対して
「第一義空」を説き、 後者は外道の行者に対するブッダの次第説法の有様を記しています。その際はくれぐ
れも巷間のインチキ阿含カルトの曲解に流されないようご注意を。

428 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 08:12
阿呆陀羅經さんへ

 仏陀は教える時には明確にそれを(在るものとして)説き示したのです。いつも常時、「在るとも..無い
と云わない/また..そうではないとも云わない」などという姿勢ではありませんでした。そんなサンジャヤ
(懐疑論者)のようなことしか説かない師の下などは、弟子たちは皆、離れていってしまいますよ。かつ
てのサーリプッタとモッガラーナたちのように・・・。

 仏陀が形而上問題について沈黙する意味は、形而上的な疑問というのは果てしなく切りがないもの
であって、思考上での哲学的な虚論に陥ってそれらに囚われることなく、今、目前で自分が為すべき
義務(修行者は当然、霊的サーダナー<修行>)に専念しなさい。という意味であったと私は理解してい
ます。それから当然、相手によっては話したところで意味がなく、ただ誤解を招くだけの恐れもある場
合もあったことでしょう。違いますか?
 しかしある時には、仏陀は明確にそれを示したのです。違うというのならば、ちゃんと私が示した経
文の方便とやらが何かを説明した下さい。相手が在家だから何がどうしました ? インド大衆の世間
一般の認識に合わせて、つまり「嘘」を答えたというのですか ??

429 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 08:12
 それから、沈黙の態度は何も決して「無い」ことを意味しません。無い場合にはそう答えたこと
でしょう。しかし「魂」というのは、元々その存在と性質が「諸行無常」で説明できる“一切”の中に
は属さないものなのです。仏陀が否定したバラモン教とは古代インドのベーダそのもの自体(ウパ
ニシャッドで示される思想)、或いはその総てというわけではありませんよ。誤解して単純にバラモ
ン・ヒンドゥーの総てを排除しないようにして下さい。仏陀が真の「バラモン(婆羅門)」とは如何なる
ものか、といういい方を頻繁に用いていたことを想起しましょう。バラモン=外道という短絡な態度
は控えましょう。これを多くの仏教徒が誤解しているように私は思います。もっというと、ベーダの
真理を実際に体現した人間の一人がゴータマでした(ただし、世間の迷信的な司祭バラモンたちとは
全く異なる)。簡単にいうと、ヒンドゥー・バラモンとはその方法論が異なるということになるでしょうか。

 「無記。そういう問題には関知しない」が仏教であるとする姿勢をただ固持するというのなら、
何も阿呆陀羅經さんはこの問題については無視されても構いませんよ。「無い」ともいわないとい
うことですから・・・。私は、阿呆陀羅經さんのお考えを変えようなどとは思いませんし、こちらも
全然、困ってはいません。

430 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 08:14
>>400 :阿呆陀羅經
>一度「転生」という概念を捨象して、「輪廻」や「生死流転」の意味を考えてください。
>形而上的実在論を前提にあなたが何をおっしゃろうと、原始佛教からは遠ざかるばかりです。
>
そんなことはありません。全く逆ですね。
では、私の下手くそな説明ばかりではなくて、
ちょっと参考までに権威筋?からの解説を紹介したいと思います。

 『インド人はもともと宗教的な民族であったが、・・・人間を含む生類は永久に流転輪廻の生涯を
繰返すと考え、しかもその信仰を切実に身に感じていたのである。・・・このような考えを受けて原
始仏教においても、人間が生まれ老い死ぬこと、そしてこの過程を無限に繰返すこと、それを「輪
廻」(流転、生死)と呼んでいた。
 この輪廻の生存は恐ろしいものである。ときには輪廻の生存を、波濤・渦巻など水の動揺のある
恐ろしい大海に譬えていることもある。この輪廻のすがたを如実に知った人が、ブッダ、目覚めた
人(buddha 仏)である。
 《聖者には輪廻は存せず、彼はもはや生まれ変わるということがない。聖者の身体は、永遠の
昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生涯である。今や再び後
に生存に入ることがない》(テーラ・ガーター:202、スッタニパータ:502)
 一般に修行者は生存からの離脱も願っているのである。修行完成者は《生に赴かない。》(ウダー
ナ・ヴァルガ:7)のである。原始仏教聖典の内には、一般に悟り終った人の心境を示すものとして、
次の詩句がしばしばあらわれている。
 《生存はすでに尽きた。清らかな行ないはすでに確立した。為すべきことは、すでに為し終えた。
このようなことのために、再び生を受けることはないであろう。》(サンユッタ・ニカーヤ:161、スッタ
ニパータ:82)
 ヒンズー教によると、最高神の帰依することによって再びこの世に生まれることがないようにな
るというが、最初期の仏教によると、どこまでも自らの修行と悟りによってこれが達成されると考え
たのである。・・・

431 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 08:15
つづき

 解脱した人には現世も来世も存在しないということは、インド一般に諸宗教を通じての理想であり、
ジャイナ教や叙事詩にも説かれているが、原始仏教はそれを受けているのである。原始仏教で解
脱というのは、《この世における生と死とを捨て去ること》(スッタニパータ:1097)である。解脱の境
地においては、生死が存在しない。修行を完成した者は《生死を明察せる者》(スッタニパータ:484)
である。この究極の境地は、「不滅の領域」、「不滅の境地」といい、あるいは単に「不死」とも称する。
また単に「不老」ともいうのである。
 そして仏教はこのような最高目的に達することを教えているものであるから、仏教は「不死の門」、
「不死の獲得」であり、修行者は「不死の境地を見る」のである。
 生死を超越するということは、また現世も来世も超越するということである。修行者は《この世をも、
彼方の世をも希求することなし。》(スッタニパータ:779)といい、したがって現世のみならず来世に
も執着しないのである。・・・

 《人々は渇にたとえられる妄執に陥って苦悩を生じ、老いに襲われている。故につとめて妄執を
捨てよ。そして再び生存状態に戻らないようにせよ。》(スッタニパータ:1120-1123) 』
--------中村 元著『原始仏教---その思想と生活』NHKブックス(日本放送出版協会刊)より

432 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 08:18
読者の中には、「魂は無い。よって転生も起こり得ない」とする否定派の方が必ずいる筈です。
もし、そういう方がここで見ていましたら、その理由を述べてこの議論に参加しませんか ?

 >>392のあなたですか ? 否定論信奉者は...

433 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 08:44
もーにんぐです。

阿呆陀羅經さんにもお叱りを受けていますが、
 すいません。ここで一旦、投稿を控えます(笑)

まだちゃんと過去ログに目を通せてはいませんので・・・。トホホ...
まず、「原始佛教 その4」の全ログを早急に読ませて頂きます。
できれば、シリーズとなっている「原始佛教」1.2.3の過去ログ(倉庫)も目を通します。
また、ペロさんご紹介の「仏教の根本三法印・四法印について」は、
1000スレまで総て印刷しました。
膨大な枚数になりました(苦笑)。インク切れまで起こしました。
こちらも目を通します。

その間、
 ご意見の頂ける方は、どうぞ投稿されて下さい。

434 :名無しさん@3周年:03/08/31 09:38
>>432
否定論者ですか?などと言われても‥‥
まともな庶民の一人だと思ってますが

とにかくあなたは、前世が存在する証明と前世の因により現世で果(生まれつきの障害)を受ける明確な答えを書いて下さい。

435 :名無しさん@3周年:03/08/31 09:58
ついでに三世にまたがる因果が正しいとするとどんないいことがあるのかも教えてちょうだい。

436 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 10:00
>>434
>まともな庶民の一人だと思ってますが
失礼しました。
ごく世間の一般的な反応ですよね。当然です。

はい、努力します。

437 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/08/31 10:03
クリスタルさん、はじめまして。

ここでの阿呆陀羅経さんの発言には文献学的にも間違いはありませんよ。
あと、私が言及している阿含宗スレッドもお読みください。それと原始仏教1-3も。

無記の意図するところとは
   断定肯定することを認めない
   断定否定する事を認めない
です。どちらにも言及しなかったから肯定してもよいと考えるのは誤謬です。
また、無記を主張する事で断定肯定を批判する所見に対して「断見」だと判断するのはそれ以上に重大な誤謬に陥っています。

波木井さんへ
クリスタルさんがあなたのご紹介ということで見守ってきましたが、阿含宗乃至その流の人ではないのですか?

438 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 10:49
>阿含宗乃至その流の人ではないのですか?
>
これは自分から答えます。

きっかけについてはそうでした。
18歳位の若い頃ですから、今から20年ほど前のことです。
わずか約3年ほどして自ら退会して、それ以降は独学です。
(現在、特に仏教という枠ではもう長いこと学んではいませんが)

まぁ、当初から自分自身で桐山氏の話の信憑性を自らも確認したいという意味で、
中村、増谷、水野、奈良氏ら学者たちの書物も見ていました。
桐山詐欺師の暴露情報の類は当時、ちゃんと殆ど目を通しています。
で、似非宗教であると気づきました。退会当初の失望は大きかった。
しかし、阿含宗攻撃のような活動には、加わっていません。
(犠牲者を作らないためにといって活動する退会者がいるようですが・・)

私の理解の中にもし間違いがあるならば、どうぞご指摘下さい(尚、優しくねっ)。
自分が納得すれば、それを改めたいと思います。
これが、「改心=生まれ変わり」という奴でしょうか?(笑)

尚、特に阿含宗を擁護する意図もなければ、支持もしておりません。


この後、特に急ぎの質問等がなければ、投稿はさし控えたいと思います。
では、宜しくお願いします。

439 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 10:52
あれっ? 438と投稿する文書の順序を間違えました。
失礼しました。


>>437
どうも電波男Ψ(´д`)Ψさん、モーニングです。

エー、実は電波男さんと2CHで対話するのは、今回が初めてではありません。
2年くらい以前?だったと思います。
ただ、どこのスレッドで何を話したか、その時に使用した自分のハンドルすらも記憶喪失です。(笑)
もちろん原始経典というか、阿含経に関する何かであり、電波男さんから何かを教わった。。。(苦笑)
アルツハイマーのようです・・。

>ここでの阿呆陀羅経さんの発言には文献学的にも間違いはありませんよ。
はい。
>あと、私が言及している阿含宗スレッドもお読みください。それと原始仏教1-3も。
うわわわわっ。チト.....
>無記の意図するところとは・・・それ以上に重大な誤謬に陥っています。
はい、了解しております。

440 :名無しさん@3周年:03/08/31 15:22
さて、問題です。

クリスタル登場以降、437以外の電波男のじさくじえーんを指摘せよ


441 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/08/31 16:02
>>440
まっ、ジョークとしては2CHらしくもあり、楽しいけどぉ・・・。
たぶん、こういう人は自作自演なんてことは、しないんでない。
わざわざ別人を装って同意を示したり、応援、加勢の投稿をしたり。
或いは複数で相手にやりこめている状態を演じたり?

私は別のテーマ(仏教ではない)で2CHで投稿議論することがある。
過去には別ハンドル使用のこともあった。
しかし、何れの場合でもそのスレでは同一ハンドルの使用を守っています。
私はそういう裏工作のような真似は大嫌いです。
自分の主張に信念と自信があるならば、あくまで清々、堂々と議論に挑むべきです。
それで議論に負けたなら、それはしょうがありません。
そうでなければ意味などない。

にも関わらず、私の場合にも、
しつこく自作自演したなどといっては、頑として訊かない人がいましたね。

442 :名無しさん@3周年:03/08/31 18:42
電波男と阿呆陀羅經は同一人物。

443 :名無しさん@3周年:03/08/31 20:45
>>441
電波男は諸般の事情あって常に議論には勝っていなければいけないのだよ。
だから2ちゃんでのジサクジエンなんて全然平気だ。たぶんね。
あなたは自分のものさしで他人を測ろうとしているな。
悪い癖なんじゃないのか?
頭固いぞ。

444 :名無しさん@3周年:03/08/31 20:54
ようするに頭が固いのでしょう。
ここで勝ってなんの意味があるのでしょうか?

445 :名無しさん@3周年:03/08/31 21:02
勝って意味があるひともなかにはいるのだよ


446 :電話男Ψ(´д`)Ψ :03/08/31 21:04
誰か呼んだ?

447 :名無しさん@3周年:03/08/31 21:05
>>446
キャップつけて

448 :名無しさん@3周年:03/08/31 23:11
いつもは漠然と読み過ごしていたが、今回の阿呆陀羅さんのカキコは思いっきり
電波男さんとキャラがかぶっているなぁ。
>>427の去りかたなどそっくりだ(笑

しかし>>446の電話男はおもしろい!

449 :名無しさん@3周年:03/08/31 23:41
>>443
彼は普段は自作自演してないと思うけど、負けた時はしてるね。
いきなり権威者が現れて、最後に「電波男さん遊びにきてください!」とか。
しかも権威者たちは電波男に一切無視されるのに、何故か不愉快に思わない。
当然、権威者たちの知識が電波男を越えないのね。

450 :名無しさん@3周年:03/08/31 23:53
>>449
権威者ってたとえば?

451 :名無しさん@3周年:03/09/01 00:01
電話男は性格が単純だから。
すぐムキになるんだよね。どうでもいいことなのにさ。

452 :名無しさん@3周年:03/09/01 00:37
>>450
http://academy2.2ch.net/philo/kako/1035/10350/1035051867.html
これの言語板住人とか


453 :名無しさん@3周年:03/09/01 13:19
>>449
いっつも自作自演してたら病気だって(笑


454 :名無しさん@3周年:03/09/01 17:22
え、病気じゃないとでも?

455 :名無しさん@3周年:03/09/01 19:42
まさか、>>454も電波男・・・

456 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/01 19:50
阿呆陀羅經さんと電波男さんは別人物。

だいたい阿呆陀羅經さんは最近、YAHOOチャットの創価公明出張所によくきていますよ。

馬鹿馬鹿しい邪推をするやつがいるもんだね。だいたい文体が違うじゃないか。

457 :名無しさん@3周年:03/09/01 19:53
阿呆陀羅經って創価なの? 批判側?

458 :名無しさん@3周年:03/09/01 20:01
>>456
>だいたい阿呆陀羅經さんは最近、YAHOOチャットの創価公明出張所によくきていますよ。
電波男が行っちゃいけないの?

>だいたい文体が違うじゃないか。
文体変えなきゃ自演にゃならんて。

火の無いところに煙はたたぬとはよく言ったものだ。
自業自得ともいう。

459 :名無しさん@3周年:03/09/01 20:36
「(自分以外、どいつもこいつも)アホだらけ」ってコテハン付けたところで強力な電波の自意識を感じるわな


460 :名無しさん@3周年:03/09/01 22:47
>>456
>阿呆陀羅經さんと電波男さんは別人物。

別人でここまで物言いが似てくるとは恐ろしいことじゃ。(電波と阿呆陀羅のことね)
憑依されたのかの?

461 :名無しさん@3周年:03/09/01 23:45
つーか
文句ばっか言わずに、サラッと論破出来る奴いないのか?

462 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/01 23:45
くだらねえ奴が世の中にはいるもんダ。

463 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/01 23:46
まあ、そろそろクリスタルさんにタオル投げ込む準備しなくちゃなぁ。

464 :名無しさん@3周年:03/09/01 23:48
まっ、世の中嘘吐きが多いってことさ!

465 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/02 00:31
また成りすまし疑惑ですか。。。。。

以前はベロさんだとか誰かが言ってましたよね。

いい加減、ウザイんですよ。

議論できないんでしょうかね。

466 :名無しさん@3周年:03/09/02 03:22
デムパとアホウダは全然違うでしょ。

467 :名無しさん@3周年:03/09/02 09:00
誰か、リモホ表示のあるとこへ電波と阿保誘導してみたら?


468 :名無しさん@3周年:03/09/02 20:48
つまりなんだ、あほだらが10日間不在だってんだから、その間に電波がどれだけ書くかでアリバイになるんじゃない?

469 :名無しさん@3周年:03/09/02 21:07
>>468
なんねーよ

470 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/02 23:21
成りすまし詮索する暇があれば、内容についてコメントしたら?
これ以上荒らすな。

471 :名無しさん@3周年:03/09/02 23:46
>>470
>成りすまし詮索する暇があれば、内容についてコメントしたら?
>これ以上荒らすな

あなたもね(w


472 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/03 00:06
皆さん、こんばんは。

PS:すいませんが、まだ各スレの過去ログは読めていません。
   これは相当、お時間を頂きます。


>>463 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講
>まあ、そろそろクリスタルさんにタオル投げ込む準備しなくちゃなぁ。
これは、ジョークのつもりなのでしょうか?
------私は本当に、
      面白くもなんともありませんよ・・・。波木井さん。

 私は暇つぶしのために、ここへと参加を始めたのではありませんよ。
 自己の若輩者たるを自覚しながらも、それなりの覚悟を以ってやってきたのです。

 私が主張していることについて、うやむやなままで放置されてしまっては困ります。阿呆陀羅經
さんは10日前後不在のようですが、帰宅後には明確に返答を貰いたいものと思います。つまり、
私が仏陀の説いた再生誕を示すものとして提示したその根拠としての経文( >>329-330 )に対し、
それは再生誕を意味しない。それは別の方便を語ったものであるというのですから、ではそれは
一体何んのことを話したのか? と私は問うているわけです。もしも同一意見ならば、回答は電波
男さんからでも、波木井さんからでも構いませんよ。
 その回答が本当に妥当なものであるかどうかについては、私は然るべきところに確認させて頂
きます。我が国の仏教学の権威とはどこ? 佛教大学仏教学会? まっ、これも聞けば分かりま
すね。

473 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/03 00:06
 それから、私が紹介抜粋した中村 元著『原始仏教---その思想と生活』( >>430-431 )について
のご意見も、まだなんら貰っていません。高価な文献などはなかなか買えないので、これなどは定
価700円ですが、仮にも日本が誇るインド/仏教学における世界的権威者がNHKをソースに一般
へ向けて解説したものです。デタラメでは困ります。要点を纏めますが、要するに私がいっているこ
とと全く同一のものです。もしも、これも再生誕のことをいっていないというのならば、何の解説なの
かを説明して下さい。これも合わせて確認したいと思います。故・中村氏の在籍は東方大学/東方
学院でしたね。
 参考: 
  「現代のブッダ逝く--中村元さんを偲ぶ」 http://www.st.rim.or.jp/~success/nakamura_hajime.html
  「中村元先生、逝く」 http://www2s.biglobe.ne.jp/~posteios/PROJ_B035.htm

1)このような考えを受けて原始仏教においても、人間が生まれ老い死ぬこと、そしてこの過程を無
 限に繰返すこと、それを「輪廻」(流転、生死)と呼んでいた。
2)この輪廻のすがたを如実に知った人が、ブッダ、目覚めた人(buddha 仏)である。
3)解脱した人には現世も来世も存在しないということは、インド一般に諸宗教を通じての理想であり、
 ジャイナ教や叙事詩にも説かれているが、原始仏教はそれを受けているのである。
4)聖者の身体は、永遠の昔からの永劫の輪廻の過程における最後の身体であり、これは最後の生
 涯である。今や再び後に生存に入ることがない(仏典)

474 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/03 00:08
★ 私からの提案です。

 今回、私は阿呆陀羅經さんとの間でお互いの意見を交わしてきました。「無我」とはアートマン存
在を否定しているのではなく、単に“それらはアートマンではない”という「非我」を意味するものとし
て、これはある程度の意見の一致が得られるように思います。(尚、アートマン存在に対しては、た
だ無記の態度しか示さなかったのか、或いは肯定的な見解も示したのかどうかについては、またこ
れも後ほどやりたいと思います。)

 ところで、人間という存在は「再生誕を繰り返しているのかいないのか?」 これについてのゴータ
マ仏陀の示す見解は、果たして「肯定であったのか、それとも何も答えなかったのか(或いは否定
した・・)」という問題は、仏教という観点においては大変重要なものです。
 何故ならば、人間は業報による再生誕を繰り返えしている存在であって、仏教とはその事実を示
すと共にその原因を解き明かし、この業報輪廻からの解脱を目指すことを教えるものだからです。
しかしながら、このような私の仏教観(理解)に対して、人間は再生誕などしていない。もしくは仏陀は
それを認めてなどはいない、として阿呆陀羅經さん及び電波男さんらは主張しています。もしもその
ことが本当に正しいとするならば、これこそ仏教思想というものが根底からひっくり返るほどの大問
題であることを意味しています。
 よって私は、その答えが本当にどちらなのか、ここでハッキリと判明することを強く希望します。細
かいことはいいです。人間は再生誕しているものとして仏陀は教えたのか否か? この点について
是非、ここで決着をつけたいものと思います。

475 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/03 00:16
 結果、もしも私の主張が間違っており、「人間が再生誕を繰り返しているなどと仏陀は教えなかった」
ことを本当に認めざる得なくなった場合には、自己を反省した宣言文をここ2CH「心と宗教」板の現存
する仏教関係スレに貼り付けると共に、今後は同様の誤った主張は二度と行わないことを私は宣言
致します。
 対象は仏教関係の10スレッド(仏教関係スレが不足の場合はその他を含む)とし、自分が反省宣言
文を貼り付けたスレッドのアドレス10箇所をここに列挙して、それがドコドコなのかを確認できるよう
にします。当然このスレッドでも宣言しますが、その他に更に10スレッド行います。


以上です

476 :名無しさん@3周年:03/09/03 00:28
クリスタル氏はもすこし頭やわらかくすべし。

477 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/03 00:30
>>474
> しかしながら、このような私の仏教観(理解)に対して、人間は再生誕などしていない。もしくは仏陀は
> それを認めてなどはいない、として阿呆陀羅經さん及び電波男さんらは主張しています。もしもその
> ことが本当に正しいとするならば、これこそ仏教思想というものが根底からひっくり返るほどの大問
> 題であることを意味しています。

もしそのようにしか読めないのなら、私があなたに言った事は全て無意味になります。また現時点でのあなたの
読解力と思考力では佛教論理の読み解きは絶対に不可能です。かなりの思い込みと偏見がありますしね。

原始仏教1.2.3を読みましたか?阿含宗スレッドで私が発言したところを読んでみましたか?

それと権威によりすぎていますよ。よるのは好いとして、中村先生の原始仏教理解はあなたの想像しているもの
とかけ離れています。「転生輪廻を無視するために出家したのと違うか」とまでおっしゃっていましたよ。またそれに
近いことは選集の中にも言及しています。

> よって私は、その答えが本当にどちらなのか、ここでハッキリと判明することを強く希望します。細
>かいことはいいです。人間は再生誕しているものとして仏陀は教えたのか否か? この点について
>是非、ここで決着をつけたいものと思います。

これに答えを与えるとすれば、否ですね。再生誕しないと言うわけでもありません。念の為。

478 :名無しさん@3周年:03/09/03 01:16
不思議だ。>>437でクリスタル氏に「はじめまして」と言っている電波男が、>>477では
「私があなたに言った事は全て無意味になります」と言っている。437読んだだけで
そういう話になるのか?


479 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/03 01:36
>>478
無駄な発言番号消費つまり、共有財産の無駄遣いは止めてくれないか?
私の言いたいのは>>437における。

>無記の意図するところとは
>   断定肯定することを認めない
>   断定否定する事を認めない
>です。どちらにも言及しなかったから肯定してもよいと考えるのは誤謬です。
>また、無記を主張する事で断定肯定を批判する所見に対して「断見」だと判断するのはそれ以上に重大な誤謬に陥っています。

に端的に要約されています。これが理解できないのなら静観するか、質問するかして内容にかかわってきて下さい。
非常に不愉快です。

480 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/03 02:07
>>479
はい、大丈夫です。
そのように理解しています。

原始仏教1.2.3は、断片的には見ています。
また、阿含宗信奉者に対する批判や各指摘も見たことがあります。
すみませんが、ちゃんと全部に目を通したいと思います。

エーと、それと>>472-475ですが、
何か、「これ以外は絶対に認めないぞ!」
的な印象を与えるものになってしまったようです・・・。
これでは、反対意見を持っている人がいても投稿し辛くなりますね。
私は基本的に、複数の異なった意見が交わされる世界をそもそも健全なものとして見ています。
私と異なる見解の方がいても当たり前であり、それ自体は全く構わないものです。
お互いの意見を交換し合うことが、互いに益のあることです。

電波男さん阿呆陀羅經さんをはじめ、
皆さんそれぞれに、私の知らないことも沢山ご存知です。
別に喧嘩に来たわけではありませんので、
お互いに意見を交換して交流し、良き学びの機会にしたいと思います。

ということで、
失礼します。ペコリです..

481 :名無しさん@3周年:03/09/03 11:52
>電波男さんへ
>「転生輪廻を無視するために出家したのと違うか」とまでおっしゃっていましたよ。

中村先生の上記の発言はどこでなされたものなのでしょうか?
確認可能ならば、確認してみたいと思うのですが、お教え願えますでしょうか?

482 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/03 16:08
日本において仏教学の権威だとか仏教大学がどうのとかそういう権威をみんな大嫌いだと思っている
人ばかりですよ。

483 :名無しさん@3周年:03/09/03 16:52
負け犬だから?


484 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/03 20:59
>>482 私も基本的には、「権威」ウンヌンなどは好きではありません。

 旨くはいえませんが、それは「権威によって」信じるのではなく、当然、その内容によって自分自身で
納得することができて受け入れる、ということをいっています。しかしながら殊、仏教という場合は特に
信仰の世界においてはメイメイ全てがバラバラです。私は信仰することとは、想いが一方へと「偏ること」
であると理解しています。そういう意味では仏陀が「信仰を捨てよ」といったのも、なるほどというものです。
 『ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信
仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。』(スッタニパータ:1146)

 それぞれ自分の好きな信仰(何宗何派)をするのはご自由だけれど、このように自分の信仰の色で
偏極しているところからは、とても信頼できる仏陀の話を知ることは難しいでしょう。つまり、信仰の色
に染まらず、偏りの少ないところへと話を求めるべきでしょう。そういう意味において、信頼できる仏陀
についての情報は、信仰ではない学術的な近代仏教学へと頼らざる得ないことになるのです。それで
も尚且つ、中には、個々の学者によっては偏った見解を教えている方もいる・・・。だから私は、個人の
偏りではない仏教学の成果として統一見解に達しているところという意味で、つまり、「仏教学の権威」
というものに信頼性を求めたいといっているのです。分かりますでしょうか?
 古代から永きに渡る伝説と信仰のペールを剥ぎ取って、当時の真実に迫ることを可能ならしめるも
のは、信仰に拠らない「仏教学」の研究成果、以外にはないのです。

485 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/04 03:29
昼と夜。表と裏。有と無。
すべて、この対極を考える人の能力が根本であり
発展して、論理的思考も出来るようになったとおもうのです。
ところが、根本は矛盾したものであるから、論理だけで考えれば考えるほど
逆行していると思うのです。

ほとんどROMってませんが、クリスタルさんは、
有と無で考え、そして有を追求しているように感じております。
有の追及の最たるが、現代科学かもしれません。
当時のインドでは、輪廻転生が最たるものであったと思うのです。

凡愚が無知たる所以は、黒白はっきりすると気持ちが良い。
これだと思います。
逆に、白黒から急に目を背けたら、訳がわからなくなる所が
難しいところだと思います。
そうでなければ、仏教学者はみんな悟りを開いてると思います。

486 :名無しさん@3周年:03/09/04 08:49
【 法脈調べ 3 】

 禅宗(朝鮮半島に700ごろ伝来)
 南宗禅(道義により821に伝来)
>天台宗(高麗天台宗の祖・義天1055−1101華厳も説く)
>曹渓宗(宗祖・知訥1158−1210慧能を尊ぶ朝鮮禅)

中国天台宗第三祖・智[ちぎ]538−597(「五時教判」『法華玄義』『摩訶止観』など)
日本天台宗の祖・最澄767−822(入唐804−805,中国天台宗から独立806)
日本真言宗の祖・空海774−835(入唐804−806,中国真言宗第八祖,開山816)
日本臨済宗の祖・栄西1141−1215(入宋1168,87−91,相見,上洛1194)
日本曹洞宗の祖・道元1200−1253(入宋1223−27,相見,開宗1227)
[臨済と浄土]黄檗宗の祖・隠元1592−1673(明から来日1654,開山1659)

参考:
 佛教小年表 再訂版 三枝みつよし著 大蔵出版株式会社 先生すみません漢字変換不可。
 BooksEsoterica第3号 禅の本 学研


487 :名無しさん@3周年:03/09/04 08:50
【 法脈調べ 1 】

玄奘(600−664,印度留学629−645)は
義浄(638−713,印度・南海から帰国695)じゃ
なかったチョー誤読スマソ。
鑑真(688−763,754日本へ四分律宗を伝来)

禅宗
 菩提達磨[ボーディダルマ]『絶観論』
     南朝・梁・武帝の治世のうち504−538に渡来
 崇山少林寺([すうざんショウリンジ]河南省洛陽)元の時代1225に曹洞宗が多く住する。
 福建少林寺(福建省)
南宗禅(法眼文益885−958の提唱、五家七宗)広東・曹渓山
 六祖慧能638−713『六祖壇経』
洪州宗
 智炬???−???,801『曹渓宝林伝』法脈図の書
  南嶽の馬祖道一709−788(四川省漢州から湖南と江西で修行し江西で入寂)
  青原の石頭希遷700−790(広東省端州で姓は陳、江西で修行し湖南で開山)
荷沢宗[かたくしゅう]
 荷沢神会668−760(かたくじんね・洛陽、人材が集まらず北宗と[名のみ]残る)
牛頭宗
 牛頭慧忠の牛頭禅を
 日本天台宗の祖−最澄と弟子−円珍、日本真言宗の恵雲が学ぶ。

※差し替え・・・人材が集まらず北宗と[大蔵経に]残る・・・

488 :名無しさん@3周年:03/09/04 08:51
【 法脈調べ 2 】  投稿者:あのkun  投稿日: 6月 7日(土)19時48分55秒

曹洞宗
 南嶽懐譲677−744(曹洞宗・法眼宗・雲門宗)湖南省
 薬山惟厳751−834
 洞山良价807−869『宝鏡三昧』
 曹山本寂840−901
 宏智正覚1091−1157
                               ※位置変え
雲門宗
 趙州従念778−897「趙州無字」趙州狗子(じょうしゅうくし)の公案
 雲門文堰864−949,呉越(浙江)嘉興の生まれ南漢(広東)雲門山で開山
 円通法秀1027−1090,普明版『十牛図』
 廓庵師遠11−12世紀『十牛図』
 雪寶重顕1017−1021「頌古百側」第三祖・四川省遂州の生まれ
     修行を浙江省明州(寧波)し浙江省雪寶山を開山

臨済宗
 青原行思???−704(臨済宗[楊岐派・黄龍派]・為仰宗)江西省
 黄檗希運???−855『伝心法要』
 臨済義玄814−867『臨済録』
 楊岐方会992−1049,江西省袁州
  園悟克勤1063−1135,1125『碧厳録(へきがんろく)』
      雲門「頌古百側」を基に唐・宋の古人の理法から千七百則の公案
  大慧宗杲1089−1162
 黄龍慧南1002−1069,江西省信州
 無門慧開1183−1260,南宋−浙江省東嘉−竜翔寺1228『無門関』
     雲門「趙州無字」を第一則とする。

489 :名無しさん@3周年:03/09/04 08:52
ひょっとすると。
山西省の五台山の寺院群でする禅だろう。その中国北部の禅の質問は?
調べないとなんとも。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
天台宗(「安般守意経(数息観)」・「般舟三昧経」330-440北朝−翻訳・
  「坐禅三昧経」344-413南朝−翻訳・
  「摩訶止観(前代未聞)」湖北玉泉寺の第三祖大師智・湖南の師匠禅師の行法説明)
 玉泉寺は関羽将軍の怨霊が出没したが禅師の諭しによって成仏し関帝になった伝説の寺。
   (538智の五時教判 1.華厳経 2.阿含経 3.般若経 4.浄土経 5.法華経)
    三乗方便(あらゆる人の教え)・一乗真実(法華経の教え)
三論宗(南朝−湖北・安徽、のちに南宗禅の南嶽慧思に師事する者を輩出)
地論宗(世親の唯識「十地論経」洛陽)
成実宗(「涅槃経」「成実論」「華厳経」562-645、北朝−敦煌石窟−五台山華厳・敦煌禅宗)
禅宗(菩提達磨538山林−遊行「二入四行論(以心伝心・壁観)」「金剛三昧経」「洛陽伽藍記」)
禅宗(都城−定住、長安)
南頓派(南宗禅 広東−曹渓山−慧能以降−五家七宗)と
北漸派(北宗禅 敦煌本・朝鮮本−神秀以降の数代「宝林伝(禅宗系図)」)
華厳宗(602智厳の五教教判 1.小乗(阿含) 2.大乗初教(唯識) 
    3.大乗終教(如来蔵) 4.頓教(東山法門−北宗禅) 5.一乗(華厳思想))

参考: 禅の歴史 伊吹敦 法蔵館 3800円+税
    佛教小年表 再訂版 三枝充ヨシ 大蔵出版株式会社 900円+税
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敦煌本から見れば、中国北部は北宗禅。華厳経の研究が盛ん。

