5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

原始佛教 その6

1 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/01/23 14:15
ここではアーガマやニカーヤに説かれている教法や教理を中心に、
様々な議論を重ねていけたらと思います。
佛教の原点を闡明できる良スレになること期待して・・・。
引き続きよろしくお引き立てのほどを。
★過去ログ★
原始仏教
http://life.2ch.net/psy/kako/1022/10221/1022157378.html
原始佛教 U
http://life.2ch.net/psy/kako/1031/10317/1031764449.html
原始佛教 V
http://life.2ch.net/psy/kako/1035/10354/1035423266.html
原始佛教 その4
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1056128400/
原始佛教 その5
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063719889/(前スレ)

2 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/01/23 14:21
このスレもいよいよ五代目です。最近ご多忙の方が多い−私もその一人(汗)−のか、閑散としておりますが、まあ
じっくりまったりと参りましょう。

あと恒例となりました「復刊ドットコム」の宣伝を。

その昔講談社から刊行されていた『原始仏典』全10巻が重版されるという
話が出ています。「復刊ドットコム」で投票が行われていますので、読みた
い方はどうぞ投票してくださいませ。ちなみに私も一票入れました(笑)
学術文庫で出れば助かるのですがねえ・・・。

情報はこちらで
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kiraya/news0108.html
復刊ドットコムはこちら
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=2542
です。

3 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/01/23 14:21
失礼。六代目でした。

4 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/01/24 00:48
新スレ立て、お疲れさまです。

僕も阿呆陀羅さんに刺激をうけて、学部生の頃に図書館で読んだっきりの前田先生の
『原始仏教聖典の成立史研究』を購入してしまいましたよ。たまたま近所の古書店
で目に付いて、それなりの値段でしたが思い切って買っちゃいました。
まだあまり読んでませんが、確かに益するところは大きいように思いましたね。

この本や中村元博士編の論文集『自我と無我』平楽寺書店、などはかなり古い本
ですが、原始仏教思想に関心のある方は読んでおいて決して損はないと思います。

5 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/01/24 11:16
>>4
ベロさん、ご無沙汰です。

>『原始仏教聖典の成立史研究』を購入してしまいましたよ。
なかなか示唆に富む本ですね。いろいろな意味で参考になりました。しかし、その後この方面の綜合的な研究
書があまり見られないのが遺憾ですが。

こちらにもカキコしたいのですが、相変わらず出張仕亊がやたらに多いのと、「ままよ!」とばかりに購入した書
物が山積し、それを読まなければならないもので、なかなかままならないものがあります。

今年あたりはこちらで「縁起説」をやってみたいかなとも思っておりますが・・・。

6 :金波羅華:04/01/25 10:59
タターガタの翻訳を知るには過去スレのどこら辺を見ればよろしいでしょうか?

7 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/01/25 14:06
>>6
前スレのこの辺りに過去のカキコをまとめています。

http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063719889/114

それに関する話題は以下に。

http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063719889/674-688

その後の展開は残念ながらありませんでしたが(笑)。

8 :金波羅華:04/01/26 02:18
ありがとうございます。
タターガタを衆生と訳す論拠を中村博士に求めているようですが
電波男氏は必ずしも衆生に拘ってはいないみたいですね。


9 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/01/26 11:58
>>8
無記あるいは捨置答の文脈での「タターガタ」を衆生と捉えることは、どこだか失念しましたが電波男さんの書込みに示
唆を与えられたのが発端となりました。その後中村元氏の著書、その他様々な資料を渉猟するうちに上のような見解に
逹したわけです。

前スレでの電波男さんのコメントは以下に。

http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1063719889/462

10 :金波羅華:04/01/26 22:25
>>9 引用します。
462 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆Lrv4sH3gkA :03/10/11 09:44
>>453
>3)阿呆陀羅經さんの
> >>110>>114
> 非常に重要な事が書かれていると思うのですが、いま一つ腑に落ちません。
> >>115、116 がなぜ驚いたか?その『驚きの内容』の解説をお願いしたいのです。

無記(釈尊が答える必要なしとして答えなかったこと)として数えられるものの一項目に

1 如来の存在にかんする両極端の見解

がありました。そしてこの項目は中国朝鮮日本においても定型のように語り継がれ(場合によってはインドでも)
誰も疑うことが無い先入観として定着していました。しかしこの項目は色んな研究で如来ではなく「衆生」(われわれ)
であることが明らかになってきました。けれど、これを受け入れる人はなかなかおりません。学者でもその
先入観ゆえにアテンションできておらす、体系から外れているのです。

この項目が何を意味してくるかといいますと、輪廻転生について釈尊がどういう見解を示したかという重大問題
へと発展することです。

>いままで、如来の存在に就いては無記を示したが、我々衆生に関してはその
>輪廻転生について無記という態度は絶対にとらなかった。

とするのが輪廻転生肯定派の根拠でした。それが揺らぐのです。


11 :金波羅華:04/01/26 22:30
一つ質問があります。
>しかしこの項目は色んな研究で如来ではなく「衆生」(われわれ)
>であることが明らかになってきました。けれど、これを受け入れる人はなかなかおりません。
>学者でもその先入観ゆえにアテンションできておらす、体系から外れているのです。

中村元を論拠にできるというのに、体系から外れているというのはどういうことなのでしょう。


12 :金波羅華:04/01/27 23:55
体系から外れている、すなわち全学者のコンセンサスを十分に得られていないということは、
もしかして、中村博士に匹敵するような転生支持者が学会内にいるってことじゃあないですか?
資料を渉猟するのはいいですが、偏見と先入観は払拭できているのでしょうか。


13 :名無しさん@3周年:04/01/28 21:19
広末涼子はどうやって妊娠したか?
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1071811478

14 :名無しさん@3周年:04/02/02 06:35
原始仏教。悟りとはあるがままを受け入れること、
この世を直視すること。この世の現実を直視すれば、
この世は予定調和的なものではなく、どうしようもない
連続。あの世もしかり、相対の世界にいる限り、川の流れのなかに
いる限り、苦しみからは逃れられない。
法とは自分の中に嘘をつけないものがあること、本質。
この世の命はそれ自体が悲しき存在。それを受け入れる
強靭な精神に、心の平安があり、何ものにも
囚われない本質に帰す。さすれば、愛そのもの。
人は本来、光であり、暖かいのもの。
自分に嘘をつかない。人生における沈黙。
ああ、原始仏教って、あまりにも厳しく、
そして優しい。

15 :名無しさん@3周年:04/02/08 18:28
揚げます。

 過去スレで取り上げられてきた話題について、自分の課題として取り組む事を考えると、
一生分の修行課題としても、なお余る程の質量になっている。
実践する立場の者にとっては十二分に語られ尽くされている。

ここで二つほど注意。
1)  過去スレ倉庫に収納されている過去スレの中には、レス番の途中から切れているものが有ります。
2)  スレッド内容を検討する際は、印刷して紙面に自ら書込み等をする事をお勧めします。

16 :名無しさん@3周年:04/02/10 08:10
瑣末なり。
すべからく修養すべし。


17 :名無しさん@3周年:04/02/10 12:04
あほだらさん、スレ立て乙です。
このシリーズもPart6に突入しましたね。
毎回勉強させて頂いてますよ。
良コテの方々には、今後とも有意義な討論と検証を
ご期待申し上げます。

#応援カキコ


18 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/02/13 00:10
>>12
ネット環境からしばらく離れていましたので、超亀レスになってしまい申し訳ありません。

>もしかして、中村博士に匹敵するような転生支持者が学会内にいるってことじゃあないですか?
寡聞にしてそのような大物転生支持者を存じません。むしろ「タターガタ=如来」という理解が充分な吟味を
受けないまま、一種の暗默の前提となってしまっている傾向に不自然さを感じますね。

>資料を渉猟するのはいいですが、偏見と先入観は払拭できているのでしょうか。
戦前に刊行された『南伝大蔵経』の『中部経典』第二十五経(干潟龍祥訳)の訳注に「タターガタ=かくの如く
去来するもの=有情・我など」とあるのを発見し、前スレでの私の見解もあながちトンデモでもないのではと
少しく安堵したりしています(笑)。また『長部経典』の『梵網経』(宇井伯寿訳)の訳注もパーリ註に依拠し見解
を同じくしていますが、ここでは「真人」という訳語が採用され、ある種の「折衷案」となっており、歯切れの悪
さを感じます。

また大正蔵阿含部所収の単経の『邪見経』並びに『箭喩経』では、タターガタに対応する訳語として「如此」な
るものが使用されており、殊に前者ではこれと「如来」の語が区別されて訳されているのが注目されます。

『邪見経』 http://w3.cbeta.org/result/app/T01/0093_001.htm
『箭喩経』 http://w3.cbeta.org/result/app/T01/0094_001.htm

19 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/02/13 00:11
>>17
ありがとうございます。こちらこそこれからもよろしくお願いします。

20 :名無しさん@3周年:04/02/14 18:01
素人の見解ですが、「真人」という訳語からは道教を連想します。
また「如此」とは、「このようなもの」程度の意味で受け取ってもよろしいのでしょうか?

>むしろ「タターガタ=如来」という理解が充分な吟味を受けないまま、
>一種の暗默の前提となってしまっている傾向に不自然さを感じますね。

自分もそうですが、一般に「仏様=如来様」は偉い方だとの思い込みがあると思います。
御寺で、あるいは仏壇を前にして手を合わせるのはごく自然な事ですし。

21 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/02/15 22:51
>>20
> 素人の見解ですが、「真人」という訳語からは道教を連想します。
私もズブのトーシローです(笑)。それはさておき、古い漢訳佛典には「真人」の語はよく見られます。漢土
に佛教がもたらされた当初の苦肉の訳語だったと思います。

> また「如此」とは、「このようなもの」程度の意味で受け取ってもよろしいのでしょうか?
『箭喩経』と同一訳者によるものと思われる『邪見経』でブッダを「如来」と訳し、それと「如此」を殊更区別し
て訳していますので、「此の如きもの」の意ではないかと考えます。

> 自分もそうですが、一般に「仏様=如来様」は偉い方だとの思い込みがあると思います。
> 御寺で、あるいは仏壇を前にして手を合わせるのはごく自然な事ですし。
ここでの発言は原始佛教の文脈における「タターガタ」の語義を明瞭にしておきたいという意図に基づいて
います。ちなみに私も佛前では合掌礼拝しますよ。

22 :名無しさん@3周年:04/02/17 10:53
:::::::::::::::::::::::::::::::::..:..:::::::::::::::::::::::。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::。:::::::::
::::::::::::::::::::::::。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::。:::::::::::::::::::::::
 ̄`''--、__,,,_,,,,__,;;w--─--、___:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::,,;;;;;;;;
    _  ___  ____--─ー──~'''~`─-、._,,、w─''"" ̄  ̄
─''"~   ̄   ̄    ̄^ー-‐''''"~~~`‐-‐''~^ヘ,,__,, _____

        / ̄\    新スレおめでとうございます♪
        ∨***\
        ∠〃~ヽヽ>     /⌒ヽ
        |||*^◇^)||    (ノハヽ)○
        / つ☆と)ヽ   (^▽^ )⌒ヽ
       ∠_, (^)(^)> ☆☆★と.,,ノ__ )
゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"""゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"゛"""

23 :名無しさん@3周年:04/02/17 18:42

『邪見経』の漢訳者の見解を次のように読み取ることができる。
有情・我などを如来(ブッタ)に比較して「此(如来)の如きもの」=「如此」として定義している。
有情・我など=かくの如く去来する者の如きもの

なぜ、如を2重に使わねばならないのでしょう?
ブッタの神格化以外にも何か理由がありそうですね。
そもそも一般に「如来ではないもの」の意味で有情・我という単語を使われていますが、
如来には情・我が無いのでしょうか?

そのように妄想していくと「真人」という訳語も無用な妄想を呼びにくいという点で、
一理あるような気がします。

御返事ありがとうございます>阿呆陀羅經さま


24 :名無しさん@3周年:04/02/17 19:48
一つの意見として聞いてください。
まず仏陀は自殺を認めています。
違うという人は勉強不足です。
どんな理由があろうと自殺を認めてる宗教はろくなモンじゃないです。
あと仏教では霊魂の存在を認めていません。
違うという人は勉強不足です。
なのに霊を慰めるとかでお経を唱えるのは意味が判りません。
仏陀は出家するのですが裕福で恵まれた環境にもかかわらず
このままでは一生煩悩に悩まされ救われる事はないとか言って
ある程度まで育ててくれた親の恩を忘れ修行の旅に出ます。
自分の家族を心配させ悲しませ悟りをひらく?なんと身勝手な人間でしょうか。
それと仏陀は生殖行為も否定しています。
自分をこの世に生んでくれた両親の行為をも否定するあきれたバカです。
いくつ宗派があるかは知りませんが元はこの仏陀というバカで自分勝手な男が
つくりあげたものです。
何人の人が仏陀に救われたかは知りませんが自分の家族を悲しませその事について
謝罪の言葉もないこんなヤツに救われたくないですね。




25 :名無しさん@3周年:04/02/17 23:51
我見を無脈絡に並べて、『違うという奴は勉強不足』で片付ける。
もうこの手合いにはうんざりしてるんだが。

このシリーズのスレは、意見を述べるのは自由だけど、必ずその
根拠となる原典からの引用が要求されると思う。

・・・なんか某スレの「太刀川」を連想する書込だね>24


26 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/02/17 23:58
>>23
少し文意が汲み取りにくいのですが・・・。

> 有情・我などを如来(ブッタ)に比較して「此(如来)の如きもの」=「如此」として定義している。
経典の文面からはその「比較」を読み取ることは難しいでしょう。「如此」という訳語の意味は曖昧にせよ「如来」
とはっきり区別されていますしね。また両経の文脈や登場人物あるいは説かれた状況もよく考察してみて下さ
い。

> そもそも一般に「如来ではないもの」の意味で有情・我という単語を使われていますが、
> 如来には情・我が無いのでしょうか?
佛教における「有情」の語義を調べてみて下さい。いわゆる「情の有無」とは意味が異なっていますよ。

27 :名無しさん@3周年:04/02/19 22:21
>>24

すんまへん。勉強不足なんでしらないんですが、
自殺を認めているというのは、典拠はなんですか?