ただし、モンゴル族の元王朝の時期に、
山西省の五台山はラマ教化し、河南省の洛陽は南宗禅の曹洞宗の寺が多くなった。
少林寺拳法で有名な崇山少林寺は洛陽近郊の寺。

490 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:02
【 韓国の宗教調べ 1 】

1998年 現代韓国 総人口約4千万人
儒教 17% 先祖供養・法要・葬式[・風水土葬]をする(黄海道−京畿道−忠清道)。
仏教 37%
 5大宗派 日本のような寺請制度(宗門改め)はなく墓の管理や葬式はしない。
 ○曹渓宗(宗祖・知訥1158−1210 慧能を尊ぶ朝鮮禅・全羅道)
 ○太古宗(曹渓宗と違い 妻帯を許す朝鮮禅・全羅道)
 ○大韓法華宗(日蓮宗って名乗れないから? 大韓毎日新聞[大韓SGI創価]ってあるよね。)
 ○総和宗
 ○天台宗(高麗天台宗の祖・義天1055−1101華厳も説く・平安道−咸鏡道−江原道)
 ほか○華厳宗(新羅の王室の宗派・慶尚道)○浄土[宗]○真[義宗]などニ十数派。
キリスト教
 プロテスタント 25%
 カトリック 4.5% 推定200−180万人
諸教
 円仏教
 天道教(東学党の末裔・三一独立運動−暴動の拠点)

中村元先生の選集などによる。

491 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:03
【 参考資料 】

ビジネスガイド 韓国 ジェトロ ¥2000 1993年10月31日発行
p7 表3 宗教人口比率
_______ 1985_ 1991_ 推定換算
プロテスタント_ 37.7% 34.4% 約1600万人
カトリック___ 10.8% 10.6% □約440万人
仏教_____ 46.9% 51.2% 約2200万人
儒教_____ 02.8% 01.8% □□約85万人
円仏教____ 00.5% 00.6% □□約22万人
天道教____ 00.2% 00.3% □□約11万人
その他____ 01.1% 01.1% □□約43万人

在留邦人 1992年10月01日現在 □□□6,864人
在日韓人 1992年12月31日現在 69万3,050人(北朝鮮国籍含む)

韓国全土の人口が4326万8000人(1991) ジェトロ版
_ソウルの人口が1077万6201人(1995) 紹介ホームページ版

ちなみに日本のカトリックは約44万人で、韓国のカトリックの十分の一の人口。

日本の人口。
総人口:1億2,753万人 男性:6,229万人 女性:6,524万人

492 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:04
【 朝鮮半島の宗教の流れ 】

新羅:華厳宗(法華経と華厳経で仏教の教学体系を二分している)
高麗:曹渓宗(朝鮮禅 華厳の教判で頓教と呼ぶ)
高麗:高麗天台宗(天台教学で華厳を説く。本来一乗真実は法華経だが禅教一致の為。)

李氏朝鮮:儒教−朱子学
李氏朝鮮:民間道教
李氏朝鮮:弥勒信仰(末法が終末思想にヘンゲし朝鮮キリスト教へ)
李氏朝鮮:東学党(日帝の時期に天道教へ)

大韓帝国:北京からの天主教(フランス−カトリック)
大韓帝国:アメリカ−日本からの基督教(プロテスタント)の開化党
日帝(総督府時代):檀君信仰

大韓民国:統一協会(北朝鮮生まれ文鮮明・教祖)
大韓民国:長老教会(アメリカ−プロテスタント)
大韓民国:聖霊派教会(バプテスマと按手の強調の教会)
大韓民国:サレジオ会のイタリア−カトリック教会
大韓民国:天道教(東学党の末裔)
大韓民国:太古宗(曹渓宗の禁忌を再考した妻帯許可の古いタイプの禅宗)

493 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:05
【 参考資料 】

ダイソーポケット辞書シリーズ16 日常会話韓国語 監修:牛尾恵子 大創出版

p198 ●ソウルと釜山に人口が集中
・・・南北間が約1000km、・・・人口は4,600万人程ですが
首都ソウルに全体のおおよそ4分の1おり、釜山の650万人を合わせると
半数がこの2つの都市に集中しています。・・・

p210 ●今も健在な儒教の心
 14世紀末(1370年以降)に成立した朝鮮王朝は、
それまで共存していた仏教を排除し儒教の朱子学を国教としました。
現在では仏教徒、キリスト教徒(プロテスタント、カトリック合わせて)
それぞれ1100万人ぐらいで、宗教人口(約2,400万人)を2分しており、
儒教信奉者は数字の上ではごく少数にしかなりません。・・・
・・・秋夕(チュソク)・・・ この先祖を祀る・・・祭祀(チェサ)・・・
・・・日本の法事のように・・・親戚が集まります。・・・
・・・独楽鼠(こまねずみ)のように運び役・・・
・・・私絶対韓国の男性とは結婚しないわと決心する若い日本女性たちが・・・
・・・今は・・・お嫁さんのご機嫌を伺って・・・人さえいます。

カキコ註: 若い日本女性=[若い]在日朝鮮−創価−帰化女性[のこと]

 とすると、ソウル1077+プサン650=1727万人で、
4600万人中の37.5%の人口。
 仮にキリスト教徒が都市部[芸能界など]だけを[基督教が]制圧して約4割もいたとしても、
[故郷である]韓国の農村部は依然として儒教と仏教の混合の習俗で生きていると思われる。

494 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:24
>仏教って英雄崇拝だろ?

英雄崇拝でない。ヨガで梵我一如を悟る。解脱する。

@バラモン教・ウパニシャッド[奥義書]
(ホーマー[護摩・祈祷]・ヨガ[準備体操・食事制限・瞑想])

A仏教(根本仏教・説一切有部の仏教
・上座部[南伝]
と大乗仏教[北伝:初期大乗−浄土思想・観音信仰・経典&塔婆崇拝 
 中期大乗−ヨガ行・唯識・弥勒信仰]
・金剛乗[北伝:後期大乗−密教・加持祈祷]とラマ教[チベット仏教])
・ジャイナ教

Bヒンドゥー教
 1.シバ派[リンガ(不動明王)]・
 2.ビシュヌ派[ラーマ・クリシュナ(13番目の化身ブッダ)]・
 3.ブラフマ(梵天)ラクシュミー(吉祥天)
   サラスヴァティー(弁天)ガネーシャ(聖天)など、その他

495 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:24
【 仏教の「お経や経論など」の大雑把な歴史 1 】

BC383年ごろ、第一回結集、経と律で、九分教十二分教に整理される。
BC260年ごろ、説一切有部などの部派仏教の成立。
        阿含経(法句経・スッタニパータ・ジャータカなど)
BC160年ごろ、ミリンダ王の問い「那先比丘経」
BC100年ごろ、ストゥーパ(塔)崇拝、アジャンタ石窟はじまる。
AD001年ごろ、大乗仏教(初期大乗)はじまる。
AD130年ごろ、般若経・維摩経・法華経・華厳経・浄土三部経・座禅三昧経
AD150年ごろ、ナーガールジュナ(竜樹)の中論頌
AD170年ごろ、第一中期大乗の勝曼経・大般涅槃経・解深密経・弥勒三部経
AD200年ごろ、仏像彫刻はじまる。
AD350年ごろ、マイトレーヤー(弥勒)のヨガ師地論・宝性論
AD390年ごろ、アサンガ(無著)の金剛般若経
AD400年ごろ、ヴァスバンドゥ(世親)の倶舎論・唯識三十論・仏性論・浄土論
         第二中期大乗の薬師如来本願経・地蔵菩薩本願経・孔雀王呪経
AD500年ごろ、ブッダパーリタ(佛護)の中論註
         グナマティ(徳慧)の唯識三十頌釈
         ダルマパーラ(護法)の成唯識論
AD600年ごろ、玄奘三蔵の印度旅行(629−645)
         金剛乗仏教(後期大乗・密教)の大日経
AD650年ごろ、金剛頂経
AD700年ごろ、シャーンタラクシタ(寂護)の中観荘厳論・菩提心観釈
AD900年ごろ、中観ヨガ派
AD1000年ごろ、時輪タントラ(1027−1087)
AD1203年ごろ、イスラム教の寺院の破壊が開始。

496 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:27
【 仏教聖典(仏教伝道協会) 】
法句経
 もろもろの悪をなさず、もろもろの善を行い、
 おのれの心を浄くす。これ諸仏の教えなり。(一八三)
●南北時代の中国の天台宗第三祖 天台大師 智凱(ちぎ)弟子記述。
○天台小止観 関口真大訳 大東出版社
序 
諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教
諸(もろもろ)の悪いことは作(な)すことなかれ
諸の善いことは奉行(ぶぎょう)せよ
自からその意(こころ)を浄(きよ)うする これが諸仏の教である。

●華厳五教章(法蔵・著)で「宗教」という熟語が初めて出てくる。
「宗」は宗旨を指す。奥義や要理を意味する。「教」は説教を指す。
○中論(中観論頌)竜樹の主著、中頌(ちゅじゅ)450(げ)。
  中国・日本では青目(しょうもく)注釈になるもので、〈中観論〉ともいう。
  中道による空観理論をもって、実在主義的主張を批判し、
  大乗哲学の基礎となった。27章からなる。
  因縁・如来・四諦(したい)・涅槃(ねはん)の諸章は有名。
  ひろく運動・感覚・業・時間などにわたって 仏教としての課題を論じている。
○中観(中観論頌)の略。

497 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:28
●倶舎論 仏教講座18 桜部 建 著 大蔵出版株式会社 
分別賢聖品第六 諦 三賢・四善根 見道・修道
p202 不浄観・持息念(数息観)が止(奢摩他しゃまた、心の静止)
・・・四念住(四念処)は観(毘婆舎那びばしゃな、智恵による観察)
●大乗仏典 中国・日本篇 6摩訶止観 中央公論社
p288 毘婆舎那びばしゃな(音写語。正しい直観、観)は、
よく煩悩を破するけれども、
奢摩他しゃまた(音写語。散乱したこころを制御して静める、止)の
力をもちいて 正しい知見を助けるのが普通である。
p289 根本四禅(禅観の基本・・・初禅から四禅まで)
p9 序章 第一節 序分 第一項 縁起 〔止観明静〕〔前代未聞〕
p98 四種の聖なる悟り〔四果四向〕・・・三十七種の悟りにいたる方法〔三十七品〕

498 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:33
★ブッダの瞑想 須田道輝 柏樹社 p83−85 
第四章 心の集中法  1 三十八種の行法 

「そのとき正師は、その者の所行を観察して、三十八行を授く」(分別行処品第七)
(サーリープッタ(舎利弗)尊者の仏陀への訪問の話。)
三十八行は三十八行処(ぎょうしょ)ともいい、南伝では業処(ごっしょ)と訳されています。
行処とは、禅定を修習するとき、それに心を集中するものを意味します。 
十一切入(じゅういっさいにゅう) 
 地・水・火・風(四大)・青・黄・赤・白(四色)・空処・識処 
十不浄想 
 肉体が腐敗して白骨化するまでの観想 
十念 
 仏・法・僧・戒・施・天・死・身・数息・寂々 
四無量心(しむりょうしん) 
 慈・悲・喜・捨 
観四大 食不浄想 無所有処 非非想処 
・・・・・・
ここでは四色のうち一色と空処(限定虚空)の観法、
十念のうち念仏の観法と念数息ねんすうそく(安般あんぱん)とを取り上げ・・・
・・・『解脱道論』『清浄道論』は最高の価値をもつものです。

499 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:33


★ブッダの瞑想 須田道輝 柏樹社 p114−115 
第五章 安般法(アーナーパーナ)  1 出入の息を観る 

「念安般(ねんあんぱん)とはなにか。
安とは入であり、般とは出を意味する。出入りにおいて念ずるものである。
かの念は随念(ずいねん)・正念(しょうねん)である」(行門品第四) 
安般(anapanaアーナーパーナ)の安(ana アーナ)は入息を意味し、 
般(apana アパーナ)は出息を意味します。これを一般には数息観(すそくかん)といい、
息を数えて心を静寂に導くものとして、仏陀時代から修習されている行法でした。
禅宗系統でも、・・・・・・瞑想の基本的観法(かんぽう)です。
・・・・・・経典にもかなり詳細に説かれています。
 雑阿含経 第二九 安般品(あんばんぼん) 
 南伝相応部 第一〇 入出息相応 
 南伝中部 第一一八 入出息念経 
・・・阿難陀は・・・不浄観を修習した弟子が自殺したことを正直に話しました。 
それから初心の弟子たちには不浄観ではなく、・・・・・・安般法を開示されたといいます。

500 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:34
・・・
@ブッダの瞑想 須田道輝 柏樹社 A瞑想と精神世界事典 瞑想情報センター[編]自由国民社
B【実践】瞑想と呼吸法 心を整える釈尊の知恵 田中成明 朱鷺書房 
C魂の科学 スワミ・ヨーゲシヴァラナンダ著 たま出版 D密教ヨーガ 本山博 宗教心理出版 
E寂静と明晰 ラマ・ミパム著 ダルマ・ワークス発行 F仏教思想8解脱 仏教思想研究会編 平楽寺書店 
G凡夫が凡夫に呼びかける唯識 太田久記 大法輪閣 
H『法相二巻抄』を読む 唯識とは何か 横山紘一著(東大印哲・立教大教授)
I原初の仏教 臣新蔵 けいせい出版 Jブッダのカルマ論 浅野信著 たま出版
・・・
K阿含経典 第一〜四巻 増谷文雄 筑摩書房 L阿含の詩 文・山田巌雄 すずき出版 ・・・
・・・

【 占星術 関係本 紹介 】
仮面と素顔 彼の本心がわかる 居鈴麻平 朝日ソノラマ 2000円 
占星学教本 流智明 JICC出版 1650円 
恋愛術 大人のための占星学 山屋正美 WAVE出版 1800円  
魂の西洋占星術 鏡リュウジ 学研 1000円 
最新占星術入門 松村潔 学研 1800円 
七曜に隠された 運命神号 岡野猛・著 グリンーアロー出版社 790円 
二十七占星術 六害宿 武光誠 カッパ・ブックス 光文社 770円 
ラマ密教による2001年までの 運命の占い方 上坂辰 KKベストセラーズ 1300円

501 :名無しさん@3周年:03/09/04 09:35
原始佛教 U

995 名前:ろんぎぬす ◆/UlxLqTUjM :02/10/26 10:41
>ブッダのカルマ論 浅野信著 たま出版 
>ブッダの瞑想 須田道輝 柏樹社 

ご著書とかいうキリヤマ本ではない事は確かですからね。
平河出版とか阿含宗?宗務局出版局の著書でもありません。
彼等が阿ゴン宗の本尊供養とか財施に関係なく 独自で勉強した結果ですから。
私は2chで紹介で貢献ですが。

彼等のような阿含経や修道論に関する仏教の実践の逸材が 
阿ゴン宗の会員には居ないわけです。
居てもいずれは退会して 独自に勉強し修行し大成していくわけです。

502 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 10:43
大蔵経が中国版で、聖書の聖句サーチのように
インターネットで検索できるのが分かったもんで
感謝しています。ありがとう。

さて、感謝の後に批判になって申し訳ないですが。
「キリスト教」で「聖書だけ」読んで、
都合の良い箇所だけで論じてもショウガナイですよ。
教会の牧師や神父・修道士(シスター)の発行する
「解説書(カテキズムとか要理集)」や
聖書や聖人の会議や神父や司教が教会で決定した
「儀式の規則(典礼など)」とか「宣言文(信条など)」とかも
勉強しないとキリスト教をやった事にならないわけです。

それと同じように「仏教」も「お経だけ」読んでもショウガナイわけで、
キリスト教会にあたる僧伽?(そうぎゃ)という仏教団体に属して、
受戒というキリスト教の洗礼にあたる事を
「和尚(おしょう)」や伝法・教授の「阿闍利(あじゃり)」から受けて
初めて仏門の徒に仲間入りな訳です。

たとえば勉強するなら
「聖書」の解説書が「聖書注解書」「要理」「カテキズム」「聖書辞典」ならば、
「阿含経」の解説書は、スリランカ[セイロン]の「清浄道論」や
教理の概要を理解するのに「摩訶止観」「小止観」「倶舎論」なわけです。

503 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 10:44
>502
>聖書や聖人の会議や神父や司教が教会で決定した

聖職者も聖書にあるイエス・キリストに弟子ペテロや使徒パウロ以下、
初期の教会史に書かれてあるような
初期迫害でエルサレムの城壁から突き落とされ集団で棒で殴り殺された
ユダヤのエルサレムのイエス・キリストの兄弟ヤコブ司教[=主教・監督]や
初期迫害でローマで猛獣に食われた
シリアのアンテオケの聖イグナチウス司教[=主教・監督]や
初期迫害でローマで火あぶりで骨を残して骨[・遺物]崇敬の元祖になった
現在はトルコの小アジアの司教[=主教・監督]ポリュカルポス
などに連なるペテロから受け継がれた聖職者たち、
つまり西ローマの現ローマ教皇や
東ローマのロシアのモスクワ総主教アレクセイ総主教に連なる神父の指導を
受けないとイケナイわけです。

504 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 10:45
>502
>インターネットで検索できるのが分かったもんで

中華電子佛典協會簡介----CBETA
http://ccbs.ntu.edu.tw/cbeta/intro.htm
CBETA 數位藏經閣 大正藏經文目
http://ccbs.ntu.edu.tw/cbeta/result/taisho.htm
CBETA T02 No. 99 《雜阿含經》
http://ccbs.ntu.edu.tw/cbeta/result/T02/T02n0099.htm
CBETA No. 99《雜阿含經》卷13
http://ccbs.ntu.edu.tw/cbeta/result/app/T02/0099_013.htm

ブッダ最後の旅 A『大パリニッバーナ経』等より
http://www2.big.or.jp/~yba/asia/nehan02.html

四向四果
http://oak.zero.ad.jp/padoma/main/butukyo/yougo/4kou4/4kou4ka.htm

ご馳走様でした。が言えれば良かったんだけどね。。。

505 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 11:11
【 日本の仏教者の正統系譜 】

(オウム・創価学会・阿含宗・WMなど、読書から思いつきで開く新興宗教ではなくて)

インド釈迦→ガンダーラ・西域の北伝−スリランカ・タイ[シャム]の南伝→
 魏晋南北朝に西域−南洋より来た仏教徒→隋−唐の鑑真の受戒→
 唐招提寺に繋がる日本の坊さんの伝法→現代の檀家

インド釈迦→ガンダーラ・西域の北伝−スリランカ・タイ[シャム]の南伝→
 中国天台宗−第三祖−智・湖南の南岳禅師の禅那→日本天台宗−最澄→
 円珍・円仁に繋がる天台禅(牛頭禅)の伝法者→現代の摩可止観の読者

インド釈迦→ガンダーラ・西域の北伝−スリランカ・タイ[シャム]の南伝→
 中国禅宗−印度人−菩提達磨の禅那→河南省崇山少林寺の禅那→
 広東−曹渓山の禅宗六祖・慧能→
 宋時代の南宗禅二大宗派(江西−信州の臨済宗−黄龍派・
 南漢(広東)の雲門宗が浙江省明州(寧波)より『十牛図』の流れで、湖南の曹洞宗)
 明国の福建より黄檗宗(江西−袁州の臨済宗−揚岐派と念仏禅)→
 栄西・道元・隠元に繋がる禅宗の和尚→現代の座禅会の参加者

506 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 11:31
>「和尚(おしょう)」や伝法・教授の「阿闍利(あじゃり)」から受けて
阿闍利→阿闍梨、「リ」の漢字はナシです。
つづき。

インド釈迦→ガンダーラ・西域の北伝−スリランカ・タイ[シャム]の南伝→
 中国真言宗−第五祖−印度人・善無畏→
 第七祖−中国人−恵果阿闍梨・長安−青竜寺→第八祖−真言宗−空海→
 空海に繋がる阿字観・月輪観・五成相観などの伝法者→現代の真言の行者

過去レスの関連スレでの訂正。
「古義真言宗」が「高野山真言宗」で、
「豊山派の長谷寺とその分派の室生寺」は「覚鑁」に繋がる「新義真言宗」。

507 :名無しさん@3周年:03/09/04 11:33
毒電波の殴りこみか?

508 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 11:48
>507

殴りこみと思われてもしょうがないけど。カキコの量が多いからね。
興味関心がなくて知識に貪欲でないと、読みきれない。消化しきれないかも。

で、仏教で特に阿含経で原始仏教を話題にとは言っても、
現在の各宗派に「法句経」「阿含経・ブッダの言葉」や
天台宗や禅宗(曹洞宗の十牛図など・臨済宗の公案など)の
問答集・説教集・エピソードに結構入っているのだ。

だから変に阿含経が云々というのより
手間暇あれば、阿含経と従来の仏教教説の
あわせ読みが理解の上で良いと思う。

あと日本にあるから、韓国にもあるという思い込みは不味いよね。

日韓は、相当に歴史が違うし、
韓国−朝鮮は、儒教や道教を500年もして来てから
豊臣秀吉の侵略や日本に併合された植民地の屈辱感から、
中華皇帝から任命された朝鮮王が礼儀を守るとする李氏朝鮮の頃に
日本的という理由もあってか、相当に仏教を弾圧しているのでね。

大雑把に国別・民族別の仏教の特徴を言えば

印度は ストゥーパ(宝塔)−護摩の仏教。
中国は 禅−拳法の仏教。
朝鮮は 華厳−経の仏教。
日本は 念仏−真言の仏教。

と言う事に成る。

509 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 12:01
>朝鮮は 華厳−経の仏教。

というか「朝鮮は 華厳−[観念・理屈]の仏教。」だな。

池田大作がオフレコで「ウソも百ペン言えば本当になる」とウソブイタそうだが、
彼は父が帰化人で母が朝鮮人の先祖を持つ高利貸し出身者と、一説では言います。

結果よければ手段は同でもいいし、
思い浮かんだ考え付いた事が、現在の事実にそぐわなくても、
歴史的資料や商業的証文や公文書を書き換えて、
相手の記憶力や思考や素行の混乱に乗じて、本当に有った事にする。
というのが平気なんですよ。
だいたいにして罪意識というのがない。

これは、観念が現実になる。思い浮かんだ事が事実になる。という
華厳経の朝鮮人的な発想を、受け継いでいるように思えるのです。

510 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 12:26
日本人は、都合が悪くても資料に残すし、
証拠隠滅と改ざんはあまりしたくない民族です。

日本には畳が残っています。元は中国の建物で使います。
現在の中国は靴で建物に住む生活ですよね。

禅宗寺で多く作っていた味噌・醤油・湯葉・豆腐に、
お茶・お線香だって、韓国−朝鮮経由ではなくて、
宋(禅寺・茶)や明国(普茶料理)や清国(線香)の師匠に
日本人自らが師事してからの直伝と教授による物なんです。

四柱推命や風水も朝鮮よりは遅れて入りましたが、
韓国嫌いの台湾の中国人師匠からの系譜を大切に残しているのです。

朝鮮は、当局が前の王朝や反対派の貴族への虐殺と焼き討ちを
民衆の人民裁判的な反対民衆へのリンチ抹殺を
平気でする民族気性なので、仮に歴史的に居た伝播があったかもしれないが
資料が残らないし、隠して後世の人の発見に委ねる事すらしない。

歴史の後知恵による作り話や摩り替え話に造語が酷いんです。
造語だから、他の人や他の団体の人に通じなくて、
他の人が知らない事による優越感で偉くなるんです。

社会主義者の共産用語で他人を裁いて、
一般人や伝統的な人を馬鹿にして偉くなるのと同じなんです。

中国(魏・晋・南朝・北朝・隋など)や
百済(三韓)や
倭の呼称ころの日本では
朝鮮南部の海岸部は「任那(みまな)」って地名を呼称で使うのに、
新羅は「加耶」と勝手に別称を設けて、歴史資料の改ざんをするんです。

511 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 12:28
>510

日本の琴を加耶琴などと改ざんし、
江南という南中国にもあるドブロクを慶尚道の慶州あたりでは、
法酒という日本酒(清酒)に似たものがあると宣伝し、
朝鮮から日本に伝わった錯覚を与えようとしている。
昔の船の渡海技術から行って、元寇でも、
海流を利用する韓国−全羅道から日本−対馬・博多でしょう。
慶尚道−プサンから海流に乗れば、日本海に出ちゃうじゃないですか。
あーゆーつじつまの合わない事が平気なんです。

焼酎(ソジュ)も
戦後のホステスがクラブで酒をつぐので韓国に伝わったようなもの。
焼酎は薩摩や 琉球の泡盛や 広東の料理酒の白酒(白乾児)や
アラビア渡りのアルコールから来たものなんです。
味噌だって韓国ホステスの突き出しにキムチ付けでしょう。
あーゆー歴史改ざんを平気で出来るんです。

創価学会は親分が間違えると間違いを多くの人に広めて正解にしてしまう。
聖教は呉音「しょうぎょう」と読むのですよね。漢音でしょうか?
ところが「せいきょう」新聞として「間違い」を平気で広め続けています。
訓読み音読みと慣用読みと日本語は漢字に対しても難しいものです。

原本保存と改訂版の保存と2つ共に、そのまま保存しないんです。
だから朝鮮人と創価学会には学がない。学問は存在しない。
という極論・持論を持っています。

512 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 12:33
【 香の十徳 】を知らないか?教えてくれ。。。

お題:(香を聞いて見やれ。。。オスマシかましやがって。。。)

沈香 真如権應 高級線香 MADE IN CHINA
 創業五百余年 香老舗 妙香閣
 清朝康熙帝(1662-1723)が毛筆の香箱お題
 横浜・中華街・維新号?満順行?
沈香 香樹林 高級線香 JINKO KOJURIN INCENSE STICK
 MADE IN JAPAN 株式会社 玉初堂 大阪市東成区中道・・・
 初代当主九右衛門は西暦1804年(文化元年)・・・暖簾を揚げ
 ・・・沈香屋作兵衛・・・嘉永3年の初春、清(現在の中国)
 の線香師「薫玉初」より線香製造法と調香の秘法を伝授され・・・
 「沈香」は東南アジアの一地域でしか産出しない・・・香料で・・・
 「白檀」はインド・マイソール産、インドネシア産、
 オーストラリア産等が・・・インド・・・最上と・・・。
 地元・大手・仏壇仏具店
上品(じょうひん)七夜香(しちやこう)
 京都 松榮堂 謹製 SHOEIDO INCENSE CO.
 CONTENTS 14 PCS.中京区烏丸通り二条上ル東側
 地元・大手・仏壇仏具店
名香 開運香 
 創業三百有余年 製造本舗 梅栄堂 大阪・堺
 ・・・香司(こうつかさ)・・・高貴香料伽羅沈香を主材に・・・
 川崎大師・門前町の店
伽羅 大観 スティック45本入 東京・銀座・日本香堂
 鎌倉・若宮通りの店? 東京・八重洲口・民具店いわ井?
芳薫 金龍香 東京・浅草寺 浅草寺・本堂・販売所

513 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 12:41
阿含経・原始仏教から外れてごめんね。
カンチョー・ゲイカの母方の桐山家の日本人系譜は聞くけど
父の堤家の系譜を聞かないの。

父の堤家は、戦前・戦中に軍−相手の商人をしていたというけど。
行商・売春や炭鉱や工事現場の労働を、在日朝鮮人はしていましたよね。
現在は、
焼肉屋やゲーセン・カラオケにカプセル・ホテルやエロ−ビデオ店に高利貸し。
だけど。
オウムとか創価学会などの新興宗教の教祖も父方が朝鮮人だけど。

日本人差別しながら、朝鮮人差別で怒りが溜まっているから
神社で無防備な日本女性をレイプして腹いせをしていた。
終戦直後の暴動とバブル弾けた現在でも、繁華街や駅前で同じ事をしているが。

514 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/04 12:59
原始仏教にハズレた話題ですまん。つい伝えたかったので。

515 :名無しで宗教問答:03/09/04 13:14
宅間守被告をどう改心させるか

274 :名無しさん@3周年 :03/08/30 05:57
なぜ、
@巨人軍の元選手・張本勲 プロレスの空手チョップの力道山と、
ASM殺人鬼の織原 連続殺人の宅間
 オウムサリンの麻原 創価学会の池田大作
という差が、在日朝鮮−帰化人に発生するのかね。

そう、「空手チョップ」って言って「テコンドウ」って言わなかったけどね。
これは、歴史のあと知恵−作り話の典型例なの。
あと、「終戦直後ころ」からの「ホルモン焼きの豚肉」の焼き肉を、
今のファミレス風に「バブルが弾けて以降」の「牛肉」に摩り替えて広めるのも。

@のタイプは、従軍慰安婦の作り話や
 北の工作員の殺した日本人を朝鮮人に人間に摩り替える卑怯を
 しない帰化人なんだよ。
Aのタイプは、政治の日本赤軍や宗教のオウム真理教、
 政教の創価学会−公明党の関係者の様に 
 狂信者や反日イデオロギーの者しかいない。

一方の@タイプは、一般の日本人庶民に愛されているのだ。
他方のAタイプは「一部狂信者」に愛されているが、
 一般人は憎しみ避けて嫌っている。

所詮、北朝鮮に密輸や拉致・集団レイプ・売春の揉み消しで繋がる
 社会党−共産党−公明党の朝鮮人とそれを支援する日本人と
 自民党−非社会党出身の民主党を含むコリアン研究所やNGOで脱北者を助ける
 日本人になり切る朝鮮人や支援する日本人との住み分けで、
 同じ穴の狢(むじな)同士の同一意見持ちの結果だと思う。

516 :名無しさん@3周年:03/09/04 13:20
結局仏教は朝鮮系なのね。

517 :名無しで宗教問答:03/09/04 13:23
いや。

禅宗は中国系バリバリだ。少林寺拳法とか北斗の拳まがいだが。
経絡秘孔つくかも。

518 :名無しで宗教問答:03/09/04 13:30
>517

拳法にブルース・リー[李?]のカンフー(功夫)とくれば、
「西遊記」で東勝神州の山サルの大ボス「孫悟空」だ。

豊臣秀吉がサル呼ばわりで、おかげで日本をサル島呼ばわりの
明の鄭和のジャワ方面の大航海がネタの
フィクション小説「西洋記」まで出来た。

サルであるコレが、明国−時代の中国人が、
日本人を解説絵で描くのに倭寇の上半身裸の図のもとになった。
半裸でツルハシ持つ労働者の図よろしく長い日本刀を担いでいる。

519 :名無しさん@3周年:03/09/04 16:36
まもなくここは民明書房厨の壷になる予感

520 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/04 22:24
大変、申し訳ありませんが、
只今、テーマに沿って大切な内容を議論している最中なのです。
できれば唐突に、何宗何派がドウタラコウタラ・・・などと、
辞書の解説か何かをペタペタ大量に掲示していくのは、
どうかご遠慮願えませんか?
各意見が見辛くなって討論の邪魔となるだけでなく、
無駄に1000スレ(終了)へと近づいてしまいます。
どうか、「場」というものを読んで頂きたいものと思いました。

521 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/04 22:25
>>485 :くぅ
>クリスタルさんは、有と無で考え、
>そして有を追求しているように感じております。
>
くぅさん、こんばんは。
ご意見と感想をありがとうごさいました。
しかし、これはかなりの誤解が起こっているようです。

 私は仏陀のとった無記と呼ばれる態度のことは理解しているつもりです。また、仏教の取る姿勢は
中道であり、断見や常見といった偏った極端な見解に囚われることを排除するものであることは間違
いありません。しかしながら、「諸行無常」といってもあらゆる一切のものがそうというわけではありま
せん。仏陀という存在、そして仏教が目指すニルヴァーナという境地は当然、未来永劫に不滅のもの
です。ですから、これは絶対的な「有」です。これを否定して仏教は成立しません。
 まず、仏陀が有と無を否定した事柄が一体、何であったかを理解する必要があります。人間の再生
誕についても、前世と来世については囚われて憂いることがないようにと教えているのです。ヴェーダ・
ウパニシャッドで示されている人間の転生というものを、仏陀ご自身は「自らの直知体験によって、そ
れが事実であることをハッキリと知った」のであり、だから絶対的な確証を以ってそれを示すことができ
たのです。このことを示している経文は生まれ変わりを肯定したものとして最大の根拠となるものです。
それは後ほど、ここへと掲載することにします。
 仏教とは、この事実と輪廻転生からの解脱を教えることが主眼です。
 尚、再生誕は絶対的な「有」、未来永劫の「有」ではないので、誤解しないように。この太古から連綿と
繰返されてきた人間の転生なる現象から解き放つことを教えているのが仏教なのです。

 仏教というものが「再生誕を否定するものである」とか、或いは仏陀がそれを「肯定したことはなかった」、
などと主張する人たちは、どうも「無我」、「無常」、「空」、「無記」、「断見/常見」などの理解について、失
敗している方々であると私は思っています。
 無我を霊魂(アートマン)の否定と見なしている人はまだいいほうです。これまでそのように説かれてきた
ので、誤解しても仕方がない・・・。
 しかし、生まれ変わりを否定する仏教などは到底、在り得ないことです。

522 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/04 22:26
もう一度、便宜をはかって、ここに再掲載します。

>>343
 「無記という態度は常ではなくて、その時の場合によって取った態度です。ある時には提示した経文
のようにハッキリ明瞭に説明しました。」
 「明瞭に“存在を説かれた”経(>>329-330)は、当然、明らかにそのように理解して読まなければな
らないものだと思います。存在を認めて詳しく解説した教えなのですから、それは無視、否定してはな
らない筈です。」

>>364
 仏陀の無記(存在自体は否定していない)の意図は、それがどちら(.在るのか無いのか)であるかを
知らなくても、日々の実際上の修行においては、特に問題とはならない。だから修行に専念しなさい、
ということであったと思います。ただし、仏陀のこのような返答の仕方というのは、常に相手や場合に
応じてでした。

>>426
 この場合の「一切」とは物質的現象界における事象の一切です。「ニルヴァーナ」意識はこのような
無常世界から超越したものです。よって永遠永劫、仏教が求める絶対不滅の境地です。「仏陀」はそ
の意識に到達した人間であり、ゴータマは存命中に人々の中にあってそれを達成した稀有な人間です。
よって仏陀はたとえ、この物質現象世界に在りながら、それを超越することを可能にする意識状態に
あります。

523 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/04 22:27
>>428
 仏陀は教える時には明確にそれを(在るものとして)説き示したのです。いつも常時、「在るとも..無い
と云わない/また..そうではないとも云わない」などという姿勢ではありませんでした。そんなサンジャヤ
(懐疑論者)のようなことしか説かない師の下などは、弟子たちは皆、離れていってしまいますよ。かつ
てのサーリプッタとモッガラーナたちのように・・・。

 仏陀が形而上問題について沈黙する意味は、形而上的な疑問というのは果てしなく切りがないもの
であって、思考上での哲学的な虚論に陥ってそれらに囚われることなく、今、目前で自分が為すべき
義務(修行者は当然、霊的サーダナー<修行>)に専念しなさい。という意味であったと私は理解してい
ます。それから当然、相手によっては話したところで意味がなく、ただ誤解を招くだけの恐れもある場
合もあったことでしょう。違いますか?
 しかしある時には、仏陀は明確にそれを示したのです。違うというのならば、ちゃんと私が示した経
文の方便とやらが何かを説明して下さい。相手が在家だから何がどうしました ? インド大衆の世間
一般の認識に合わせて、つまり「嘘」を答えたというのですか ??

>>429
 それから、沈黙の態度は何も決して「無い」ことを意味しません。無い場合にはそう答えたこと
でしょう。しかし「魂」というのは、元々その存在と性質が「諸行無常」で説明できる“一切”の中に
は属さないものなのです。仏陀が否定したバラモン教とは古代インドのヴェーダそのもの自体(ウパ
ニシャッドで示される思想)、或いはその総てというわけではありませんよ。誤解して単純にバラモ
ン・ヒンドゥーの総てを排除しないようにして下さい。仏陀が真の「バラモン(婆羅門)」とは如何なる
ものか、といういい方を頻繁に用いていたことを想起しましょう。バラモン=外道という短絡な態度
は控えましょう。これを多くの仏教徒が誤解しているように私は思います。もっというと、ベーダの
真理を実際に体現した人間の一人がゴータマでした(ただし、世間の迷信的な司祭バラモンたちとは
全く異なる)。簡単にいうと、ヒンドゥー・バラモンとはその方法論が異なるということになるでしょうか。

524 :名無しさん@3周年:03/09/05 01:40
なんかよう解らんけど
「来世の幸福の為に善業功徳をつむ」って考えは仏教的なのかな?
お釈迦様的では無いような気が‥‥

525 :ろんぎぬすじゃないけど・・・:03/09/05 01:48
>>520
>辞書の解説か何かをペタペタ大量に掲示していくのは、

その程度の認識か・・
そもそもあなたのは議論にも何もなっていないのだ。


526 :名無しさん@3周年:03/09/05 02:38

誰に向かって説いたものかによって、言い方が違ってくるのは当然だろうね。
眼が開けていない人はそれなりの理由があって、その状態になってるわけだから、
やたら形而上のことを考えたりすべきではないのだろう。
それよりも現実を生きることが大切。

ある、なしの中間「くぅ」なんてことを言ってるんじゃない。
どちらとも言わなかったとして無記とすること。
解答は与えられていない。謎だな。
ただ、我々は信じられないものを無理に信じる必要はないと思う。
釈迦が肯定したからと言って、自分の知らない世界のことについて語り出す
人がいても困るし、釈迦は否定したと言って、形而上の存在を否定する人が
いても困る。
だから、釈迦が言ったとされることを、信じられる範囲で受け入れれば
いいと思うのだが「釈迦の言った意味はこうだ」と限定する行為はNGだ。
いろいろな読み方があっても悪くはないと私は思う。

527 :ろんぎぬす ◆1alSVZL1HM :03/09/05 10:17
>520 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/04 22:24
>どうかご遠慮願えませんか?

今回も申し訳なかった。中国版大蔵経のリンクは本当にお礼だ。

それと「原始仏教」をやるからには、
空を「悟る実践」である「禅」は必要だと思っての事だ。
「阿含経」には釈迦の存命時のエピソードや解決事例が多くあるが、
体系化されて語られていなかったから、順逆バラバラの記述だ。
ただ棒読みでもノッペラボウに通読でも分かりにくい。

そこで小乗・上座部・原始仏教の禅の解説書に、
天台大師−「第三祖チギ」の弟子による説法記録に「マカ止観」「小止観」があり
「世親」以来の輪廻の構造と業の見分け方の解説に「アビ達磨−倶舎論」があり
阿含経の解説書としてセイロンの「解脱道論?」「清浄道論?」があるという事。

で、原始仏教の説くところ
「禅那(ゼンな・三昧:ザンまい・サンまじ)」によって
「四禅」「漏尽通力」「滅尽定」「寂静涅槃」「輪廻解脱」「空」「極楽浄土」
「止観」「阿頼耶識」「異熟」「金胎不ニ」「大楽歓喜」の単語が、
時代を経る毎に出来たと思っている。

528 :名無しさん@3周年:03/09/05 15:08
>>527
「清浄道論」は、たしかにおもしろい。

529 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/05 16:23
>>527
誠に申し訳ないが、余計なお世話です。漢訳やパーリ仏典、サンスクリット、チベット、ウイグル、モンゴル
そのた諸々のネットで閲覧できる限りのURLはこのスレッドの常連ならリンキングしていますよ。

それと、「原始仏教」をやるからはに始まるあなたのご意見は初心者マニアで幼稚で、それでいて外していて、
読んでいるこっちが恥かしくて赤面しそうです。

530 :名無しさん@3周年:03/09/05 17:26
ウイグル、モンゴル読めルン? またはったりかまして。
漢パ梵蔵も怪しいあんたが.....

531 :名無しさん@3周年:03/09/05 17:46
ろんぎぬすたんと電波男のやり取りの方が圧倒的に面白そうだな。

ごめんね、少し遠慮しててね>クリスタルたん

532 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/05 18:00
>>530
ウイグル、モンゴルの古典は読めないよ。必要箇所を辞書引き引きで悪戦苦闘した後に詳しい人に見てもらう程度。

>漢パ梵蔵も怪しいあんたが.....
どう怪しいのかな?怪しいと判断できるのなら、あんたは私よりはるかに出来るんだろうね。
先ず、お前がどれほど漢文が出来るか証明してみろ。

某スレッドの55氏みたいに逃げないで、ちゃんと答えろよ。

533 :名無しさん@3周年:03/09/05 18:20
やだよん。諸氏のようにやさしく付き合う時間ないよ。ログに明らか。

というかできる人ほどつきあわないでしょ。あんたには。

これを書いてる時点で自分が低レヴェルだと暴露したも同じだけど。



534 :名無しさん@3周年:03/09/05 21:03
こーーーこーーーはーーー2−−−ちゃーーーんーーーねーーーるーーー

535 :名無しさん@3周年:03/09/05 21:05
でーーーむーーーぱーーーとーーーでーーーむーーーぱーーーがーーー

536 :名無しさん@3周年:03/09/05 21:05
でーーーあーーーうーーーとーーーこーーーろーーー

537 :名無しさん@3周年:03/09/05 21:10
おっしゃるとおりで、そうゆう自覚が重要でしょう。

538 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:04
>というかできる人ほどつきあわないでしょ。あんたには。

まさにそのとおり(笑

539 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/05 23:12
>>533=534-538
論証無しの言い逃げか?シッタカでパーニニを出したかと思うと、その註釈で根拠としていたエライ先生の
論証の足元崩されたり、『沙門果経』とその原形を同一視して論証を進めて自爆したり、経量部での見解
をエライ先生のパクリだと言って、実はその人がぼくちゃんの修士論文をパクッテいたことが明らかになったり
悉く撃沈されることが怖いんだな?


540 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:16
フーン

541 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:44
修士論文をパクル、誰がするねん。修論なんか見れんし、誰もあんたの修論なんかしらんよ。
それがコピーされて世間に流布してると妄想するんかいな。
自分されたい、思いたい願望を現実だと思いこむのは完全な妄想だ。
そんな妄想家と誰が付き合おうか? 

542 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:44
ジサクジエンの言いがかりはいけませんよね、電波男さん!?

543 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:45
修士論文のどこが偉いんじゃい!

544 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:46
ひろさちや氏の本のほうがよほどためになる。

545 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:50
ひろさちやよりはましだろ。それはちょっと可哀想だぞ。

546 :名無しさん@3周年:03/09/05 23:55
でも、電話男よりは下

547 :名無しさん@3周年:03/09/06 01:01
ひろさちや氏を腐したところ、日頃温厚な編集者の方ににらまれた。
何か良いところがあるのかもしれん>ひろさちや

>実はその人がぼくちゃんの修士論文をパクッテいたことが明らかになったり

素晴らしい!(笑)

548 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/06 08:59
>>539 はこの板範囲でしか言及していないから探してみれば?そうしないであれこれ言うのはただのハクチ。

549 :名無しさん@3周年:03/09/06 09:09
ハクチじゃなくてナマケでしょう
なんでもハクチにすりゃいいってもんじゃないよ。
修士論文を書けることは、そんなに頭がいいことなのかい?

550 :名無しさん@3周年:03/09/06 09:13
でも、ひろさちやのほうが心は素直だとおもう
電波は修士論文を鼻にかけいばっている。

551 :名無しさん@3周年:03/09/06 09:53
どのスレのどこ?それぐらい言ってくれないと困るだろ。全員ハクチ扱いかよ。

552 :名無しさん@3周年:03/09/06 10:29
何点つけられた修論だったか覚えてるの?>電波

それだけ学識を誇りたいなら、論文を書いてきちんと発表すればいいだろ。

553 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/06 12:45
>>552
かつてのスレッドで、私の修士論文が遡上に上がったからそれに言及しているだけ。あんたたちの言う
その下らん修士論文を盗用したエライ先生がいたことが明らかになった。ただそれだけの事だよ。

別に修士論文を鼻に掛けているんじゃないよ。Dでの論文やODでの論文についても多少言及しているし、
要は、私の研究内容、思想内容については何時の論文でも引っ張ってくる。ただそれだけ。

554 :名無しさん@3周年:03/09/06 13:10
>>553
電話男に謝罪したほうがいいよ。

555 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/06 13:15
まあそうはいっても電波男さんの知識量は膨大。
その分析は明快。



556 :名無しさん@3周年:03/09/06 16:10
その論文って、電波男って名前で書いたの? スゲー(激藁

557 :名無しさん@3周年:03/09/06 16:20
>555 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/06 13:15

ありがとう。御前。アッシは東京・目黒の生まれ。
仙台育ちだが、千葉・安倍一族の妙見尊を祀る東北の小さな神社の縁故で、
東京に出てから千葉各所に妙見守護の日蓮系の仏縁が出来た。
茂原も中山・法華経寺も柴又帝釈天も。

個人的には日蓮宗や法華経批判ながら、
安楽行品や法師品は気に入っているし善行的だ。
写経の勧めがこれらの品にあり、
書いて唱えて他人に教えて覚える。と言う教育学的な良い部分があるから。

法華経の一部の良い部分は、他人に広めるのに自己犠牲・忍耐も書かれているから。
これを創価学会は実践していない。扱き下ろし面当て嫌味に終始している。

天台宗の最澄の後継の円仁の遣唐使での28宿や妙見信仰は、
日蓮宗に批判される密教的部分で、
でも千葉や東京に山梨の日蓮宗に引き継がれてしまった。というか積極採用した。

千葉神社や山武郡芝山町の北斗妙見。群馬・茨城・秩父の花園妙見。熊本の妙見。
星占いや人生予見術としての28宿の占いの守護神としての妙見だから。

558 :名無しで宗教問答:03/09/06 16:23
>555
>まあそうはいっても電波男さんの知識量は膨大。

>553 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/06 12:45
の事ね。
間違い。間違い。。。

559 :名無しさん@3周年:03/09/06 16:27
バイアスは相当かかってるけどね。

560 :名無しさん@3周年:03/09/06 16:35
>>553
そう思ってるのは本人だけ。

561 :名無しさん@3周年:03/09/06 18:35
>>559
そのバイアスを修正できる人がいないことがこのスレの不幸だ。

562 :名無しさん@3周年:03/09/06 18:46
修士時代の業績に強い自負と執着を持っていることは確かなようだ
スレが変わろうがキャラを変えようが自演しようが一貫しているからな
同情はするが見苦しくもある

563 :名無しさん@3周年:03/09/06 18:50
あらゆる権威と、既存組織が彼の敵であるからして。
その意気込みや潔しなのだがいかんせん、
それによってバイアスかかりまくりなことに気付いていない。

564 :名無しさん@3周年:03/09/06 18:56
>>563
残念だがバイアスをバイアスと論証できなければ只の言いがかりに過ぎない

565 :名無しさん@3周年:03/09/06 20:29
比喩的に論証してみましょう。単純にハッタリ屋てことですね。
>>529
>誠に申し訳ないが、余計なお世話です。漢訳やパーリ仏典、サンスクリット、チベット、ウイグル、モンゴル
>そのた諸々のネットで閲覧できる限りのURLはこのスレッドの常連ならリンキングしていますよ。

と言っていますが、

>>532
>ウイグル、モンゴルの古典は読めないよ。必要箇所を辞書引き引きで悪戦苦闘した後に詳しい人に見てもらう程度。

と自分でさえすぐにハッタリだと認めてるぐらい。このスレの常連さんで「パーリ仏典、サンスクリット、チベット、ウイグル、モンゴル」の情報を収集している人なんていると思います? 

それと同じで盗作しただの「あらゆる権威と、既存組織を認めない」とか言っているんですよ。
だって「あらゆる権威」を認めないなら仏教研究する意味ないでしょう。だってブッダが覚ってることも認めないことになるじゃないですか。
そこまで言わなくても辞書やあらゆる経典や研究書も読む意味はまったくないでしょう。

566 :名無しさん@3周年:03/09/06 21:02
>>564
電波男さん。ご無沙汰しています。

567 :名無しさん@3周年:03/09/07 00:10
だから嘘吐きばかり多いってわかるだろ
なんでネームや人格つかいわけするわけ?
嘘や法螺ふいて自分を大きくみせたいんだよ
これみよがしに、自分を電波なんていっちゃって
「俺は天才!」と主張したい心の表われだね。

568 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/07 00:25
>>565
何の論証にもなっていないですね。

URLとして資料を手元に保全している事と、その資料を読破し、駆使出来ることとは別。

>それと同じで盗作しただの「あらゆる権威と、既存組織を認めない」とか言っているんですよ。
これに関しては過去ログ引用して論証してくれ。

お前の言い分はただのハクチ告白。何の意味もなさないよ。

>>530
はやくぼくちゃんより漢文が読めることを証明してくれ。

・・・・・・・・・・・・・・こうして良スレが荒らされていく。。。。。。。

ML移行が必要なわけが解っただろ?>666

569 :名無しさん@3周年:03/09/07 00:34
いや、君が過去のハクチ発言を取り消し、電話男に誤ることが先だろう

570 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/07 02:57
クリスタルさんの主張される「前世の因縁が現世の境遇を決定する」と言うような
考え方は、非常に差別意識を増大させ、言われなき差別観念の固定化に悪用され、
多くの人々が不条理に苦しむ原因にもなって来たと思います。それが真実であるか
どうかと言う問題よりも、そういう固定観念によって諦観と絶望を植え付けてきた
歴史を繰り返してはならないと僕は考えます。

僕は釈尊の業論はそういう後ろ向きの業論ではなく、今はどんな境遇に置かれて
いても、身口意の三業を清め、より善く生き様とする人には誰にでも解脱の可能性
を認めるものだと考えています。

571 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/07 04:49
>>570
>それが真実であるかどうかと言う問題よりも、そういう固定観念によって
>諦観と絶望を植え付けてきた歴史を繰り返してはならないと僕は考えます。
>
驚いてしまいます。
ペロさん、あなたはそんなことを本気で
ゴータマ仏陀に対して面と向かって言えるんでしょうか?
私はそのような考え方や「感情論」には断固として反対し、
ここで明確に反論致します。

私と想いを同じくする方、同じ見解の方がいらっしゃいましたら、
どうか、この未熟な私メを助けて下さい。
私は皆様からの援護とアドバイスの投稿を心から歓迎します。

572 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/07 05:25
>>570
 考え方と心情のほどは当然、私にも理解できますが、しかし、そのような人間の感情などは業報
輪廻の作用の前には全く無意味です。この非情な作用からの脱出を説くことが仏教なのであって、
決してそこから目を背けてはならない筈です。
 私は仏陀の梵天勧請の逸話、つまりゴータマが仏の悟りについて説くことを止めてしまおうかとま
で想い煩ったという最後の苦悩というのは、まさにこのことであったと考えているのです。つまり、こ
の簡単に人々に提示して見せることができない、この生まれ変わりという現象の事実を前にして、如
何に法を説くかということ・・・。
 生まれながらの障害に対して差別を生むとか、所詮は形而上の不可知問題に過ぎないなどと、自
分勝手に仏陀が悟って教えたものに変色を加えているというのが、どうやらこれが今日、日本におけ
る仏教に対しての認識、実体であるということです。
 これはハッキリといっておきたいと思います。たとえ誰であれ、人間の生まれ変わりという現象を信
じないのは全くのご自由です。結構です。しかし、これを否定する者は決して仏教徒などではありませ
ん。人間が勝手に作り上げた哲学体系(デタラメとはいわないが)などよりも、遥かに重要な問題がこ
の人間の転生輪廻という実態なのです。

 ゴータマ仏陀は、これが実際に起こっている現象であることを自らの直知体験によってハッキリと
知った、それが悟りの本質なのです。まるで仏陀のアートマン否定やら無記などが現代科学とも合致
するとして評価する投稿なども私は見ていますが、まさか、ここ2CHは唯物主義者によるご都合主義
の集いなのではないでしょうね。そもそもが霊魂などを否定する宗教はない。そんなものは宗教など
とはいわない。

以下に示すものが、
 仏陀が人間とは再生誕を繰返している存在であるとして明確に認めている重要な経文です。いずれ
は、私たちも経験するであろう宿命智通という体験についての大切な教えです。
 尚、根拠の三番目としては、仏陀は天眼智通を発揮して人間の死後の行方と再生誕を見届けてそ
れを説いていたことを上げられます。この神秘力はインド中に知れ渡り、他のバラモンが神通力比べ
にもやってきました。

573 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/07 05:27
根拠:
2)仏陀は「宿命智通」によって、自己のあらゆる人生での過去生を想起し、果てまた宇宙の創造
 と破壊の輪廻する様までも直知体験によって見通すことで、因果の道理の様を明確に悟ったの
 でした。仏道修行者はいずれ阿羅漢の境地に達して、仏陀と同様に自己の一切の過去世にお
 ける生存の記憶を想起します。


 『(93) また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する知
(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すなわち、
ひとつの生 涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯を想
起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の生成・
壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこうであった。
家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの年齢まで生
きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分はこれこれの
名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、これこれの年齢ま
で生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、具体的な映像や、
具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。

574 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/07 05:28
 (94) たとえば、大王よ、ある人が、自分の村から他の村へ行き、その村からまた別の村へ行き、
そしてその村から再び自分の村へと戻ってくるとします。彼はこう考えるでしょう。「わたしは自分の
村からあの村に行き、そこでこういうように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。その後、
その村からあの村へ行ったが、そこでもこのように立ち、座り、あるいは喋り、あるいは無言でいた。
そして今はその村から再び自分の村へ帰ってきている」と。
 まさにそれと同じく、大王よ、心が安定し・・・堅固な不動のものとなったとき、比丘は過去の生存の
境涯を想起する知に、心を傾け、心を向けます。---(93節の繰り返し)--。
 これまた、大王よ、前に述べた果報よりもさらにすぐれてより霊妙な、目に見える沙門の果報であ
ります。』
―――――――――『ディーガ・ニカーヤ:2/沙門果経(出家の功徳)』

575 :名無しさん@3周年:03/09/07 07:48
まぁベロは対機説法は必要だ、と言いたいんだろう。

576 :名無しさん@3周年:03/09/07 08:12
それをいっちゃ〜
なんでも対機説法で通ってしまうよなぁ〜

577 :名無しさん@3周年:03/09/07 08:21
釈迦が本当にそう思って説法したのかは
本人じゃないんだから、分かる訳ない
みんな自分自身の考えで推測しているだけなんだよ
「経典にこうある」という事実だけでいいんじゃないの?
それを対機説法か真理かは各自が考えりゃいいの。

578 :名無しさん@3周年:03/09/07 08:56
うんこ

579 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/07 10:29
クリスタルさん。
あなたは思い込みがかなり激しいようです。先ず、経典の成立史を冷静に眺めて見ましょう。
『沙門果経』自体の成立年代を考慮すべきです。あなたはニカーヤや阿含経を一括りにしすぎて
おり、部派の影響や大乗からの逆輸入が有る現象を知らないでしょ?

ベロさんの原始仏教のとらえかたには文献的にも間違い有りませんよ。
あなたの主張は「常見」と言う邪険に染まっております。その批判に対して阿含宗は擁護の教証を用意
しておりますが、それは一部派のマイナーな主張であり、総括的でないことは既に論破済みです。

580 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/07 10:37
要するに、三法印を基本に原始仏教をはかればその真意が理解しやすいのです。完全にこれに外れた記述が
ある場合、その意図や背景を読み必要があるのはいうまでもありません。阿含経典内部で矛盾があり、全く正反
対の記述を説明できません。

無我とはanAtmanであり、このa(an)という否定辞は本来、「〜ではない」と言う意味であり、漢文でも元来は
そのように使われていたことはよく知られています。このことを根拠として佛教音痴の桐山やサーンキャー・ヨーガ
、ハタヨーガ贔屓の差保田鶴治などは「佛教では真我を強調する」などのトンデモを言い出します。

馬鹿です。あほです。機知外です。

581 :名無しさん@3周年:03/09/07 11:26
無我の状態がアートマン
別のものではない。

582 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/07 12:12
>>581
本来は「常、楽、我、浄」と言うウパニシャッドの考えに対して「無常、苦、無我、穢(不浄)」の佛教観を打ち出しました。
その佛教観を現実認識とし、理想である涅槃の境地では「常、楽、我、浄」であると言い出す局面が現れます。
大乗仏教のある一群の人たちは無節操にこれらを全面に現実として出してきますが、もはや佛教であるとは言いがた
いのです。本覚思想はその類型の一つです。阿含原理主義を唱えるある機知外連中もこれを採用しています。

涅槃を得たものにとっての世界観は現実にある我々の世界にそのまま当てはめるわけには行きません。我々の
世界は飽くまでもリアルに「無常、苦、無我、穢(不浄)」です。

>無我の状態がアートマン
>別のものではない。

そのような命辞矛盾は論外です。

583 :名無しさん@3周年:03/09/07 13:04
>>568
良スレが荒らされるのは自分にも問題があるでしょうが。
ほんとにどこまでとぼけてるんだか、
それとも、ほんとにわからないんだか。
自分のコテハン見直してみたら。ったく。

584 :名無しさん@3周年:03/09/07 13:28
補習だよん。

あほだらとでんぱの違いを述べよ

585 :名無しさん@3周年:03/09/07 14:02
>>583
同意!
自分で火種を大きくして、荒れた原因を他人のせいにして自分は聖人気取り。
漢文、文献、仏教の講釈たれる以前に、自分のやっていることを理解したら>電波

586 :名無しさん@3周年:03/09/07 14:24
クリスタルの発言は雄武が登場してきた社会背景を無視している。

アクセル踏む前に、ブレーキの踏み方憶えろよ(藁

587 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/07 14:38
>>586
スンマセンが、
どうも学がないもので、「雄武」って何よ!!
どこか中国の偉人さんかぃ(笑)
まさか、心霊うんぬんの「オーブ」のことじゃないよね。
どうよ?

588 :666改:03/09/07 18:21
>>568
>ML移行が必要なわけが解っただろ?>666

完全に停滞してしまうよりまだ多少荒れていた方が元気があってよろすいと思います。個人的には。
程度問題だけど、この程度なら充分許容範囲でないです?

589 :798:03/09/07 21:23
乙武くん

590 :名無しさん@3周年:03/09/07 22:27
今日ほめて 明日悪くいう 人の口
  泣くも笑うも うその世の中

省みよ 日に幾度も 省みよ
  欲と怒りの 絶え間なければ

謗るまじ たとえ咎ある人なりと
  我が過ちは それに勝れり
 
偉そうに する値なぞ なき身なり

負けている 人を弱しと思うなよ
  忍ぶ心の 強きゆえなり

http://www.shinrankai.or.jp/qa/index.htm





591 :(>_<):03/09/07 23:50
>省みよ 日に幾度も 省みよ
  >欲と怒りの 絶え間なければ

省みよ 日に幾度も 省みよ
  野次と煽りの 己が所業を

>偉そうに する値なぞ なき身なり

それ故に 汝もひとを 批判せず


592 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/07 23:56
僕の考えはクリスタルさんとは違って、釈尊が説法を躊躇したのは、釈尊が悟った
ダルマは、古代インド人の常識であった業報輪廻転生説を真っ向から否定するもので
あったからこそ理解するものが少なく徒労に終わると思って躊躇されたのだと考えます。

その根拠に初めて五比丘に説法されたという『初転法輪経』の内容には中道と
四諦・八正道によって現実人生の苦悩の克服の仕方のみを説かれて、それこそは
今まで説かれた事ない教えであり、大いなる法輪が世尊によって転じられたと神々が
絶賛し、その四諦・八正道の理を悟ったコンダンニャには「コンダンニャは悟った!」
と釈尊も歓喜されております。

またその初転法輪の時に、我説の執著にとらわれて悟りに達しなかった4人の比丘の
為に、その五日後には釈尊は『無我相経』を説いて、人間の身体と心は五蘊仮和合な
だけであり、それ以外に霊魂我や大我・真我などは一切存在しないと言う諸法無我の
教えを説かれています。

クリスタルさんのおっしゃる事は釈尊の教えと言うよりも、インド古来のバラモン
思想の方に近いのではないでしょうか?それと僕が紹介した三法印スレやここの
123の過去ログ等もしっかりお読みになって下さいね。


593 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/08 01:47
>>521
いま、レスを見ました。返信が遅くなって申し訳ないです。

やはり「有」のマジックにクリスタルさんが踊らされているような…
クリスタルさんが絶対的な有と思っているものでさえ、我であると思います。

ニルバーナという言葉ですら、無から有を作っているようなものです。
クリスタルさんは、有と空が複雑に絡み合っておられるようです。

とにかく、クリスタルさん。自身の意識を改革しましょうよ!
「諸行無常である事は一切の例外無い」を前提に、
自分でとことん見つめてはいかがでしょう?
有と思ってしまう事。何故、諸行無常に反する意識を自分が持っているのか?
その原因を突き止めて下さい。


私が感じることは、クリスタルさんの中の「有」という言葉に対して、
「有」「空」の両方を含んでいることです。

永遠という言葉と輪廻という言葉より何か共通の危険性を覚えます。
輪廻転生が無記なのは、「有」や「無」ではなく、
そういうモノの考え方が、根深く入り込み、足かせのようになるから…

594 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 07:36
>>593
お三名方、返答は暫くかかります。

>「諸行無常である事は一切の例外無い」を前提に、
この一文、一言だけ返答します。

「諸行無常」の一切とは何か? 
一から最初から問い正しましょうね。
仏教辞書のマジックに嵌ってますかねぇ・・・
この一切とは何よ???  再度、確認して下さい。
「三法印」の理解そのものを誤解していると私は見ておりますが・・・。
では。

595 :名無しさん@3周年:03/09/08 18:41
>>594
曖昧

596 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 20:48
>>593
余りにも酷過ぎますので、更に付け加えます。

>ニルバーナという言葉ですら、無から有を作っているようなものです。
くぅさんのいう三法印とやらの理解では、
どうやら、「ニルヴァーナ」境地すらも無常の一切に含むようですねぇ。
【そんな一時的でしかない状態を目指して仏教徒たちは命がけで修行していたのかぃ??】
そんな回答してたら、笑われるだけですよ。

そんなものならば、まだ自己の欲望に従って
快楽を貪り尽くす生涯を求めることのほうが、
よっぽどスッキリしていてイイ!!
あなたのいう無常とやらの一切とは、
そういうもんなんだ? エッ???
どうしょうもないなぁ・・・。ホントに

>輪廻転生が無記なのは、「有」や「無」ではなく、
魂の存在については確かに無記の態度を採ったことがあったかもしれんが、
輪廻転生については明瞭かつ詳細に説かれている。
在るんでも無いんでもないみたいな軟体動物のような返答ではない!

何と何が無常だといっているのか・・・ 
よーく考えること。。。

597 :名無しさん@3周年:03/09/08 20:58


              (◎.)
            _,ノ(_)ヽ---ヾ _
          /           \
         /  ノ人         ヽ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           | イ・ヽ\)         )< 父さん、このスレから強い電波を感じます
         | .|   |   ヾ、       ) \__________
         ヾ人__ノ(。。` ヽ        /
          | ⌒     |   ノ  ノ
          人   |     レノ   /
           ヽ、 ⌒   ノノノ人__
           /~/`ーーーー´/___/ヽ
           / | ̄~|ヽ/\/|   | |
          /  |__|   o  .|__| |
      ___ノ  ソ〉  |   o   |    | )
  γ⌒`))     ノ(_.,|  o   |,___〉 ヽ
   lll|ノ∪ ̄ ̄ ̄  〉  .|   o   |   )  |
            /___|   o   |___ヽ__|
           ノ   |  o   .|   〉 )
           /___|\/\/|__ゝノ




598 :名無しさん@3周年:03/09/08 21:08
うわっ!
釈迦が転生説いた事になってるな。
結局そこに救いはあるのか?

599 :434:03/09/08 21:17
クリスタルさん
生まれつき障害のある人間が前世の「因」により「果」を受けた証明をして下さい。
待ってます

600 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 21:25
>>592 :ベロ
>僕の考えはクリスタルさんとは違って、釈尊が説法を躊躇したのは、釈尊が悟った
>ダルマは、古代インド人の常識であった業報輪廻転生説を真っ向から否定するもので
>あったからこそ理解するものが少なく徒労に終わると思って躊躇されたのだと考えます。
>
これはなかなか良い意見だと思います。

しかしながら、私から云わせてもらえば、
輪廻転生が大衆のただの思い込みにしか過ぎないというのならば、
そんなものは別に放って置いても(あえて、不謹慎な言い方ですが)、
どうせ転生などはしないのでしょう?(笑)
そんなものが、悟りを開いた仏陀の最後の苦悩になるつうのかぃ???
随分とツマラナイことで悩むナイーブな仏陀さまだなぁ(笑)
私ならば、そんなクダランことでクヨクヨしてるな! 
って、一喝入れるぞぃ。

601 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 21:26
>>592
>その五日後には釈尊は『無我相経』を説いて、人間の身体と心は五蘊仮和合な
>だけであり、それ以外に霊魂我や大我・真我などは一切存在しないと言う諸法無我の
>教えを説かれています。
はい、仏教徒たちの最大の誤りがここにあります。
仏教を学ぶ者たちは皆、すでに起きている誤解の上に解説された仏教書を読んで
みんなが間違っていく・・・。

転生のことはすでにある程度話しておりますが、
この辺りから徐々に、無我と霊魂(アートマン)のことにも言及されてきているので、
当然これから、この話題にも深く入ってしていくことになります。

「五蘊以外に霊魂我や大我・真我などは一切存在しない」などとは、
仏陀はいっていない、というのが私の理解していることです。
仏陀がいったのは、「霊魂(アートマン)はそれ(五蘊-色・受・想・行・識)ではない」でした。
後ほどこの問題に入っていきたいと思います。
電波男さんが詳しそうですから、いろいろとご批判を頂きながら・・・。

602 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/08 21:28
>>596
ちょっと酷すぎます。

>どうやら、「ニルヴァーナ」境地すらも無常の一切に含むようですねぇ。
>【そんな一時的でしかない状態を目指して仏教徒たちは命がけで修行していたのかぃ??】

涅槃の境地にあって、それに執着してしまえばまた無常なるものへ転落いたします。つまり、本当の涅槃ではないのです。
涅槃とは業報による六道輪廻を繰り返す事の無い心安穏なる状態、再び煩悩の火が燃え盛る事のない境地を言います。

煩悩燃え盛る三界から涅槃というものを固定化してしまうとそれは執着になり、もはや涅槃とはいえないのです。
「三界はこれ一切無常であり、それらは無我である」と達観するステップ無しには涅槃に至ることは出来ません。
なぜならその達観により、執着を離れるのですから。

六道輪廻とは人の「おこない」によってその善悪の報いが時間を経過して苦、楽、不苦不楽として現れ、その循環の輪が
廻り止まる事を知らない状態を言います。決して死を機軸とした転生に限定されません。人道の次に畜生道におちることを
「生死」「結生」ともいい、心の変化の状態をさす場合があります。このことは輪廻転生の説明無しに、この生において十分
な説明解釈を与える事が出来ます。

>魂の存在については確かに無記の態度を採ったことがあったかもしれんが、
>輪廻転生については明瞭かつ詳細に説かれている。
>在るんでも無いんでもないみたいな軟体動物のような返答ではない!