確か殺生戒制定の過程で、自殺禁止令を出したはずだけど。


28 :名無しさん@3周年:04/02/25 10:49

あれじゃない?
自分を犠牲にして助けた話。

29 :名無しさん@3周年:04/02/25 15:26
自殺云々なんてないよ。
自殺を罪だという宗教はよくある。
キリスト教なんて、その典型だろう。
しかし、そんなものは、魂の曇りだ。
依存心から生じた規範であって、悪癖だ。
罪という概念自体、依存心の賜物だ。
「この世は修行の場である」と説く宗教はよくある。
しかし、本当にそうなのか?答えは否である。
この世は、魂が磨かれる場であるとともに、
汚される場でもある。
自殺も含めてこの世の現象には縁起が存する。
そして、自殺に関していえば、「悲しい」
ただ、それだけだ。



30 :名無しさん@3周年:04/02/26 20:11
電波男Ψ(´д`)Ψ さんのML 総合案内
ttp://homepage3.nifty.com/fhiso/


31 :通りすがり:04/03/01 13:34
悟りとは、
自覚しているか、いないかの差だと思う。

ほとんどの人は自覚なしに使っている。


32 :名無しさん@3周年:04/03/02 19:34
上げます。ただ上げるのもなんなので。

修習次第(ダライラマ大乗の瞑想法)を読んでいます。

感想
仏教は日本人にとってもチベット人にとっても異国の宗教なのだな。
声聞に対する文中での扱いから、現代日本においても、
自分が想像していた以上に悟りを得た禅僧は多いと確信した。

気になったこと。
人無我を了解するのは非常に困難であること。
人無我を了解した方の存在は本人と周囲の人々に益をもたらすこと。
外道、声聞に分類される人々の内にも高い理解を実現されている方がいらっしゃること。
法無我を誤って理解すると非常に非常に害の絶大なこと。

いわゆる「無念無想」系の修行者が「有念有相」系の教えの方向性を理解するのに好適な、
本だと思います。混ぜてはいけない物を混ぜたり、広くなることにより浅くなることを恐れず、
慈悲ゆえに見事に説かれた阿闍梨蓮華戒師に感謝いたします。

33 :名無しさん@3周年:04/03/02 19:50
>>27
サンユッタ・ニカーヤ第四篇三章三節ゴーディカ尊者の話じゃないかな。

七度心解脱から退歩したゴーディカ尊者が、絶望して自殺しようとする。
悪魔が現れて、釈尊に弟子の自殺を止めるように語りかける。
釈尊は悪魔を退け、ゴーディカの自殺を許す。

34 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/03/24 15:41
貧乏閑なしの出ずっぱり生活が続いていて、なかなかカキコ出来ません。GWくらいにならないと落ち付かな
いかも(苦笑)。

>>32
>仏教は日本人にとってもチベット人にとっても異国の宗教なのだな。

インド人にとっても然りでしょうね。

35 :名無しさん@3周年:04/03/24 20:14
>自殺を罪だという宗教はよくある。
>キリスト教なんて、その典型だろう。
キリストは自殺しました。自殺ではありませんが、実質は
自殺であることがわかると思います。


36 :くぅ ◆D1/xqrwf52 :04/03/25 00:35
言いたいことを言うだけで申し訳ないですが
もし「タターガタ=衆生」と意味するなら

その我を持っている存在たちの総体を指すのでは無いかと思いました。
華厳経で一即多、多即一と言いますけど、
「衆生」は「一」のそれぞれを指しているのではなく
「多」の部分を総じて言っているのでは無いかと思ったのです。
ところで、「多」は無量,無辺、無相だと思います。
三人集めて文殊の智慧ならぬ。すべてを集めて絶対智慧。

中村元先生の説で縁起の意味が「縁りて起こる」では無く、「不生」なら、
一人称の独立した表現に聞こえる「如来」は酷く変な気持ちです。
でも単純に考えるには一人称にした方が理解しやすいと思いますけど。

龍樹が仏をみるという表現をしてたと何かで読みましたが
不生にして、見れると言ったら全体そのものではないかと考えているのです。

一即多というのは色即是空だとしてみたのですが
一に関して輪廻転生はありえるとしても、
多が輪廻転生とは、なんとも答えがたい次元の話しだと思います。

なんか、輪廻支持してますよわたくし。

37 :名無しさん@3周年:04/03/29 03:22
書きこみ&クッキー確認



名前:
E-mail:
内容:
根本仏典のブッダの言葉
http://life.2ch.net/psy/kako/1042/10428/1042812195.html



投稿確認

38 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/03/30 08:38
恩師、梶山雄一先生がお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。

いろんな意味で時代の交代を感じざるを得ません。

39 :名無しさん@3周年:04/03/30 16:46
(つづき)
根本仏典のブッダの言葉
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0403/27/1042812195.html


40 :阿呆陀羅經 ◆uY56yOcNSg :04/04/05 12:18
梶山先生のご逝去の報に接し、心より哀悼の意を表します。

41 :阿呆陀羅經 ◆uY56yOcNSg :04/04/05 12:18
梶山先生のご逝去の報に接し、心より哀悼の意を表します。

42 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/04/05 12:22
携帯の操作ミスで二重カキコになり失礼しました。トリップも間違えた(T_T)。

43 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/04/08 01:34
僕も梶山先生の著作では角川の『空の論理』や春秋社の『空入門』
人文書院の『空の思想』『輪廻の思想』『菩薩ということ』『さとりと廻向』
紀伊国屋書店の『仏教における存在と認識』や講座大乗仏教のシリーズ等々
数え切れない恩恵を受けています。できれば梶山先生の浄土教に関してまとまった
一冊が読みたかったですね。本当に残念です。心より哀悼の意を表します、合掌。

44 :名無しさん@3周年:04/04/08 03:05
桐山かとおもたYO

45 :名無しさん@3周年:04/04/13 10:16
age

46 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/04/21 13:48
http://that2.2ch.net/test/read.cgi/gline/1081863318/
のルクダル氏のご厚意でdat落ちしていた前スレがhtml化されて読めるようになりました。
この場をお借りして御礼申し上げます。

原始佛教 V
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0404/21/1035423266.html
原始佛教 その4
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0404/21/1056128400.html

47 :レンマ:04/04/25 22:47
「悟り」の語源的な意味を知っている方がいらっしゃったら、
教えていただけますか?
「覚り」とどう違うかなど、教えていただければたすかります。

48 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/04/26 02:59
梵語の気付くや目覚める、発見するという意味の√budが語源だと思います。


49 :レンマ:04/04/26 08:07
>>48
ベロさんありがとうございます。
√budが、ブッダ(目覚めた人)の語源(?)であることはわかります。

釈尊が大覚とよばれるように、釈尊の「さとり」は
「覚り」という字を使うのであれば、問題は無いのですが、

「悟り」という字は、どこから出てきたのでしょう?

それで、個人的にはパーリ語の「サティ(気づき)」から
きているのではないか?と思うのですが、いままで読んだ
仏教関係の本には、何も出ていないので、知っている方
がいらっしゃれば、おしえてください。

50 :初学者:04/04/26 11:20
スッタニパータに関する質問です。知っている方がいらっしゃったら、
教えて下さい。
ある掲示板の投稿者が、スッタニパータの新古層に関して、「紀元前3Cの
アショカ王の法勅にある七経のうち3経がスッタニパータからではないかと
推定されているので、古い部分は釈尊死後100年後には遡れる」と書いています。

私がひっかかったのは、「釈尊死後100年後には遡れる」の箇所。第1次結集の時、
すでに(口伝とはいえ)成立していたと考えては間違いになるのでしょうか?

51 :名無しさん@3周年:04/04/26 15:42
>>49 レンマさん、こんにちは。パーリの sati は念って普通訳されるみたいですけど。
サンスクリット相当語は smRti 念、億念って訳されて悟と訳されている事例は私は知りません。
漢訳仏教語はそんなきっちりしたものじゃないですよ。
つまり、覚悟という言葉があるように同義語で訳者や文脈で適当に使ってたんじゃないでしょうか?
以下、いくつか証拠をあげてみます。

まず、訳者によって同じ言葉を覚と訳したり、悟と訳したりする例です。
『普賢行願讃』第41偈
インド語:vibudhyiya bodhiM 
チベット訳:byang chub sangs rgyas nas
晋訳  不空訳  般若訳  敦煌本A  敦煌本B
成佛  悟菩提  悟菩提  等覺已   等覺已

『リョウガ経』
インド語:samyak-avabodha 
チベット訳:yang dag par rdzogs pa
グナバドラ訳  ボーディルチ訳   シックシャーナンダ訳 
  正覺      正智        悟解  

『クシャ論』でもこのように適当でしょう。
サンスクリット語:eko dharmo bhagavatA svayam abhijJAyAbhisambudhyAkhyAtaH
チベット訳:bcom ldan 'das nyid kyis mngon par mkhyen cing
mdon par rdzogs par sangs rgyas nas chos gcig bka' stsal pa 'di lta ste /
玄奘訳:世尊自悟一法正覺正説。
眞諦訳:有一法世尊自通自知。爲他正説。

52 :名無しさん@3周年:04/04/26 15:49
『ユガ論』では同じ訳者が文脈で訳し変えている例です。
「悟」梵:anugata 蔵:rjes su song ba
「悟解」蔵:kun shes pa
「悟解心」梵:AjJaa-citta 蔵:kun shes par bya ba'i sems
「悟入」梵:√iS 派生語 蔵:ユjug 派生語

「覺」
 梵:anubodha, avabodha, prati-√budh, prati-√vyadh, buddhi, bodhi, mata
 蔵:dpral ba, thugs su chud pa, rtogs pa, sangs par byed pa, rtogs par gyur pa,
   blo, byang chub, bye brag phyed pa, rig pa, mngon par rtogs pa

特に覚は、さとる、理解する、意識、知覚といった意味を一語で表していることが
分かりますよね。

53 :名無しさん@3周年:04/04/26 15:54
>>50 村上真完訳のパラマッタジョーティカーに既に一部は釈尊在世に暗唱している
ひとがいたということが書いてあったと思います。

成立論とかって都合の悪い部分を切り捨てたい人がよく使いますね。

54 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/04/26 21:53
おおっ良いレスが返ってますね。
>>51->>52
僕も勉強になりました、ありがとうございます。
確かに漢訳は同義語が多いですよね。有情と衆生や極楽国土と安楽国土や
無上覚と等正覚などキリがありませんね。
それとパーリ語のsatiは「念」で「悟」と訳すのは僕も知りませんです。

55 :レンマ:04/04/26 22:06
>>51>>52>>54
いろいろと、ありがとうございました。
大変、勉強になりました。

56 :名無しさん@3周年:04/04/27 21:59
輪廻転生の話題が出ないとマターリしてていいよな。

57 :レンマ:04/04/27 22:15
輪廻転生の話題は、禁句ですか?(^-^)

「ミリンダ王の問い」を読めば、原始仏教における、輪廻の考え方が
よく解ると思います。

すなわち、輪廻する主体は存在しないが、縁起によって、輪廻はある。

という理解でいいでしょうか?

58 :名無しさん@3周年:04/04/27 22:39
原始だけでなく、基本的に仏教はレンマさんの立場ですよ。
ただアビダルマ系や唯識系は主体を言ってしまってますが。

ここでは近代日本の特殊な見解、輪廻方便説が主流みたいです。

ところでレンマさんは覚と悟の違いに何を感じたのですか?

59 :初学者:04/04/27 22:53
>>53
「古い部分は釈尊死後100年後には遡れる」ではなく、
釈尊在世当時にまで遡れる、ということですね。

有難うございました。

60 :レンマ:04/04/27 23:07
>>58
>覚と悟のちがい
さとり というものは、何かを知る ということではなくて、
目が覚める という意味である、ということを知ったとき、
「何かを知る」という誤解は、「悟り」という言葉からきている
のではないか?と思ったので・・語源を知りたかったというわけです。

一方、あらためて「目が覚める」とは、どういうことか・・
という疑問もあります。

たとえば、さとりは、証という字があてられたり、一切智と
漢訳されたりしますよね。

>>59
学問仏教では、いまのところ、釈尊在世当時にまで遡れる、とまでは
いえないそうですよ。
釈尊が使っていた言葉は、東部マガダ語とされていますが、
パーリ語とは別物だそうです。
ただ、スッタニパータのごく一部に、パーリ語ではなく
東部マガダ語起源の単語があるようですね。

61 :名無しさん@3周年:04/04/27 23:39
>>58
>ここでは近代日本の特殊な見解、輪廻方便説が主流みたいです。
最近またーりしすぎてつまらないんで、話題だけふっとくわ。
一応ね。

http://bbso1.nifty.com/nbbin/nb_wrent/fbud_bbso-0053025/wr_page=5/wr_type=M
>301) Re4: 極楽往生って何?  
名前: ヒロヘロ 2004/04/15(木) 09:03 
-略-
話の流れは極楽往生ですので、阿彌陀仏国土に限定させていただきました。
また一つ釘をさしておきますが、輪廻(samsAra)は仏教において決して輪廻転生ではありません。
輪廻転生を方便説として捉えますが、教えの根幹には転生は肯定されておりません。
仏教で言うところの輪廻とは自業自得という業の循環の中、その精神的状態が六道を行ったりきたりして
心安穏なることがない状態を言います。または、その行ったり来たりすることを生死とも言います。
これを「業果としての往生」といいます。ですが、人間の生理的な死を境にしているわけではありません。
-略-


もちろんこれは電波さんの文。

62 :名無しさん@3周年:04/04/28 02:25
「覚」と「悟」との違いについて
まあ、一概にはいえないんだけど、
衆生の側からさとりを見たばあいには「悟」を、
仏の側からさとりを見たばあいには「覚」を、
というように使い分けている漢訳者が多いようにみえる。
「授戒」と「受戒」とが、
戒師の側と受者の側とで使い分けているのと同じように。
仏教用語の中では同様の例はかなりたくさんあると思う。

63 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/04/28 02:36
>>62
確かにそう言われればそういう気もしますね。
菩提を目指して修行してる時は「頓悟」や「漸悟」って言いますね。
さとった後は「覚者」ですから。

64 :4→2住心論 ◆8x8z91r9YM :04/04/28 11:18
我があるのなら、どこまでが存在しうるのだろうか。
我執によって、輪廻が起こるのは明らかとして
転生まではどうなのか?