違いますよ。過去ログ読みましたか?



603 :名無しさん@3周年:03/09/08 21:33
幸福の科学?

604 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 21:40
>>598
「うわっ」じゃないって!!

>釈迦が転生説いた事になってるな。
>結局そこに救いはあるのか?
当たり前です。

原因と結果、作用と反作用の法則がカルマン(業)の働きです。
生まれながらの苦境の原因を前世に求めないという考え方は、
自己の行為は必ず結果となって自らへと返ってくるという
基本理念をもすべて吹っ飛ばす思考です。
ということは、人間のひたむきな努力と前向きな進歩という根本精神すらも
すべて無意味と化す愚弄に他ならないのです。

605 :名無しさん@3周年:03/09/08 21:51

じゃー599に答えてヤレや

606 :名無しさん@3周年:03/09/08 21:55
ひたむきな努力?前向きな進歩?
それを重視するの?
じゃー方便かもね
遮情と表徳を使い分けなきゃな

607 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 22:06
>>602 :電波男Ψ(´д`)Ψ
私は、電波男さんからの涅槃についての説明には特に異を唱えるつもりはありません。
簡単にいうと、解脱への想いさえも囚われとなるならば、
涅槃に至ることはできないというのは分かりますよ。当たり前のことです。
しかし、涅槃とは二度と転落するような状態を意味しませんので、それはどうか誤解の無きように・・・。

 因みにオマケをいうと、
 ヒンドゥーのサーンキャ的アプローチやジュニャーナの見解からいえば、
 我々は本来、元々からして仏そのものなのであって、
 何ら今から解脱するようなことすらも不必要。
 輪廻して苦悩する状態というのも全て、
 ただのマーヤー(幻想)に過ぎないということになる・・・(笑)
 (少し似たことを述べたまで。まっ、これは忘れ下さいませ!)

>決して死を機軸とした転生に限定されません。
>人道の次に畜生道におちることを「生死」「結生」ともいい、心の変化の状態をさす場合があります。
>このことは輪廻転生の説明無しに、この生において十分な説明解釈を与える事が出来ます。
>
全ての結果が来世に顕れるというわけではなく、当然、
今生においてそのまま顕れてくることも含みます。
しかしながら、死期直前の行為の結果は今生受けることができませんね。

では、更に付け加えていいます。
仮に人間の人生といものが、今生一回切りであったとした場合は、
この生涯で仏陀になることができなかった人間というのは、
二度とその機会は与えられない、という意味でいいのですねぇ。
それが、あなたがたの信じる仏教の教えなんだぁ。
これ、どうなんです??? 
みんなが見てますから、是非、コメントを希望します。

608 :名無しさん@3周年:03/09/08 22:21
ヘリクツなのか
マジなのか
よう解らんけど
死期直前の因を来世で受けるって?
死後「果」を受けるじゃダメなの?
じゃー死んだら一刹那も経たない内に生まれ変わるのか?

ヘリクツ返しだよ

609 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/08 22:23
>>604
>原因と結果、作用と反作用の法則がカルマン(業)の働きです。
>生まれながらの苦境の原因を前世に求めないという考え方は、
>自己の行為は必ず結果となって自らへと返ってくるという
>基本理念をもすべて吹っ飛ばす思考です。

少し気になっていたのですが現在、何か新興宗教に入っていませんか?言ってる事がメチャクチャですよ。

610 :名無しさん@3周年:03/09/08 22:26
「悟り」を得るには今生しか無い。
チャンスは一回きりだ。
だから精進するんだよ。

有るか無いか解らない来世を信じて、「来世で頑張るから」ではダメっしょ。

611 :名無しさん@3周年:03/09/08 22:28
何のために?

612 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/08 22:32
>>607
>しかし、涅槃とは二度と転落するような状態を意味しませんので、それはどうか誤解の無きように・・・。
これは涅槃を取り違えているあなたのために例示しただけです。もう少し文章をよくお読みください。

> 因みにオマケをいうと、
> 中略
> (少し似たことを述べたまで。まっ、これは忘れ下さいませ!)

インド六派哲学のなかで、特にサーンキャー・ヨーガは仏教の影響を受けており、この派の論書を佛教関係と取り違えて漢訳
されたと言う逸話まで残っております。"srva-darSana-samgrha"と言うインド哲学綱要やその註釈には論理学的な説明でか
ろうじて佛教との差異を示していますが、インド全体から見ると瑜伽行唯識派と区別するのが困難だったようです。事実、同居
し、修行していたとの文献も残っております。

>しかしながら、死期直前の行為の結果は今生受けることができませんね。
このことは不可知として退けています。実際問題、不可知な事を対象として論じるような馬鹿なことを誰もしませんよ。
それは仏道修行も同じこと。妄想内容は確認不可能ですから。

>仮に人間の人生といものが、今生一回切りであったとした場合は、
>略
>みんなが見てますから、是非、コメントを希望します。

はぁ?ふざけないで下さい。だれが今生一回限りだといいました?「両極端排除と言う中道」は常見論者にとっては断見にしか
映らない。だから釈尊は説法をためらったのです。今のあなたがその邪見に陥っているのです。

613 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 22:32
>>608
当たり前です。
私はもちろん、おお真面目ですよ。

>死期直前の因を来世で受けるって?
>死後「果」を受けるじゃダメなの?
>じゃー死んだら一刹那も経たない内に生まれ変わるのか?
>
すぐに生まれ変わるとはいっていません。
そのためには、一定期間を経る必要があるでしょう。
ただ、仏陀はそこまでは教えなかったし、関心を向けることを良しとはしなかったようです。
因みに私は、死後から再生誕に至る経過についても、おおよそは把握しています。(まっ。余談です)

それから、ここの私の意見に対する否定派(2CH仏教関係すれの住人)たちは、
肉体無き後に報いを受ける一斉の存在を認めてはいません。
報い(良い悪いを含む)を受ける実体を認めません。

614 :名無しさん@3周年:03/09/08 22:56
なんで599だけ平然と無視するんだ?クリスタルは

615 :名無しさん@3周年:03/09/08 22:59
>>613
あなたに聞いたんですよ
他の住人の考えは関係ないでしょ
死後「果」を受けるではダメっすか?

616 :名無しさん@3周年:03/09/08 23:20
ならば、ハクチになりことが解脱だね。
電波のバカにするハクチこそブッダだろう。

617 :名無しさん@3周年:03/09/08 23:20
> 死後「果」を受けるではダメっすか?
この意味がよくわからん。
だれが「果」を受けるんだ?

618 :名無しさん@3周年:03/09/08 23:30
↑ 
‥‥いや‥
あなたに聞いてないし‥

619 :名無しさん@3周年:03/09/08 23:33

…いや…
俺はあんたに聞きたいし・・

620 :名無しさん@3周年:03/09/08 23:42
…いや…
俺はあんたにも聞きたいよ・・


621 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 23:46
>>615
>死後「果」を受けるではダメっすか?
>
ちょっと「シツコカッタ」ので、いいでしょう。
ここに全くの私の個人的な見解を示します。特別大サービスです。
これ以上のことは、ここでは不向きなので、しません。

197 名前: 叡智の学徒 投稿日: 2001/04/07(土) 13:30
【死の過程】:
 エーテルの生命力が撤退し魂との連結のカギが解かれ、一定時間の後に肉体と分離する。濃密
物質体(肉体)を構成していた諸元素は還元され、エーテル体のエレメンタルたちも離散する。アス
トラル(情緒形態)体は肉体からの分離の後、個人の情緒反応と影響に応じた時間の後に消滅する。
その存続経過は一般に霊体(幽霊)などと呼ばれる。 魂は最終的にメンタル体との離脱の後に、次
の転生までの間をデヴァチャン(至福の休暇)で過ごす。平均的には魂の進化レベルが高いほどに
デヴァチャンの期間は長いが、時間という概念は無い。
【転生の過程】:
 魂は過去生までの情報と照らして、次の転生に相応しい環境・条件を見つけだし、再び濃密肉体
に魂のカギを降ろす(受胎2〜3ヶ月のころ)。 魂は前世で使用したエーテル・アストラル・メンタルの
各3諸体の恒久原子、各一個づつを保持しており、転生の際の新しい肉体に投下して前世個人の
パーソナリティ情報を提供する。これは勿論、濃密物質レベルのDNAとは全く別次元でなされる。
 尚、転生は進化の法則に沿っているものであり、人間が下等生物に転生するなどということはない。
それは宗教の方便、或いは迷信である。

(以前、2CHで私が投稿した原稿です)

622 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/08 23:50
人間は死後、
「魂」は一定期間(個人によって異なる)をデヴァチャン(キリスト教のいう天国=至福の霊界)
で過ごしてから、生前までのカルマに適合する胎児の中へと受肉していきます。
尚、生前のパーソナリティー(仏教でいう五蘊)はその人の状況に応じて、
すぐに消滅する場合と、もしくは永い時間を濃密物質界と霊的世界との間に留まる場合とがあります。
すぐ消滅することなく留まる状況をアストラル想念形態といっていますが、いわばこれが「幽霊」です。
ただ、これらは生前の想念波動がアストラル・エネルギーとして残存しているだけであって、
これが「魂」というわけではありません。

来世までの間においても、
生前の行為の結果としてのその影響は当然ありますが、
それは主にデヴァチャンで過ごす期間の違いとして顕れるでしょう。
もう一つは、精神状態の良くないまま肉体を消失した者は、
死を自覚しない精神(幽霊)として、様々に周囲にも支障(霊障)を起こすことがあるでしょう。

しかしながら、生存中の行為の結果は当然、
再び生存の中にあって受けざる得ないことになります。
ほぼ、同等の結果を受けていく必要がありますね。
転生していく時には、魂が自己のカルマに合致する胎児へと受肉します。
過去世の記憶と情報の一切は、当然、蓄積されていて残っていますが、
新しく誕生するパーソナリティーは、通常それを自覚できません。

それから人間というもの、到底、一度の人生だけでは霊的成長は達成できません。
仏陀の説いた「四向四果」を見ても明らかなように、
仏道修行に励んでも通常、何生涯もかかってやっと到達できるのがニルヴァーナの境地です。
経験を積む必要があるのです。一生では到達できませんね。


スレから外れるので、辞めます・・。

623 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 00:01
>>609
>少し気になっていたのですが現在、何か新興宗教に入っていませんか?
>言ってる事がメチャクチャですよ。
>
メチャクチャなんかではありませんよ。

誤った無我や無常について書かれた仏教解説書で育った人たちとは、
当然、私とは意見が同じにはなれる筈がありませんね。
私はそういう世界から、とっくに抜け出した人間ですから・・・。
私は自称仏教徒たちの中には仏陀の教えを理解するものは殆どいない、
というように見なしています・・・。

別に隠すようなことではないので、
私はその後、個人でヒンドゥー・イズム
(ヨガナンダ、ラマナ・マハリシ、ラーマ・クリシュナなども読んだ)を経てから、
現在は、個人の自称「神智学徒」です。
特に会員とか組織にはいません。
そういうものが嫌いなのです・・・。

あっと、これは失礼!!
意図があって、一応、パラマハンサ・ヨガナンダ創立の
「S・R・F(セルフ・リアリゼーション・フェローシップ)」の会員ではある。

まぁ、どう見なそうともご自由です・・。

それと、ここで投稿している私の仏教観(理解)というものは、
これらのどこかで「そのように教わった」というものではなく、
これらの経緯を含めた上での、あくまでも私の個人的なものです。

624 :名無しさん@3周年:03/09/09 00:04
>>617-621までの流れは面白かった。良スレの予感!(←ばか)
アチャアチャ、というところだな(>>621,622の内容はともかく)

625 :名無しさん@3周年:03/09/09 00:26
じゃー前世での善業のオカゲで胎児に同化した後に墜ろされる事もあるのか。
そこまでは予知できへんやろからな

626 :名無しさん@3周年:03/09/09 00:28
クリスタルさん、あなたのような優秀な人材を探しておりました。
オウムに来てください。正大師の座をご用意しています。
グル麻原尊師もお喜びになるでしょう。

627 :名無しさん@3周年:03/09/09 00:32
「自分以外で仏教理解してる人は殆どいない」と豪語した後、
「これは個人的な解釈です」と書くクリスタルって、いったい‥‥

なんか「仙人さん」を思い出すなぁー。

628 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 00:32
>>599
すいませんが、
私は、「証明できる」とか「証明する」とはいってないと思います。

私が今しようと努めているのは、
仏陀は生まれ変わりを説いており、仏教の説く因果の道理からも
そうように理解せざる得ないということを示そうとしています。
そして、前世を肯定する以外には説明がつかない出来事の報告もあるということです。
(こちらの情報もある程度、集めて提供可能です。)

尚、前世の行為が来世に具体的にはどう結果として顕れるのかは
単純ではないと見なしています。
結果的にはそれは試練として受ける以外にはないものであり、
その人の霊的成長のための良き機会となるものであるかもしれないし、
或いはやはり、過去世の何かの報いであるかもしれない・・・。
私は分かりやすい例として、生まれながらの盲目の人を上げただけです。
これは聖書においても出てくるイエスへの質問でもあったからでした。
尚、イエスはそれは「神の御業がその人に顕れんがために・・・」(ヨハネ:9-3)と答えました。

最終的には、いずれは阿羅漢に到達した時には、
過去の生涯の全てを知るという神秘体験を得ることで、
一切が氷解するものと理解しています。
もう一つは、「退行催眠」(前世療法)を用いることで、
その原因を解く鍵が見つかる場合もあるようです。

>>353 >>365
もう一度、ごらん下さい。

629 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 00:43
>>624
矢印までされたら・・・(笑)

>>626
あの辺は大体、同時期の求道者たちですから、
確かに誘いは何度もありました・・・。
弟子の出家前にもらった麻原の生声の説法カセット・テープも何巻もあります(笑)
(歴史的犯罪者の生説法にて、なんと一部には価値があるそうです)

しかし、自分はここには興味ありません。


>>627
「自分以外」はなどとはいいませんし、そうは思ってません。
でも、ウケタようで・・・。

630 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/09 00:44
>>629
いやその生テープほしいなぁ。

631 :名無しさん@3周年:03/09/09 00:59
仏教徒だと自負してる人に仏教を理解してる人ほとんどいないって?
うーん、そうかもね
勿論その理解してない中にクリスタルさんは入ってないんでしょ。(藁

632 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 01:02
>>630
波木井さん、どうもご無沙汰です。ベコリ

>いやその生テープほしいなぁ。
あっはははは。
なかなかの濁声ですよ!
しかも、なかなか凄い解説内容で・・・。天才かと・・・。

以前、お金が欲しくて古本処分していた際、
オウム出家信者らから貰った今日では現信者すらも持っていず、
彼らがうらやむような会誌や資料をそこへ持参したところ、
それが一番の高値がつきました、とさぁ(笑)

古本屋さんも、こういうマニアックなものが希少価値がつくとかいって、
「これは凄い!」って喜んでました・・・。
まだ、麻原が逮捕されて1年くらいだったか?

633 :名無しさん@3周年:03/09/09 01:03
へぇークリスタルさんって結構いってんだね(年齢)
もっと若造かと‥

634 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 01:04
>>631
うーーん、厳しいですねぇ。。。
チョットだけ入っています。

でも、チョットですよぅ(笑)

635 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/09 01:07
電波男さん「悲」について勉強になりました。

>「両極端排除と言う中道」は常見論者にとっては断見にしか
>映らない。
おっしゃるとおりで、改めて、中道の難しさを垣間見ることができました。


クリスタルさん
提案ですが、教理は置きまして、一度、自分自身をとことん
見つめるといいますか、分析をしてみるのはいかがでしょうか?
自分の夢とか、自分が怒ってしまう原因とか、
自分のストレスの解消についてとか、心のそこの思いとか…
そうすれば、釈尊の言葉が以前より深く胸に響くと思います。

636 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/09 01:10
>>653
夢は、自分が寝ているときに見る夢です。

637 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/09 01:11
間違えました。
>>635
夢は、自分が寝ているときに見る夢です。

638 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 01:11
>>635
はい、くぅさんに感謝しますよ。

私はすっかり病理状態らしいですなぁぁぁ。
まるで、カウンセラーを受けているようだ。

639 :一言言わせてもらいますが:03/09/09 01:49

無記は中道とは関係ありません。
無記は無記として止める。
それは「どちらでもない」ということとは同じではありません。
その意図は何であれ、「明らかにしなかった」ということ以上の
ことではなく、そのまま「無記とした」と受け取ることです。
その無記とした理由は何であるかというと、これを説くことが
「修行の完成の妨げになる」から「無記とする」これだけです。
無記としたことについては、教えないことが
弟子の修行のために良いと判断されたのです。
無記の意味はこれに尽きます。下手な解釈(中道で説明する試み等)は
ここで拒絶しておくべきですよね。

640 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 02:10
>>639
うーーん。
やっと、話の分かる方の登場でしょうかね!!
けどぉ、私まで叱られそう・・・(笑)

私の理解は合ってますかぁ......
>>364
 仏陀の無記(存在自体は否定していない)の意図は、それがどちら(.在るのか無いのか)であるかを
知らなくても、日々の実際上の修行においては、特に問題とはならない。だから修行に専念しなさい、
ということであったと思います。ただし、仏陀のこのような返答の仕方というのは、常に相手や場合に
応じてでした。

>>523
 仏陀が形而上問題について沈黙する意味は、形而上的な疑問というのは果てしなく切りがないもの
であって、思考上での哲学的な虚論に陥ってそれらに囚われることなく、今、目前で自分が為すべき
義務(修行者は当然、霊的サーダナー<修行>)に専念しなさい。という意味であったと私は理解してい
ます。それから当然、相手によっては話したところで意味がなく、ただ誤解を招くだけの恐れもある場
合もあったことでしょう。違いますか?

641 :名無しさん@3周年:03/09/09 02:16
明確に説いてくれたほうが、弟子の修行も進むと思いますが・・・。
むしろ無記としたことで、こうして二千年以上も仏教徒は迷いまくりじゃありませんか。


642 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 02:16
>>633
麻原と同期ではないぞ、上祐とほぼ同期くらい。
年はワシの方がたぶん2、3歳若い。
ルックスは間違いなく、ワシのほうが上。これ間違いなし。
上祐おっかけギャルどもをみて、つい嫉妬したぞい!!

643 :名無しさん@3周年:03/09/09 02:19
ここはすごいインターネットですね

644 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/09 03:05
>>640のクリスタルさんの無記に関してのご意見には僕も賛成です。ですが今までの
ご自身の主張は完全に「常見外道」と全く同じもののように思えるのですが・・・・

現世で多数の生身の人間によって確認できないような事柄について、釈尊がとった
無記の態度は「断定肯定を認めない、断定否定を認めない」と言う電波さんの
おっしゃる通りだと思います。


645 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 07:17
>>644
>今までのご自身の主張は完全に「常見外道」と全く同じもののように思えるのですが・・・・
>
文献学的に論証することはチト難しいですが、
これについての私の見解を後ほど述べたいと思います。

646 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/09 08:39
>>623
やはり神智学かぶれでしたか。神智学関係とは深い因縁があるので近いにおいを感じましたよ。修験系と真言密教系でも出家して
修行を終えていますから彼らも接触しやすかったのでしょう。あなたのその穢れた見解でこのスレを荒らすのであれば、もう容赦しませんよ。

>誤った無我や無常について書かれた仏教解説書で育った人たちとは、
>当然、私とは意見が同じにはなれる筈がありませんね。

非常に傲慢としか言いようがありません。ま、私は解説書ではなく、経典や論書に近親していましたからあなたのは見当ハズレです。
それと、インターネットではあなたのような常見論者が圧倒的多数ですよ。認識錯誤です。

647 :名無しさん@3周年:03/09/09 08:39
クリスタルさん
ほんとおもしろいね。

死んでから生まれ変わるまでの簡単な説明がありましたが、これらはクリスタルさん自身の持論ですか?
経典に載ってたんですか?
大変興味ありです。

ですが「原始仏教スレ」では少しスレ違いかもね。

無記は無記で素直に解釈して、話題を変えて進めてほしいっす

648 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/09 08:40
>>628
そうではないということを何回も説明していますが、それに対する反論無しで独白ばかりですか?

649 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/09 08:58
>>639
>無記は中道とは関係ありません。
>無記は無記として止める。

それでは概念空間を恣意的に分断する事になります。ある概念を満足させるため、有機的に諸概念を組み合わせ
いるものに対して、別概念だから関係ないと言い切るのは非論理的ですよ。

言ってる意味が解りませんか?その言い分では解らないでしょうね。

・ 中道に導くための避けられない道のりとして「無記」がある
・ 無記とは両極端決着の執着を離れる事をも意図している
・ 他だ単に主教の妨げだから無記とするではない(箭喩經経と勘違いしてる?)
・ 中道に至る道を示唆、意図している

>無記の意味はこれに尽きます。下手な解釈(中道で説明する試み等)は
>ここで拒絶しておくべきですよね

どう尽きると言うのでしょうかね。(笑)

卒論でレヴィ『唯識二十論』の還元梵文の部分を諸漢訳、チベット、各註釈の切張りをしていた時の事です。
「心意識表(vijNapi)は同義語(異門)である」に就いて倶舎論の語義定義との対象表を作成し、瑜伽論、摂大乘論
六足発智へと蛸足する作業をしておりました。

するとある先輩が「同義語と言うんだから全て同じだろ?なに無駄な作業してんだ?同義語だから名前が違うだけ。だからそれ以上でもそれ以下でもない」
文献学が専門で、思想的なことや考える事を排除する人でした。本当にアホかと、馬鹿かと。。。その先輩と同じですね。

650 :名無しさん@3周年:03/09/09 09:05


              (◎.)
            _,ノ(_)ヽ---ヾ _
          /           \
         /  ノ人         ヽ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           | イ・ヽ\)         )< 父さん、このスレから強い電波を感じます
         | .|   |   ヾ、       ) \__________
         ヾ人__ノ(。。` ヽ        /
          | ⌒     |   ノ  ノ
          人   |     レノ   /
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  γ⌒`))     ノ(_.,|  o   |,___〉 ヽ
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           /___|\/\/|__ゝノ





651 :名無しさん@3周年:03/09/09 11:47
>父さん、このスレから強い電波を感じます


自分の意見は言えずに、電波の一つ憶え 見苦しい



652 :名無しさん@3周年:03/09/09 12:33
んっと、質問です。
「生まれ変わりがあるとかないとかは論証のできない事だし、解決できたとしても
苦の解決にはあまり関係ない。優先度がそれほど高いとも思えないから原始仏教
では取り扱かわない。それに拘泥する人に対して無記という手段を用いた」
この程度に解釈してたんですけど、間違ってますでしょうか?


653 :名無しさん@3周年:03/09/09 12:50
2000年前にくたばった人間の話をずっとやってるのも電波の一つ覚え

654 :名無しさん@3周年:03/09/09 17:25

二千年前だろうが、二万年前だろうが、そんな時間の事は関係ない。

655 :名無しさん@3周年:03/09/09 20:05
いずれにしろ電波の見解はまぎれもない断見だ。



656 :名無しさん@3周年:03/09/09 20:45
時間が無関係なら一つ覚えも無関係

657 :名無しさん@3周年:03/09/09 20:57


              (◎.)
            _,ノ(_)ヽ---ヾ _
          /           \
         /  ノ人         ヽ  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           | イ・ヽ\)         )< 父さん、>>651から強い電波を感じます
         | .|   |   ヾ、       ) \__________
         ヾ人__ノ(。。` ヽ        /
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658 :名無しさん@3周年:03/09/09 21:09
心意識表(vijNapi)>>>>vijNapti

あれ、訳も変わったな「形容詞化」だっけ? ずいぶん無理なこと言ってたけど

659 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 21:30
>>646-648:電波男Ψ(´д`)Ψ
>修験系と真言密教系でも出家して
>修行を終えていますから彼らも接触しやすかったのでしょう。
すいません。意味が理解できませんので、
もう少し分かりやすくお願いします。

>あなたのその穢れた見解でこのスレを荒らすのであれば、もう容赦しませんよ。
私の仏教理解は特に神智学によるものというわけではありません。
尚、それは神智学から照らしても外れた見解ではないと見ていますが・・・。
それから特に神智学の内容をここで論じようという意図はありません。
私も内心、これでも大真面目にやっています。

>非常に傲慢としか言いようがありません。
>ま、私は解説書ではなく、経典や論書に近親していましたからあなたのは見当ハズレです。
大いに結構です。
どうぞ、私の見当ハズレについてを存分にご指摘下さい。
遠慮なくご教授願いたいものと思います。

>そうではないということを何回も説明していますが、それに対する反論無しで独白ばかりですか?
私はまだ納得していません。
また私は、早期に然るべき某所に問い合わせしたいという意思を持っていますので、
その点についてもご了承下さい。

660 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 21:31
>>647
>>621-622のことですか?
それは神智学的理解に基づいて私が纏めた解説、および補足です。
ただの、参考までのオマケでした。
以降、特にそのような内容を論ずる意図はありません。

661 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 21:31
>>610
>「悟り」を得るには今生しか無い。チャンスは一回きりだ。だから精進するんだよ。
>有るか無いか解らない来世を信じて、「来世で頑張るから」ではダメっしょ。
>
それでは、伺います。
今世界のどこかにおいて阿羅漢に到達する寸前の仏道修行者というのは誰かいますか?
今生中で阿羅漢に到達するであろうと目される人物は誰かいますか??
もしも、存命中の先輩弟子の中にもいないのならば、
これから仏道を志そうとする者は到底、悲観的な前途であるといわざる得ませんねぇ。
到底、絶望的な前途ですよ。

第一、今生のみで到達できるような容易な境地ではないと理解するべきであり、
幾つもの生涯経験を経て、何生も修行を積んでようやく達せられる境地がニルヴァーナであると思います。
今生において獲得した達成は当然、無意味である筈はなく、
再び来世においてはその達成点から歩み出すことができます。
つまり、幾生涯を経ながらも、
しかし、誰しも必ずや仏に成ることが可能なことが保障されるというのが仏道でしょう。
今生で仏に成れなかった者は二度とチャンスがないという考えを私は否定します。

尚、来世で頑張るから今生は怠けよう・・・などいう教えは、
仏教の中には見出されないでしょう。
違いますか??

662 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 21:32
>>652
魂うんぬんの詳細については無記の態度だったが、
転生については詳細に解説を提供したというのが私の主張です。
人間は転生するのかしないのか、そのことを知ると知らないでは、
当然、それを知った者にとっての人生観に違いがでます。
であるから、どちらでもいいという問題ではありません・・・。

663 :名無しさん@3周年:03/09/09 21:36


              (◎.)
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           | イ・ヽ\)         )< 父さん、>>657は時空の制約にだけは従順らしいね。         | .|   |   ヾ、       ) \__________
         ヾ人__ノ(。。` ヽ        /
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          人   |     レノ   /
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664 :名無しさん@3周年:03/09/09 22:04
>>661
お釈迦様も前世で頑張ったから「悟り」を得たの?
お釈迦様は父母から生まれたその身そのままに「悟り」を得たんじゃないの?

あなたの考えでは釈尊の教えを理解し、日々修行(生活?)を送っていても(前世により)絶対に悟れない者が出来ますね。
生まれつき悟れる者と生まれつき絶対に悟れない者が出来てしまう。

これは仏教的なんでしょうか?

665 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 22:29
>>664
>釈迦様は父母から生まれたその身そのままに「悟り」を得たんじゃないの?
>
たとえゴータマ王子といえども、
幾生涯もの過去世からの人生経験、および修行に拠る成長(達成)なくして、
如何にして、今生のみで仏陀に成れるでしょうか?
それがジャータカ物語(過去世物語)が意図しているものなのです。
更に、ゴータマ王子が生まれた時、「そのままに、
すでにニルヴァーナにあった」などという見方は私はしません。

>あなたの考えでは釈尊の教えを理解し、
>日々修行(生活?)を送っていても(前世により)絶対に悟れない者が出来ますね。
>生まれつき悟れる者と生まれつき絶対に悟れない者が出来てしまう。
>
これは説明としては簡単なことです。

過去世における達成度の違い、
そして今生での進歩の在り方の違いというものが当然、個人差というものになります。
誰それは無理ということはありませんが、今生のみ今生だけという意味においては、やはり無理でしょう。
尚、仮に今生でニルヴァーナに到達できた存在がいたとした場合には、
その人間は当然、過去世(前世)においてそこ辺りまでの達成を得ていたという意味に他なりません。
四向四果(四沙門果)の説明にある通り、前世においてすでに斯陀含、
もしくは阿那含果を得ていた存在であったという見方になるでしょう。
>>328-329 >>330をご覧下さい。

666 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/09 22:45
>>658
おまえばか。形容詞化の意味を調べてみろ。

667 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/09 22:47
>>659
>また私は、早期に然るべき某所に問い合わせしたいという意思を持っていますので、
>その点についてもご了承下さい。

然るべきとか、某所とか内容を明言しないで了承しろとはどういう了見ですか?

668 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/09 22:59
一時帰宅しましたが、明後日からまたお出かけです(困憊)。

留守中のログを読みましたが、常見街道まっしぐらのクリスタルさんは支離滅裂ですね。こちらが提示した見
解や文献を吟味も検証もせずに質問返しばかり。加えて都合の悪い事柄は平気でスルー。これではまともな
議論は成立しませんね(苦笑)。
>>428
>思考上での哲学的な虚論に陥ってそれらに囚われることなく
「転生の有無」を論じることなどがまさしくそれです。
>・・・私は理解しています。
と言明されるのならば、何らかの論拠や根拠を併せて提示してください。
>ちゃんと私が示した経文の方便とやらが何かを説明した下さい。
次第説法や待機説法の論法の意味を慎重に吟味すれば速やかに理解できるはずです。佛教書から都合
のいいところだけつまみ食いしていませんか。それではオウムや阿含宗と同類ですよ。
>>429
>沈黙の態度は何も決して「無い」ことを意味しません。
だから、誰が「無い」などと断定しました?レスをもう少し論理的に読んでください。
>「無記。そういう問題には関知しない」が仏教であるとする姿勢をただ固持するというのなら・・・
私が「自説」を固持しているわけではありません。経典や論書にその根拠が示されています。
>>430-431
中村元氏の所説を自らの信条体系に沿って歪曲しないようにしましょう。
>>472
在俗者向けの教説であることを念頭に置きましょう。それとここで説かれていることが果たして胎生的転生を
意味しているのか慎重に吟味すべきです。「マハーナーマンへの教誨」などが参考になると考えます。
>>573
『沙門果経』などに説かれる「過去の生存の境涯」を単純に生物学的生死と捉えるのは誤りでしょう。また原始
佛教における「世界観」についてはこのスレッドの上のほうで議論がなされています。

669 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/09 23:11
電波男さん、ご無沙汰しております。多忙中につきあまり来られませんがよろしくです。横レスですが、

>>579
>『沙門果経』自体の成立年代を考慮すべきです。
『長部経典』の諸経には「教説オムニバス」的な傾向が感じられますし、対外道の教説も多く含まれるこ
とも勘案すれば編集年代はかなり降るのではないかと思われます。ただ、上にも書きましたようにそこ
で説かれる輪廻思想を胎生的に捉えると単なる常見に陥ると考えます。

670 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 23:20
>>667 :電波男Ψ(´д`)Ψ
>然るべきとか、某所とか内容を明言しないで了承しろとはどういう了見ですか?
>
だから、私はいっているではありませんか!!
 仏陀は本当に転生を認める話はしなかったのかどうか、
 四向四果(四沙門果)という教えは、弟子の進歩と転生回数を説明したものではなく、
 何か他の方便に過ぎないものか。もしそうであるならば、それは何の方便だったのか?
 『沙門果経』は後に部派によって挿入されたものなのかどうか、
 そもそも、宿命智通による過去世の説明などは仏陀は説かなかったのかどうか?
などといった事柄についてです・・・。

問合せ先については、
まずは仏教大学に尋ねてみようとか考えています。

671 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/09 23:21
中道と無記の関係は考えた事がなかったです。
確かに、関係がありますね。
というより、無記にしないと中道がありえなく思います。

「悟りを開いたのだから、無記と言いながら知っていて当然。
だから、知ろうとすることはなんら落ち度が無い。」
と思いがちですが、これでは、大きな矛盾が生まれます。
本当に死後の答えを知るものは天才です。
死を見つめるならば
凡人には凡人で自分なりの答えで納得していればいいのではないですか。
ただ、天才の答えを凡人に押し付けるのは、智慧を得れません。

672 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 23:38
>>659
>>>646-648:電波男Ψ(´д`)Ψ
>>修験系と真言密教系でも出家して修行を終えていますから彼らも接触しやすかったのでしょう。
>すいません。意味が理解できませんので、もう少し分かりやすくお願いします。
>
失礼しました。
おっしゃりたい意味が分かりました。たぶんねぇ。ペコリ
しかし「神智学」は、私個人が探求していく過程で自ら求めて辿り着いたものです。
このことによって、結果的には伝統的ヒンドゥー信奉者に傾倒することなきに至りました。
でなければたぶん、今はクリヤ・ヨーギンに専念する自分になっていたと思います。

それと神智学徒たちは、
新興宗教団体のように常に会員の入会を意図して適任者(ターゲット)を探すようなことはしていません。
第一、人数を増やそうとやっきになるようなことがありません。
イベント紹介のビラ撒き程度のことはします。

参考まで

673 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/09 23:42
あっ、違いますねぇ。
大間違いか?
電波男さんに学徒たちが接触してきた時の経緯・・・ですねぇ!! 
これは。


674 :名無しさん@3周年:03/09/10 00:30


              (◎.)
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           | イ・ヽ\)         )< 父さん、>>663の電波が乱れてます
         | .|   |   ヾ、       ) \__________
         ヾ人__ノ(。。` ヽ        /
          | ⌒     |   ノ  ノ
          人   |     レノ   /
           ヽ、 ⌒   ノノノ人__
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  γ⌒`))     ノ(_.,|  o   |,___〉 ヽ
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           /___|\/\/|__ゝノ



675 :クリスタルさんへ:03/09/10 00:54
>>175のリンク先を読んでみて、
伝統説と文献学の折衷で仏道を追求した木村泰賢先生は、輪廻を認めていました。
しかも輪廻の主体は何かということについてアートマン、アーラヤ識、
種子等はゆうまでもなく、心相続さえも通俗説としていました。
つまりとにかく表現できない何かが縁起して輪廻するというのが本来のようです。

それを否定したのが和辻哲郎で、彼は文献学によって伝統説を廃し、強引に 仏教を
科学と矛盾しない倫理道徳のようなものであるとしたのです。
まるで 荻生徂徠 を近代人と付会した丸山真男みたいなものです。
これについてはリンク先の東大助教授・下田正弘さんも同意見です。

それで 和辻以降生まれ変わりを説かない仏教を説く人たちが出てきたんです。
これは仏教がインドで起こってから多分初めて日本だけに流通している見解です。
伝統説ではもちろん単なる断見です。しかも有能な学者ももちろんそう考えています。

ですがここで討論しても無駄だと思いますよ。

676 :クリスタルさんへ:03/09/10 00:55
例えば中村元訳『ブッダのことば』の「八つの詩句の章」は独立経典で、
釈尊がある僧が復誦しているのを聞きその素晴らしさを頌えたと伝えられる経典で、
その註を法将シャーリプトラがしたと伝えられ、それが古注としてパーリで残っていて和訳もあります。
さらにその復註もあります。
また「八つの詩句の章」はサンスクリットと漢訳があり、
『ブッダのことば』はパーリで、有名なブッダゴーサの注釈もあり、その和訳もあります。

クリスタルさんがこれら全ての原典を正確に読みその資料すべてが 生まれ変わり、
輪廻を説いていると論証したとしても、それを認めないと思いますよ。
上に書いたことはこちらに書いてあります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4393111354/qid=1063122394/sr=1-3/ref=sr_1_0_3/250-0025331-2628276

もちろん私はもう書きません。

677 :名無しさん@3周年:03/09/10 00:55
論考に曰く
「語り得ないことには沈黙しなければならない」
勿論使用の意図は違うだろうけど、「無記」の定義の一つはこれで良くない?

中道に繋がる部分は電波さんがやってくれてるからおいといて。

678 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/10 01:17
>>675-676
なんだか古典的反近代主義者のご登場ですね。誰も今さら和辻説などを支持しとらんでしょう
が(苦笑)。
>木村泰賢先生は、輪廻を認めていました。
当然です。「輪廻」は佛教の基礎概念です。
>輪廻の主体は何か
原始佛教で主眼とされるのは輪廻の「主体」ではなく「様相」です。また、アーラヤ識なども畢竟「作用」なのでは
ないですか。「主体」などを説き出せば常見や有見に傾斜すると思いますよ。「何が」ではなく「どのように」を追究
するのが佛教の眼目でしょう。

最近このような「近代批判」をよく目にしますが、それは結局「近代的実在論」の裏返しに過ぎないのではないかと
思います。三界六道の把握にしてみても近代の実在的時間空間観や生物学的範疇が暗黙の前提になっている
ように感じます。



679 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/10 01:21
>>676
その古註釈の記述に関しては、このスレッドの1で議論されてましたね。パラローカが生物学的生死を意味
するのかどうかに関して。
http://life.2ch.net/psy/kako/1022/10221/1022157378.html

680 :NB ◆0buMLZ/Vxc :03/09/10 01:52
学生時代にお世話になった、とある仏教学の先生が、とある学会でチベット僧の通訳を
なさったとき、
チベットのお坊さん方が「輪廻を実体的に捉えることなしには仏教の悟りなど考えられない」
と主張なさるんで面食らったとはおっしゃってましたねえ。
ですから、このスレの最近のやりとりはある意味興味深いです。

まあ、木村泰賢師がもう少し長生きなさってたら日本の仏教学方法論の流れが違ってたかも
しれないとは思いますね。仏教学の行方が混沌としていた時代ですね。

681 :名無しさん@3周年:03/09/10 03:58
>>649
>・ 中道に導くための避けられない道のりとして「無記」がある
>・ 中道に至る道を示唆、意図している

なるほど。無記は中道ではなく、中道を知るための態度の一環のようですね。

>・ 無記とは両極端決着の執着を離れる事をも意図している
>・ 中道に至る道を示唆、意図している

中道は両極端決着の執着を離れる必要があると思ってよいですか?

>・ ただ単に主教の妨げだから無記とするのではない

無記とした意図のもう一つは↓↓それが中道に至る道だからですか。
  >・ 無記とは両極端決着の執着を離れる事をも意図している
  >・ 中道に至る道を示唆、意図している
つまりこの場合、両極端とは
前世や来世が存在する・しない
であり、あなたは、存在するでも存在しないでもない「何らかの状態」
のことを言おうとされているのでしょうか?
それとも、無記として回答を与えないことは「主教の妨げになるから」
というように、TRUE or FALSE の選択の場合に OTHER の回答を出すような、
捉われのない柔軟さのことを中道的であると言われているのでしょうか?
それとも、ただ単に、TRUE or FALSE の選択の場合にはどちらも用いない
ことを良しとする考えを中道的と思えばよいのでしょうか?

682 :名無しさん@3周年:03/09/10 08:40
やーーー、中道って、「このはし、渡るべからず」って書いてあるときに橋の真ん中を進むことかとおもってますた

683 :名無しさん@3周年:03/09/10 08:44
いとやすみ ひおやすみ チーン

684 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/10 08:45
>>681
あなた、鋭いしよくまとめています。
論理的に腑分けして観察し、矛盾があればそれを目の前において議論しようと言うのですね。

大切な姿勢であり、非常に建設的で議論が長期化するようですので、後の方でやりましょう。
その腑分けの後に蛸足接続状に考える材料が出てくるでしょう。

685 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/10 09:06
>>669 阿呆陀羅経さん
クリスタルさんは経典成立史は完全に無視しているようですね。
しかし、あなたはこの半年でかなり書物を読み漁り、自分のものにされていますね。

>>670 クリスタルさん

あなたが話しているテーブルのことが全く見えていないことがコレで理解できました。また、あなたの理解能力
の限界もハッキリしました。

>だから、私はいっているではありませんか!!
> 仏陀は本当に転生を認める話はしなかったのかどうか、
輪廻を前提とした話はしたと思いますよ。でも輪廻転生を肯定しているわけでは有りません。

> 四向四果(四沙門果)という教えは、弟子の進歩と転生回数を説明したものではなく、
> 何か他の方便に過ぎないものか。もしそうであるならば、それは何の方便だったのか?
このことについてはまだお話していません。四向四果についてはある深い洞察があり、修習の深まりについて
広い知識がないと読み解けません。

> 『沙門果経』は後に部派によって挿入されたものなのかどうか、
挿入といえば御幣があるでしょう。外道の教えがあり、簡単に述べた。それが段々膨らみ、増広付加され、編集
され、再編され、また増広され、新要素が加わり。。。ですね。

> そもそも、宿命智通による過去世の説明などは仏陀は説かなかったのかどうか?
説明はしたでしょうけど、過去世の捉えかたの問題ですね。

>問合せ先については、
>まずは仏教大学に尋ねてみようとか考えています。

はい。皆さん大笑いしてください。佛教大学でこの件でマトモに答えられるのはチベット仏教が専門の小野田氏
だけでしょう。あと、総合研究所の松田氏。今の議論の決着を大学に求めるなんて本当に愚かですよ。大学でも
教員によって考えかたが違います。立場も違います。


686 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/10 09:21
>>680
福田洋一@東洋文庫と宮崎哲弥の輪廻論争がありますが、これを新しい輪廻論争として捉えてはいけません。
どちらも馬鹿ですから。

新しい輪廻論争はMLで展開したいと思います。是非参加してください。

687 :名無しさん@3周年:03/09/10 12:21
つまり俺様と意見が違うヤツはみんな馬鹿ってわけね。すばらしい!

688 :名無しさん@3周年:03/09/10 12:28
電波の壁、これ、すなわち電磁バリヤーってか?

689 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/10 12:42
>>686
そのML私も参加したいです。もちろんROMに徹することになるかと思いますが・・・。

690 :名無しさん@3周年:03/09/10 13:10
日本中のバカが集まる2ちゃんと、日本中のバカのうち20人足らずのバカが集まるMLと

691 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/10 13:21
>>685
>あなたはこの半年でかなり書物を読み漁り、自分のものにされていますね。
佛教書にはかなり散財させられました(笑)。それと積ん読にしてた書物の埃を払って読み出したことも
収穫でした。そしてそれは電波男さんの「産婆術」の賜物だったと思います。深謝いたします。

692 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/10 14:21
>>687
内容を確認しないで断じてしまうあなたは、なんと偉大なのでしょう。

693 :名無しさん@3周年:03/09/10 16:19
くさい芝居はヤメレ

694 :名無しさん@3周年:03/09/10 17:36
小野田俊藏、並川孝儀、森山清徹、松田和信、福田洋一、宮崎哲弥は知ってるぞ!

並川孝儀、森山清徹等の仏教大学教授陣や福田洋一、宮崎哲弥よりできると思ってるわけね。プッ!

宮崎哲弥よりは仏教しってるだろうが

695 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/09/10 18:32
>>694
インターネットで調べただけだろ?では並川氏と森山氏の専門とその研究傾向と業績を知ってるか?
専門と業績は調べる事が出来ても、研究傾向はワカランだろ?知らないくせになにも言うな。ぼけ。

696 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/10 20:45
>>685 :電波男Ψ(´д`)Ψ
しかし、
685を拝見し、随分といい加減な見解だなぁと思いましたね。
何も分かっていないのは電波男さん、あなたです。
「転生」は在るでも無いでもなく、
そのような両極端に陥らずに中道を歩む・・・などいう問題ではありません。
これを認めなければ、仏教の根底からして成立しませんね。
転生を認めることは「常見」にはならないが、私の見解です。
たぶん、いってる意味が理解できないでしょう(笑)
このことは後々で述べるつもりです。

誤った仏教者らが解説した三法印の理解を元にして、
それに適合しないと見なされるものを排除しようとしているのだから、
全然、違ってしまうのも無理もないでしょう。
まっ、私にしてもまだ完結した論証には至っていませんが・・、
自分自身の内においては、たぶんに間違いないものとみている。
しかし、まだ私が出てくるには時期早々だったとは自認しています
(これは私の側の準備不足という意味において)。

転生を肯定しないと仏道は全然、成立しないからね。
では、死ぬ間際に仏道に帰依することにした人間は、
一体、いつニルヴァーナに到達するチャンスがあるのよ??
どうせこういう問題は、またムキムキでしょう!
都合のよくない事柄は全部、ムキムキだ。
これでは衆生は迷う一方。弟子まで逃げ出すわ。。

697 :名無しさん@3周年:03/09/10 21:10
>>695
ちょっと否定されると、すぐ罵詈雑言で、相手のことは何も知らないのに
全否定。その自分の言葉が真っ直ぐに自分の頭に落ちることには気が付かないのかしら?
ニャハハハ

698 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/10 21:14
>>675-676
誠に貴重な情報を本当に有難う御座いました。
心からお礼申し上げます。深々・・
フーーム、そういうことだったのかぁ・・・。
私の探そうとしていた回答への鍵を得ることができたと思います。
感謝!!

私は、今ここで議論している若干名を、どうにかして納得させようとしているのではありませんが、
このような可笑しな事態に陥った経緯を知り、
この仏教界のその愚弄した見解を、
もう少しどうにかできないものだろうかと想い煩ってしまうのですねぇ。
私はもう、仏教徒といえるように人間ではありませんが(そういうカテゴリも嫌い)、
基本的にはゴータマ仏陀の強いファンなんで。。
そういう想いが沸いてきてしまうんです。

699 :名無しさん@3周年:03/09/10 21:41
まだ「無記」についてやってましたか。
まっ今、永遠と続きそうなこの議論を解っての「無記」だな(フッ)
さすが釈尊

700 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/10 21:45
>>698
佛教大学の松田教授のコメントです。ご参考までに。
http://www.bukkyo-u.ac.jp/BUCD/world/html/11_01/11_01k/11_01k_02.html

701 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/10 21:53
>>696
一度パーリ長部の『梵網経』、あるいは長阿含の『梵動経』を読まれることをお勧めします。かなり整理され
た記述になっていますが、様々な「外道説」が俎上に載せられ批判され否認されています。その中にはあ
なたが主張されているような見解も含まれていますよ。

702 :名無しさん@3周年:03/09/10 22:50
>>699
というか輪廻否定派の唯一の根拠が無記だから
輪廻と転生を分ける考えなんかもともとないですから、
転生否定は輪廻否定です。


703 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/10 22:58
第一、三法印の「所行無常」も中観派の「一切は空」もそうだけれど、
この所行や一切があらゆる総てを含むなどと単純に考えるから、すぐ馬鹿を見ることとなる。
仏陀存在とニルヴァーナ境地までも無常にしたり、
空にしてしまったら仏教は成立できないということすらも、
すでに混乱を起こして分からなってしまう・・・。
で、挙句の果てにはアートマンも勝手にこの「所行」や「一切」の中へと放り込んでしまうわけ。
仏陀が説いたのものは、「それら(五蘊)はアートマンではない」という、
いわば「非我」(説)ともいうべきもので、
アートマン存在を否定したものと勘違いを起こした仏教者らが「無我」などと呼んだ。

永劫不滅の存在以外を「実体」(実在)とは見なさない、
という古代インドの思想見解から逸脱するものはないのであって、
仏陀存在とニルヴァーナ境地、
これらは絶対世界にあって未来永劫不滅の存在と境地を指している。
つまりは、アートマンとニルヴァーナ境地とは同意語であるというのが真理です。
「アートマンは無い」ではなく、真実の自己であるところのアートマンを求め、
真実の自己を確立することが仏教であるという意味においては
ウパニシャッドと異なるものではないのです。

704 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/10 22:59
 『初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認し
ている。・・・更にアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥られているのであるから、
アートマンをアートマンと見なすことは、正しいことなのではないだろうか。聖典自身は明らかにこ
の立場を認めており、原始仏教においては自己を自己として追求することが正しい実践目標とし
て示されている。すなわち真実の自己を求むべきことを勧めているのである。
 ところで《自己を(アートマン)を尋ね求める》ということは、実はジャイナ教においても説くところ
であり、表現の文句まで一致している。のみならず歴史的に遡って追求すると、このような思想
は、少なくとも表現の文句の表面に関する限りは、ウパニシャッドにおいて「アートマンが探求せ
らるべきなり」と説かれているのと全く軌を一にしている。「このブラフマンの都(身体)の内ある
小さい蓮華の形をなす一住居----その内部に小さな空処がある。その内にあるもの(アートマン)、
それを尋ね求むべし。実にそれを知ろうと欲すべし。」(チャーンドーギア・ウパニシャッド[.1.1) 
ウパニシャッドにおけるこのような表現を原始仏教は継承したのである。そして原始仏教において
は、「自己を知る人」が尊重されているのである。

 「自己の利を知って常に自己に専念せよ。たとえいかに大事であろうとも、自己ならざる他のも
のの利の故に、自己の利を捨て去ってはならぬ。」(ダンマパダ:166) 
 こういう表現は、古ウパニシャッドにおけるアートマン論と著しく類似している。』
--------------中村 元著『原始仏教---その思想と生活』NHKブックス刊


 結果的に誤って無理にアートマンを排除するから、唯識においては阿頼耶識なるものまで説か
れだす始末。人間の識が森羅万象を生じているなどという発想は、私の場合は小学校低学年の
内には自分で考えたもので単純な真理に他ならない。ただし、識がアートマンの筈はなく、それら
を超越したものがアートマンであるから、識の中に阿頼耶識なるアートマン代替が入っていること
は本当は矛盾する。これもアートマンを無理に排除した弊害に他ならない。

705 :名無しさん@3周年:03/09/10 23:09
>>702
松田さん写本の転載者としてはいい仕事してるけど、
思想的には山口、松本、袴谷、定方系と同じで、
和辻、つまり誤解の系譜でしょう。
なるほど松田>電波なわけね。
批判が仏教ね、袴谷が云ってたよ。いまだに信奉者いるじゃないですか。

706 :名無しさん@3周年:03/09/10 23:12

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

707 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/10 23:50
>>703
>すでに混乱を起こして分からなってしまう・・・。
「空」と存在論的な「無」を混同して、混乱を来しているのはあなたでしょう。
>仏陀存在とニルヴァーナ境地、これらは絶対世界にあって未来永劫
>不滅の存在と境地を指している。
またもや教証も論拠もない断定ですね。有見&常見全開ではないですか。

>>704
「確証バイアス」を抱いてると中村元氏の著書を読んでもこんな戯論に陥っちゃうのね(苦笑)。同書
の第三章を前提に読めばこんな過誤には陥らないはずなのに・・・。もっと突っ込んだ論究は選集の
『原始佛教の思想』で行われていますよ。

708 :名無しさん@3周年:03/09/10 23:53
唯識を理解した人の文章とはとても思えん

709 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/11 00:43
>>707
では「空」とは何か?
阿呆陀羅經さんの自分自身の言葉で説明してみて下さい。
お願いします。

710 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :03/09/11 01:09
>>709
いい加減に質問返しはお止めになればいかがか。そんな論点ずらしを始める前に、今までの私の
発言に対する論駁をきちんとすべきではないですか。あなたは逃げ回るばかりではないですか。

711 :名無しさん@3周年:03/09/11 01:16
シャカムニが言ったとて、実際に転生している証拠がなくては、
信じない人は多いと思います。
しかし、いずれ転生の事実がわかって、当たり前のこととして
考えられるようになると思います。
どの時点で気づくかの差があるだけのことです。

私は自分で証拠を探す労力をそれほど使わないうちに転生の事実を
確信しましたので、ここで示せるような証拠は保存してないし、
わざわざ探して教えてあげるほどの親切心も持っていません。
気づいた人は、よほどのお人よしでなければ、
断見論者に付き合っている時間を無駄と考えるでしょう。

712 :名無しさん@3周年:03/09/11 01:56
>阿呆陀羅さんへ
>いい加減に質問返しはお止めになればいかがか。そんな論点ずらしを始める前に、今までの私の
>発言に対する論駁をきちんとすべきではないですか。あなたは逃げ回るばかりではないですか。

まずはあなたが手本を示せばいいのではないかな。
まずはあなたの言葉で「空」を語ってみよう。

713 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/11 02:31
クリスタルさん
仏に帰依をしているのであれば、
三法印の諸行無常と諸法無我をとにかく、馬鹿正直に
受け止めていただきたいです。

涅槃については、例え理論で理解をしたところで、
その境地は達した者で無ければ分からないので
その議論は後回しにすれば、いいではないですか。

あなたの中で、諸行無常が諸法無我に結びつかなければ
空という概念は単なる仏教用語の知識で終わってしまいます。

714 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/11 03:02
クリスタルさんは常見論者と多くの方から思われております。
ほぼ多対一の図式です。

これは、仏教で言う、慈悲の関係はありませんよね?
なぜなら、多と一の間には大きな壁があるのですからです。

多の方達は、クリスタルさんのその強い思いを受け取れません。
クリスタルさんの思想はある形が出来ていて、強固だからです。
釈尊ほどの境地ならば、たやすく大きな壁を壊せますが。

結局、クリスタルさんがこちらに飛び込まなくては、一生平行線です。
一度、自分の学んだ事を白紙にして、そのまま皆さんの
主張をそのまま飲み込んで、
「どう考えれば、みんなの言う事が矛盾にならないか」
とこちらの土俵で考えてはどうでしょうか?

きつい事を言いますが、あなたがこちらを拒絶するのは「我執」です。
つまり壁を作っているのです。
こちらは、壁を飛び越えようとしてますが、撃沈してます。

715 :名無しさん@3周年:03/09/11 05:11
諸行無常諸法無我は一切苦ですよ。
そんなのは涅槃と正反対のものですから、
永遠で絶対の我と、苦で一時的で我無いものとを見分ける基準として
三法印を用いればいいではないですか。
何を馬鹿なことを言ってるのですか。
三法印以外のものを認めないとするのではなく、
その逆で三法印であるものを諦め、離れることをして行かなくて、
どうして永遠絶対の仏を見出すことができるのですか。

716 :名無しさん@3周年:03/09/11 09:03
我執比べ

電波=阿保>>>>越えられない壁>>>>>クリ

717 :名無しさん@3周年:03/09/11 11:28
age

718 :名無しさん@3周年:03/09/11 11:47
クリは自説に執着しているが、電波は自分が勝っていることに執着しているというわけだな

719 :名無しさん@3周年:03/09/11 12:37
来世否定は断見であり、輪廻主体をアートマンとするのは常見である。
ある見解をつかまずに、あるがまま中道を歩むのは難しい!

720 :名無しさん@3周年:03/09/11 13:05
しかし、どうして宗教周辺にはこの手のアフォが多いのかね<電波他

721 :NB ◆0buMLZ/Vxc :03/09/11 16:32
>>686

お誘い誠にありがとうございます。

MLって、、ちょっと…。。なんですが、せっかくのご好意。
近いうちに参加させていただきます。よろしくお願いします。

ぼくも波木井さんと同じくほとんどROM要員だとは思いますが。。

722 :名無しさん@3周年:03/09/11 17:20
>>720
常識とは別の何かを信じてるからでしょ。
常識に安住して得々としている人を逆に強靱と言われるんですけど

723 :名無しさん@3周年:03/09/11 17:33
>>705
山口>宮崎哲哉だから、電波と宮崎、けっこう学の流れ近い
主張もけっこう近いのがよく分かったよ。

724 :名無しさん@3周年:03/09/11 20:12
どっちも電波だけどな

725 :名無しさん@3周年:03/09/11 20:39
というか間違いを認めない人たちですね

726 :名無しさん@3周年:03/09/11 20:55
クリスタルの新ハンドル=短波男に決定

727 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/11 21:24
>>713-714
くぅさん、ご親切丁寧にありがとうございました。
あなたは本当に「いい人」だ。。

あなたがおっしゃる意味は分かりますが、
それは無理というものです。
私が妥協しては何の意味もありません。
正直、私は私の主張に対する批判意見の概要についてはその意味を理解しますが、
批判派たちが私の主張を十分に理解できないでいるのです。
尤も、まだ私の主張説明はまだ全部、終わっていません。
私は常に答えを先に出し、理由は後回しにするようにしています・・・。

>涅槃については、例え理論で理解をしたところで、
>その境地は達した者で無ければ分からないので
>その議論は後回しにすれば、いいではないですか。
特に意義はありませんが、
それは涅槃すら無常扱いする愚かさがなければです。

>あなたの中で、諸行無常が諸法無我に結びつかなければ
>空という概念は単なる仏教用語の知識で終わってしまいます。
私自身は何も混乱していません。
「無常なるものは無我である。」(それらは即ち、「真実の自己=アートマン」ではない)
分かりますか?

728 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/11 21:25
>クリスタルさん
>仏に帰依をしているのであれば、
>三法印の諸行無常と諸法無我をとにかく、馬鹿正直に
>受け止めていただきたいです。
>
何でも受け入れることは愚かであり、
つい帰依心から信じてしまうことが洗脳です。

仏や涅槃すらも諸行無常に含むなどと錯覚する失態、
つまり、本来からして永劫不滅なる存在すらも無常と誤解する歪曲を犯し、
諸法(無常なるもの)はアートマンには非ずという「非我」すらも、
アートマンは無い(無我)などと仏教者らが誤解するに至ったそもそもの元凶が、
この「諸法無我」についての誤解なのです。
これを基準にして物差しにし、
これから外れるのを消去法で処理しようとしている仏教者らは、
当然、全てが誤りに至るわけです・・・。

まず、話に可笑しなことはないか、
矛盾はないか、という懐疑心が第一に必要なことであって、
そのような疑問すらも総て氷解せしめるほどの理法が説かれて自己が納得し、
そうして初めて、相手の教えに帰依するに至るというのが本来のあるべき姿でしょう。

729 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/11 21:31
>>714
>結局、クリスタルさんがこちらに飛び込まなくては、一生平行線です。
確かにそうかもしれないし、或いはそうではないかもしれません。
まだ、私の説明は終了していません。

730 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/11 22:23
>>714
>結局、クリスタルさんがこちらに飛び込まなくては、一生平行線です。
確かにそうかもしれないし、或いはそうではないかもしれません。
まだ、私の説明は終了していません。

---------------------------------------------
どうか、皆さんで考えてみてください!

たとえば、実際の信仰の現場においてです。
仏道に帰依し始めたばかりの弟子が今まさに臨終を迎えようというときに、
彼から発せられた、「死後、私はまた再び仏道に帰依して、
いつかはニルヴァーナに到達する機会は得られるのでしょうか?」
という切実なる問いかけに対して、
あなた方(批判派)は実際に、何と教えてあげるつもりなのです??
たとえば・・・
 A氏-「そのような問いには答えない。by-ムキムキマン」
 B氏-「死後は、再び仏道に帰依できる実体などは存続しません。by-ダンケンマン」
 C氏-「死後にどうなるということを考えることそのものが愚かです。」
 D氏-「そうであるかもしれないし、そうではないかもしれない。by-サンジャヤ」
 E氏-「死後一切の消滅と再び仏道帰依なる両極端の見解(囚われ)を離れて、
     中道にあれ。by-中道マン」
 F氏-「釈尊はこれらについて何も教えてくれませんでした、涙...」
 G氏-「大変申し訳ないが、ニルヴァーナどころか仏道帰依すらも不可能です。
     この臨終で全てが終わりです。by-非情マン」
 わざと断見も含めた想定例にしています・・・といった具合ですか?

731 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/11 22:24
 私がもし僧侶ならば、たぶんこう答えるでしょう。
 「仏道を精進した功徳(果報)により、必ずやあなたは再び仏の教えと巡り合い、仏道に帰依す
ることになる筈です。だから安心しなさい。次の生涯はあなたの今の行の達成点から再び修行が
再会されることになります。更に努めて行に励みなさい。幾生涯かを経て必ずやニルヴァーナに
到達するでしょう。」

 私がいうところの仏陀の教え方では、たとえばこういう具合なのでしょう。
 「彼は三つの束縛(身見・戒取・疑)を滅ぼしつくしたから、須陀桓(聖者の流れに踏み入った人
=預流)となった。もはや三悪趣(地獄・餓鬼・畜生道)に堕ちることはなく、必ずや正しい悟りを得
ることが確定している。7回程度の再生誕の修行を経てニルヴァーナへと到達するであろう」と。

732 :名無しさん@3周年:03/09/11 22:39
原始仏教じゃなくて

アホダラ教=断見
クリスタル教=常見
デンパ教=半見教

733 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/11 23:09
>>715
はい、完全に同意します。
素晴らしき回答を-----ザッ・ゲッツ


>>708
そんなに難しいことは不要。この程度が理解されればいうことなし・・。
中村氏の名言です。
 『唯物論は-----物質から<自我の自覚>が何故に現われ出るかということを説明し得ない。
<物質>というものが想定されるのは、それを意識する自己があるからこそである。物質を物
質として意識し理解するところのものは、<精神>である。』(中村 元著「自己の探求」青土社刊)

734 :名無しさん@3周年:03/09/11 23:20
と、<精神>は思い込んでると


735 :名無しさん@3周年:03/09/11 23:51
おれ唯物論者だが、精神があるのは当然だよ。
でも精神=霊魂とするのは、飛躍しすぎ。

パソコンのハード=脳・神経
ソフトプログラム=精神・記憶

と単純に考えてます。

736 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/12 00:04
>>735
>でも精神=霊魂とするのは、飛躍しすぎ。
誰もそんなことはいってません。

識からマーヤーなる物質現象世界が生じるものと見なすのです。が、
しかし厳密には、これら一切はアートマンではありません。
アートマンはこれらを超越した何か?です。
尚、人間に精神が生ずるのはアートマンが存在するからである、という見解も確かにあります。
これと似た考え方が「阿頼耶識」になるわけです。

737 :名無しさん@3周年:03/09/12 00:07
>>735
それじゃ唯物論じゃなくないの?

738 :名無しさん@3周年:03/09/12 01:10
>>736
それは仮面仏教徒のシャンカラ、ヴェーダーンタの見解ね。

アートマンと取るか空と取るかで悟れるか、天界行きかの分かれ目であると、
チャンドラキールティは仰ってませんでした?

739 :NB ◆0buMLZ/Vxc :03/09/12 02:34
>クリスタルさんに質問。

仏教関係の辞書は何を使ってらっしゃいますか?
「唯物論」と聞いて誰の何を思い浮かべますか?

同化ができてはじめて異化が可能になるもんですよ。どんな分野でも。
いや、こんなこと言うのも何だけど。

740 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/12 04:33
>>715
それは、貴方とお話しをするならば、否定はしませんが、
クリスタルさんへ向けての話しなので、一般論ではありません。
焦点を絞っております。

741 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/12 05:33
クリスタルさん
>何でも受け入れることは愚かであり

危険性は認めます。
しかし、本当の愚かさは、受け入れて自分を失う者だと思います。
確かに、その者よりは、受け入れない人の方が賢明ですね。

しかし、それは一般常識だと思います。
本当の賢者は受け入れながらも、自分を保てる人。
我では無く、自分です。
何色にも染まらない人だと思います。蓮の例えですね。

あなたの解釈が絶対だと主張するのであるなら
こちらに来ていただきたいのです。

742 :名無しさん@3周年:03/09/12 09:36
説明できないことなんぞ、いくらでもある。できないものは、できないのだと納得して
糞して寝ればよい

743 :名無しさん@3周年:03/09/12 10:31
>>742
この賢者め
話終わらすな

744 :名無しさん@3周年:03/09/12 11:24
常套句「クソして寝ろ」だが、寝る前にクソするか? 普通、朝じゃないの?