>>61では「生理的」という表現をされていますが
一見、人が生理的に死ぬというのは客観的事象だと思う。
しかし、生物学的にそうと言っても、覆らない事実だと例え思っても
それですら我執により生まれている。
人の我執は果てしなく根深いものなのだと痛感します。

一方で、「生物学的な死は我執により生み出されるもので、ない。」
他方で「生物学的な死はないんだな?おまえも死ぬのに」と論争

「生物学的な死」が我執により生まれているのなら、
いま私達のこの生理的な生死はいったいなんなのですか?
と、まさに輪廻でございます。

65 :4→2住心論 ◆8x8z91r9YM :04/04/28 11:24
世俗は「信」により成り立っていると思います。
転生、幽霊、アートマンは、ある事柄に対して、理解が出来ないので
そういう思想でなんとか理解を示したのだと思います。
一般では、完全に否定をされますが、「正確ではない」だけで
いいところを付いているのではないか。 (でも真実ではない)
幽霊が見える人は否定しません。ただ、ある事柄の象徴化だと思います。
間接的に、気づける点があると思います。

もっと言えば、日常生活に見えているものすら、すべて象徴化だと思います。
真実だと言い張るのは、「信」ゆえだと。
大乗仏教は、誤差の少ない象徴化を試みていると思いますがどうですか?
日常生活で、執着から抜け出せない人が、象徴化の一部(霊とか)を
完全否定しても、なにかしっくりしません。

ところで、転生があると思うのなら
前世の記憶を呼び起こし、この人生に生かすべきですね。

66 :4→2住心論 ◆8x8z91r9YM :04/04/28 11:27
>>65 4行目

一般では ⇒ 一部では

67 :レンマ:04/05/01 10:42
>>65
> 転生があると思うのなら
> 前世の記憶を呼び起こし、この人生に生かすべきですね。
それはどうでしょうか?
チベットでは転生思想が公認されていますが、仏教には、
輪廻はあっても転生思想はないのでは?

たとえば、前世の記憶といいますが、それが”自分の前世”か、他人の前世か
区別できる人はいないのでは?
つまり、もしかしたら、”前世の記憶”というのは、単に、過去に存在した人の
記憶(アカーシックレコード)を読んでいるだけかもしれません。

68 :名無しさん@3周年:04/05/01 10:58
そんなこと言ったら、「昨日の自分と今日の自分は別人だが
彼の記憶を読んで生きているのです」と言うことができる。
しかし、彼の記憶を持つ者を彼と呼んでいるわけだが。

69 :レンマ:04/05/01 11:24
> 昨日の自分と今日の自分は別人だ
それこそ縁起そのもの。
「われというものはない」スッタニパータ
ではないでしょうか?(^-^)

70 :名無しさん@3周年:04/05/01 12:03
全ては偶然ではなく、原因はすなわち自分です。
それを尽くしていく教えが仏教だと思います。
最初から「自分というものは無い」というだけでなく
今ある輪廻からの解放という視点を持たねばなりません。


71 :4→2住心論 ◆8x8z91r9YM :04/05/01 15:18
>>67
>チベットでは転生思想が公認されていますが、仏教には、
>輪廻はあっても転生思想はないのでは?

仏教には、対機説法というのがあります。
真実ではない思い込みがあっても、それを前提にして、真実にめざめていく
漸悟の過程があります。

仏陀からみたら、転生思想は確かに真実ではない思い込みだと思います。
ただ、そういう見方をしたら、すべて「ない」としか言えないと思います。

我を前提にしたものの見方を、我を無しにしたものの見方
に変えていくわけですが、

無我の境地では、転生があるとか無いとかの議論は
ありえなく、次元の異にする見方です。

「仏教に転生思想がない」というのと「われというものはない」
というのは、全く別次元の話です。「ない」という言葉の意味が
全然ちがいます。

72 :4→2住心論 ◆8x8z91r9YM :04/05/01 15:26
我を持った状態から、「われというものはない」を素直に見てしまうと
「昨日の自分と今日の自分は別人」とか、連続に変わって行っていると
考えてしまうでしょう。
それは、我執が果てしなく根深いものの証拠だと思います。

言葉で現すのなら、昨日の自分と、今日の自分は別人でもなく
また同じ人でもない。というべきだと思います。
確かに「われというものはない」です。

>>64のように、生理的な人間の死に対して、「一般的な死」
としてしか、考える事が出来ない(我)状態なのに
転生があるやら、ないやら、考えてしまうのです。
それは、生死という両極が、相当根深いことの証拠だと思います。

「われというものはない」がどういった境地からの言葉からかを
真に理解をしてこその仏教だと思います。
レンマさんのお陰で、恩師の言いたいことにやっと気づきました。
ありがとうございました。

73 :レンマ:04/05/01 16:42
「無我の境」というのは、釈尊の無我とは、
まったくちがう無我のような気がします。

たとえば、鈴木大拙師の「無我の我」などは、
釈尊の無我とは別ものですよね。

74 :4→2住心論 ◆8x8z91r9YM :04/05/02 11:17
>>73
「無我の我」ですか。ありのままに観察する人をそのような
象徴化する気持ちは起きませんで、安易であった事をお詫びいたします。

ただ、そういった言葉ではなく、シンプルに
「目覚めた者の目」などの程度で深くは考えてません。
思考の根深いところからすら、我執を取り除いた状態を言いたかっただけです。

面白いことに、無我といっても、それは我から出た言葉なのですよね。
知っていて使っているのと、知らないで使っているの違いに思います。

75 :厨房:04/05/02 11:28
原始仏教で経典として認めているものはどれとどれですか?


76 :実行委員長:04/05/02 11:40
1〜3です。

77 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/04 22:33
八正道について、いろいろな説があるのでしょうか?

78 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/05 00:37
八正道は実戦徳目なのでシチュエーションによっていろいろあると思うけど、
基本はそう変わりないのでは?四諦八正道で観るのが大切だと思います。


79 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/05 19:22
レスありがとうございます。

八正道の中で、7番目の正念ですが、この場合の念は、日常使用されている
念(おもい)というより、パーリ語のサティ(気づき)であるという
捉え方でよいでしょうか?

そうすると、正しい気づきとは何でしょう?(^-^)

80 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/08 09:28
どうも静かですね。(^-^;;
なかなか八正道を正しく教えているホームページは少ないようです。

そのなかで、下記のスリランカ系が一番詳しくかかれていました。参考に。
四諦と八正道
http://www.maharshin.com/PDA/H4tai8/4tai8.html



81 :名無しさん@3周年:04/05/08 11:27
気づきに2種類ある。
<一般的気づき>と、<正しい気づき>。
<一般的気づき>は、「気をつけて帰りなさい」「頭上に注意」
「よく読んで問題に答えないさい」などと言う時の、気づき。
つまり意識を外側に向けて、対象に注意を多くそそぐ気づき。
<正しい気づき>とは自分の心身、つまり体の感覚や欲望・嫌悪
の現れと消滅について気づいているということ。

82 :名無しさん@3周年:04/05/08 14:38
!!

83 :名無しさん@3周年:04/05/08 17:03
電波男さんのメールグループ?みたいのに行ってしまったのでしょうか、みんな

84 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/09 04:24
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/951/1019774653/
参考までにちょっと古いスレだけど、以前八正道について議論されていました。
ヒロへロ@管理人さんは電波男さんです。あとこの原始佛教スレの過去ログや
哲学板の仏教の根本三法印スレも何かの参考になるのでは?

85 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/09 20:44
>>81 >>82
ありがとうございました。参考になりました。

>>80 はスリランカ系(いわゆるテーラワーダ仏教会)とは、まったく別の
話でした。申し訳ありません。

86 :実行委員長:04/05/09 20:47
八正道を体得して、アナゴンになったわたしからみると、
みなさんは体得できないでしょう。

87 :名無しさん@3周年:04/05/09 21:18
原始仏教徒の方はもちろんSEXしませんよね?
大乗を否定する資格のある方は何人いらっしゃいますか?

88 :名無しさん@3周年:04/05/09 21:32
おいおい、大乗はもとより、密教も別に肯定していないぞ。

89 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:00
あのな、原始仏教徒であろうが在家はSEXしたんだよ。
SEXがしなかったのは出家だけだよ。

90 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/10 02:01
>>87
大乗を全面的に否定しているわけではありませんよ。
ただ、初期の仏教とは、思想が異なる部分は否定されますね。

”仏性”などは、その最たるものでしょう。

91 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/10 08:41
大乗の定義にもよりますが、原始仏教と大乗仏教とを区別するところまではいいとしても、
いつまでも対立項として捉えていては事実が見えてきませんよ。

間違いの最たるもの

1 原始仏教=小乗仏教
2 現上座部=原始仏教
3 現上座部=小乗仏教
4 大衆部 =大乗仏教
5 部派仏教=原始仏教
6 部派仏教=小乗仏教

7 大乗とされる経典郡の全てが大乗思想によって貫かれている
8 大乗仏教=救われの教え

これらは全て仏教そのものを見誤らせる先入観です。

92 :名無しさん@3周年:04/05/11 15:45
原始仏教を護る方々へ。
如来蔵思想、仏性という概念に対して、どのような見解をお持ちでしょうか?

一部の学者さんによって、話が小難しいという事もあって
何故、批判をされるのか、どうも理解できないものであります。
如来蔵を否定するのは、八正道まで否定をされている気がしまして

93 :真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/11 18:50
>>91
では小乗仏教とはどのような仏教のことをいうのですか?
また大乗仏教とはどのような仏教のことをいうのですか?
ぜひご教示ください。

94 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/11 20:37
>>93
小乗仏教とは蔑称であり、そのような仏教があるわけではありません。
大乗仏教とは釈迦一仏ではなく、誰もが悟りに至ることが出来るとする仏教です。
その意味では釈尊在世での教えは大乗仏教だということになります。

この悟りに至るということは深い議論が必要ですが、今は割愛いたします。

しかし、現代で「大乗仏教」といえば必ずしもこの意味で捕らえられているわけではありません。
「大乗仏教興起⇔在家仏教運動」という平川彰氏の偏った見解が眼くらましになっています。
それに加えて、自称大乗仏典が多いのも原因になっています。

大乗仏典とされるものの中にも釈迦一仏(非成仏の系譜)と誰もが悟りに至る(成仏の系譜)に分けることが
出来ます。この分類は原始仏典にも該当します。

95 :名無しさん@3周年:04/05/11 21:02
ブッダには十の徳があると言う。
ブッダという言葉には単に悟ってるだけじゃなくて
人類の指導者の意味もあるんだろう。
ゴータマが本当に「誰もがブッダになれる」って説いたとは思えない。

96 :電車男ヽ(`ヘ´)ノ ◆in.mBbu0ME :04/05/11 21:05
だらだらROMしているので、電波男さんのいう
>>91のだいたいはわかるつもりなのですが

> 8 大乗仏教=救われの教え

について、この機会にもうちょっと説明ください。

97 :電車男ヽ(`ヘ´)ノ ◆in.mBbu0ME :04/05/11 21:08
あ、↑ 大乗仏教=救われの教え が先入観であるということについて
説明ください。

ちなみに、わたしのコテハンは電波男さんをからかっているわけでは
ありませんから。いちおう、念のために。

98 :真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/11 21:12
>>94
ご教示ありがとうございます。
要するに小乗仏教というのは、
大乗仏教であることを自認する教団が教判を立てるときに
便宜上造った用語ということで、単独で「小乗仏教」という語に
直接該当する教団・教義は存在しない、ということですね?
では、「大乗仏教」についてもう少しご教示を願いたいのですが、
たしかに大乗と称するものも多様で、釈迦一仏の成仏を主張するものや
一切皆成仏を主張するものなどもあって、
一概に言えないということはわかりますが、
最も妥当な線で「大乗仏教」という語義の概念を規定するとするならば、
どのように端的に言うことができるでしょうか。

99 :名無しさん@3周年:04/05/11 21:50
平川先生一人に押しつけるのは酷くない。

日本、特に浄土真宗の在家が大乗という喧伝が大きいような気がするが、

100 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/11 22:07
>>95
十号とか何とか言って、釈尊を神格化し、絶対にたどり着けない境地であるとする傾向を持つものを小乗として
軽蔑したのです。原始仏典を読めば理解できることですが、釈尊は自分の境地は誰でもたどり着けるものとして
説明しています。

>>96
>あ、↑ 大乗仏教=救われの教え が先入観であるということについて説明ください。

もう少し説明捕捉いたしましょう。「仏菩薩に救われる事こそが大乗仏教である」と言う古くからある勘違いを
戒めたものです。救いと言うのは自らの努力で実現するものです。他人を助けることは他人にとって利益には
なりますが、自分の心の救済のためなのです。他人を救えるなどと考えてはいけません。

でも、それでもいくら頑張っても、いくらあがいても諸般の事情で自らの救いを見出せない人が必ず出てきます。
そのときに「救いとしての仏教」が登場しました。これについては別にお話しましょう。@NiftyのIDをお持ちですか?

>>98
>最も妥当な線で「大乗仏教」という語義の概念を規定するとするならば、
>どのように端的に言うことができるでしょうか。

”成仏できない特例を設けず、すべてのものが釈尊と同じく成仏できる”と言うことになります。
般若思想云々はもっと次元が低い区別方法です。

>>99
>平川先生一人に押しつけるのは酷くない。
確かにそう取られても仕方ない表現をしましたね。「在家が大乗」というのは中国日本で拡大再生産され、
特に仰る浄土真宗などがその弊害をばら撒いております。近代の実存主義哲学を都合よく曲解して明治以降の
思想界に影響を与えてしまったという害悪もあります。平川氏はそれを後押ししてしまってるんですね。




101 :名無しさん@3周年:04/05/11 22:18
おもいっきりスレ違いであることは重々承知していますが、こちらに一番多数
対象者がいると思うのですみませんが、こちらで聞かせてください。

最近、仏教について勉強をはじめたものです。
どなたかNiftyの仏教思想フォーラムの会議室ログをお持ちではないでしょうか?
もしお持ちでしたらどこかにUpして欲しいのですが、お願いできないでしょうか?