745 :名無しさん@3周年:03/09/12 13:41
>>741
我と自分って違いあるの? 自分も空のはずじゃなくて。




746 :名無しさん@3周年:03/09/12 15:16
こんな風に使う。

          電波は我は強いがアタマは弱い


747 :名無しさん@3周年:03/09/12 17:28
それじゃ答えになってないし、あんまりおもしろくないです。

748 :名無しさん@3周年:03/09/12 18:52
答えは自分でみつけろ

749 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/12 22:25
>>739
>クリスタルさんに質問。
はい、質問ありがとうございます。

私の投稿のあまりに内容に、仏教の基礎知識すらも疑うでしょう?(笑)
ある意味それは当然でもあり、私は全然構いません。
正直な話、仏教の知識などはここに集う皆さんには遥かに及ばないでしょう。
実際問題が私はここ10年というものは、まともに仏教書すらも読んでもおりません。
笑って頂いても大いに結構ですから・・・。


>仏教関係の辞書は何を使ってらっしゃいますか?
現在、仏教関連辞書などは一冊も有していません。
昔、15年以上以前には、
水野弘元著『仏教用語の基礎知識』(1972年春秋社刊)が大切な辞書でしたが、
その後、間もなくプライベートな事情にて消失しました(笑)。

これらの辞書の一冊二冊は持っていて良いとは思いますが、
私個人は、仏教の教理教学を学ぶ方向性についてを自ら破棄しました。
興味を消失したことが主な理由です。


>「唯物論」と聞いて誰の何を思い浮かべますか?
プラズマ権威、早稲田大教授の大槻義彦さんです(笑)
単純に神や霊魂存在を認めない見解はすべて唯物論であると思います。

仏教的には六師外道のアジタ・ケーサカンバリンで、
人間の死後は地水火風の4元素へと還元するだけで、善悪の果報もなしというもの。

また、ご教授ください! ヨロシク

750 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/12 22:25
>>741
>あなたの解釈が絶対だと主張するのであるなら
>
すでに述べたように、まだ完全に論証するほどのデータ(資料)を提示できませんし、
ましてや証明するということは、かなり困難な問題です。
しかし、私自身は殆ど確信を抱いている事柄です。

>こちらに来ていただきたいのです。
 >>714
 >「どう考えれば、みんなの言う事が矛盾にならないか」
 >とこちらの土俵で考えてはどうでしょうか?
 >きつい事を言いますが、あなたがこちらを拒絶するのは「我執」です。
 >つまり壁を作っているのです。
>
すでに説明したように、あなた方の主張は概ね把握しています。
ですから、あなたがたの理解するところの諸行無常、諸法無我の観点に立てば、
当然、私が提示している内容等は切り捨てられて当たり前でしょう。

私はその判断基準そのものを間違っていると主張しているのですから、
どうしてあなたがたの側に立って物事を見れるというのでしょうか?
私がそれらを拒絶するのは、それらが道理に則さないからに他なりません。
意味は繰り返し説明していますね。。。
あと問題は、私の説明不足(説明下手)とあなたがたの理解不足とに拠ります。

751 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/12 22:39
>>713
>クリスタルさん
>仏に帰依をしているのであれば、
>三法印の諸行無常と諸法無我をとにかく、
>馬鹿正直に受け止めていただきたいです。
>
正確には仏の教えではなくて、
「仏教解説者」らが説いた誤解ですね。
(これを言い出したらきりがないですが・・・)

752 :名無しさん@3周年:03/09/12 23:00
>751
なんというか、何でもありを正当化する立論ですな。それだと、あなたが
信じている「仏教」が、他の人たちが想定している仏教と同じである保証
はどこにもなくなるし、なくてもいいっていうんなら、議論するのはそも
そも無駄では?
それにしても、仏教系って、どうもこの種の立論が多いねえ。

753 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/12 23:11
>>752
>なんというか、何でもありを正当化する立論ですな。
>議論するのはそもそも無駄では?
>
意義あり。
何でもではなくて、それはちゃんと内容を吟味し、
何が不条理で何が道理にソグワナイかを議論において浮き彫りにできる筈です。

754 :ごうだま:03/09/12 23:27
‥‥‥‥‥‥‥‥……………………

755 :名無しさん@3周年:03/09/12 23:28
>>753
そのとおりだね。
あなたはその作業をサボっているから煽られるんだ。
後から言うとか説明不足とか逃げを打っていないでさっさと道理を提出しなさいよ。

756 :名無しさん@3周年:03/09/12 23:29
なにしにきたんだろね

757 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 00:06
>>750、クリスタルさん。
>すでに述べたように、まだ完全に論証するほどのデータ(資料)を提示
>できませんし、ましてや証明するということは、かなり困難な問題です。
>しかし、私自身は殆ど確信を抱いている事柄です。

これでは単なるあなたの信仰告白(仏教理解)になってしまいませんか?
千人いれば千通りの仏教理解があってもいいという立場なら、それでもかまわないと
思いますが、あなたは決してそういう立場ではないじゃないですか。
近代仏教学者の説を曲解歪曲と否定していますしね。

>私がそれらを拒絶するのは、それらが道理に則さないからに他なりません。
>意味は繰り返し説明していますね。。。
あなたの言う道理、例えば生来の障害者は、前世の悪業が原因だなどと言うものは
道理でも何でもありませんね。「道理」と言うのは万人が頷かざるをえない「三法印」
や「四諦・八正道」や「縁起説」の事をいいます。あなたの言う道理などはカルトの
脅しでしかありませんよ。現代人にあなたの言う「道理」などどれだけ通用しますかね。


758 :名無しさん@3周年:03/09/13 00:11
共通理解に達しているのは、ひろさちやが糞であることのみ

759 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 00:16
>>757
>あなたの言う道理、例えば生来の障害者は、
>前世の悪業が原因だなどと言うものは道理でも何でもありませんね。
>「道理」と言うのは万人が頷かざるをえない
>
では、お聞きしますからお答え願います。
生来の肉体および精神障害者は、仏教的観点においてはどういう因果で生じましたか?
万人が頷かざるをえない説明を希望します。

760 :名無しさん@3周年:03/09/13 00:28
>>757
>あなたの言う道理、例えば生来の障害者は、
>前世の悪業が原因だなどと言うものは道理でも何でもありませんね。

これを認めない仏教はかつてなかったんですけど。

これを認めないのが正に断見で、因果(全ての出来事には原因がある)が崩壊するんですね。
だから仏教もジャイナもニャーヤもサーンキャもヴェーダーンタも断見が最低の見解であるということは、
インド求道者共通認識の認識じゃないですか。これは常識じゃないの。

761 :名無しさん@3周年:03/09/13 00:32
>生来の肉体および精神障害者は、仏教的観点においてはどういう因果で生じましたか?
>万人が頷かざるをえない説明を希望します。

説明してやれよ>ベロさん

762 :名無しさん@3周年:03/09/13 00:42
ベロさん、断見から抜け出すチャンス! 電波の珍説を盲信せず、
自分で南伝大蔵経とか国訳大蔵経とか読んでみれば。

763 :名無しさん@3周年:03/09/13 00:46
>>759
親の遺伝と(主に)家族の生活環境。
受け継がれる形質は遺伝と環境の相互作用によって規定される。
べつに親の悪業が伝わるわけではないし、ましてや輪廻転生で他所から形質が入ってくるわけでもない。
そんなこと今では誰だって知っている。

764 :名無しさん@3周年:03/09/13 00:53
>>763
それは科学信仰に基づく現代人の常識であって、
仏教体系ではない。仏教では自分のおこないが縁起して永遠に生成していくと考えます。
死んだら終わりとか、生まれる前に原因がないというのは断見です。

仏教体系に現代的感情を持ち込まないでくださいね。

765 :名無しさん@3周年:03/09/13 00:58
>>764
仏教に現代感覚が通用しないのなら仏教はいかなる現代人も救うことはできないだろうに。
そんな浅薄な教えが仏教なのか?
とりあえず電波男の述べるところの原始仏教は現代でも通用するみたいだぞ。


766 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:01
>>763
では、全く同じ親の遺伝子を受け全く同じ環境に生まれたAさんとBさんとであっても、
生まれた肉体等に違いが生ずるのは何故か?
それから、あなたがお隣ではなくて、
あなたの両親の元にへと生まれたのはどういう因果か?

>>764
同意します。絶賛!!
(ていうか、本来なら当たり前の回答ですが・・・)

767 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:05
>>765
>仏教に現代感覚が通用しないのなら仏教はいかなる現代人も救うことはできないだろうに。
>そんな浅薄な教えが仏教なのか?
誤解しないように。
世間一般に見られるような唯物主義や断見に陥ったりしてはならないでしょう。

768 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:05
>>766
>では、全く同じ親の遺伝子を受け全く同じ環境に生まれたAさんとBさんとであっても、
>生まれた肉体等に違いが生ずるのは何故か?

違いは生じえません。その前に、同じ環境を2個体に厳密に与えることは不可能です。
まるで見てきたような嘘つかないでいただきたいデス。

769 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:14
>>768
一卵性双生児のAちゃんとBちゃんとで、
Aちゃんは障害を持って生まれ、Bちゃんは健康無事であるこの違いを生じたその原因は何か?
何故、BちゃんではなくAちゃんだったのか、その決定付けは何に拠っているのか?

770 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:16
>>767
>世間一般に見られるような唯物主義や断見に陥ったりしてはならないでしょう。
そんなものに陥らずに現代感覚に矛盾しない世界観を構築できることを何故理解しようとしない。頭かてーな。

771 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:19
>>765
>>仏教に現代感覚が通用しないのなら仏教はいかなる現代人も救うことはできないだろうに。
>>そんな浅薄な教えが仏教なのか?

浅薄とは何を意味するのか? 時流に阿ったもの、例えば「種の思想」とか「マルクス主義唯物史観」
とかは浅薄に見えますが。

少なくとも伝統的な輪廻・因果を信じるスリランカ、タイ、ビルマ、チベット、台湾、韓国や、
ヨーロッパ、アメリカでは多くの人が救われてます。


>>とりあえず電波男の述べるところの原始仏教は現代でも通用するみたいだぞ。

だから差別思想とかの現代思想に阿ってるだけで、仏教は一貫してそんなことは説いてないんです。
それどころか誤った考え、邪見として、断見と言われ繰り返し否定されています。


772 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 01:20
>生来の肉体および精神障害者は、仏教的観点においてはどういう因果で
>生じましたか?万人が頷かざるをえない説明を希望します。

そのように生まれる親の遺伝や生活環境・出産時のトラブル等々様々な縁が
重なったからだと思います。しかし前世の悪業などと言う本人や家族には
確認不能でどうしようもない事柄を原因とはしません。

キサーゴータミーやパターチャーラの子供が幼くして亡くなり、釈尊の元へ救いを
求めてきた時に、釈尊はどう応えましたかね?お前が子供を亡くしたのお前の前世の
因縁だとか、子供が早死にしたのは子供の悪業のせいだなどとおっしゃったでしょうか?

障害を持とうが、早死にしようが、親にとっては「かけがえのないいのち」
そのものなんですよ。僕は仏教からそういうあらゆるいのちの尊厳も学びました。
障害を持つ事や早死にが決して悪い事などではないと言う視点も学びました。

>これを認めない仏教はかつてなかったんですけど。

そう言う悪しき伝統が仏教をダメにしている事に早く気づいて下さい。

773 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:21
>>770
あなたには是非、上の>>769と、
前の>>730には、あなたなりの自分の言葉で答えて頂きたい!

>>730
>たとえば、実際の信仰の現場においてです。
>仏道に帰依し始めたばかりの弟子が今まさに臨終を迎えようというときに、
>彼から発せられた、「死後、私はまた再び仏道に帰依して、
>いつかはニルヴァーナに到達する機会は得られるのでしょうか?」
>という切実なる問いかけに対して、
>あなた方(批判派)は実際に、何と教えてあげるつもりなのです??

774 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:22
「現代感覚に矛盾しない世界観を構築」したら悟りに至らないからですよ。



775 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:22
他人を詰問するが、自分もたいして解っていないことに気づき始めたのだろうか?
それゆえのトンズラか>阿呆陀羅經(質問返しだ〜、の一点張りは止めてくれ)とベロ

がんばってくれ!

776 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:22
>>769
母体内の位置関係や妊娠中の環境の相違の結果だと推定されます。
もし胎児の環境を厳密に精査できれば障害の原因は突き止められるはずです。
この例の場合、ゲノムの異常よりも胎児の生育環境が障害の要因として重要だと考えられます。
あるいは分娩時のトラブルに起因するのかもしれないけど。
とにかく、同じ環境を二個体に与えることは出来ないのです。

そういう中途半端な似非科学知識でもって衆生を惑わすのはおやめなさいな。

777 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:30
>>772
>障害を持とうが、早死にしようが、親にとっては「かけがえのないいのち」
>そのものなんですよ。僕は仏教からそういうあらゆるいのちの尊厳も学びました。
>障害を持つ事や早死にが決して悪い事などではないと言う視点も学びました。
>
当然です。

であるから、人間の苦悩や悲劇が繰り返されないよう、
自己の行為が因果を廻るという道理を説き、
自己の行為において悪しき業報を積まないように教えるわけです。
そのことによって二度と悲劇に見舞われないようになっていくことになります。
あなたの考え方では、人間の悲劇は回避不能という意味になります。

感情論から人間の苦悩を消滅することはできません。

778 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:30
>>771
浅薄とは、全時代を通じて受け入れられるとは限らないようなしょーもなさをここでは示している。
要するに非科学的なことだ。
べつに勘違いで浅薄な教えに救われてもなんのもんだいもない。

電波男を否定するなら電波男とやってくれ(w  おりゃしらん。

779 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:34
>>777
だからぁ、遺伝と環境が全ての形質を規定するんだって。
いくらでも反証してあげるから、もっと一卵性双生児の例えでも挙げてみな。

780 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:36
>>776
それは私の質問の回答になっていません。
私は何故、「BちゃんではなくAちゃんだったのか」と聞いているのです。
全く同じ環境でなくて結構、どうしてBちゃんではなくAちゃんなのかを返答して下さい。
これは必ず答えて下さい!

781 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:44
>>780
同じ環境でなければ異なった結果が得られるのは当然です。
Aちゃんだった理由は様々ですが、それを業のせいにする根拠はどこにもありません。
あとはベロさんの言ったことと同じ。
学習してね。

782 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:49
>>781
私は何故、その条件(環境)がBちゃんではなくいAちゃんであったのか?
と聞いているのです。

>Aちゃんだった理由は様々ですが
様々で済ませないで下さい。
その時、どうしてBちゃんではなくAちゃんだったのかを説明しましょう。

783 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 01:51
>>770さんへ
どうか、>>773のご回答をお待ちしております。

784 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:57
パターチャーラー について水野弘元『釈尊の生涯』春秋社 242-244ページ
を前後を要約して肝心のところは引用してみました。

豪商の娘パターチャーラーは下僕と駆け落ちして暮らしていた。
やがて夫に愛想をつかし不本意ながら貧しい生活を送っていた。
二人の子供が生まれた。嵐の時に夫と二人の子供を失った彼女は、
実家に向かうが両親も兄弟も死んでしまったことを聞き発狂し、裸で彷徨いていた。

>>彼女が祇園精舎の方へやって来ると、比丘たちは、これを阻止しようとしたが、
>>釈尊はこれを制して、彼女に、「正気に戻れ。」といわれると。彼女は正気を回復し、
>>身にまとっていないことを恥じた。佛は衣を与え、彼女が悲しみ狂った事情を聞かれ、
>>彼女に、世の中のすべては無常であり、ながい輪廻の間には、悲泣の涙は大海の水にも
>>匹敵するものであることを話されると、悲しみはしだいに薄らいだ。

彼女は出家し無常無我の説法によって修行しアルハットになった。

彼女の教えを受けた三十人の尼僧の歌が、

>> 彼女たちは、夜の初更において、前世のことを想い起こした。
            中村元訳『尼僧の告白』岩波文庫 120偈

以上によれば釈尊もパターチャーラー の影響を受けた 三十人の尼僧たちも
多くの生の生まれ変わりである輪廻を受け入れていたことは明白です。

また、律には様々な前世の因縁を釈尊が説明されています。

785 :名無しさん@3周年:03/09/13 01:59
>>782
いつのまにか環境の決定要因に話がすりかわっとる(w

あなたの疑問はこれでしょ。


>766 名前: クリスタル ◆rXhk8XNQU6 投稿日: 03/09/13 01:01
>>763
>では、全く同じ親の遺伝子を受け全く同じ環境に生まれたAさんとBさんとであっても、
>生まれた肉体等に違いが生ずるのは何故か?


遺伝と環境が一致すれば表現型も一致します。
ただし、環境が一致することはありえないので表現の相違は如何なる場合でも起こり得ます。
あなたの言い分は似非。
それがわかっていただければ私の出番はおしまいです。
Aちゃん問題は自分で考えようね(w

786 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 02:00
>であるから、人間の苦悩や悲劇が繰り返されないよう、
>自己の行為が因果を廻るという道理を説き、
>自己の行為において悪しき業報を積まないように教えるわけです。
>そのことによって二度と悲劇に見舞われないようになっていくことになります

クリスタルさんのこの意見には全面的に賛成です。ただしそれは現世において
自業自得の範囲においてであります。死を起点とした過去世や死を起点とした来世に
釈尊は言及していない事を、散々今まで学んで来たのではないですか?

>あなたの考え方では、人間の悲劇は回避不能という意味になります。

三法印、四諦・八正道や中道・縁起説を深く心に刻み、常に戒を意識して、三業を
清め様と努力し、折々に瞑想実践に励めば、過去世や来世などを言い出さなくとも
人間の苦悩は必ず克服され得ます。それは釈尊が証明していますよ。

787 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:02
>>778
科学的常識なんて時代によってコロコロ変わること体験してません。

また前世がないと科学では論証されていないと想いますけど? 違います?



788 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:05
>>786
>>三法印、四諦・八正道や中道・縁起説を深く心に刻み、常に戒を意識して、三業を
>>清め様と努力し、折々に瞑想実践に励めば、過去世や来世などを言い出さなくとも
>>人間の苦悩は必ず克服され得ます。それは釈尊が証明していますよ。

まったくそんなことないですよ。釈尊は過去世や来世を前提に諸法を説かれてますよ。
だから自分で直訳の経典たくさん読んでみてくださいよ。

789 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:10
>>787
そのとおりですね。
常識も変わるかもしれない。
ま、現時点の常識に矛盾しない、とでも言い直しておきましょ。

前世も論証不能ですね。だから?

790 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:10
>>788
どんな経典に載ってるの?来世の前提。おせーて!

791 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 02:18
>>786
>ただしそれは現世において自業自得の範囲においてであります。
>死を起点とした過去世や死を起点とした来世に
>釈尊は言及していない事を、散々今まで学んで来たのではないですか?
>
ペロさん、
現世の行為の結果について、来世を認めずにどうして理法が成立するというのですか?
死の間際の行為は果報はいつ受けるのです??
僅かに今生のみの修行でどうして、簡単にニルヴァーナに到達するというのです?
ゴータマ王子でさえも“六年麻麦の苦行”といった壮絶な修行をしたといわれているのですよ。
(これらと同様の苦行が必要という意味ではない)
参考:http://www3.justnet.ne.jp/~m-sugano/shaka.html
    http://kawai51.cool.ne.jp/m-lahore-1.html

今生の人生における失敗等の教訓はいつどこで活かせられます?
我々が高々、どうして数十年の人生で、
数年の仏道修行で容易に到達できるのです?

あなたは、>>730のような現実によく起こりえる場面では、
どう話すつもりです?
どうか、これには答えて下さい!!

792 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:22
>>784 じゃだめ?

なんでもたいてい載ってますよ。『ブッダのことば』『真理のことば』
『ブッダ最後の旅』『神々との対話』『悪魔との対話』
中公の世界の名著、律は南伝大蔵経、国訳一切経、国訳大蔵経とすべて載ってますよ。

もちろん大乗経典も、中公の大乗仏典シリーズでもそうでしょ。


793 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 02:22
>>785
では、私の質問自体に可笑しな点があっことについては認めましょう!!
ですから、あなたの出番で結構・・・。。
どうしてその時はAちゃんだったのかを答えて下さい。
コレ..重要です。

794 :困っています:03/09/13 02:23
吹石一恵関連のところに藤沢高史という人がきて困っています。
彼の文書を読んで意見をあげてください。お願いします。
公開されてるアドレスは
seoujuku@circus.ocn.ne.jp
です。

795 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:25
>>791
>死の間際の行為は果報はいつ受けるのです??
受け取れないだけでは?

>今生の人生における失敗等の教訓はいつどこで活かせられます?
その都度、では?

>我々が高々、どうして数十年の人生で、
>数年の仏道修行で容易に到達できるのです?
数十年が短いの?長いじゃん。

796 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 02:27
>まったくそんなことないですよ。釈尊は過去世や来世を前提に諸法を説かれて
>ますよ。だから自分で直訳の経典たくさん読んでみてくださいよ。

そりゃ、話し相手が業報輪廻転生説を信じて疑わない古代インド人相手ですから、
釈尊が過去世や来世の話をしてる仏典もありますよ。でもね、その過去世の因縁や
来世の果報などと言う事はさして重要ではなく、その話を方便としていかにこの
現世をより善く生き、ついには「生まれ変わらない境地」を目指せとおっしゃるの
では?で、生まれ変わらない境地とはまさに過去世や来世の存在などにとらわれない
境地であって、そう言うものが意味をなさない境地であると僕は考えています。

797 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:28
>>792
ありがとさんでした。来世の前提が説かれている阿含経典ね。

798 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:28
>>790 失礼、来世でしたか。それじゃ>>784 じゃだめだな。

それでも答えは>>792 に同じですね。


799 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:29
>>793
さあ?偶然かな。

800 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:33
>>796
「生まれ変わらない境地」というのは輪廻から抜け出た涅槃のことでしょう。

そうゆうのを方便として捉えては全くとは言わないけれど、ほとんど仏教を学ぶ意味ないでしょう。
断見について釈尊が説かれているものを読んでみてくださいよ。
けして過去世が方便でないことが分かるはず。これ以上は言いませんが。

801 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 02:37
>>730、クリスタルさん。
>仏道に帰依し始めたばかりの弟子が今まさに臨終を迎えようというときに、
>彼から発せられた、「死後、私はまた再び仏道に帰依して、
>いつかはニルヴァーナに到達する機会は得られるのでしょうか?」

「安心しなさい、あなたがどのような死を迎え様とも、現世で三宝に帰依した功徳は
涅槃と言う偉大な功徳をもたらし、再びこの世に生を受けるなどと言うとらわれから、
あなたを解放して下さいますよ。まさにこの世とあの世と言う妄想を捨て去る事こそ
が涅槃なのですから」と僕ならこたえます。

802 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:42
>>801
慈悲に基づくなら善業だけど、まさにそれこそ方便ですよ。

もしあなたが釈尊の立場でそんなこといったら「帰依すれば涅槃する」なんて
邪見の徒がたくさん出ちゃうじゃないですか。まあ、現実ではだれもあなたに聞かないからいいようなものの。

803 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:47
ベロさんへ
>まさにこの世とあの世と言う妄想を捨て去る事こそ
>が涅槃なのですから」と僕ならこたえます。

で、捨てたあんたは解脱したのかい?
そこに残った「我」はいつ捨てる?

>話し相手が業報輪廻転生説を信じて疑わない古代インド人相手ですから、
>釈尊が過去世や来世の話をしてる仏典もありますよ。
たとえ方便でも、認めていることには変わりがない。意固地になるから歪む。

804 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 02:47
>そうゆうのを方便として捉えては全くとは言わないけれど、
>ほとんど仏教を学ぶ意味ないでしょう。

仏教に出会えた事は、僕にとって大いに意味がありましたね。

>けして過去世が方便でないことが分かるはず。

ではあなたの過去世はどのようなものでしたか?

805 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 02:54
>>799
>さあ?偶然かな。
>
仏教では必ず物事には原因と結果という因果の道理を説きます。
出来事は起こるべくして起こっています。
という意味において「偶然」を認めません。

極端な話し、
数学上ではサイコロで一つの目が出るのは、何回投げようとも1/6の確率です。
しかし、今出た「2」という目には必然の理由があるものと見なします。
その「2」は今出るべくして出たものであり、何分の一というものではない。
それが必然です。

806 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:57
>>804
文献でだめだと、そうゆう方向か。
私は宿命通ないから分からないが、法友にはけっこう分かる人いますよ。
おもしろいのが謎の文字を読んでた記憶が出てきた人。
彼はその変なもじが全く分かんなかったんだけど、後でチベット文字だと分かったんですね。
しかも写真で自分がかつて住んでいた所を見たり、彼は知らないはずのその当時のチベットの歴史と
符合したりね。まあ、どうせ信じないでしょうが。ああ、時間無駄にしたな。

807 :名無しさん@3周年:03/09/13 02:58
ではあなたの過去世はどのようなものでしたか?<陳腐な問だ!

808 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 02:59
>>801
意味不明です。

では、転生を元々信じない者達は、最初から涅槃に在るのですか?
あなたのいう死後に到達するというその涅槃とは、どういう意味です?
転生(来世)無しに到達するその世界とは、霊界のようなものですか?

809 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 02:59
>>802
じゃあなたがこたえてあげれば?クリスタルさんも喜ぶと思うよ。

>>803

>で、捨てたあんたは解脱したのかい? そこに残った「我」はいつ捨てる?

「俺は解脱した」なんて言い出せばカルトそのものでしょう。
「我」を捨てるも何も、仏教は「無我」の教えですから「これは自分の我」
なんて言い得るものは、どこにもありゃしないって釈尊もおっしゃってます。

>たとえ方便でも、認めていることには変わりがない。意固地になるから歪む。

常見思想の方々が方便を真実のように言うからおかしくなってるんでしょ?
「方便」とは真実に導く巧みな手段であって、真実そのものではないのでは?

810 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:02
>ではあなたの過去世はどのようなものでしたか?
せっかくこんなに遅くまでがんばって、苦し紛れに出てきた言葉がこれとは!
こりゃ、電波さんが登場して、「文献学的にみてもベロさんは間違っていません」
とまた言うはめになるかも(笑

811 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:04
常見ってのは何か永遠不変の実体があるということで、
輪廻や来世、前世が縁起することではないですけど。
あなたの常見や断見の文献的根拠ないでしょう? 

812 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:05
>>805
じゃあ、分娩時の順序によって障害の差が出たとして、順序はおかあさんの寝相とかに依存するかな。知らんけど。
分娩時のトラブルが因お母さんの寝相が縁。
こんなんでどーだ。

813 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:07
>>812
ワロタ 和むっす。


814 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:08
>「方便」とは真実に導く巧みな手段であって、真実そのものではないのでは?
真実ではないものが、人を生かすことがあるのだろうか?
微妙な問題ではあると思いますが、考えてみてください。


815 :ベロ ◆eOod7XM/js :03/09/13 03:11
>>808
>では、転生を元々信じない者達は、最初から涅槃に在るのですか?

仏教に縁のない人々は転生にも涅槃にも無関心でしょう。

>あなたのいう死後に到達するというその涅槃とは、どういう意味です?
>転生(来世)無しに到達するその世界とは、霊界のようなものですか?

過去世や来世と言う妄想を捨て去り、現世における苦の来現を凝視して
無明の闇を滅ぼし、真実を見抜く眼をそなえ、心の平安に安住していれば
それが涅槃の境地でしょう。

816 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 03:11
>>788
>まったくそんなことないですよ。釈尊は過去世や来世を前提に諸法を説かれてますよ。
素晴らしく同意します。

仏典において、
転生について述べた経はいくらでも見出されます。
しかし、転生が無いことを述べた経文は存在しません。

(こりゃイカン。もうすぐ1000になるよぅ...)

817 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:13
というか彼が輪廻や前世を釈尊が説かれたことを方便と見なしたいというだけ。



818 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 03:15
>>812
それは分娩経という奴でしょう?
そんなんでは何故、Aちゃんだったのかの決定因にはなりませんね。

819 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:17
>>809
>「我」を捨てるも何も、仏教は「無我」の教えですから「これは自分の我」
>なんて言い得るものは、どこにもありゃしないって釈尊もおっしゃってます。
自分で本当に「我」がないと思っているのですか?
まずあるがままを見つめましょう。
もしそれで「我」がなかったらベロさんは解脱しているのでしょう。


820 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:18
>>過去世や来世と言う妄想を捨て去り、現世における苦の来現を凝視して
>>無明の闇を滅ぼし、真実を見抜く眼をそなえ、心の平安に安住していれば
>>それが涅槃の境地でしょう。

そう想いたいだけで、そうではないでしょう。2、3行目はいいとして、
1行目の輪廻に対する認識が違うから同じことばでも意味がまったく違うものになってしまう。


821 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:20
>ベロさんへ
もうこれだけ仏教を勉強してきたのですから、そろそろ……。
やっぱ止めた。

822 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:23
>>自分で本当に「我」がないと思っているのですか?
>>まずあるがままを見つめましょう。
>>もしそれで「我」がなかったらベロさんは解脱しているのでしょう。

おっしゃるとおり。我がなかったらここまで自説に捕らわれないでしょう。(おれもなー)
本来の聖者の状態と凡夫である我々の普通の状態を一緒にしては、
凡夫の意識で考えるから変な現代倫理思想みたいな仏教になっちゃうじゃないか

823 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 03:24
>>815:ベロ
>過去世や来世と言う妄想を捨て去り、現世における苦の来現を凝視して
>無明の闇を滅ぼし、真実を見抜く眼をそなえ、心の平安に安住していれば
>それが涅槃の境地でしょう。
>
とりあえず、
ペロさんの理解する涅槃はこの定義なのですね。了解しました。

つまり、涅槃とは思考活動の所産であるという理解でしたか・・・。
ならば、あなたがたの多くの者はだいたい涅槃に在るか、
もう直に涅槃に到達しようというところですかねぇ。

824 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 03:28
今夜はそろそろ、これで落ちますわ。
また、元気に会いましょう。

825 :唯物論者:03/09/13 03:40
体の形態・特徴の原因は、父親と母親の精子と卵子にある。つまり遺伝子。
その精子と卵子は物質であり、この世に存在していた。
つまり原因は、前世(あの世)にあったのではなく、現世(この世)にあったわけ。
そして結果も現世に現われる。現世の間での因果律法則にすぎないわけ。
原因を前世(あの世)に求める必要性はない。
生まれる前は無なのだから因果律はないし、
死ねば無となって終わり。その後、因果律は生じないし矛盾もない。
なぜなら無なのだから。

826 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 03:40
>>801
について、追伸.....

死に際の僅か数年という帰依者でも、死後にそのまま即、涅槃の境地に至るとは??
これじゃーまるで、阿弥陀極楽浄土の信仰とほぼ同レベルだなぁ

この程度のためにゴータマがあれほどの修行を必要としたとは・・・。
「前世も来世もない、それには囚われない」という程度のために、あれほどの行をしたとは、
よほど生まれ変わりを信じる洗脳にあってたんだなぁ、きっと??

827 :名無しさん@3周年:03/09/13 03:53
818 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 03:15
>>812
それは分娩経という奴でしょう?
そんなんでは何故、Aちゃんだったのかの決定因にはなりませんね。


「無記派」vs「輪廻転生肯定派」じゃなかったの?

いつの間にか輪廻転生を否定しなきゃいけないことになってる・・・

828 :名無しさん@3周年:03/09/13 08:53
無記にしても過去世来世にしても
すべて方便です
四諦、八正道、等等すべて悟りに導くための手段(方便)です。
相手がいて、言葉や文字にした時点で方便です。

「これが真実であれは方便だ」など言ってるは滑稽ですね。
どちらが優れた方便なのか、と議論してるにすぎない。
そして人によりその手段は異なりますので、自分自身を見極め慎重にチョイスした方がいい。

お釈迦様はすべての弟子達に全く同じ事をやらしましたか?

そんな事してませんね

829 :名無しさん@3周年:03/09/13 09:45
きみたち、せっかくの週末なんだから、遅くまでツマラン話してないで、早寝して朝日にでも当たりなさい。
朝日を見ないと太るンだってよ。

830 :名無しさん@3周年:03/09/13 10:21
確かに朝速く起きて行しなきゃ、仏教をする意味があまりないな。

輪廻無記とかいうのは全くの詭弁ですよ。だって釈尊は他で散々輪廻、前世、来世を説かれているし、
だいたい無記の内容が違うでしょう。

831 :名無しさん@3周年:03/09/13 10:31
電波男はじめ、原始?仏教学者連中は、
仏教は唯物論的な宗教だったというような
近年の発見を大喜びして、目を輝かせて、
 自分こそ正しいシャクソンの弟子
 我こそ正しくシャクソンの意を受け継ぐもの
と思いたくて
 自分が正しいシャクソンの道を維持しているのだ
という自負と闘志に燃えて
思いっきり勘違いして
 外道どもを懲らしめねば
 あいつらは浮かばれない、正しい俺らだけが救われるのだ
と思いたいんだろうなー

832 :カミミタ ◆wQho5LLYeo :03/09/13 10:40
かれは思慮深く、瞑想に専念し、林のほとりで楽しみ、樹の根もとで瞑想し、
大いにみずから満足すべきである。
              ↓ すると
今日われらは美しい太陽を見、美しく晴れた朝に逢い、気持ちもよく起き上がった。

         となれるかもしれません。

悟りは、迷わないこと。何も迷わないなら、この上なき最上の喜びの境地ニルヴァーナ
のすぐ近くにいる。

833 :名無しさん@3周年:03/09/13 11:49
>>818
分娩経?なんじゃそりゃ。
Aちゃんだった決定因には無数の因縁が関与する。
時間軸を遡上すればそれを特定することはできなくなる。
よって、BちゃんではなくAちゃんだったことを規定する特定の原因を抜き出して示すことはできない。
これを世間では「偶然」という言葉を使って納得している。
それを無理に説明しようなどと思うから、前世だのカルマだのを仮定しなければならなくなるのだ。

834 :名無しさん@3周年:03/09/13 11:58
そそ、つまらないことでクヨクヨ悩んでる連中は、脳手術でもしてもらえ。
悩み全部ふっとぶぞ

835 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 13:33
お願い!

>>801
>「安心しなさい、あなたがどのような死を迎え様とも、現世で三宝に帰依した功徳は
>涅槃と言う偉大な功徳をもたらし、再びこの世に生を受けるなどと言うとらわれから、
>あなたを解放して下さいますよ。まさにこの世とあの世と言う妄想を捨て去る事こそ
>が涅槃なのですから」と僕ならこたえます。

 1)上記のような、生涯最後の僅か数年という仏道帰依(修行内容はここでは問わない)で、死後そ
のままニルヴァーナに到達できるとする根拠を根本経典から提示して下さい。可能ならばその経文
を抜粋、掲載を願います。(尚、ペロさんは義務として宜しくお願いします)
 2)ありとあらゆる一切総てが諸行無常であり、ニルヴァーナ境地および仏陀存在についても同様
に無常であると主張する者は、同じく根本経典からその根拠を提示して下さい。

836 :名無しさん@3周年:03/09/13 13:37
けっきょく、釈迦自身がそこんとこを完全に悟ってなかったのでは?

837 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 14:18
つづき.
 3)仏陀は人間の再生誕(転生=ちくいち胎生的などという断りは不要)を否定していたと主張する者
は、それを示す仏陀の教説を根本経典から提示して下さい。
 4)仏陀による再生誕についての教えと見られる経文がただの方便に過ぎないと主張する者は、
そのことを確認できる経文、そして何の方便について述べたものであったかを示して下さい。


尚、何か適切な解説文書が示せる場合にはその紹介も歓迎します。

838 :名無しさん@3周年:03/09/13 14:26
なんで他者の解釈がそんなに気になるの?
ここの住人にお釈迦様クラスの偉人がいるなら気になるのも解るけど………

参考になる意見は素直に聞いて、納得できなきゃ放っときゃいいのにね。
得意気に他者を批判するなって。

なんかさぁ
最初は自分の意見をちょっと聞いてって感じだったのが
「こいつだけには負けないぞ」
って感じになってて、なんだかなぁー

839 :名無しさん@3周年:03/09/13 14:39
>>831
>>仏教は唯物論的な宗教だったというような
>>近年の発見を大喜びして、目を輝かせて、

うまいねぇ。微調整
「近年の誤解」ですね正確には、発見ではありえない。

840 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 14:58
>>838
ご意見ありがとうございました。
たしかに、あなたのご指摘は尤もな部分があります。

本当は、
私にしても、何も誰それの考え方なり信仰なりを何とかして変えてやろうというわけではないのです。
いつか分かるかもしれないし、それでないかもしれない・・。それすら、その方の全くのご自由です。
ここで辞めてしまうのは簡単であり、私も別に暇人でもありません。
これにてもう、放っておくことも、全然、構いませんよぅ。

しかし、お互いの違いなどを浮き彫りにするということは、
互いにとって、そして閲覧側にとっても共に益することであると見なすことなく、
ただ無駄であるとする冷やかな態度ではかなり寂しいものだと私は思うのです。

841 :名無しさん@3周年:03/09/13 17:19
>>838
もっともな意見ですが、彼はいいかんじだと思うよ。
感情にまかせて非難されたら、だんだん怒りが湧いてきてしまうのが我々凡人です。
かなりロジカルだし、ただ気になるのは常見ですね。
アートマンがあるという意味の本来の常見、あれは誤りです。
ただし、常見のほうが断見よりずいぶんマシだから、断見派よりいいです。
断見派は感情や科学信仰的常識に基づいているように見えます。

842 :名無しさん@3周年:03/09/13 17:24
2ちゃん屈指のバカが集まるスレはここですか?

843 :名無しさん@3周年:03/09/13 17:30
はいはい。そうですね。おりこうさん。

844 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 17:33
>>841
ありがとうございます。

>ただ気になるのは常見ですね。
>アートマンがあるという意味の本来の常見、あれは誤りです。
>
はい。ご指摘の通りで問題点はコレですねぇ。

これについては、
初期の仏教解説者の方が誤った可能性についてを私は疑っています。
仏陀が批判したという「常見」とは本当は何であったのか?
このことも含めて、私からの見解を示すつもりです・・・。
とても証明にまでは至りませんが、できれば考えてもらうキツカケになることを希望します。

私からの主張、つまり、
その残りの根拠と及びまとめを記述することはかなり時間を要しそうです。
すいませんが、もう暫くご辛抱頂きたいと思います。
(この分だと、「原始佛教 その5」が立ってからになるやもしれません・・・ペコリ )

845 :名無しさん@3周年:03/09/13 19:53
いつのまにか
常見派と断見派の話になってるね
まぁークリスタルさんが常見では無い事は自身で説明するから待つとして、
電波さん阿保さんは何故か「断見派」扱いになってますね。
見てたら反論ください(する元気があったらで結構です)

でも何で断見と思ったんだろう
輪廻しないとは言ってなかった様な……

846 :845:03/09/13 20:03
勘違いしてました
クリスタルさんが「常見」では無い説明では無く、
初期仏教学者の言う「常見」の解釈の間違いを論証する事でした。
すっげぇー
すっげぇー

でも初期の仏教仏教学者って誰?
日本での事か?

847 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 20:27
>>845
>電波さん阿保さんは何故か「断見派」扱いになってますね。
これは、仏陀が説いたとみなされる転生の教説すらも否定しているところからの非難の声、
ということですね。ただし、断見を主張していないことは私も理解していますよ。
ただ、断見思想が自分自身にあるからそういう見解をしているのではないか、
と見られてしまうというのはありますね。

私は彼らは、
仏陀が常見を外道として否定したこと。
及び魂存在などの形而上学的な問題について無記の態度があったことから、
結果的に転生について仏陀が認める教説をする筈がないという意味であると理解しています。
転生について教えているように見える経文部分というのは、
方便であったり、後世に付加(転生思想を信奉する派による?)
されたものであると見ているようです。

違う???

848 :名無しさん@3周年:03/09/13 20:45
>>846
彼は釈尊は本来、恒常なアートマンを認めていたが、
初期の経典伝承者、編纂者が誤解して無我説にしてしまった、ということではないでしょうか。

その証拠に中村元さんの非我説を引用してるでしょう。
こうゆう説は他にも津田真一先生が唱えていますね。

でも私はそうは思えない。有身見、自分があるという意識が無知、無明の根本だと思うからです。
有身見、我意識を壊すために五蘊等に分析して諸要素に還元し、諸要素が縁起して生成しているだけ、
であると実感することが最も重要に位置づけられたように思えるからです。

これが後に公式化されて人無我を悟らなければ解脱できないなどと言われたのだと思うんですよ。
もちろん言葉で我はないなって言っていてもだめで、無始時から習慣づけててきた、
私がいるとする癖を、少しずつ揺らして壊して行かなくてはだめで、そのヒント、方便の一つが、
蘊界処だったり無常だったり、縁起だったりするんだと思うんですけど。

849 :名無しさん@3周年:03/09/13 21:03
断見とは何か? 来世がないと言うことです。

云何斷見言無來世。
『大正句王經』大正第1巻、831ページ

850 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 21:08
>>848
はい、ご指摘の通り。
つまり、問題点としてはそういうことです。

尚、重要視すべきは「我」(自己)といった時、
それは一体、どれを指していっているのか?が、最大問題なのです。
私がいう時の「自己」と、
彼がいうところの「自己」とは本当に同じものを指していることになるのかどうかなのです。
その人がどれを意味して述べたかを特定することは、
かなり容易ではないです。

(取りあえず、ココまで・・・)

851 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/13 21:13
>>849
そうですが・・・

彼らは「来世がない」といっているのではなくて、
仏陀は「来世が在るとは説かなかった」というものでしょう。
更に加えて、来世なる不可知なものに対する囚われについても危惧するのが狙いなのでしょう。

これが私の理解する彼らの主張です。

852 :名無しさん@3周年:03/09/13 21:39
彼らの主張を素直に纏めればクリスタルさんの仰るとおりです。
ですが、そこには彼らの無意識の前提に基づく複数の付会があるので、無理があるんです。

無記の意味を確認してみましょう。
>>159 で 666改さんが纏めているようにそこに来世については説かれていないと思うのですが。
これで彼らの主張の根拠はなくなると思うのですが。だいたい釈尊はさかんに来世を説かれてますし。
断見の定義が上のとおり。ですから断見、単純な話です。彼らのような見解こそ断見以外のなにものでもないんです。

無意識の前提は、釈尊は差別主義者であるはずがないというような感情論でしょう。

853 :名無しさん@3周年:03/09/13 21:43
電波=阿保はパソコンでも故障したか?

854 :名無しさん@3周年:03/09/13 21:46

おいおいおいおい

855 :名無しさん@3周年:03/09/13 21:48
阿保らしくなったんでしょ
もしくは「無記」

856 :名無しさん@3周年:03/09/13 21:49
私は彼らとは対話する気はないです。クリスタルさんと話したいです。
できれば少し休んでいてもらいたいですね。

857 :名無しさん@3周年:03/09/13 21:57
少しといわず、ずっと休んでいて無問題

858 :岩の上にも3年:03/09/13 21:57
突然の割り込みで申し訳ありません。仏教は初心者なので教えて頂きたいのですが
原始仏教では偶像崇拝は禁止されていた為、仏像はもとより壁画に釈尊を描く事すら
出来なかったと聞いたのですが本当でしょうか?
また、偶像崇拝を禁止していた理由をご存じでしたら教えて頂けないでしょうか。
よろしくお願い致します。

859 :名無しさん@3周年:03/09/13 22:07
偶像崇拝は禁止したわけではなく、釈尊を尊敬することから姿を描けなかったじゃいなかと思います。
描いたのは法輪とか御足、それが後に描かれるようになったので、
よくいわれるように釈尊の神話化が進んだのではなく、釈尊の人間化が行われたと、
解釈する学者さんもいます。

860 :名無しさん@3周年:03/09/13 22:44
原始仏教では、偶像崇拝する教えはなかった。人の欲念から生まれたものと
思う。ブッダのことばでは、自分にある欲念とこの世のものへの迷いを断つ
ことを教えとしているのだから当然だよ。

861 :名無しさん@3周年:03/09/13 23:14
>>841
>かなりロジカルだし
全然ロジカルではない。
論理の意味を履違えてますね。

862 :名無しさん@3周年:03/09/13 23:51
ところで、断見・常見という見方はどこから出てきたものですか?
そんな分け方をする必要があるのかということになるわけで。

とりあえず、はっきり有るとは言えないですし、
そう言うべきではないでしょう。
しかし、輪廻を前提として説く。
いわば、どちらかというと常見ですが、
断見・常見と分けたら常見に分類されてしまうだけのことで、
常見で不都合があるとは思えません。
ただし、完全に断言するような確実な世界ではないわけなので、
「有無」について確定を求められた場合、私には感知できないとしておくのが筋です。




863 :名無しさん@3周年:03/09/14 00:12
だから無記でしょ

864 :名無しさん@3周年:03/09/14 00:21

と、言う様に堂々巡りになってしまう
まさに輪廻のごとく……
いい加減にしましょうよ

865 :名無しさん@3周年:03/09/14 00:40
>クリスタルさんへ
生まれつき障害のある人は何らかの過去世の因縁によるとの解釈ですが
生まれつき障害のある昆虫や植物にも過去世での悪業があったんでしょうか。
人間だけに適応する、事柄、思想は真理とは言えないような……
どうですか?

866 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 00:42
>>862-863
簡単にいうと、
仏陀は人間の死後に生命は断滅すると説く唯物主義を「断見」とし、
また、肉体消滅後にも霊魂なる永遠の生命として生きるという考えを「常見」として、
この両者の見解どちらをも否定して、如来の説は「中道」であるとされたのです。
(一般に正統な理解)

よって、
「無我」の教えを誤って「霊魂は無い」などという勘違いを起こすと、
そのような(霊魂存在についての確認)問題には沈黙したという
「無記」の態度とは反することになるのです。
このことからも、まず霊魂存在そのものを否定したのではない、
ということを再確認する必要があります。

そして、霊魂について言明しなかった仏陀が転生を説く筈がない、
というここの批判派の主張が出てくるわけですね。
何故ならば、転生は霊魂存在を認めることになるから、というわけですな。
しかし、霊魂について言明しないから転生を説く筈がないと本当に言えるのかどうか、です。
仏陀が沈黙して説明しなかったのは
(実際の日々の修行にはそんな問題は支障を来たさない。今、必要な義務=修行を為せ)、
霊魂存在についての具体的な実体論についての議論に価値を見なかったということであって、
だからといって、転生が起きていることを説いていたとしても、
そのこととは別に矛盾は生じるものではない、が私の取る立場なのです。

867 :名無しさん@3周年:03/09/14 00:55
それは常見ではないの?


868 :名無しさん@3周年:03/09/14 00:57
>>しかし、輪廻を前提として説く。
>>いわば、どちらかというと常見ですが、
>>断見・常見と分けたら常見に分類されてしまうだけのことで、
>>常見で不都合があるとは思えません。

不都合です。なぜなら常見は邪見、解脱に至らない見解であるとされているからです。
常見だと天界に行くことができるが、輪廻の中なので解脱できずやがて下に落ちるとされます。

輪廻を前提として説くのは当然のことで常見でも断見でもありません。
輪廻、彼らの云う転生の否定が断見であり因果を破壊する最悪の見解です。

で、さらに転生は当然認めますが霊魂存在のような不変の何かを捉えるのが、
常見です。


869 :名無しさん@3周年:03/09/14 00:59
>>866
>霊魂存在についての具体的な実体論についての議論に価値を見なかったということであって、

わかってるじゃないか。
霊魂の存在の是非は重要じゃないらしい。どっちでもいいんだろ。仏教的には。

870 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:06
>>868
え?
常見って、「一生がそこで完全に終わる」という「断」の字の反対の
輪廻のことじゃなかったの?
俺の誤解?
霊魂のことなの?
DQNですみません。

871 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:07
霊魂の存在、その存在の意味で違ってくると思うだけど。
存在を我々と同じ無常なものと捉えるなら、問題ないですが、
それを恒常な実体と捉えることは許されません。
弟子の中でそのような説を釈尊に披露したものが痛烈に批判され叱咤された例があります。


872 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:10
まあ、最終的には根源へと帰っていくのだろうけど、
今の段階では人間は霊魂存在も有るンじゃないだろうかと。
まあ、永遠にとは言いませんよ。

873 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:12
>>870
そうです輪廻のことではありません。
霊魂というか、永遠不変のものならなんでもです。
アートマン、ブラフマン、創造主、不変の元素等、
そうゆう変化しないものがなく、一切は無常で縁起する
というのが仏教の根本的考え方の一つです。


874 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:15
>>873
>不変の元素等

そんな元素無い。
ああ、こんな余分なこといってると電波男が怒り出すな。

875 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 01:15
>>865
うーーん。
これは弱りましたねぇ・・・。涙....

これはとても仏典(仏教)の枠組みで説明することは困難になってきます。
どちらかというと仏陀は、特に日常の義務に不要な問題や特に形而上学的な問題については、
そのような疑問は果てしが無く、切りが無いものとして、そこに価値を起きませんでした。

すいませんが、やや仏教の枠を超えて私個人の理解を話します。
仏教と関連づけしたい方はそれぞれの判断にお任せします。


まず、動植物に有する生命エネルギーは個別の魂ではありません。
これは、神智学ではオーバーソウル(超魂)といっていますが、
一体一体の動植物たちは全体で一つなる巨大な生命体を構成する単位です。
彼らの経験はこの巨大プールへと蓄積され、
このプールからまた新しい生命エネルギーを包含した動植物が生まれてきます。
よって、動植物の場合にはその事情は異なっており、
生まれつき障害のある動植物は、一固体の個性の過去世という問題ではないということです。
つまり、人間の場合には障害を受けるべく環境には、それに相応しい個人が転生します。
しかし、動植物の場合には相応しい個性なるパーソナリティーはありません。
人間と比較してまだ、ただの無機物的な現象が生じるだけという要素が強いのであると理解しています。

尚、カルマという観点においては、
残念ながら、動物界は人間に苦しめられる必然性をやや帯びている面があります。
これは人類の進化の過程において、人類は彼ら動物王国に殆ど滅ぼされる寸前まで殺されました・・・。
そのカルマを動物界全体として負っているようです。
尚、このことは人間の動物愛護の精神に反したり、動物虐待を肯定するものではありませんので、
誤解されないようにお願いします。

それ以上のことは、神秘のペールです。

876 ::03/09/14 01:16
2ちゃんねる発の知の機関誌「知ちゃんねる」発刊します。
あなたが日頃考えていた考察、思想を文章化し、発信しませんか。
どしどし投稿をお待ちしています。
また誰に、どのような内容で投稿してほしいか、
ご意見あれば、お願いします。
http://members.at.infoseek.co.jp/myselfism/chichannel/

877 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:19
>>875
人間は悪業を積むと畜生に転生するのではなかったのですか?

878 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 01:28
今日は朝から、お出かけしてました。
返信遅くてごめんなさい。

>>745さん
「自分」と「我」は区別して考えないと
「空」と「有」の区別が曖昧になってしまうので、
使い分けが必要だと思います。

覚者ではないので、断言は出来ませんが、例え悟りを開いても
「有」を用いないと、凡夫の方に説明ができないはずです。

悟りは、言葉で現せないが、示す事は出来るという事です。
わたしの理解はこんな感じです。
・悟りが有なら、表現できるはず。(真理そのものが現せる)
・悟りが空なら、一応、示す事ができる。(説明程度)
・悟りが無なら、言葉にも、示す事もできません。

879 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:36
>>873
霊魂が永遠不変・恒久的かどうか分からないけど、
物質的な世界から見て壊れないように見えるという
相対的な理由・視点によって
霊魂を常見と見なすことは早計ではないかな?

880 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 01:40
>>877
>人間は悪業を積むと畜生に転生するのではなかったのですか?
>
すいませんが、
私は一般に説かれるところの「動物←→人間」なる生まれ変わりの思想を受け入れません。

私は、転生は人間の霊的進化の必然であって、
人間から下等生命に転生することはないものと見ております。
実際には畜生界という境涯への転落とはその人の受ける人生境涯のことであって、
それは、イコール動物への転生ではないものと見ています。
表面的には、インドの伝統であった動物への転生という概念をそのまま受け継いで利用したと思います。
つまり、仏典に説かれる動物への生まれ変わりの話しは、
生命に対する慈しみを養うものとしての不殺生
及び無害を実践させるために説かれた方便であったと思います。

881 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:42
>>880
あなたは自分の都合の良いところだけ「方便」という言い方を受け入れるのですねえ。
それともなにか、根拠になる経典でも提示できますか?

882 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:43
くぅさん、鄭重なお答えありがとうございます。

「自分」と「我」は区別すると、逆に有身見、人我を壊せなくなってしまいませんか?
つまり「自分」はある、よしよし別におかしくない。問題は「我」である、と。
しかし私は本質的な問題は「自分」意識にあると考えます。

仏教は無我であると知識で知っていても堅固な「自分」意識はそのまま。
この「自分」意識こそが常見の基盤、温床の一つだと考えます。
仏教的にはすべては無常で縁起しているはずですが、「自分」は生まれてから不変に一貫していると思う意識、
それが無明の根元ではないかと思うのですが、どうでしょう。

うまく説明できなくてすいません。

883 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:46
>>879
いやですから霊魂を恒常と見なすなら常見であって、
無常なあり方で捉えるなら別に何も問題ないと考えます。

884 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 01:47
>>750

>すでに述べたように、まだ完全に論証するほどのデータ(資料)
>を提示できませんし、
>ましてや証明するということは、かなり困難な問題です。
それだったら、なおさら、矛盾ではありませんか。
それは絶対では無いと思います。
私はこう信じていると他に押し付ける我でございます。
「常見」との批判には、論理で返さねば、なりません。
理解を出来ないのに、「そうなんだゾ」と押し付けたら
カルト宗教ですよね?

885 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 01:49
>>881
それはすいません。。。

しかし、逆にお尋ねしたいのです。
ゴータマ仏陀が明確に「動物←→人間」なる転生を説いた事例(経文)を私は知りません。
尚、私はジャータカ物語などの話しは真実であっとは見ていません。

886 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 01:51
追加
>しかし、私自身は殆ど確信を抱いている事柄です。
それでしたら、我々にも確信をさせるためにも、
こちら側に来なければなりません。

こちらに来て、同じ目線で話しをして、誤解をしている根本で
軽く指摘をするのです。
そして、その時、自分で考えて貰います。そこで気づいてもらえれば
論争の大いなる意味がありまして、まさに功徳をめぐらす訳です。

これは、慈悲の関係でございますね。
これを実践できなければ、仏教にはなりません。
クリスタルさんは慈悲ついて、どう考えますか?

887 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 01:55
>>884
はい。
>それは絶対では無いと思います。
絶対ということではありません。
私は間違わないとは主張しません。

少しでも理解が得られるよう、説明には努めます。
尚、納得いかなければ、もちろん受け入れる必要は全くありません。

888 :名無しさん@3周年:03/09/14 01:55
>>885
>ゴータマ仏陀が明確に「動物←→人間」なる転生を説いた事例(経文)を私は知りません

それではあなたの>>880での文章

>つまり、仏典に説かれる動物への生まれ変わりの話しは、
>生命に対する慈しみを養うものとしての不殺生
>及び無害を実践させるために説かれた方便であったと思います。

これは一体なんなのですか??
あなたは知りもしないことを方便として否定しているということですね。

889 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 02:00
>>888
意味不明です。

私はジャータカなどの仏典に説かれた「動物←→人間」なる転生話は、
実際のゴータマの教説とは見ていないということです。

890 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 02:00
>>882
これは、まず、貴方と私とで定義が違うと
意見が永遠に平行線ですので申します。

「自分」というのは確かに存在はします。
しかし、こうだ!という形は存在しません。
いったいどこからどこが自分なのか、境界を付けられません。

「我」というのは、境界があります。
簡単に申しますと、「有」でございます。
固定して考えるのが「我」と理解しています。

ちなみに大我とは、悟りの境地の者の他者救済の
行動という者に特徴といいますか法則が凡夫からは
付けられて「大我」だと解釈してます。
でも実際は、凡夫から見たに過ぎなく、覚
者から見ると
そう思われても「空」であると思います。

891 :名無しさん@3周年:03/09/14 02:05
>>889
初めに
>つまり、仏典に説かれる動物への生まれ変わりの話しは、

と言っておきながら、その直後に

>ゴータマ仏陀が明確に「動物←→人間」なる転生を説いた事例(経文)を私は知りません

これを矛盾と言います。一般のひとはね。

892 :岩の上にも3年:03/09/14 02:05
>>859さん >>860さん 早速のご返事ありがとうございます。
皆さんの書き込みを読ませて頂いて仏教初心者の立場から質問が在るのですが
宜しいでしょうか?
悟りに関しての質問です。
インドでは悟りを開いた方をブッダと称し凡人と区別されていますが悟りを開いた
状態とは自己申告制なのでしょうか。
釈尊以外にも多くのブッダがいらっしゃる模様なので、各自の悟りに整合性が
在るのか不思議です。一説によると悟りは自己の内から沸いて来るとお聞きしましたので
正当性の検証方法を知りたいと思いまして恥ずかしながら初歩的な質問をさせて頂きました。


893 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 02:07
>>886
>これは、慈悲の関係でございますね。
>これを実践できなければ、仏教にはなりません。
うーーん。それは意味は分かりますが・・・。

>クリスタルさんは慈悲ついて、どう考えますか?
・・・・・。
そのような問いには答えない、ではダメ?

仏の慈悲なる概念については、大乗のご都合主義の部分は受け入れません。
仏の慈悲の存在であるから、これに御すがりするという思想ですねぇ。
ゴータマ仏陀はこういうことを最も戒めたと理解します。
尚、これは弱気者、苦しんでいる者に手を差し出す行為に対する否定ではありません。
このような意味においては、大いに同意します。

894 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 02:13
>>887
自分の場合を申しますと
私にはクリスタルさんの立場にたてません。
しかし、参考になれば...

わたしもかつて、諸行無常に一切では無いと考えていました。
そうしなければ、理解に苦しんだものですから。
しかし、行き詰まりました。
例外を認めるとしっくり来なくなるからです。

その原因を考えました。
そうしたら、「言葉」というマジックに囚われていました。
真理は絶対と思いましたが、有でしか理解できない我がありました。
諸行は例外が無いという事がしっくり収まりました。

895 :名無しさん@3周年:03/09/14 02:14
>>889
891の続きになりますが、要するにあなたは正確な根拠を持ちもせずに、自分が感覚的に正しいと思い込んでしまった
仏教の一種を、仏典の曖昧な知識をご都合主義で解釈して表明しているにすぎないのです。
オトナなんでしょ?気付きなさい。

896 :名無しさん@3周年:03/09/14 02:20
>>892
自己申告制ですが、覚者によって棄却されることも多いようです。
判断基準はあるのでしょうが、文字で見たことはありません。

897 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 02:28
>>893
だめったら、大ダメです!!!
クリスタルさんは人間の根本を見落としているかもしれません。

大乗のご都合主義でもなんでもありません。
クリスタルさんは、自分の物差しで取捨選択をすることは
正見では無いと思います。

慈悲というものは、人間の特性を見抜いた基本だと思います。
「苦しい者に手を伸ばす」とは安易に思いました。
ものすごく大切ですので、次の例を考えていただきたいです。

「ある老人がいました。
体は不自由で、しゃべり言葉も曖昧です。
 そこで、赤ちゃんに接する気持ちでやさしい言葉で
しゃべりかけ、なに不自由させずに介護をしました。」

これを慈悲の切り口から、是非検証して下さいませ。

898 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 02:32
>>890 >>882
お二人さんの討論を見て、一考となるやもしれないシャンカラ(AD700頃〜750頃)の言葉?です。
(外道思想という単純批判なしにお願いしまっス..)

 『あらゆる人はアートマン(自己)の存在することを意識する。決して「われは存在しない」とは考え
ない。実に、もしもアートマンの存在が確定していないのであるならば、一切の人々は「われは存在
しない」と意識するに違いない。』(ブラフマ・スートラ:Ι-1.4)』(中村 元著「自己の探求」青土社刊)

899 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 02:50
>>897
べつに異論はありません。

それと、私のいう大乗のご都合主義はそういうこととはチト違います。
「慈悲」は大乗の大自慢の言葉になっていますが、
これは大乗が仏の慈悲なる概念を発案することで、
仏陀をお救い下さる有難い神様にすることで信者の獲得を得たのでした。
ゴータマの教えは「われにすがったところで、決してニルヴァーナには到達しない」でした。
最後の説法といわれている言葉も、このにことであって「自灯明法灯明」を説きました。

くぅさんたちや読者に対しては、分かりやすい説明努力はしたいと思いますが、
しかし、自分の見解を放棄してそちらの視線になれとは、
矛盾する話ではないのですか???

900 :名無しさん@3周年:03/09/14 02:51
>>890
>「自分」というのは確かに存在はします。
>しかし、こうだ!という形は存在しません。
>いったいどこからどこが自分なのか、境界を付けられません。

自分とは一般に人間の個体のことを指しますが、
あなたの場合は違う意味ですか?
あなたの自分の認識について少し説明してもらえますか?

901 :名無しさん@3周年:03/09/14 02:53
>>899
なんでもいいから根拠と理をもって説明して欲しい。
目線なんてどっちでもいい。
それ以前の問題だ。

902 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 03:07
>>895
言葉の使用が不正確でした。
 つまり、ジャータカなどの「動物←→人間」なる転生話については、
 私は仏典(ゴータマの実際の教説)であるとは見なしていません。

に、訂正します。
以上。。。

903 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 03:24
>>899
異論が無いのは困ります。
はっきり言えるのは、例文では相手の立場に立つ事が出来て
いないことがいえます。

老人に赤ちゃんのように接する事に対して
相手の尊厳は完全にしかとになってしまいます。
体は不自由だが、尊厳を保っている人に
赤ちゃん言葉を使ったら、侮辱ですから。

年老いた方が、どのように見えたとしても
相手の心を知ろうとしなければ、いけないと思います。

不自由無くさせるというのも、本人のためを考えるなら
ある程度の自主性を持たす事が必要かもしれません。

とにかく、少しでもこちらに来ていただけないと…

904 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 03:33
>>900
>自分とは一般に人間の個体のことを指しますが、

そうですね。確かにおっしゃるとおりなのです。
さらに私は、人間の個体を考えた時に、いろいろ特徴がありますが
心に注目しました。
例えば、自分が冷静の時がありますよね?
そのときに、嫌いな人から、いやみな一言を言われたとします。
そうしたら、「カチン」ときました。

このとき自分を省みますと、
自分は自分であるのに、ふと外部からの働きで
自分が怒って、違う自分になってるんです。
さっきまでと違うのです。

しかも、意識していない、隠れた自分もいます。
自分とは「有」ですか?
我は決め付けてるから、「有」と捉えます。

905 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 03:36
すいません。疲労で限界です。またお会いしましょう。

906 :名無しさん@3周年:03/09/14 03:57
>>902
またまたなんの根拠も無くどうどうと(w

>つまり、ジャータカなどの「動物←→人間」なる転生話については、
>私は仏典(ゴータマの実際の教説)であるとは見なしていません。

何でジャータカは仏典に入れてもらえないの?
不都合だから?

907 :名無しさん@3周年:03/09/14 08:38
>>904
五感によって変容する自分
五感によって外部と接する心というものは、
一個の生物としての自覚を持ち
総合された感覚として存在し
肉体と共に行動し、肉体と利害を共にし、
肉体と不可分で、肉体に相互依存しているという
生物的制約を越えて存在することができるでしょうか?





908 :名無しさん@3周年:03/09/14 08:53
阿保電波死亡確認しますた

909 :名無しさん@3周年:03/09/14 08:57
>>908
よく見てみ。
名無しで出てきてるから。

910 :名無しさん@3周年:03/09/14 11:18
ん?
そうなの?
どれだぁ?

911 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 11:41
>>907
>五感によって外部と接する心
五感だけでは無く、6感、7感…とあるかも知れませんね。

とにかく、いやおう無しに、自分に働く力がいつもあると思います。
怒ったりするのは、ある働きが自分にとって大きな影響力があり
自分が保てない(自分が自分で無くなる不安の拒否?)事を
守る働きと考えています。 
だから、凡夫は少なからず、「我」を備えていると思います。
そもそも、感覚は我々個人のものですよね。

>五感によって変容する自分
上記のように人は常に変容し、無常であると思います。

912 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 11:55
追加
>生物的制約を越えて存在することができるでしょうか?
死後の話でしょうか?
先ほどの話しのとおり、我を持たなくなると、
もし、死後に生物的制約をこえたあの世が存在したとしても
どうであれ、何事も自然に受け止める事が出来る気がします。

例えば「死」。自分で理解を出来ずに、不安を持つ事により
人は不安を埋めるために、死後がどうなるか答えを求め
安堵の気持ちを生み出してはいませんか?
つまり、不安に対する解決を「有」の生成から図ってると思います。

釈尊の「苦集滅道」。苦しみというのは、「有」をもって
苦しみの薬にせずとも、本当の自分を追求する事により
不安の原因を根本から、「有」を用いずとも解決できるという
すばらしい発見ではないかと思います。
…実践はもの凄く難しいですが。

913 :名無しさん@3周年:03/09/14 12:05
>>911さん
人には安心立命と言われる状態があります。
自分の使命を理解して邁進する事と理解していますが
この様な状態では悪口を聞いても気にすら留めないです。
しかし、自分を見失い迷っている時に悪口を聞くと
様々な感情が沸いてきます。
「我」の問題は外的要因より内的要因が強く影響すると思います。
では、何故に人は迷うのか考えると
1.肉体の苦
2.精神の苦
が挙げられます。
明日にも死ぬかもしれない危機的状況で安心立命を保てる人は少ないと
思いますが克服するために苦行をなされる方もいらっしゃいます。
質問なのですが、原始仏教では苦行も実践されていたのでしょうか?
日本の阿闍梨さんも近い行をされていますがあれは苦行なのでしょうか?
そして、苦行で悟りは開けるものなのでしょうか?

以上 宜しくお願い致します


914 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 12:24
>>913
 >>911でカキコしましたように
「そもそも、感覚は我々個人のもの」
貴方のおっしゃるとおり、内的要因は絶対外せませんね。
どっちかに偏ると本当の自分からはかけ離れてしまうと思います。

苦行について、
ジャイナ教の開祖は苦行で悟りを開いたそうですね?
そもそも、苦行は普段気づかないことを実感させる荒行と捉えてます。
寒さを耐える苦行をして、温かく恵まれていることを
感謝するだけでは、世界が狭いと思います。
そうではなく、寒さを耐える苦行により、温かいこと以外にも
「自分が満ち足りている事」に気づいて目を向けれるように
ならなければと思います。

また、自分を見失うぐらいに自分を追い込んで、
自分の我をより、無に近づけているのかもしれません。
器を大きくしているようにも見えます。

915 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 12:30
追加
言い伝えでは、釈尊の十大弟子で
「頭陀弟一」の異名をとる苦行をする弟子がいたそうですね。

人は自然な生き方が基本だと思います。
つまり、我慢をしてストレスをためるのは良くないと思います。

どうやら、そのお弟子さんは、その苦行が苦行に感じない
自然なものであったそうなので、咎められなかったお話しを
聞いたことがあります。

916 :名無しさん@3周年:03/09/14 12:53
>>914
>どうやら、そのお弟子さんは、その苦行が苦行に感じない
>自然なものであったそうなので、咎められなかったお話しを
>聞いたことがあります
確か釈尊は苦行を否定されていたと思いますから、十大弟子が苦行を
実践することを禁止されなかったとは驚きです。
自然な苦行???「住めば都」と言うことでしょうか。

917 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 13:18
>>916
きっと、変態だったんです。(笑)
冗談はさておき、苦行が「住めば都」
になり得る人は、限られた人だけだと思います。

その部分に関しては釈尊よりも、強靭な精神をもって
いた可能性がありますよね?
この方は、後継者になったような記憶が…

918 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 13:41
>>906
>またまたなんの根拠も無くどうどうと(w
>何でジャータカは仏典に入れてもらえないの?
>不都合だから?
>
 ジャータカは、パーリ五部クッダカ・ニカーヤ(小部経典)に属する経で、一部、原初的と目される
ダンマパダやスッタニパータなどを除いては最も後代に編纂されたと見なされている経であり、内
容からみても明らかに仏陀の神格化(ゴータマの前世物語)と信仰という大衆教化のための意図
でもって、当時の寓話、逸話などを題材にして制作されたものという見解が最も妥当とみられてい
るものと私は理解しています。

 私は人間に内在する仏性なる属性について信じています。すべての人間は輪廻転生の体験を経
ながら、いつかは生死を超越した意識境に達するであろうことを根本に据えています。転生とは人
間の仏性が顕現していく過程であって、過去(及び過去世)の達成点から逆行することになる下等生
命への転生概念については否定します。
 尚、私もここの私に対する批判派同様に、経典の成立と編纂時期、及びその内容等から、史実上
のゴータマ仏陀が本当の語ったものと見なしていいのかどうかについて、つまり、後世の歪曲化や
挿入付加ではないかという視点は必要であることは認めています。

 一般に広義的には全ての経が仏典ですが、とてもゴータマ仏陀の実際の教説と見ることができな
いような内容の経については、その意味では「仏典」とはいいがたい、というのが私の基本姿勢です。
(その割りには不勉強にてスンマセンが・・・)

919 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 13:56
>>915-916>>917

    第一 備考
「迦葉 頭陀 苦行の末釈尊の弟子となり乞食行に励んだ。」
http://www.fsinet.or.jp/~shibuken/Kyogaku/Jyokyu/J1.htm

920 :名無しさん@3周年:03/09/14 14:20
>>911-912
>本当の自分を追求する事により
>不安の原因を根本から、「有」を用いずとも解決

「本当の自分」は生物的な制約を越えて、生死に関係なく、
五感では捉え切れない、個人的ではないものということですか?