もうリードオンリー期間も過ぎており、私の周りでは誰も持っていないようなので
どなたか持っておられる方がいましたらお願いします。
メールでも構いません。どのようなフォーマットでも結構です。
Mail:ici27933あっとまーくニフティどっと混む  ←すみません、スパム避けです。


102 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/11 22:29
>>101
私も会員で多数発言していますが、正直まったく役に立ちませんよ。発言者のレベルが低すぎます。
それよりも、この板の過去ログをあたることをお薦めいたします。

103 :名無しさん@3周年:04/05/11 22:40
平川先生は今この問題で袋だたきだけど、尊敬すべき学者でしょう。
重大な発見をこっそり書くあたり、ほんと渋くてかっこいい。

「仏菩薩に救われる事こそが大乗仏教である」これも浄土真宗起源じゃない?
南都六宗、天台、真言、禅はそうは言わないでしょう。浄土宗はよく分からない。


104 :真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/11 22:57
>>100
もう少しおつきあいください。

>成仏できない特例を設けず、すべてのものが釈尊と同じく成仏できる

この概念規定によりますと、一闡提を説く『涅槃経』や
五性各別説を主張する法相唯識は大乗に含まれないということになります。
私の個人的な考えでは、原始仏教・部派仏教でいうところの成仏と
大乗仏教を自認する教団の教義でいうところの成仏とでは
その意味するところが違うような気がするのですが、いかがでしょうか。
具体的にいいますと、諸法皆空とか法無我とかいうものを説くようになって
覚の状態が形而上のものとしてとんでもなくハードルの高いものに
なってしまった、釈尊の説いていた素朴な成仏からすると
かけはなれてしまった、ということです。

105 :名無しさん@3周年:04/05/11 23:17
>>103
平川先生のことはすごくご尊敬申し上げております。ただ、後出の輩としては先達の偉業のあら探しをしないと
成り立たないのです。ただほんの一部を批判修正したに過ぎません。「救われ」については別途で議論しましょう。

>>104
>この概念規定によりますと、一闡提を説く『涅槃経』や
>五性各別説を主張する法相唯識は大乗に含まれないということになります。

まさしく大乗ではないと私は断言いたします。これらは差別観念を基に形成された大乗精神から程遠いものだと
認識しております。五性客別説に半期を翻した法相学僧は中国朝鮮日本に数多く輩出されております。インドに
おいてもその対立には深い溝が見受けられます。

>私の個人的な考えでは、原始仏教・部派仏教でいうところの成仏と
>大乗仏教を自認する教団の教義でいうところの成仏とでは
>その意味するところが違うような気がするのですが、いかがでしょうか。

大乗でも教団組織となって、伝統を重んじるようになると自然、釈尊に対する神格化現象が生じてエスカレート
していきます。そうすることで教団組織の権威かも図れるわけですから。また、現存教団が採用した経典には
大乗思想から遠いものも多いことを鑑みなければなりません。そして雑多な要素が混在してしまって筋の通らない
ものに宗学が形成されていますから素朴な成仏を求めることは不可能に近くなっていますね。

106 :名無しさん@3周年:04/05/12 00:13
ん?涅槃経は一闡提の成仏を説いているんじゃなかったっけ?

107 :名無しさん@3周年:04/05/12 00:29
>>100
誰でもたどり着けるものであるというのは「法の六つの徳」を
読めばわかる。だけど例えブッダと同じ悟りの境地を得たとしても
それはあくまで同じ阿羅漢としての境地であって、阿羅漢には
人類を教え導くブッダの徳はない。その証拠に釈尊の名は
時代を超えて世界に広がったが、阿羅漢の名はそうではない。

108 :名無しさん@3周年:04/05/12 00:32
「法の六つの徳」って何? 初めて聞きました。

109 :名無しさん@3周年:04/05/12 00:49
このスレ。久々に盛り上がってきたと思って覗いてみたら…。

何げにレベルがグンと下がってるね。
しかも素人にゃ判断できないような下がり方だからたち悪いや。

110 :名無しさん@3周年:04/05/12 01:17
>>107
三徳を備えた日蓮大聖人の名は、
時代を超えて世界に広がっておりますな。

111 :101:04/05/12 01:30
>>102
レスありがとうございます。

そう仰らずにお持ちでしたら分けていただけないでしょうか?
悪例から学ぶ、と言うこともありますので。


112 :名無しさん@3周年:04/05/12 02:06
>>107
ブッダの知名度はその徳だけによるものではない。
創始者ブランドがものすごいものだということも考慮したほうがよろしい。
アラハンにそのブランド力はないが、それが徳の質と無関係であることは言うまでもない。

113 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/12 03:20
http://jbbs.shitaraba.com/study/951/
成仏と不成仏の系譜や仏教・宗教に関して
↑の電波男さんの掲示板でも参考になる議論が色々ありますよ。

僕の持ってる南方上座部の書物では「法の六徳」とは
@聖典(三蔵)、道、果、涅槃の法は世尊によって説かれたものであるから徳があるのであり
A道、果、涅槃の法は自分で知るべきものであるから徳があるのであり、
B道の法は時間をへだてず、即座に果となるものでるから徳があるのであり、
C道、果、涅槃の法は「来れ見よ」と招くべきものであるから徳があるのであり。
D道、果、涅槃の法は自己の心に獲得されるものでるから徳があるのであり、
E道、果、涅槃の法は<聖者の>賢者によって、めいめい悟られるべきものであるから徳がある。
道とは預流道、一来道、不還道、阿羅漢道の四つで
果とは預流果、一来果、不還果、阿羅漢果の四つの事です。とあります。

僕の考えでは釈尊には人類を導いてやろう等というお考えは全くなかったと思います。
釈尊は自分がやっとの思いで辿りついた心の平安に関して、自分と同じように心の
平安を求める人々に対して、自分の歩みと実践法を語り、自分と同じ様に心の平安を
獲得できる様にアドバイスなさっただけだと思います。確か「大般涅槃経」にも自分は
サンガの指導者だとかいう意識はないと言ってたんじゃないかな。


114 :真言坊主 ◆WU311ujDWk :04/05/12 07:55
>>105
なかなか「大乗」「小乗」というように一括りでいうことはできないようですね。
この呼称が通用しないとなると、簡単に教判を論ずることができなくなってしまう。
でも、ずいぶん参考になりました。ありがとうございました。

115 :名無しさん@3周年:04/05/12 08:31
『成仏と不成仏の系譜』
1 名前: ヒロへロ@管理人(KW8mn4ss) 投稿日: 2002/08/29(木) 14:57

こんにちは、ヒロヘロです。

このタイトルで論じていきたいと思います。
このお話には未公開の研究成果も多く含みますので市販の専門書、論文専門雑
誌を引用して反論される場合、論証と結論だけでは議論が成立しません。新た
な学説を議論する場合、論証の元になる文献ソース、歴史学などから洗い直し
が必要な場合がほとんどですので文献など多量に示すかも知れません。

2chなどで、文献の要所だけ示して論述してしまいましたが、やはり市井の学
者気取りが概説書を片手にそれを根拠として反論してくるのには辟易としてい
ましたから。それと宗教とは理性ではなく「華を愛でる気持ち」であり、理詰
めで話すとそれ自体を殺すことになるとか老子と荘子との思想影響関係を通説
に従い、提示する文献は無視して「思想とは生き物であり文献は死者である」
などと平気でのたまう自称中国哲学研究家もいます。

116 :名無しさん@3周年:04/05/12 08:32
2 名前: ヒロへロ@管理人(KW8mn4ss) 投稿日: 2002/08/29(木) 14:58

さて、先ず最初に結論を申しましょう。

インドにおいて「五性各別」を主張の根幹に据えたのは瑜伽行唯識派の一部で
護法という人の流れです。瑜伽行唯識派では少数でした。

ところが玄奘三蔵はこの流派の思想を継承し中国へ持ち帰り、それまで広まっ
ていた成仏の系譜である摂論宗などの瑜伽行唯識派を駆逐、衰退へと導いたの
です。そしてその流は法相宗となり、日本へ導入されていくのです。

ここで問題にすべきものとして

1 五性各別説を述べている大乗経典
2 それを取り入れ思想体系化しているセクト

がありますが、その前段階として部派仏教発生当時の特徴とその影響力と後の
部派の仕組みを考察する必要があります。成仏の系譜として長老派を非難し大
乗仏教運動(これも別途論述すべき大きな問題)が拡大してインド全般に広
まって影響力をもち始めた時点で、「不成仏の衆生あり」と現実を直視する傾
向が差別意識を伴って発生してしまいます。これは長老派の不成仏を大乗に置
き換えた変形物と私は考えています。さらにややこしいのは、時代が下ると、
五性各別は方便であって、一乗が真実であるという考え方が登場してくる点に
あります。内部反省か外部による書き直しによるものでしょうけど、この時点
で仏教そのものが独自性を失ってしまい、新たなものの誕生を待つ傾向が出て
きます。

117 :名無しさん@3周年:04/05/12 08:32
3 名前: ベロ(od7XM/js) 投稿日: 2002/08/30(金) 02:35

やはりニフよりこっちの方が、公開性が強くていいですね。
あっちはあれで悟空さんとかが絡んでくれれば面白くなりそうですが。
こっちは2chのように嵐・荒しも少ないと思いますし。では僕もニフの続きを

ヒロへロさん、こんにちは。
早速のレスありがとうございます。2chで質問しようかとも
考えたのですが、雑音が大きくなりすぎて、中途半端に終わる
のは惜しい気がしてこっちにしました。最初に確認しておきた
いのは、原理主義の目指すべき釈尊の理想はやはり「あらゆる
生あるものは修行により成仏できる」と断言できるのですね?

また釈尊直結を自認する長老派がなぜ不成仏を言い出したのでしょうか?
なんか質問攻めになって申し訳無いのですが、ヒロへロさんの持論の
展開を楽しみに待ちたいと思います。


4 名前: 阿呆陀羅經(PuxvZ3xQ) 投稿日: 2002/08/30(金) 13:42

根本分裂の原因あたりを探ると良いヒントが見つかるかもしれませんね。戒律の解
釈をめぐって上座部と大衆部の二派に分裂したように理解していましたが、背景に
は「不成仏説」のようにもっと複雑な対立要因があったのかもしれないし、そもそも
統一的な教理を共有する一枚岩のサンガ組織が存在したのか疑問でもあります。
仏滅後のマハーカッサパ主宰の経律の結集に参加しなかったグループもあったよう
ですしね。
思いつきの疑問と質問ばかりになり恐縮ですが、電波男さんのお話の続きを楽しみ
にしております。

118 :名無しさん@3周年:04/05/12 08:34
5 名前: 阿呆陀羅經(PuxvZ3xQ) 投稿日: 2002/08/31(土) 01:34

雑駁ですが私が思うことを(恥)
私はブッダの教えを理解し受け入れ、それをヒントや励みにして考えつとめ行う者
ならば、誰であっても「目覚めた人」、つまりブッダになることができると考えてお
ります。そうでなければブッダが逡巡を克服し、世間に敢えて「さとり」の内容を公
開され、説かれた行為が無駄になってしまう。私たち凡夫が「目覚めた人」となるこ
とを目指すことが、ブッダの本意、仏教の本義にかなうことなのではないかと愚考
しております。

6 名前: ヒロへロ@電波男Ψ(´д`)Ψ 投稿日: 2002/08/31(土) 03:17
阿呆陀羅經さんいらっしゃい。ここでは煽りや雑音は入りませんのでゆっくりと議論していきましょう。

7 名前: ベロ(od7XM/js) 投稿日: 2002/08/31(土) 03:45
議論の内容は全然知りませんが、確か天台宗の最澄さんと法相宗の徳一さん
との論争が、「一仏乗」VS「不成仏」だったような気がするのですが。

8 名前: ヒロへロ@管理人(KW8mn4ss) 投稿日: 2002/08/31(土) 10:35
ベロさん。
その論争は日蓮らによって法相批判の代表格になっています。しかし、天台本覚思想
を提示してくる辺りは少し安直過ぎていて、徳一の現実提示にたいしてあまりにも
理想論的すぎる面は否めません。じっくりと考察を加える必要がありますね。

119 :名無しさん@3周年:04/05/12 08:54
9 名前: 阿呆陀羅經(PuxvZ3xQ) 投稿日: 2002/08/31(土) 11:37

どこのスレか失念しましたが、「ブッダを神格化したのはむしろ部派であった」と
ヒロヘロさんがおっしゃってられたのを記憶しています。仏滅後にあるグループ
によって、徐々に常人には近づくことだにできない神格化された存在にブッダが
祀り上げられ、「不成仏」が説かれるようになったと考えられるのではないでしょ
うか。パーリの古層とされる『スッタニパータ』などには「ブッダたち」と複数形
で記されている箇所が見られますし、『七仏通誡偈』を説かれる「諸仏」も過去七
仏のような神話的な存在ではなく、ゴータマ・ブッダを含むサンガの「目覚めた人
々」と理解できないこともないなどと考えたりしています。


10 名前: 阿呆陀羅經(PuxvZ3xQ) 投稿日: 2002/08/31(土) 11:44
『テーラガーター』や『テーリーガーター』なんかを読んでいると、それこそ
「成仏の記録」なんじゃないかとも考えてしまいます。


11 名前: 阿呆陀羅經(PuxvZ3xQ) 投稿日: 2002/08/31(土) 13:31
失念してたスレは下にありました(苦笑)

12 名前: 阿呆陀羅經(PuxvZ3xQ) 投稿日: 2002/09/01(日) 00:05

「悉皆成仏」を説くグループ(大乗)に対抗する部派は、「不成仏」の主張を裏付けるた
めに、十力・四無畏・三念住・大悲といった「十八不共仏法」や「三十二相八十種好」
、または「如来十号」などのゴータマ・ブッダを超人化神格化した概念を発達させた
のかもしれませんね。部派のスタンスはこの段階で安定したようですが、対する大
乗はなぜ一層神話的な叙述に満ちた経典の編集を行なったのでしょう? このあた
りがもうひとつよく理解できません。「悉皆成仏」を説明するために必要だったのな
らその理由が知りたいところです。

120 :名無しさん@3周年:04/05/12 11:11
>>94
>大乗仏教とは釈迦一仏ではなく、
>誰もが悟りに至ることが出来るとする仏教です。

電波男さん。
一闡提を説く『涅槃経』が大乗仏教では無いというのは納得できません。
確かに、涅槃経を最上の経典としたとき、それは大乗では無いと思いますが
「過程」とするのなら、それは大乗仏典とも言えると思うのです。
見方の違いですが、一刀両断にしてはならないのではないでしょうか?