>凡夫は少なからず、「我」を備えていると思います。
>そもそも、感覚は我々個人のものですよね

個人的ではなく、感覚できないものが本当の自分ということですか?


921 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 16:26
>>920
>「本当の自分」は生物的な制約を越えて、生死に関係なく、
>五感では捉え切れない、個人的ではないものということですか?
制約を越えるといいますか、自分ですべて含める事が出来るともうしますか

自分を保つときは、肉体的にも精神的にも自分の許容範囲があると思います。
自分のテリトリーと考えていただきたいのですが、
範囲に境界があるうちは、境界の外と戦う感じです。
これを我と表現します。
しかし、意識改革をしますと、この許容範囲を広くする事ができるはずです。
凡夫は、許容範囲が広い人がいても、譲れない部分がどこかあるという事です。
少なからずの「我」とはこういう意味で使わせてもらいました。

ですから、本当の自分とは、感覚云々ではなくて、広大無辺な器でありまして
本来の姿のように考えております。
しかし、我々がいきなりその状態になれば、パニックになると思います。
徐々に広げるものだと思います。
感覚できないものでも、不安にならず、動揺することは無いと思います。
本当の自分については、涅槃みたいな定義で、「有」ではありません。
許容を究極に広げた表現です。

922 :865:03/09/14 16:47
>>875
>これは人類の進化の課程において、人類は彼ら動物王国に殆ど滅ぼされる寸前まで殺されました。
>そのカルマを動物界全体として負っているようです。

???
いや、答えになってないよ。
では何故
障害のある動物A
障害のない動物B
障害のある植物C
障害のない植物D
が生まれてくるんだ?
そもそも
クリスタルさんの考えでは
人類が誕生する以前は動植物には障害は一切なかった事にならないか?

それに人間にしたって、生まれつき障害が出る(ある)のは、過去世での因縁だって証明出来ないんでしょ。

923 :名無しさん@3周年:03/09/14 17:40
>>922
クリスタル流仏教では人類以外は屁ですので動植物は一緒くたなのです。
根拠が無いだけで、論点は極めて簡潔です。

924 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 18:01
>>922
>では何故
>障害のある動物A 障害のない動物B 障害のある植物C 障害のない植物D が生まれてくるんだ?
>
この場合には物的要因に拠るということでいいと思います。
ただし、動物A B C Dの四体には内的な違い、つまり個性というものはありません。
経験は全体で共有しており、その点においては人間とは全く異なります。
「動物A」という特定の個体(内在)は元々ないのです。

>人類が誕生する以前は動植物には障害は一切なかった事にならないか?
そんなことは主張していません。

人間の行為による苦悩の中には一部、
動物界全体として負っている人類絶滅の危機へと追いやった頃の
「種としてのカルマ」があるという意味をいったのです。

925 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 18:02
つづき.
>それに人間にしたって、生まれつき障害が出る(ある)のは、
>過去世での因縁だって証明出来ないんでしょ。
>
誰それの何々は、
コレコレに拠る、などとはもちろんわかりませんよ。
それと、何を持って証明できたと見なすのか、ということもあります。

自分が体験しないことには認めない人には、何を言っても無駄でしかありません。
この場合には、いつの日にか自分自身が体験するであろう宿命智通まで待つ以外にはないでしょう。
或いは、退行催眠を受ける経験によって考え方が変容することもあるかもしれません。
私がお勧めしたいと思うのは、やはりこれら退行催眠療法や
その他において見られる報告について知るということです。

まず、前世否定派の方々というのは、それらの内容について全然知りませんね。
あたまから否定方向で見ているので、全く目を向けていません。
私の意見は、前世なるものを想定する以外には説明のつかないことがある、
ということに対して、目を背けるべきではないということです。

この中には、生まれつきの障害の原因となったであろう過去世の情報も見つける場合があります。
肉体障害は無理な部分がありますが、
生まれつき精神性の病の場合や幼少時から経験するものについて、
その原因と見なされる過去世情報が見つられた場合には、治癒の素晴らしい効果を上げているようです。
この治療の分野は全く新しいものであり、今後、益々その効果についてが期待されています。
どうか、ご自分で退行催眠療法について調べてみて下さい。

926 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 18:10
更にオマケとして....

いっておきますが、
わたしは例えば、「心霊現象も在る」ということを“知っている”ので、
仏教教理の誤解から、“そんなものはある筈がない”などいう否定見解が出ることについては、
可笑しくてしょうがありません。
もちろん、「前世」についても然りです・・・。

927 :名無しさん@3周年:03/09/14 18:51
>>921
>凡夫は、許容範囲が広い人がいても、譲れない部分がどこかあるという事です。

許容範囲のことを自分と言うのは、
いかがなものでしょう。
許容できれば、自分と言って良いのですか?

>本当の自分については、涅槃みたいな定義で、「有」ではありません。
>許容を究極に広げた表現です。

涅槃を何か、人間的な観念と履き違えて居られるようで、少し心配です。

928 :名無しさん@3周年:03/09/14 19:13
ではクリスタルさんは、その退行催眠の経験があるんですね。
どんな過去世でしたか?
何十回、いや何百回の過去世がありましたか?
あなたは自分に知り得ない(体験してない)事を信じない人には何を言っても無駄だと書いてますが、
証明出来ない事を自分勝手に解釈するのはいいんでしょうか。

動物には個体としての個性がない?それこそおかしくて仕方ありませんよ。

929 :865:03/09/14 19:28
>>924
動植物の事ですが…
>経験は全体で共有しており、

??
本当なら人間にとって脅威ですな(ヒヤリ)

>「動物A」という特定の個体(内在)はもともとないのです。

断定ですか
断定するなら、やはり根拠を提示して下さい。

930 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 19:30
>>928
私はそのような体験していません。
世のは二種の人間がいます。
体験するまでは認めない人と体験しなくても認められる人です。

>証明出来ない事を自分勝手に解釈するのはいいんでしょうか。
体験するまでは認めないことは、非常に正確さにおいて確実的な選択でしょう。
ただし、やっと判った頃には遅過ぎる状況ということも有り得るかもしれません。
一方、自分が直接に体験せずとも、
情報を収集して分析し、それら総合的に判断することで認めることも可能でしょう。
ただし、その正確さについては絶対性のものではないことは明白です。

自分が「違う」と見なす場合には、受け入れなければよいではありませんか?
ただし、その判断も絶対性のものとはいえませんね。
判断が早急過ぎて情報不足かもしれません・・・。
そういうことではないのですか?

私はどうか信じてくださいとはいいません。
あなたが納得する必要はありませんし、否定されても全然、結構です。
私自身は何も困っていません。

>動物には個体としての個性がない?それこそおかしくて仕方ありませんよ。
>
それだけ人間との比較において進化していないということです。
尚、人間に接触している一部の動物においては、
個別化が始まっているか、まもなくそういう段階にあるといった状況でしょう。
これ以上について、今ここで議論しても無意味です。
私もこれ以上のことは止めておきます。以降は「無記」・・・。

尚、このような見解についてその理解を助ける鍵となるのが、
「神智学」の学習です。

931 :名無しさん@3周年:03/09/14 20:11
>>930
>私もこれ以上のことは止めておきます。以降は「無記」・・・。

ワロタ

932 :名無しさん@3周年:03/09/14 20:28
不思議なことに,患者と密接な関係にある人物は,前世でも密接な関係にある,
親,兄弟,夫婦,殺人者,被害者などの関係にある例がほとんどとのことでした.
私がイメージしている輪廻転生からすると,人から人へ転生すること,
人間関係が転生の間保持されることは,数の点からも不自然です.

933 :名無しさん@3周年:03/09/14 20:29
と学会・著「トンデモ超常現象99の真相」洋泉社,によると,
患者が語る前世の人物が存在した証拠は実際はなく,催眠時は暗示にかかりやすく,
信頼性が高いものではないことが明らかにされている.
すなわち,語られている前世は,催眠術師が行う誘導によって,
人為的に後から作りだされた<前世>である可能性が高いと述べられている.

我々はけっこう有名な出版社の本に書かれていることはつい信用してしまいがちです.
著者が医者だったり,東大卒だったりすると尚更です.本を読むときは注意しなければ,
うそを信じ込まされてしまいます.

934 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 20:32
>>297
>許容できれば、自分と言って良いのですか?
>涅槃を何か、人間的な観念と履き違えて

許容範囲の話しは、我についてのイメージであります。
あくまで、ある側面から見ているだけですので
「本当の自分」とはこうだと一義的には説明は出来ません。
ただ、我との違いを考えていただきたいのであります。
許容している時点では、我に過ぎないと思いますよ。

本当の自分については、ここでは我の拒否の形で
示す程度であくまで、イメージのつもりです。

涅槃みたいな定義と申しましたのは、
あるイメージは持てるけれども、証明は出来ないと
意味合いで表現しました。
イメージを持つのは、「有」だとおもいます。

935 :くぅ ◆8x8z91r9YM :03/09/14 20:40
>>927
わたしのイメージは一般的ではないご様子です。
なにか、深みにはまりつつある気がしますので
別の言い方をします。

凡夫が自分を自分と思っているのは、我でありまして
本当は分かっていないと思います。

意識している部分だけで、思い込み見たいのが我であると考えます。
しかし、無意識の部分もあると思います。

ですから、無意識の部分もすべてひっくるめて「自分」
と認識できた時に、「本当の自分」と考えています。
そのためには、心の深層を知らねばならないと思います。

936 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 20:48
>>932
>人から人へ転生すること,
>人間関係が転生の間保持されることは,数の点からも不自然です.
これは何の数です?(返答を希望します)

>>933
>すなわち,語られている前世は,催眠術師が行う誘導によって,
>人為的に後から作りだされた<前世>である可能性が高いと述べられている.
意義在り! 実にツマラナイ批判ですよ。
そんなものならば、私だって否定します。
第一、この批判は何も内容を知りませんね。
語られた内容が誘導やでっち上げでは到底、説明のつかない事例が幾つもあります。

辞めるといってスンマセンが、
チト、気になりましたんで・・。

937 :名無しさん@3周年:03/09/14 21:10
>>936
人類の総数のことじゃないかな。
人間は何億人単位で増えつづけていますからね。

この文章はネットでひろったもので、一応参考までに紹介したまでです。
個人的には転生の事実を突き詰めること自体が、苦からの解放という視点からは無意味だと考えます。

938 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 21:37
>>937
>人類の総数のことじゃないかな。
>人間は何億人単位で増えつづけていますからね。
うーーん。参考コピペでした(笑)
まっ、そうだとは思いました。

人口増加が生まれ変わりの否定理由によく用いられることは、当然、私も知っています。
では私からの単純反論です。
転生の外に在る魂については想定しないのでしょうか?
どうして魂は40億とか60億個と決め付けるのでしょうか?
仮に太陽系内だけで600億個の魂が在って、
これらが代わるがわる肉体に受肉しているという考えがあってはどうして駄目なのですか?

それと、私は「と学会」本の大ファンであり、ここにも6冊あります。
そして概ね9割以上は「と学会」側の見解を支持しています。
ただし、「トンデモ超常現象99の真相」を除いてです。
この本の内容には意義が沢山ありますよ、私は・・・。

催眠療法からでる話はそのまま鵜呑みにはできないことは知っております。
ただし、暗示や誘導、幼少時の記憶想起といったことでは説明のつかない事例が沢山あるのです。
過去世の当人でなければ知り得ないようなものであり、
当然、療法を受けている被験者が知っている筈のない情報を語るものであり、
その正確性が検証され事実と合致する事例です。

それからこれは別の話ですが、ダライラマ14世のケースなどは催眠とは関係がありませんね。
13世しか知り得ないことや、一部の高僧だけにしか知られていない内容を
小さな子供(当時の14世)が正確に全ていい当てるのです。
もの凄い多くのそれらの試験をクリアーして初めて13世の転生者として承認されます。

939 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 21:38
>個人的には転生の事実を突き詰めること自体が、
>苦からの解放という視点からは無意味だと考えます。
>
それには特に反論しませんが、

この人生における私たちの行為の結果を自分で受ける必要があるという意味においては、
「来世」での果報というものが、当然、想定されなければならないのではありませんか?
「前世」は今生で受けている生まれながら苦境について、
それすら自己が集めた苦悩(四諦/苦集)に他ならないことを自覚する上で役立つものです。

940 :名無しさん@3周年:03/09/14 21:52
ダライラマ猊下等のトゥルク、化身は、輪廻しているのではなく、
化身として下生されていると考えられています。

941 :名無しさん@3周年:03/09/14 21:54
>>939
>「来世」での果報というものが、当然、想定されなければならないのではありませんか?

果報を将来得ようという魂胆を持たないように努力します。
現時点でのより良い生の積み重ねが良い人生を形成するものと信じます。
現世であれ来世であれ、結果を将来に期待することのないように。

942 :名無しさん@3周年:03/09/14 22:00
>>現世であれ来世であれ、結果を将来に期待することのないように。

これは非常に重要な視点です。結果を期待してはならないとお経によく戒めが説かれますから。

しかし解脱しない限りどうあがこうが輪廻してまうようになっているから、十善を守り菩提心を起こし行するしかない。

でなければ一切皆苦なんだから自殺すればそれでおわりでしょう。自殺しても終わらないから行するしかない。

943 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 22:39
>>940
もちろん、知っています。

しかし、それはダライラマに対する信奉心からきた神格化ですね。
そんな話は私は信用しません。
あくまでも代々全部ではないが、高僧が自己の修行と
衆生との関わりにおける使命を帯びて意識的に転生している現象でしょう。

944 :名無しさん@3周年:03/09/14 22:51
>>942
>しかし解脱しない限りどうあがこうが輪廻してまうようになっているから、十善を守り菩提心を起こし行するしかない。

果報を将来に求めない態度は、ひとを将来の不安からも解放します。
輪廻してしまうから仕方無しに行をするのではないでしょう。
より良く今を生き抜くために行をするのでしょう。
将来におびえて今を生きるよりも、今を大事にするために。

945 :名無しさん@3周年:03/09/14 22:56
まぁー取り合えずクリスタルさんは後退催眠しろ!
人に勧めるぐらいだからな。
話はそれからだ!

もしくはオカルト版に逝ってくだしゃい

946 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 23:03
>>945
エッ..私が受けるの??
そんなことして、とんでもない過去世が出てきたら、どう責任とんのよぅ?
織田信長だったら、どうするよ。エッ!

前世占いじゃ、ダメ!!(笑)

947 :名無しさん@3周年:03/09/14 23:08
ん?

948 :名無しさん@3周年:03/09/14 23:37
>>944
>>果報を将来に求めない態度は、ひとを将来の不安からも解放します。
>>輪廻してしまうから仕方無しに行をするのではないでしょう。
>>より良く今を生き抜くために行をするのでしょう。
>>将来におびえて今を生きるよりも、今を大事にするために。

すいません。否定して悪いんですが、こうゆう考え方は仏教とはまったく関係ない単なる現代的人生論の一つでしょう。

輪廻にあるということを認識し断見から離れ、一切皆苦を認識して現世も来世もどこへ行っても苦であることを実感して、
八正道を行じて解脱を目指すしかないんですね。
それができない場合は、できるだけ十不善を制し、十善を行うことや、諸々の供養などをする。

そうゆうのが仏教で輪廻を無視して今を楽しく生きようというのは、まさに断見派的見解です。



949 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 23:53
>>948
オール100%>絶賛!!

ところで、ゴータマ仏陀に想いをはせる皆様、
今、偶然チャンネル回して気づいたのですが、
NHKでルンビニ(仏陀生誕の地)とか映ってますよぅ。

はやく..はやくぅ!!!

950 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/14 23:57
間違えました。民放です。
「世界遺産---仏跡紀行ブッダ誕生の聖地・ルンビニー」

951 :名無しさん@3周年:03/09/15 00:07
無記によって何故、来世が否定、あるいは判断停止(無記)されるのか疑問だったんですが、
理由が分かりました。
>>159 
>如来は、死後、
> 11.存在する。
> 12.存在しない。
> 13.存在しかつ存在しない。
> 14.存在するのでも、存在しないのでもない。
阿呆陀羅經さんが既に欠いていました。
>>160 
> >>159
> >如来は、死後・・・
> は「タターガタ」−この文脈では衆生一般−と認識するほうが適切ではないかと思います。

中公の世界の名著でも「如来」を「人」と訳しています。
しかし何故人や衆生と取るのが適切なのでしょうか。
「如来」を「人」と解釈する他の用例が存在するのでしょうか・

「如来」と「人」では全く意味が違ってきます。
「如来」の場合は解脱した方が、死後どうなるか、ということで正にこのことを質問したのでしょう。
「人」と解釈すると一般に死後どうなるのか、来世はあるのかということになります。
これは非常におかしい。なぜなら釈尊は他で来世についてたくさん説いているからです。

阿呆陀羅經さんが「衆生」と解釈する根拠はなんですか?

952 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:11
来週は、悟りの聖地ブッダガヤだって。さぁ


953 :波木井坊竜尊@日蓮宗葵講 ◆IByKs72gR2 :03/09/15 00:12
もう終わってた・・・。

954 :名無しさん@3周年:03/09/15 00:17
>>948
>すいません。否定して悪いんですが、こうゆう考え方は仏教とはまったく関係ない単なる現代的人生論の一つでしょう。

まぢっすか!?

955 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:41
>>851
 『「タターガター」を正確に表現すると「タターガタガルヴァ」で「仏になっていく何ものかは
必ず有にして存続するはず」ということ。一般に如来蔵や仏性と意訳する。  
それを「諸法実相」と解釈する学説は天台教学の中に特徴的に現れている。』
http://www.d8.dion.ne.jp/~asuwasan/s/tataagataa.htm

 『如来(にょらい、tathaagata)は、諸宗教において修行を終えた者のこと。
字義は「真如の世界より来るもの」。仏教においてはゴータマ・シッダッタのことを指し、
さらに十号の一つとなった。大乗仏教では信仰の対象としての諸仏の尊称となっている。
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%9D%A5

956 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:42
つづき.
>「如来」の場合は解脱した方が、死後どうなるか、ということで正にこのことを質問したのでしょう。
当然そうでしょうね。

そうでなければ、如来(タターガター)という言葉で尋ねる意味がないです。
ここは当然、解脱してニルヴァーナ境地に到達した如来の死後はどうなのか?について
知りたがったいる質問に他なりませんね。
そして、仏陀はその回答もここでは明言を避けたということでしょう。
この一連の回答の流れにおいては、「如来」についても当然そういう態度になるでしょう。
何故ならば、どうなどとは簡単に示せるようなものではないからですね。

>>160
>この文脈では衆生一般−と認識するほうが適切ではないかと思います。
「如来 tathaagata」という言葉が「衆生」の意味として使われるなどとは、
到底、考えられませんね。
私は聞いたことも見たこともありません。

上記コピー説明の
「仏になっていく何ものかは必ず有にして存続するはず」
という解説は、とても重要な意味を含みます。
「諸行無常」との関係において考察されるべきです。
つまり、無常なる一切の中には如来も含むかどうかですね・・・。

957 :名無しさん@3周年:03/09/15 00:48
スートラって何ですか?

958 :名無しさん@3周年:03/09/15 00:51
如来 tathaagata 物事をあるがままに見ること。
現世は苦しみである。
という認識を善悪抜きで出来る人。

959 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:53
エッと、>>955-956は、
>>951の内容に対する投稿でした。間違えました。。


>>953
波木井さん、
見逃しました??(笑)

映像の一部では、2500年の遥かな時を経て、
宗派の違いを超えた世界中の弟子が聖地ルンビニーに集っているという紹介でその様子が映りましたよ。
各国、各グループの各々のスタイルと習慣で読経を捧げていたなぁ。
で、その中にはなんと日本の「日本山妙法寺」(たぶん?)の僧侶集団が太鼓叩いてまスた。
太鼓に「日本山・・」まで見えていたから、まず間違いなさそう。
想いは共に同じですから、良いことですわ。

960 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 00:59
>>958
世俗の社会的な一般人たちと同様であっては「如来」とはいえません。

(もうすぐ、1000ですな)

961 ::03/09/15 01:01
とにかく、常見の方
今、子作りしてる連中に「罪なことは、おやめなさいっ!」「罪なことは、おやめなさいっ!」
と言ってやってくれ。

962 :名無しさん@3周年:03/09/15 01:03
>>956
>「如来 tathaagata」という言葉が「衆生」の意味として使われるなどとは、
>到底、考えられませんね。

アホだらさんの立場ありませんねー(w

963 :NB ◆0buMLZ/Vxc :03/09/15 01:53
>>955-956

ttp://www.d8.dion.ne.jp/~asuwasan/
↑このページ、どうやら真宗系みたいなのでレスしますが、
はっきり言って微妙にトンデモ入ってます。(真宗教義の解説についても)

タターガタの解説のところは、個人的に有害指定しときます。
ちなみに如来蔵と仏性は、厳密には原語が違います。
つーか、『如来蔵経』自体は絶対に原始仏典じゃないです。

ちなみに、、如来(去)の「如」をどう解釈するかによって「衆生」と見るべきだ
とかいう話だったんだと思います。(…後見賢者の取捨をたのみます)

つか、、、このスレで如来蔵なんて微妙でやっかいなものを簡単に持ち出さないように。
おながいします。


964 :名無しさん@3周年:03/09/15 02:41
輪廻なんて簡単には信じられないよ。チーン

965 :名無しさん@3周年:03/09/15 10:50
良スレがカルトに荒らされてる。

966 :666改:03/09/15 10:56
なるほど、たしかにこれでは荒らしですなあ。
盛り上がればいいってものでもないか。
電波さん、もしMLにこんなひとが来たら削除対象にしますか?

967 :名無しさん@3周年:03/09/15 17:07
>>730でのクリスタルさんの質問ケース
>仏道に帰依し始めたばかりの弟子が今まさに臨終を迎えようというときに、
>彼から発せられた、「死後、私はまた再び仏道に帰依して、
>いつかはニルヴァーナに到達する機会は得られるのでしょうか?」
これに対してベロさんが答えてます>801 が、

これによく似たケースがお経にありました。中公の世界の名著1、451-456ページ
「病あつきヴァッカリ」です。示唆に富むと思われるので以下に紹介します。

病の床についたヴァッカリ尊者のもとへ釈尊がいらして、語りかけます。
釈尊:悩みや後悔がないか?
ヴァッカリ尊者:ある
釈尊:では戒律は清浄だったか?
ヴァッカリ尊者:清浄
釈尊:清浄なら悩みや後悔などないではないか!
ヴァッカリ尊者:釈尊にお目にかかる体力がないこと(意味不明、たぶんヴァッカリの小さな拘り)
    以下引用、


968 :名無しさん@3周年:03/09/15 17:08
>「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆく
>この肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を
>正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ること
>になるのです。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見ている者は、(結局その理法にほかな
>らない、この)わたしを見ていることになり、わたしを見ている者は、(結局のところ)もの
>ごとの理法を正しく見ていることになるからです。
> ヴァッカリよ、ものは、永遠に不変のものなのか、それとも無常なのか、
>おまえはこのことをどう考えるか」
>「師よ、無常です」
>「感受、想念、因果的存在、心は永遠に不変なのか、それとも無常なのか」
>「師よ、(それらはすべて)無常なものです」
>「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の)
>世界に生をうけることはないと知るのである」

この後ヴァッカリ尊者は無常を覚り、自殺する。すると悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、
魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる。


969 :名無しさん@3周年:03/09/15 17:08
ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。
六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。
悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃える。
       中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52ページ

もちろん釈尊は不殺生戒で普通の自殺を禁じています。諸律に説かれますが複雑なので引用しません。
解脱せずに自殺すれば輪廻しますし悪趣に落ちるとされます。
それとは逆に上の二ケースのように解脱した状態で自殺した場合、涅槃できると考えられます。
悪魔は自殺した人が輪廻にあると思って魂、中村訳では「識別力」を求めていること、
それを釈尊が認めていることから、凡人の死後が想定されていることがはっきりします。
これはベロさんの答え>>801 と全く対立すると思います。
もちろん、ここで「魂」「識別力」と訳されている識(ヴィンニャーナ)も無常なものであることは、
「心」と訳されている識(ヴィンニャーナ)が無常であること既に釈尊が確認ずみです。
    (尚、輪廻の主体は仏教で問題となり色々な説が考え出されたが、このように初期は識とも
     言われていたようです。無常性を強調して後に心相続というようになったのかも?)


970 :名無しさん@3周年:03/09/15 17:09
「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい」というのは、釈尊がヴァッカリ尊者の
拘り「釈尊にお目にかかる体力がないこと」を後悔している、煩悩を引きずったままでは、
解脱へ引導できないので、そういった些細な煩悩を意識から取り去ったと考えます。
そして心を静まった状態に導いたと。

次に釈尊がヴァッカリ尊者に聞いたことは死にあたって重要な問題だったと考えらます。
戒律が清浄であること、梵行に努めたかということは、
不善をなさなかったかということ、悪業を作らなかったか、ということだと考えられます。
なぜなら、悪業を作らなければ、来世に対して悩みなく、それは死に対して悩みなくなるからです。

次に我の構成要素である色・受・想・行・識の五蘊すべてが無常であることを確認し、
それを実感できれば解脱し、後生をうけない、つまり輪廻しないと仰っています。
これは梵行では悩みのない善趣を受けられるが、解脱はできないことを示していと思います。
これが最も重要なところで我はどこにもなく無常で無我、人空を実感することが解脱につながると
考えられます。解脱すれば来世、死、どころか輪廻すべてに悩みがなくなり、根本解決になるからです。

ということでクリスタルさんアートマンでは解脱できないと考えるのが仏教です。
>>963 でNB さんが仰るように諸法実相とかはまた別で、ジャータカを認めず天台を認めるというのは変ですね。
また、動物への輪廻は三悪趣に落ちるという風に一般的に説かれています。
それでも認めないのでしたら律の中の因縁を説く箇所でも説かれますよ。    

971 :名無しさん@3周年:03/09/15 17:16
>>964
信じないのは自由だが、教えの内容を変更して喧伝されては困ります。
もちろん輪廻を信じずに十善行等を実践しても結構で、それでも有意味だと思います。

仏教はで強制しませんし、やれることからやる、だから方便がたくさんあるんです。

972 :名無しさん@3周年:03/09/15 17:44
輪廻については、釈迦が死者に向かって気休めを説いた方便よりも、
現在までの輪廻に対する仏教等の蓄積によって判明した或る程度の知識を以って
判断しなければ、それこそ原始人の信仰になってしまいます。

分からない世界に対して方便で説明するほうが有効であったかもしれないし、この手の話しは
寓話や伝承ミス、改竄、何らかの方便といったものが入っている可能性を考えたほうがよい。
釈迦の直説に近いものを唯一の拠り所とすることは危険だし、
簡単に判断できる世界ではないと思う。

973 :名無しさん@3周年:03/09/15 18:03
やはり「無我(非我)」の解釈の違いが主な原因でしょう。
因果なもんよのうー。
取り合えず「無我」解釈から起きた、延々と続く議論を中断した方がいいんじゃないの?
次は
例えば「中道」について…とか
モチロン基本は原始仏教としての

他スレで
「中道の程度も分からないのか!」って言われたんで
質問
中道に「程度」って、あるんっスか?

974 :名無しさん@3周年:03/09/15 18:40
クリスタル教のスレを立てたら?

975 :名無しさん@3周年:03/09/15 18:59
>>972
>輪廻については、釈迦が死者に向かって気休めを説いた方便よりも、
気休めではないでしょう。涅槃しているんですから。核心的な教えだと思いますが。
気休めはまさにこちら>>801

>現在までの輪廻に対する仏教等の蓄積によって判明した或る程度の知識を以って
>判断しなければ、それこそ原始人の信仰になってしまいます。

現代人の方が仏教知っていると思っているんですか? 

>分からない世界に対して方便で説明するほうが有効であったかもしれないし、この手の話しは
>寓話や伝承ミス、改竄、何らかの方便といったものが入っている可能性を考えたほうがよい。
>釈迦の直説に近いものを唯一の拠り所とすることは危険だし、
>簡単に判断できる世界ではないと思う。

基本的にあらゆる時代のあらゆる仏教が輪廻を前提としています。
例外は日本の現代仏教だけですね。それ以外にあったら典拠を上げて教えてください。

976 :名無しさん@3周年:03/09/15 19:09
[原始佛教 その5] なんとなくクリスタル

977 :名無しさん@3周年:03/09/15 19:25
>>975
輪廻から解脱した涅槃と、
死んだ後もこの世を彷徨ってしまう状態から逃れて次の生に赴ける状態と、
次の生でまた同じ苦しみを味わうことから脱したことと、
それらの違いが分からず、
「涅槃」として受け取ってしまった勘違いが入ってしまう可能性だってあるでしょう。
真実と方便の違いをわからず、とんでもないことをやってしまう団体だって世の中には
あるのですからね。

978 :名無しさん@3周年:03/09/15 19:59
とんでもないことをやって、方便だったと言い逃れ

979 :名無しさん@3周年:03/09/15 20:02
>>977
真実と方便の違いが、あなたには解るのですか
わたしの考えでは真実(悟り、ねはん、真理)は言葉や文字に出来ないものです。

980 :クリスタル ◆rXhk8XNQU6 :03/09/15 21:12
>>963 >>970
ハイハイ。
いやー、どうもスンマセンねぇ・・・。
なんか、余計なもんをコピペ紹介したようで、酷ーい誤解をうみまスたねぇ。
アッハハハハ。真宗だからダメか!!(真宗さんもゴメンねぇ・・)

いやいや、ホント、
ただ、「衆生」なんて意味があるのかってことだけで紹介したんであって、
それと、「仏になっていく何ものかは必ず有にして存続するはず」という文句が気に入った(笑)。
まー、そういうことです。

>NB さんが仰るように諸法実相とかはまた別で、ジャータカを認めず天台を認めるというのは変ですね。
尚、このような意図は私には全くありませんので、ご理解下さい。ペコリ


>動物への輪廻は三悪趣に落ちるという風に一般的に説かれています。
この点についてはチト、私は納得がいきませんね。

たとえばそのジャータカ物語などでも、たしか仏陀の過去世としてウサギの物語などが描かれています。
これは飢えてヒモジイ人間に自分(ゴータマの過去世)を食べさせた
過去世での功徳を説くものであったと思います。
これらは、どう考えても明らかに動物への生まれ変わりという意図で述べたものです。
つまり、インドでは一般的には人間が動物にも生まれ変わり、
再び動物から人間へも転生するという考えが当然のようにあったことを示しています。
そして動物に対する慈しみの大きな理由の一つとして、
自分の愛する家族や先祖たちが転生している姿かもしれないから、
という教え方をして、動物への不殺生および無害を実践するよう教えていたものと思われます。

981 :名無しさん@3周年:03/09/15 22:23
話は変わるけど
電波男さんが勧めてた
「原始仏教」水野 サーラなんとか
って、何処で売ってるの?

982 :名無しさん@3周年:03/09/15 22:30
漏れはネットで買った
古本だけど

983 :名無しさん@3周年:03/09/15 22:49

サンキューです
そうですかネットってオークションですか?
古本って事は今は絶版なの?

984 :名無しさん@3周年:03/09/15 23:17
いや、高かったから
ネットで在庫を見れる古本屋で

985 :名無しさん@3周年:03/09/15 23:26
新スレ立ててみました、よろしければこちらでどうぞ。

。。。仏教の無我と真我は両立可能か。。。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/philo/1063635819/l50

宗教板では立てられなかったので、哲学板に立てました。

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