前提として、無明の凡夫の癖は「本質を求める」傾向があるとします。
無明の凡夫が成仏を目指そうとした時に、法然上人のように「悉皆成仏」
に疑問を抱くものが当然いると思います。
悟れないのはどうしてなのか?仏陀は嘘をおっしゃるのか?
原因は、自分の無明なのですが、「信」が揺らぎます。

凡夫故に、理由を求めてしまう。本質を求めてしまう傾向があると思います。
そこでいきなり、「あなたの求める本質なんぞない」と言われると
ある人はどうして良いか解らなくなると思い、さらに迷うと思います。
ですから、本質を求めてしまう凡夫には便宜的に納得させる手立て
としての「涅槃経」ならば、大乗でないとも言えないと思います。
時には重要な過程であると思います。
また、機根が備われば、神格化を取り除くといった、本質を無くしていく事で
より、空という名の本質を空にしていくのだと思うのです。

神格化に警鐘を鳴らすのは素晴らしいと思います。
確かに現代では批判をし続けた方が、良いのかもしれませんね。
方便を真実だと思い、我を金剛にしている方々がおられます。

121 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/12 11:41
>>120
先ほどの発言は法相宗限定でした。しかし、『大乗涅槃業』に説かれていることが大乗であるかどうかと言う
観点から見れば、大乗であるとは断言できません。経典を了義未了義に分ける方法は文献を読み解く場合、
意味のない分類です。経典はそれ自体で完結しているものとして捉えるべきなのです。例外としては阿含経典の
分類、区分で章分けが別経典になってしまっているものなどがあります。

方便としての経典を提示してしまったらその方便が最終目標になってしまいます。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

やはり、原始仏教と宗教の本質から切り込もうとする人が登場しましたか。。。。。
過去ログ全て読んでいただいたらここでの文脈をご理解いただけると思うのですが、
それは思想の放棄に繋がるでしょう。

場を変えましょうか?

122 :名無しさん@3周年:04/05/12 17:41
ただのおっさんと電波男さんにはこの話題を全うする事はできないでしょう。
お二人は仏教徒だから。

そして、たとえお二人が大乗戒、三味耶戒に抵触せず、
権威を超えて見事に話を進められたとしても、
話に着いていける人は限られるでしょう。

大勢の流れだけ確認してこの話は打ち切ったほうがいいかも。

「誰のためにこの話が為されたか」
そのような視点に立った時、
新しい芽、担い手の登場していない現時点で、
根こそぎ宗教を解体して行くようなこの話を2ちゃんでするには早すぎませんか。


2500年前に釈尊が既に説かれた事ではありますけれども。

>120
あなたは待てとおっしゃった。
わたしは待ちました。
今度はあなたが待つ番ではないでしょうか?

123 :名無しさん@3周年:04/05/12 18:52
すみません。あまり仏教には詳しくないのですが、
原始仏教からすれば、輪廻転生についてどうお考えですか?
カルマの法則で、現世悪行をつんでしまうと
やはり来世は、動物に転生してしまうんでしょうか(笑)

124 :名無しさん@3周年:04/05/12 19:09
>>123
少しはスレ読んでから発言しろ。

125 :名無しさん@3周年:04/05/12 21:16
>>123
原始仏教ではそうですが、現代仏教ではそうとも限りませんな。
ゴータマの見出した真理は「苦の消滅」に関する実践的な真理ですから、
それ以外は別に真剣に受け取らずとも時代と地域にあわせた
やり方で考えていいんです。

126 :120:04/05/13 23:02
>>121
電波男さん。遅いお返事、申し訳ありません。

ひとつ。私が大きな勘違いをしておりました。
例えば、涅槃経が出来たら、その当時では最終と言うか最上の経典で
終了ですね。 なるほど、完結で考える必要性ですね。
また、電波男さんの邪魔をしてしまったようです。ごめんなさい。

ところで、宗教の本質というのは、一体どういう事でしょうか?
思想の放棄は言葉の放棄という事ですか?おバカでごめんなさい。
その危険性を、私を例にとってでも、表現してくださいませんか?

127 :名無しさん@3周年:04/05/14 00:34
>>123
無知に支配されてるあなたの発言は、既に動物界に通じてるようです
無知とは、真理に疎い状態をいいます

128 :名無しさん@3周年:04/05/14 01:14
>>127
アホウですか?

129 :名無しさん@3周年:04/05/14 01:27
>>123
その疑問を持つ前にコーランを!!!
話題のイスラームの宗教を知りましょう!
イスラームの人生観を!

130 :123:04/05/14 01:38
>>129
イスラムの教義は危険だよね。
わざと神が、争いの種をまいたとしか考えられないよね。
で、だからなに?

131 :名無しさん@3周年:04/05/14 01:38
>>127オチかよっ?!

132 :名無しさん@3周年:04/05/14 01:46
自分達の教えを理解しないもの(この場合共感と言った方がいいかな)
を無知だの凡夫だの外道だのと、蔑むのは、大乗仏教徒に多いらしいね(苦笑)
特に某カルトにはその傾向は強いみたいで。
真理からはずれ、無知なのは君達の可能性もあるんだよ。

133 :名無しさん@3周年:04/05/14 02:05
あのさ、輪廻転生だとか、理不尽な被害にあうのはその人のカルマによる。
などというカルマの法則の解釈の仕方などは、
いくら考えてもそれが真理だとは証明のしようがなく、それを説いたところで
そんなのは解釈の一つでしかない。
その解釈を他の人達も信じたところで、それは単に共感したにすぎず、真理を
理解したとはいわないんだよ。
そもそも釈尊の教えは、非常にシンプルで、言葉遊びではなく、とても現実的な教えだったと思うんだけどね。
真理とはそういうもんでしょ。

ところで、多くの日本仏教(特に密教は、俺的には×)は駄目だと感じるんですが、
興味深いHPを見つけました。
ttp://www.j-theravada.net/
ここは、釈迦のとなえた教義を、比較的忠実に教えてもらえるんでしょうか?
案外ここの部分をみる限り、釈迦の教えも、イエスの教えも近いものがあるように感じられるのですが、
気のせいかな?
ttp://www.j-theravada.net/sutta/Buddhanu_sa-sanam.html

134 :サロメ☆ ◆sqHnb0/6.o :04/05/14 02:07
>>133
ちょっと違う。
真宗により近いかも。

135 :名無しさん@3周年:04/05/14 02:10
人と接すれば怨憎会苦や愛別離苦を味わうのに
何で人を助けるために人と接しなければならないの?

136 :名無しさん@3周年:04/05/14 02:16
>>134
あなたはキリスト教スレによく書き込みされていらっしゃるかたですね。
仏教スレもウォッチされていたんだ(ちょっと驚き)
それとも私が知らなかっただけかな?
さて私は自称カトリック教徒ですが(笑)、実は釈迦の説いた教えも興味があります。
どこか日本で比較的釈迦の教えを忠実に教えてくれる教団はないですかね?
大乗だの、密教だのは興味がありません。

137 :サロメ☆ ◆sqHnb0/6.o :04/05/14 02:23
>>136
>>133ではないかな。
タイの方も確か日本で活動してたはずですが・・・

138 :名無しさん@3周年:04/05/14 10:05
>>133
現実って何よ?

139 :名無しさん@3周年:04/05/14 11:48
>>130
危険なのは、派閥が出来てしまった様々な解釈がなされているところ。
イエスに対してのムハンマドの解釈は、素晴らしいものがある。
争いの種にするのは、いつだって人。

>>133
  釈迦の教えも、イエスの教えも近いものがあるように感じられる

話している次元が違う。二人の精神的次元は同じかもしれんが。
ここのスレッドでお奨めされる本を読んだ方が遥かに良いかもね。

>>135
我を張る人は、四苦八苦という避けがたい苦しみがある。
のに関わらず、人と接するのが大切なのかと。
君は、なんだこの滅茶苦茶な論理はと思うかもしれないけど
我を張るから、そんな矛盾をいつまでも繰り返すんだよ。
エゴが強い人が、人を避けたら、冷たい人間の出来上がり。

140 :名無しさん@3周年:04/05/15 00:56
>>125
>原始仏教ではそうですが、現代仏教ではそうとも限りませんな。
あふぉですか?

>>133
てーらわーだは輪廻転生を教義の根幹に据えている関係で、このスレでは袋叩きの対象みたいですよ。

>>134
せっかくだから、真宗と耶蘇教の大まかな違いをあげてほすい。
おんなじようなもんじゃない。

141 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/15 01:47
「経量部」について詳しく知りたいのですが、
何かいい書物はないでしょうか?


142 :名無しさん@3周年:04/05/15 02:07
>>140
>真宗と耶蘇教の大まかな違い

1)世界観の相違
キリスト教では神の世界創造をその根底とします。
神の創造意志によって万物は造られたとするわけです。
宇宙存在の第一原因を神とするわけです。
しかし、仏教では創造主のような一義的な存在を決して認めず、
縁起の法によってあらゆるものの存在は存在たらしめられているとします。
仏とは縁起の法によって自己形成し、それをを覚った覚者であり、
預言者とは異なります。如来が出世しなくても「法」は存在しているわけです。
縁起の法は無我=非我ですから、仏と衆生は不二=一如です。

2)神と仏の相違
一神教は世界創造の第一原因として唯一無二の神以外を認めませんが、
仏教(大乗)は無数の三世諸仏を認めます。
真如法性を覚るものはすべて仏とするからです。
真如法性は神に属するものではなく、誰のものでもないとするのが仏教です。
神と人間は二元対立しますが、仏と人間(衆生)は二元対立しません。

3)人間観の相違
神は霊的存在としての神に似せてつくったとするのがキリスト教です(旧約聖書・創世記)。人間は、能治者であり、他の生物はすべて被治者とするのがキリスト教です。
行基菩薩の歌に「ほろほろとなく山鳥の声聞けば父かとぞおもう母かとぞおもう」
とありますがこういう発想はキリスト教にはありません。

143 :名無しさん@3周年:04/05/15 02:10
つづきです。
申し遅れましたが、横レスしつれいしております。

4)罪悪
キリスト教の罪悪感は旧約聖書・創世記のアダムとイブの原罪説に基づきます。
つまり、先祖が神の意思にそむいた事が原罪であり、人間は罪の子孫とし、
個人を起源としていません(二元対立)。
しかし仏教では行為が智恵に基づいているのか、無明我執に基づくかによって
善悪判断の基準となります(善悪一如)。
そして仏教では人間の罪悪が神によって審判されるということはありえません。
仏の支配によって地獄に行くのではなく、自らの業によって、自分が自分の地獄
をつくる、とします。

5)救済
キリスト教では神のアガペ=愛によって救われると説きます。
イエスの十字架における死は、神が人間の悪を救済する為に自己の意志を示そうとして
神が自己犠牲したのですが、人間は自身の根源的な無明によって迷い、
久遠の宿業によって流転してきたのです。阿弥陀如来は真如法性のうえから、
無縁の大悲に催され、法蔵菩薩と示現されて人間の因果の世界のなかに降りて、
人間に名号の仏因を与えられようとなされたのであり、衆生はこれを聞信すること
によって、仏の因果が衆生の因果と転ずると教えるのが浄土真宗です。
キリスト教の神には愛とともに人間を罰する側面があるが、仏には処罰する側面は
ないところが異なります。いわゆる「仏罰」はありえないのですね。

144 :名無しさん@3周年:04/05/15 02:11
(つづき)
6)信仰
聖パウロは「もはやわれ生くるにあらず、キリストわれにおいて生くるなり」
と一見非常に真宗的なことをいっていますし、ルターと親鸞聖人もよく比較されます。
しかしキリスト教の信仰を成立させている契機は終末観と神の審判に対する恐怖ですが、
仏教では自ら作った罪業の報いとして生死に流転します。
それゆえ、仏にたいして審判の恐怖心を抱くという事はありえません。
懺悔や祈りの条件も要求されず、ただのただ、の救いであるということが異なります。
救いと信はキリスト教で二元的ですが仏教では一元的です。
これを機法一体とか、機法二種深信といいます。

7)天国と浄土
天国の資格は大小の資格が区別されるとキリスト教で説かれています。
そもそも相対の存在である人間が絶対の神にはなれないのです。
しかし仏教では仏の世界=浄土=真実報土であり、弥陀同体の仏覚という点で
一如平等といえます。自力の計らいによって往生する世界は化土といって
いまだ自力の世界であり、その世界は天国のように区別される世界ですね。
天国にいたった人間はそこに永遠にとどまりますが浄土往生した(往相回向)仏さまは
直ちに衆生を救う為に迷える人々を救いに活動するため、浄土で安穏と
すごしてはいないということがいえると思います(還相回向)。

145 :sage:04/05/15 13:12
>>144
誤解を招きそうな部分を補足します。

>懺悔や祈りの条件も要求されず、ただのただ、の救いである
ということが異なります。

真宗は難信易行といわれます。念仏行は易しいが(実は無行と信知するのですが)
信は極難信です。
それは、その「信」というものが凡人の理解を超えたものであり、
自分で起こす信心ではなく他力より賜る信心であるからです。

円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、
難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。(教行信証)

一代諸教の信よりも 弘願の信楽なお難し
難中此難と説きたまひ 無過此難とのべたまふ(浄土和讃大経讃)

「ただのただ、の救いである」と覚るのは容易ではありません。
自力を捨てよ、ときかされれて「はい捨てます」と容易に捨てられる自力ではないからです。
そして、自力を捨てようともがき苦しむのもまた自力。
どうどうめぐりのようですが、
絶対他力に捨てさせていただかなければ自力は絶対に廃りません。

スレ違い、どうもすみませんでした。


146 :名無しさん@3周年:04/05/15 15:40


                       ,r';;r"            |;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;
                      ,';;/             /;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;
                      l;;'            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;
.                      ,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;iソノ
                     ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
    ┏┓    ┏━━┓        l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、l          ┏━┓
┏━┛┗━┓┃┏┓┃        | `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;;;;;;;;/ l |            ┃  ┃
┗━┓┏━┛┃┗┛┃┏━━━ .,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;ノヽ'/━━━━━━┓┃  ┃
┏━┛┗━┓┃┏┓┃┃     . l  ,:'   _ ヽ       .l;;;;;;;//-'ノ.           ┃┃  ┃
┗━┓┏━┛┗┛┃┃┗━━━ ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' / ━━━━━━━┛┗━┛
    ┃┃        ┃┃         ', i、-----.、       `''"i`'''l              ┏━┓
    ┗┛        ┗┛     .    ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,            ┗━┛
                        ヽ ヽ〈    i|          Vi゙、
                         ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
.                         ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
.                          ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
                         ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /

147 :名無しさん@3周年:04/05/15 16:01
真宗や基督教の解説を見れば、明らかに原始仏教とは異なる教えだな。
どっちがいいとか悪いとかは置いといてね。

148 :名無しさん@3周年:04/05/15 21:31
>145
ただの言葉遊びにしかきこえません。

> 「ただのただ、の救いである」と覚るのは容易ではありません。
> 自力を捨てよ、ときかされれて「はい捨てます」と容易に捨てられる自力ではないからです。
> そして、自力を捨てようともがき苦しむのもまた自力。

普通の国語で説明してくださいませんか?
<昔、真宗の坊さんに「お前は地獄おちじゃ〜」とののしられた私です>

149 :名無しさん@3周年:04/05/16 12:16
145です。どうも言葉足らず失礼しました。
スレが違うので私の書き込みなど無視されるかとおもっていましたが
反応があり正直言って嬉しいです。
ただし、ひとこと二言で説明するのは無理です。みなさま原始仏教シンパの
かたがたの真宗にたいする誤解があればそれを解きたいとは思っております。
ここの住人の方々には浄土門は、真宗は仏説でない、とお考えの方も多いでしょうから。。
さらには大乗は仏教でない、とみなされる方もおられることでしょう。
しかし大乗仏教は発展仏教説の立場から、やはり原始仏教同様仏説であり、
さらに真宗=他力仏教は大乗の至極であると私自身は考えています。

また近く書き込みしたいと思いますが、スレ違いというご意見がありましたら
速やかに退散しますので、ご忌憚なくおっしゃってください。

これだけお答えします。

><昔、真宗の坊さんに「お前は地獄おちじゃ〜」とののしられた私です>

真宗で勧められるのは自力の念仏ではなく、ただひとつ、聞法です。
聞法者に対して死後は浄土か?地獄か?と迫り、自分の掴んだ法を善として、
自分がその善の側に留まり、なんの反省も懺愧もなく、排他的、勝他的な姿勢を
聞法者にうえつけてしまうような説法は誤りです。
真宗では実体的な極楽地獄は否定されています。実体的な地獄極楽を説くものは
誤りです。そして、死後の地獄ゆきを恐れて法を聞く動機付けにするのも誤りで、
現在の瞬間における苦(とらわれの自分)」を諦観することがまずは出発点とはいえるでしょう。
仏教では明日、というものを認めないのです。現在の一念しかありえません。

150 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/16 13:04
>>145 >>149
> 絶対他力に捨てさせていただかなければ自力は絶対に廃りません。
どうしても、教えていただきたいのですが、
阿弥陀仏は架空の仏ではありませんか?
どうして、存在しもしない仏に、人を救う力がありますか?

原始仏教が阿弥陀仏を否定するのは、釈尊が、形而上の存在を否定したから
ですね。

151 :名無しさん@3周年:04/05/16 13:08
>釈尊が、形而上の存在を否定したから
否定していませんが。

152 :名無しさん@3周年:04/05/16 14:02
>>150
そもそも存在するとは、なんですか?
存在するというのと、空との関係を考えた事はありますでしょうか?

原始仏教で阿弥陀仏を否定するというか、
成仏する事、悟りを開く事を主眼に置いているからではないですか?
まあ、一部の学者さんは、阿弥陀如来の誓願に矛盾があると主張しますが・・・

どうにもこうにも仕方がない執着の心が拭えないとき、
阿弥陀仏を一心に念じる行為が、意外な形で
無辺で、無相の心に触れる気がしてしまう。形而上の話だが。
旧約聖書の世界創造の神話は、見かたを変えれば、
我執の出来るシステムを象徴的に表している気がしないでもない。

153 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/16 15:05
>>152
> 存在するというのと、空との関係を考えた事はありますでしょうか?
あります。
あなたは、空(くう)をどのような意味で使用されていますか?
わたしの場合「あるものの中に、あるものが無い」という意味で使用しますが、
それでいいでしょうか?

原始仏典(小空経)には”空ならざるもの”として、僧団が説かれています。
僧団が存在したようには、阿弥陀仏は存在しません。

存在について、なぜわざわざ難しく考えるのでしょうか?
「阿弥陀如来は、歴史上存在したことは無い。だから実在しない、架空の仏である。」
で十分ではありませんか?

154 :名無しさん@3周年:04/05/16 16:46
仏教では一貫して夢・まぼろしのような現れを実在と捉えることが誤りであると
していると思いますけど。

それは歴史的存在とか、現実がかっことした事実と捉えることと同じです。
歴史的存在とか、現実を夢・まぼろしと捉えなければいけない。
ただし、その夢・まぼろしは因果関係を持つ。

155 :名無しさん@3周年:04/05/16 17:53
>>151
通りすがりのものですが。
確かに否定はしていませんね。
ただし、肯定もしていないはず。何も答えてないだけ。

そのような存在を認めている宗派はおかしいのでは?


156 :名無しさん@3周年:04/05/16 20:49
‥‥
釈尊ならば、今の議論には参加せんやろなぁー。

157 :名無しさん@3周年:04/05/16 21:53
>>156
いや、信仰を捨てよ、と言うだろうな。

158 :名無しさん@3周年:04/05/16 22:34
とらわれ、執着をすてよと、仰るでしょうが、信仰をすてよとは言わないでしゅ。
なぜなら、悟るまで三宝への信仰は必要だから。
法という道がなければ、無我や空へはいたれないから。

159 :名無しさん@3周年:04/05/16 22:35
‥‥

160 :名無しさん@3周年:04/05/16 22:46
釈迦曰く、『インターネットを止めよ。』なんてね。

161 :名無しさん@3周年:04/05/16 23:12
仏教でいう法という概念は、幅が広いですね

162 :名無しさん@3周年:04/05/16 23:38
>>155
形而上の存在は認めていますよ。
輪廻がそれです。

163 :名無しさん@3周年:04/05/16 23:55
>>162
嘘を言ってはいけません。

164 :名無しさん@3周年:04/05/17 00:09
釈迦は輪廻を説いているではありませんか。
嘘を言っているのはそっちです。

165 :名無しさん@3周年:04/05/17 00:15
輪廻は説かれたけど、形而上の存在ではないでしょ。
我々の体験が夢・幻なのと同じで輪廻も夢・幻ですよ。
しかし我々の体験同様、輪廻も厳格な因果律によって縁起している。

166 :名無しさん@3周年:04/05/17 00:21
そうですか。
輪廻するんですね。
我々の体験は輪廻し次の生に移る。
それを形而上のものと捉える必要はないが、確実に輪廻すると。

167 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/17 00:27
>>151
あなたは、梵天を見ましたか?
いいえ
では、あなたの父は、梵天を見ましたか?
いいえ
では、あなたの祖父は、梵天を見ましたか?
いいえ
それでは、梵天は、存在しないでしょう。

(形而上の存在を否定した・・と想うのですがいかがでしょう?)

>>162
ミリンダ王の問いを読まれることをお勧めします。
第一編 第二章 輪廻の主体

168 :名無しさん@3周年:04/05/17 00:31
梵天は形而上の存在ではなく。輪廻内の有情の一種、あるいは有情世界の一種と捉えられています。



169 :コピペですが:04/05/17 00:57
>>158
「信仰を捨て去れ」という表現は、パーリ仏典のうちにしばしば散見する。
釈尊がさとりを開いたあとで梵天が説法を勧めるが、そのときに釈尊が梵天に向かって説いた詩のうちに「不死の門は開かれた」と言って、「信仰を捨てよ」(pamuncantu saddham)という(Vinaya, Mahavagga, I, 5, 12)。
この同じ文句は、成道後の経過を述べるところに出てくる(DN, XIV, 3 ,7)……。
最初期の仏教は信仰なるものを説かなかった。
(中村元『ブッダのことば』p.430-431)

170 :名無しさん@3周年:04/05/17 01:24
>レンマ
形而上とは見えないもののことだ

171 :名無しさん@3周年:04/05/17 02:13
輪廻はするが、主体があるとかないとか言うと仏教から外れるわけね。

172 :名無しさん@3周年:04/05/17 02:15
つまり、ただ、「輪廻している」という実態があるだけだと。

173 :名無しさん@3周年:04/05/17 02:22
一応全て(仮の)自分に返っては来るが、
自分そのものは無いと言えるのだから、
ただ返ってくるものがあるだけだと。

輪廻そのものがあるのであって、
自分を捨てないとまた自分に返って来てしまうと。


174 :名無しさん@3周年:04/05/17 02:33
輪廻することは確実だが、それが何によるものかはどうでも良いと。
必ず輪廻するが、輪廻している人間の人生そのものは幻と同じであるから、
輪廻を繰り返しながら何回も人生を体験させられはするが、
この世というものや自分というものではなく、ただ現象が起こっているかのように
思っているだけだと。

175 :名無しさん@3周年:04/05/17 02:46
ゲルク派版『死者の書』―――『基本の三身の構造を明らかにする燈明』と、それに
基づく無上ヨーガタントラの死や供養の解釈、あるいは修道や空性に関する諸々の概念
についての問答を読めば、輪廻があるかないかとか、輪廻の主体とは?といった漠然と
した問題も、リアルに感じられるのではないかと思います。

スレ違いのカキコ、まことにスマソです。

176 :名無しさん@3周年:04/05/17 02:54
輪廻そのものは真であるが、
人間が生きる、死ぬという現象そのものは真実に起こっている現実ではないのだと。
そのようなものに絡んだ何かを想定するものは偽であると。
輪廻はすれども、実体ではなく、仮に見える人間の身体として輪廻するのだから、
輪廻してもその輪廻した人間としての自分に重要な意味はなく、
輪廻することに思考を奪われるより輪廻している自分、輪廻した自分の存在感を
手放すことを考えたほうがよいと。

177 :名無しさん@3周年:04/05/17 03:02
レンマは頭脳偏差値40のアホなんだから「形而」とかの偏差値55以上の人が使う言葉を使わない方がいいよ。

178 :名無しさん@3周年:04/05/17 03:21
なるほど。
輪廻はするけれども、
自分というものがもともと無いので
輪廻している自分というものも無いということになると。

自分というものが無いのにあるように感じているわれわれ凡人の場合には
輪廻するときも自分というものがつきまとってしまうことになりそうだ。
しかし、もともと自分はないのだから、自分という感覚を脱しきれず
何度も何度も自分を輪廻させてしまうことは愚かなことなのだろう。

179 :名無しさん@3周年:04/05/17 03:22
輪廻するほうの側から言えばどこの世界に行っても形而下だ

180 :名無しさん@3周年:04/05/17 03:23
必ずしも輪廻は形而上だと思う必要はない

181 :名無しさん@3周年:04/05/17 03:26
>>165
「仏教」への長年の疑問がとけました

182 :名無しさん@3周年:04/05/17 07:06
>>174
>輪廻することは確実だが

へえ〜。釈迦はそんなこと言ってたの?
なら御釈迦さんもいんちきだね。ちゅうかせっかく御釈迦さんの説いた
真理を、多くの現代仏教家
つまり大乗だの、チベット仏教だのを信じてる人達が参入してくると、そういうことに
なってしまうんだろうね。
ほっとけば、「輪廻転生することも確実だ。」なんて言い出し、そういうことに
してしまうよ、こういう連中は(苦笑)

183 :名無しさん@3周年:04/05/17 07:33
>>182
原始仏典でもうすでに輪廻転生は説かれている。
地獄もでてくるしね。
釈尊が金口の説法で輪廻を肯定したのか、否定したのか、肯定も否定もしなかったのか?
それは誰にもわからない。
スッタニパータや法句経ですら、すでに弟子の説が多く紛れ込んでいるのだから、
原始仏典だから無条件に釈迦の直説であるとは必ずしもいえない。

釈尊在世のインドではバラモン教が主流であって、輪廻転生は常識だった。
輪廻転生をあからさまに釈尊が否定していたとしたら少なくとも
仏教は現在存続せず、世界宗教にもならず、日本にも伝わら無かったと思う。
もちろん、死後の世界を実体視する輪廻転生を釈尊は決して説かれていないと思うが。

184 :名無しさん@3周年:04/05/17 07:57
あなたは、釈迦を見ましたか?
いいえ
では、あなたの父は、釈迦を見ましたか?
いいえ
では、あなたの祖父は、釈迦を見ましたか?
いいえ
それでは、釈迦は、存在しないでしょう。


185 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/17 08:29
見当違いな人たちが多く排出されておりますので釘をさしておきます。
釈尊は輪廻転生そのものについては言及しておりません。

ただ、当時常識であった輪廻思想を否定しているのです。
輪廻転生に執着すれば苦しみの原因になり、さらに輪廻転生思想
に縛られていく悪循環を断ち切ろうとしたのです。

確認できないことに縛られるのはまったく意味のないことですから。
これは「信仰対象」についても同じテーブルで語られるでしょう。

186 :名無しさん@3周年:04/05/17 10:26
やっと、まともな意見が出たね。
この議論は終わりましょう。

187 :名無しさん@3周年:04/05/17 10:57
>釈尊は輪廻転生そのものについては言及しておりません。

>ただ、当時常識であった輪廻思想を否定しているのです。

当時の常識のような輪廻についての未確認の「○○すれば××になる」のような
偽情報を否定したとしても、
輪廻の原則そのものは肯定しているでしょう。


188 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/17 11:30
>>187
肯定も否定もしておりません。
釈尊の示す道理にはまったく関係のないことですから、言及しても意味がないということです。

また、輪廻転生を借用してもそれは当時の常識を使った説明方法と言うことになります。
そのような手法は、道徳倫理を説く場合にしてもいつの時代、どんな場所でも多く採用されて
おります。

また、釈尊は輪廻を新しい解釈で取り入れ、執着から離れる方法を説いております。

また、インドでは「もし私が〜であれば」と言う仮定の話をするときに、前世譚としてアレンジするのは
よく知られているところです。

189 :名無しさん@3周年:04/05/17 11:37
>>186
まともじゃなく、自分の常識に合った意見だろ。
輪廻は当時の常識ではないでしょ。当時の一般人は輪廻を否定していたよ。
見えないから、知覚できないから。あなたのように。和辻のように。

ただし釈尊も含めた行者は現状認識として輪廻を認めていた。
もちろん輪廻も現世も本来揺るぎなく存在するものではない。

現代の常識、あるいは凡夫意識に阿る和辻の追従者に仏教は倫理ぐらいにしかならない。
あるいは仏教を倫理と思いたいのかもしれないが。

証拠はこれで十分だろう。

190 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/17 11:37
>>187
>輪廻の原則そのものは肯定しているでしょう。

捕捉致します。
釈尊の解釈としての輪廻(生理的な死を基軸としない)であれば、正しい道理として示しています。
善悪のおこないは楽苦の状態をもたらし、過剰な執着は善悪のおこないをなさしめる。
その苦楽の状態を五道なり六道などと言うのです。これは現生存でないと確認できないし、反省
修正もできません。

191 :名無しさん@3周年:04/05/17 11:37
>中公の世界の名著1、451-456ページ
> 「病あつきヴァッカリ」です。示唆に富むと思われるので以下に紹介します。
>
> 病の床についたヴァッカリ尊者のもとへ釈尊がいらして、語りかけます。
> 釈尊:悩みや後悔がないか?
> ヴァッカリ尊者:ある
> 釈尊:では戒律は清浄だったか?
> ヴァッカリ尊者:清浄
> 釈尊:清浄なら悩みや後悔などないではないか!
> ヴァッカリ尊者:釈尊にお目にかかる体力がないこと(意味不明、たぶんヴァッカリの小さな拘り)
>     以下引用、

192 :名無しさん@3周年:04/05/17 11:38
>968 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:03/09/15 17:08
> >「ヴァッカリよ、もうそういうことはよしなさい。おまえが、(わたしのやがては)腐敗してゆく
> >この肉身を見たからといって、それがいったい何になろう。ヴァッカリよ、ものごとの理法を
> >正しく見る者は、わたしを見るのであり、わたしを見る者は、ものごとの理法を正しく見ること
> >になるのです。ヴァッカリよ、ものごとの理法を正しく見ている者は、(結局その理法にほかな
> >らない、この)わたしを見ていることになり、わたしを見ている者は、(結局のところ)もの
> >ごとの理法を正しく見ていることになるからです。
> > ヴァッカリよ、ものは、永遠に不変のものなのか、それとも無常なのか、
> >おまえはこのことをどう考えるか」
> >「師よ、無常です」
> >「感受、想念、因果的存在、心は永遠に不変なのか、それとも無常なのか」
> >「師よ、(それらはすべて)無常なものです」
> >「こういうわけだから、このように(すべてのものが無常であることを)みて、再びこの(苦の)
> >世界に生をうけることはないと知るのである」
>
> この後ヴァッカリ尊者は無常を覚り、自殺する。すると悪魔がヴァッカリ尊者の魂を探すが、
> 魂は止まることなく涅槃したことを釈尊がみなに告げる。

193 :名無しさん@3周年:04/05/17 11:38
>969 名前:名無しさん@3周年 メール: 投稿日:03/09/15 17:08
> ヴァッカリ尊者のように自殺して涅槃に入ったケースにゴーディカ尊者がいます。
> 六度解脱し六度解脱から後退した彼は、七度目に解脱した時に自殺し涅槃する。
> 悪魔がゴーディカ尊者の魂を探すが、見つからない。釈尊は彼が涅槃したことを讃える。
>        中村元訳『悪魔との対話』岩波文庫 48-52ページ
>
> もちろん釈尊は不殺生戒で普通の自殺を禁じています。諸律に説かれますが複雑なので引用しません。
> 解脱せずに自殺すれば輪廻しますし悪趣に落ちるとされます。
> それとは逆に上の二ケースのように解脱した状態で自殺した場合、涅槃できると考えられます。
> 悪魔は自殺した人が輪廻にあると思って魂、中村訳では「識別力」を求めていること、
> それを釈尊が認めていることから、凡人の死後が想定されていることがはっきりします。
> これはベロさんの答え>>801 と全く対立すると思います。
> もちろん、ここで「魂」「識別力」と訳されている識(ヴィンニャーナ)も無常なものであることは、
> 「心」と訳されている識(ヴィンニャーナ)が無常であること既に釈尊が確認ずみです。
>     (尚、輪廻の主体は仏教で問題となり色々な説が考え出されたが、このように初期は識とも
>      言われていたようです。無常性を強調して後に心相続というようになったのかも?)

もちろん識(ヴィンニャーナ)が真実として存在するのではなく、
その状態を呼ぶための言説(言語習慣、常識)で、それを本質と捉えるから話はおかしくなる。

194 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/17 11:43
>>189
なんか滅茶苦茶ですね。
当時の一般人が輪廻を否定していた?証拠がありますか?
輪廻転生を前提として業報を受け入れ、生活を送っていたという証拠なら沢山ありますが。

また、釈尊在世の修行者の中には輪廻転生を否定する潮流も多くあり、断滅論者も輩出
しておりましたよ。

あなたは輪廻転生を知覚できるのでしょうか?もし出来るとすれば病院においきなさい。
さぁ、おいきなさい。

195 :名無しさん@3周年:04/05/17 12:03
『自分は特別な人間』と思ってるんでしょうか、このように。
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html#abuse
> 当時の一般人が輪廻を否定していた?証拠がありますか?
>>185 >>188 の発言には全く証拠がないですけど。

私のあげた証拠への反証もまったくありませんが。

あなたは議論しようという態度がまったく見られない。
短い>>194 に『自分は特別な人間』も含め以下の例に当てはまるから。


『罵倒』
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html#abuse
『失礼』
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html#rudeness
『レッテル貼り』
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html#label
『教えてあげよう』
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html#teach

ですから、あなたの発言はスルーします。

196 :名無しさん@3周年:04/05/17 12:35
153、私は幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に
経巡ってきた。家屋の作り手を探し求めて。あの生涯、
この生涯とくり返すのは苦しいことである。(ダンマパダ)
379、わたしは前世の状態を知っている。わたしのすぐれた
眼は浄められた。神通力をそなえ、他人の心を知るもの
であり、勝れた聴力を獲得した。(テーラガーター)
104、その私が、見習の尼僧であった時に、勝れた眼が
浄められました。わたしが以前に住んでいた過去世の生活を、
私は知ったのです。(テーリガーター)

釈尊も仏弟子達も、最初の悟りを得ると過去生をよく思い出した。
存在するかどうかは問題ではなく、実体験されるかどうか大事だ
と思う。


197 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/17 12:49
>>195
反証も糞もあなたは何の根拠も論証もしていない。
根拠を求めているのにそれに応じずこちらの根拠を求めるのですか?
議論しようと言う態度がまったく見られないのはあなたのほうです。

あなたの示した例はすべてあなたのことですよ。

198 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/17 13:55
>>195
http://www.shos.info/develop/oo/dscsnptn.html#abuse

を見てきました。こんな幼稚な知見でお話していたのですか?
議論のアンチパターンと議論パターンと分け、議論することの最低マナーを教えて
いるだけのことじゃないですか。

あなたはエストッペルの法理に反しているだけではなく、御自身の発言スタイルに
まったく気を止めないただの尊大わがまま人間じゃないですか。

そんな奴にこのスレッドを汚されたくない。
私と議論したかったら論理学を勉強してからにしなさい。

本当に下らん。内容も。

199 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/17 13:56
『小児型強弁』ってやつですね。(笑)

200 :名無しさん@3周年:04/05/17 15:15 ID:SBB8RnOW
このスレの皆さん。本で読んだ知識ばかりを出し合うのはいい加減止めたらどうか。
その知識は現実上検証されたものかな。オウムとまったく同じじゃん。全スレまと
めてゴミ箱に棄てても何の問題も無い。粗大ゴミほどの価値も無い。

201 :名無しさん@3周年:04/05/17 15:26 ID:TNfLt1GV
現実上検証とは何を指すのですか。

202 :名無しさん@3周年:04/05/17 15:37 ID:SBB8RnOW
>>201
あなたも現実界で毎日生活してるのだから、それくらい自分の日常生活での
経験から帰納しなさい。

203 :名無しさん@3周年:04/05/17 15:40 ID:TNfLt1GV
証拠は>>191-193 あいだに>>190が挟まれたから分かりにくいかもしれないが、
ていねいにスレを読んでいれば分かるはず。

その最低限のマナーがあなたにはないから、言ったんですけど。
ようするに自分に甘く、他人には厳しい。そうゆう人とは話せないでしょ。

204 :名無しさん@3周年:04/05/17 15:42 ID:TNfLt1GV
>>202
つまり今、知覚している経験ということ? それに疑いがないということ?

205 :名無しさん@3周年:04/05/17 15:53 ID:SBB8RnOW
>>204
疑ってみても仕方無いでしょう。それに、疑う根拠のほうが疑えるのでは?

206 :名無しさん@3周年:04/05/17 16:04 ID:wRfbm1E0
人間を五蘊から構成されると見るのも、知覚される経験だけを現実とする立場から


207 :子龍:04/05/17 16:05 ID:XkHm4iB1
↑196のようなことを、実体験出来るかどうかということですね。
出来るという人も存在するようです。しかし、わたしには出来ないので、出来ない、
わからない、という立場で今生を生きてみようかなと思っています。

わからないからといって根拠無く、わかるという人を否定しようとも思いません。
ただ、私の人生においては、過去を知って生きていく必要が無いのだと思っています。


208 :名無しさん@3周年:04/05/17 16:27 ID:efRzRNRH
>>203
あなたはマナー以前の問題。(マナーが出来ているという意味じゃないよ)
日本語が不自由みたいだし、思い込みも激しい。
第一そんなに頭悪いのカコワルイヨ。

209 :名無しさん@3周年:04/05/17 21:43 ID:gJzes93R
>>208
そうですか、できれば具体的に指摘していただけるとなおせますけど。

210 :名無しさん@3周年:04/05/17 21:50 ID:gJzes93R
>>205
それでは現れ、体験を夢・幻・無我・空とする仏教とは全く反対ですね。

211 :名無しさん@3周年:04/05/17 22:26 ID:O7yaWJYM
>>210
そうでしょうか。仏教は、むしろ、「空かも知れないが、それが人間が生きるべき
現実の世界なのだ」という強い現実肯定だと思います。さもなければ、現実の人間
にとっては無用の長物であるばかりでなく、現実からの遊離という弊害をもたらす
だけでしょう。実は「空即是色」のほうに力点があるのではないでしょうか。

212 :名無しさん@3周年:04/05/18 00:51 ID:cxQZzHWQ
>>155の通りすがりのものですが、輪廻の議論が終わったようなので>>151からの
疑問について皆さんはどのように思っているのでしょうか?

そもそも仏陀は阿弥陀如来なるものについては一切発言していない。
にもかかわらず、日本では阿弥陀如来や薬師如来に念仏している。
このような宗派はおかしいと思うのですが。

そもそも阿弥陀如来や薬師如来は原点が不明ですが、報身仏であると言われています。
修行して仏になられた人と言われているのに、その元となった修行者の名前が一切出てきません。
この変も疑問に思うのですが。

原始佛教からは若干離れるかもしれませんが、ご意見お願いします。

213 :名無しさん@3周年:04/05/18 01:01 ID:loKN4T8X
オレも分からんけど‥
まず起信論を読んでみたら?

214 :名無しさん@3周年:04/05/18 01:28 ID:YWkdWBej
>>212
薬師如来の菩薩位は不明だが、阿弥陀は法蔵菩薩となっているな。

215 :名無しさん@3周年:04/05/18 01:55 ID:Shwe177E
>>213
根拠の皆無な大昔の本をすぐに持ち出すなよ。

>>214
菩薩位など、誰がどのような根拠で決めたの?そしてあなたは何故それを信じるの?

216 :名無しさん@3周年:04/05/18 06:50 ID:loKN4T8X

やれやれだな

217 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/18 07:19 ID:jN3SbBDZ
ブータンの家庭仏壇に阿弥陀如来像があるのを
美術館で見ましたよ。
法然上人、親鸞上人でなく、ブータンの仏教史上の
偉人の像もありました。

218 :名無しさん@3周年:04/05/18 13:57 ID:l3ea/ybW
>>212
>そもそも仏陀は阿弥陀如来なるものについては一切発言していない。
>にもかかわらず、日本では阿弥陀如来や薬師如来に念仏している。
>このような宗派はおかしいと思うのですが。

これに関しては、推測こそすれはっきり言い切る事が
できない指摘だと思います。 キーワードは経典の真意。
多くの仏の観念し対して、神秘体験のように形而上の事にも考えられるし
実際にいる(た)のかもしれない。
また、仏陀となった者の真実を観察する目からの世界を
象徴的に現しているとも考えられるのです。

釈尊が絶対者として別次元の存在ならば、原始仏教しか見てはいけない。
しかし、原始仏教では、釈尊は阿羅漢の一人であるとおっしゃった。
ならば、仏陀の意見を重視する必要もあるのです。
その仏陀が様々な仏に言及している。

釈尊を尊大な絶対的な存在だと思うのはおかしいし
釈尊の言葉でないだろうと、自分の知恵で考えて、
自分の目線で、否定をするのもおかしいのです。
仏者が他の教義を否定するのは、自分のスタンスを作るのに
迷わせる原因になるから、敢えて否定をするしかないのです。
すべてを統合できた僧はどのくらいおられますか?

足るを知るんですよ。あしを知るんです。自分の足の大きさ(器)
に合わせるのです。適度なサイズですよ。

219 :名無しさん@3周年:04/05/18 14:12 ID:aaVxIhys
形而上とか形而下なんてものは関係ないのが仏教
仏教的には形而下のものなど存在しない。
すべて形而上のものであり、形而下、形而上という言葉は不要である。
世界は全面的に形而上だけのもの(空)とするのが仏教の認識である。

220 :名無しさん@3周年:04/05/18 15:01 ID:fxHa+kbC
>>219
>世界は全面的に形而上だけのもの(空)とするのが仏教の認識である。

釈迦はそんなに愚か者ではなかったと思うよ。釈迦自身が生きてきた形而下の
世界と折り合いをつける努力くらいはしたのではないかな。大昔のことを確かめる
すべは全く無いが。


221 :名無しさん@3周年:04/05/18 16:29 ID:3fdYs8vK
>>219
>世界は全面的に形而上だけのもの(空)とするのが仏教の認識である。

世界は全面的に諸行無常、諸法無我であり、それ事体として成立している不変のものは
なにもないということを説いたのが釈尊の縁起の法であり、そのようなありかたを空と
呼んでいるのです。形而上とか形而上学というのは、ひとつの思想であり法であります
から、それも法無我であり空です。空というのは、無自性というありかたをいうのです


222 :名無しさん@3周年:04/05/18 19:14 ID:PmlfirYz
「自性は有る、ない」ということもまた結論の出ない、出にくいことではないかな?

223 :名無しさん@3周年:04/05/18 19:53 ID:GfWmVf8B
>「自性は有る、ない」ということもまた結論の出ない、出にくいことではないかな?

有無の無ではなく、形態として捉えたらどうでしょうか
演技にしろ空にしろ、言葉というのは、便宜上、約束事として仮に託された教えで
あり概念です。そのように世間的にも認められているということであり、結論云々
に固執したところで、無限遡及の戯論に陥るだけです。
二元的な言語概念では、縁起や空はその戯論を寂滅させる最高の法とされております。
もちろんそれは仏陀によって説かれた最高の法です。




224 :名無しさん@3周年:04/05/18 19:57 ID:cxQZzHWQ
>>218
レスありがとうございます。

仰っていることはよく分かります。
確かに仏教は仏陀が示した教えを続けている集団であり、仏陀がそれまでにも多数いた
修行者の一人であることは良く分かります。

しかし、例えば阿弥陀如来については、無量寿経で釈迦が阿弥陀如来について
語っている内容になっています。
釈迦涅槃から軽く千年以上経過した経典でそのような事がいきなり触れられるのは
不自然だと思います。その他の経典でそれ以前に触れられていたのだったら連続性があるので
少しは理解できる手がかりにはなると思うのですが・・・

例えば、法然が釈迦の教えを出来る限り忠実に守り菩薩となった。
>>215さんが触れられているように誰が菩薩と認めるかは、出来るだけ客観的に検証できる
奇跡でもない限り難しいですが、その問題は話がそれるので横に置いておきます。
その法然菩薩が阿弥陀仏と言うのがおり、南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土にいける
と言っていた宗教が仏教の一宗派の浄土宗だ、と言われるのでしたら過去の仏教との
整合性もきれいに取れるでしょう。
しかし、釈迦が阿弥陀仏が存在すると言っていたとなると話は別になってしまいます。

すべてを統合することは出来ないと思いますが、同じ宗教内、あるいは宗派内での
批判や検証は行われてしかるべきと思っています。

225 :名無しさん@3周年:04/05/18 20:48 ID:BEM7/hTX
>224
法然菩薩なんて、だれがいったの?

それと、なんかわけのわからんごたくが延々とつづいているけど、
阿弥陀仏について釈尊が述べていない、というのは部派所伝の資料には存在しない、という
程度のことでしょ。
だいたい釈尊がいった、いってない、なんていうレベルで議論しようとするんなら、
釈尊の言葉はどういう資料にある言葉に限定するという宣言(別に論証しなくっていいからさ)
をしてからにしてくれよな。


226 :名無しさん@3周年:04/05/18 20:55 ID:BEM7/hTX
>224
事実誤認のオンパレードなんでほっとこうともおもったが、
無量寿経の成立は釈迦涅槃から軽く千年以上経過してないでっせ。
現存最古の漢訳で、訳出は紀元後2世紀だから、仏滅年代の設定
によもるけれど、5〜600年後というところだね。
それと無量寿経類の原初形態の成立時期は学者にもよるけれど、
起元前にもってくる人もいる。
ちなみに先日亡くなった梶山雄一氏は阿弥陀仏に言及する
もう一種の重要な経典、『般舟三昧経』の成立を起元前2世紀まで
さかのぼらせる。梶山雄一氏は仏滅年代をB.C.4cに置く人だったから
たかだか仏滅後200年後ということだね。
軽く千年も経過しているなんて、かるがるしくいうんじゃね〜ぞ、ゴルラァ


227 :名無しさん@3周年:04/05/18 21:02 ID:r6vafCHQ
>>225-226

基礎的な知識も素養もない人を対等に扱うのはやめましょう。
読むだけでも疲れます。放置で尾根害。

228 :名無しさん@3周年:04/05/18 21:03 ID:cxQZzHWQ
>>225
法然菩薩というのは、単なるたとえです。
あと、千年経過していると言うのは私の誤りでした。すみませんでした。

ただ、阿弥陀仏が阿弥陀系の経典にしか出てこないのは事実だと思うのですが、
いかがでしょうか?

>釈尊の言葉はどういう資料にある言葉に限定するという宣言(別に論証しなくっていいからさ)
>をしてからにしてくれよな。

これをやるともめると思うのですが・・・

229 :名無しさん@3周年:04/05/18 22:03 ID:yO+Y+hOS
>228
>阿弥陀仏が阿弥陀系の経典にしか出てこないのは事実だと思うのですが、
当然のことながら阿含には出てきません。
しかし、大乗経典(密教も含め)には多出します。
昔は阿彌陀仏説林、いまなら藤田宏達『原始浄土思想の研究』をみれば
一覧できます。

>これをやるともめると思うのですが・・・
「釈尊がこういってる」というのを根拠にする以上、最初に明確にしておかなければ
議論にならないでしょう。
もめるのも結構なことではないですか?


230 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/19 00:41 ID:q8CHkrpf
釈尊の金言なんて確定できる訳がありません。
ただ『スッタニパータ』の4,5章は他の経典に比べかなり古いものと思われます。
三法印・四諦八正道・中道・縁起説・五戒あたりが仏教の原理思想ではないでしょうか。
そういう内容を含む経典であるならば新旧の区別はあまり意味がないとも思います。

231 :212:04/05/19 00:47 ID:d0oeKiZy
>>229
教えていただいた本は今度読んでみます。

>もめるのも結構なことではないですか?
議論は歓迎しますが、私みたいな通りすがりのものが荒らす原因を作るのは不本意
なのでその点はご了承ください。レスするべきか迷っていました。
本当は大乗系の経典も一部含めたいのですが、法華経に触れると正宗系の信者とは
相容れない事を書くと荒れるといけないので、本意とは異なりますが、
初期の経典だけあげておきます。
スッタニパータ、法句経、テーラガータ、テーリーガータ、阿含経、大般涅槃経
までを釈尊の直接の教えを多く含んでいるのではないか、と思っています。

私は仏教大学も出ていない素人でして、間違いがありましたらご指摘いただけたら
ありがたいです。よろしくお願いします。

232 :名無しさん@3周年:04/05/19 01:24 ID:4IN6xjn+
>>231
同じ人間に過ぎない釈尊の言葉であるというだけで有難たがる理由は何も無い。
後世の人間が一生懸命考えたことには意味が無いとでも?


233 :212:04/05/19 01:51 ID:d0oeKiZy
>>232
>後世の人間が一生懸命考えたことには意味が無いとでも?
いえ、そのようなことは全く考えていません。

>>224にも書いたように、きちんと事実を書いているのであれば、当然認めます。
ただ、すべてを釈尊が話した、等と後世に釈尊と関連付けて書かれた創作物については
その経典に書かれていることを事実として受け入れている宗派も含めて疑念を
抱いています。

234 :名無しさん@3周年:04/05/19 04:35 ID:jo3dcYVY
>>228
>ただ、阿弥陀仏が阿弥陀系の経典にしか出てこないのは事実だと思うのですが、
いかがでしょうか?

阿弥陀仏が阿弥陀系の経典にしか出てこないという考えは事実誤認でしょうね。。
非常に多くの大乗経典に出てきますよ。たとえば妙法蓮華経にもね。
阿弥陀とは、無量光、無料寿のことで、後者は特に中国において強調されました。
釈迦仏の智恵を「無量光」的な表現している原始仏典もありますよ。
おそらくそれが阿弥陀の原初形態であったのでしょう。
また、大乗仏典成立前の「ミリンダ王の問い」においてもすでに在家に対する
浄土教的な思想は成立しているようです。

235 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/19 07:49 ID:zdemLCXf
阿弥陀仏に言及するときは、多くのファクターを取り除かねばなりません。
取り除いた後に残るものの一つに「誓願」があります。

この「誓願」をキーワードにすれば、多くの発見があるはずです。

236 :名無しさん@3周年:04/05/19 11:20 ID:FMZos630
>>232
覚者と凡人、聖者と凡人では全く意味が違うんですけど。

大乗経典は後世の凡人が考えたものではないでしょう。


237 :名無しさん@3周年:04/05/19 12:00 ID:M2CLXCbI
>233
ベロさんがおっしゃるように
人間シャカが話したのはいったいどの言葉か、なんて
今となっては確定するスベはないですよ。

それにもかかわらず、
>すべてを釈尊が話した、等と後世に釈尊と関連付けて書かれた創作物については
>その経典に書かれていることを事実として受け入れている宗派も含めて疑念を
>抱いています。
というのであれば、仏教の名の下にあるすべては、あなたが疑念を抱く対象になりますね。
そのように理解してよろしいですか?


238 :名無しさん@3周年:04/05/19 12:46 ID:Obe6Z2lP
宮本啓一氏の本を読めばそこらへんの事情がわかりまっせ。

239 :名無しさん@3周年:04/05/19 13:26 ID:5pVEimKR
原始仏教  →観仏

浄土教   →極楽浄土の観想 
      →称名念仏
    
中国白蓮教 →五色線の引導
チベット仏教→阿弥陀仏のポワ

思想や実践方法の発展していく流れって面白いですね。原始仏教のみに
関心を寄せる向きは上座部系の栄えている国で出家するなり、
仏陀と同時代のジャイナ教の瞑想を研究するなりすれば
方向性としてはイケてるかもしれません。

240 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/19 13:36 ID:zdemLCXf
>>239

>原始仏教  →観仏

ソース希望いたします。上座部系が原始仏教であるとは言えません。

241 :218:04/05/19 13:50 ID:Z2kiQqzX
>>224

>例えば阿弥陀如来については、無量寿経で釈迦が阿弥陀如来について
>語っている内容になっています。

個人的な気づきがあり、それを言いたいのですが、
それは、神秘体験を常識のように言うのに等しいのでやめます。
ただ、仏陀が矛盾に終始する「嘘」を言わないのは、注意したいですね。
不妄語戒については、原始からあるものですから。
そう言ったら、もしかしたら、一体何がどうなっているんだと
堂々巡りで頭が痛くなるかも知れない。
いやいや、まさに仏陀の視点なのですよ。

釈尊が語ったと言わなければ、あなたは納得したのかも知れません。
否定をする他に術が無いのなら、止むを得ませんが
一つの経典だけではなく、膨大な数の経典の否定をしなくては
ならなくなり、さらには、大乗経典すべてが信頼できなくなる。
これは大変なことですね。
せめて仏陀が説いたと思われるのなら、>>235のような
切り口で真意を探るのも、多くの得るものがありましょう。

242 :名無しさん@3周年:04/05/19 14:08 ID:Obe6Z2lP
ここが本当の原始仏教を求めて実践しようとする人たちのスレですか?

243 :名無しさん@3周年:04/05/19 15:23 ID:K5Bb8NbB
阿弥陀仏と釈迦仏教については、浄土真宗スレの住人がやってますよ。


244 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/19 16:20 ID:zdemLCXf
>>243
宗学は要らないのです。
阿弥陀仏を語らせるととんでもない勘違いするのが彼らなのですから。

245 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/19 16:50 ID:q8CHkrpf
そうですよね。浄土門マンセーの人達はこじ付けがひどすぎます。

電波男さんのおっしゃるように、「誓願」と言うキーワードで浄土教を見れば、
仏教の原理思想とも、そうは違ってこないでしょうね。
法蔵の誓願を単にフィクションとして見るのではなく、偉大な先輩菩薩のモデル
として自らもそのような誓願を基礎として仏道を歩むよう精進しながら生きる
のであれば、釈尊の仏教とも矛盾しないでしょう。
浄土の実体視や死後往生、臨終来迎、専修口称念仏、名号の絶対性、等を言い出す
ようになると、どんどんおかしくなって来るんじゃないでしょうか?

246 :栗花 馨:04/05/19 18:45 ID:K5Bb8NbB
知識は能力となっていなければならない

247 :栗花 馨:04/05/19 18:50 ID:K5Bb8NbB
能力があり、実直で、ことばはやさしく、柔和で、
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。
思い上がることのないようにしなさい。

248 :栗花 馨:04/05/19 18:52 ID:K5Bb8NbB
他人を軽んじてはいけない。
他人を軽んじてはいけない。
他人を軽んじてはいけない。
他人を軽んじてはいけない。
他人を軽んじてはいけない。

249 :栗花 馨:04/05/19 18:53 ID:K5Bb8NbB
耐え忍び、やさしいことばを語り、
いろいろな自分と異なった考え方の人に会い、
適当な時に理法についての教えを聞くこと

250 :栗花 馨:04/05/19 18:58 ID:K5Bb8NbB
趣味  2ちゃんねる、原始仏教 、様々な議論

尊敬する人 ゴーダマしったるた

251 :栗花 馨:04/05/19 19:02 ID:K5Bb8NbB
ぶっだの言葉 読者の声

らせるととんでもない勘違いするのが
マンセーの人達はこじ付けがひどすぎます。
どんどんおかしくなって来るんじゃないでしょうか?

252 :栗花 馨:04/05/19 19:06 ID:K5Bb8NbB
>>242
>ここが本当の原始仏教を求めて実践しようとする人たちのスレですか?

ごーだましったるたヲタの集いです。



253 :名無しさん@3周年:04/05/19 19:07 ID:Obe6Z2lP
阿弥陀仏を「菩薩の誓願」思想と結びつけるのは、一面からの考察に過ぎない。
「阿しゅく経」「阿弥陀経」を見ても特に誓願とは関係ない。
ただ死後の理想的修行場として設定されているだけだ。
初期仏教の出家修行者には志半ばにして死ぬ者も多かっただろうし、
在家信者も死後に輪廻に煩わされずに修行したい人もいただろうから、
こういう理想の他方世界が説かれるようになったんだろう。
はじめから死後往生のために説かれたお経だ。

254 :栗花 馨:04/05/19 19:09 ID:K5Bb8NbB
はなた〜かだか

255 :栗花 馨:04/05/19 19:11 ID:K5Bb8NbB
だろうし、だろうから、なったんだろーう。

256 :名無しさん@3周年:04/05/19 19:43 ID:83HUNCtN
>電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k
おまえは全く釈尊のおしえを実践してないな。
なにもわかっていないな。(W
おまえ、まさか元アゴン宗信者じゃないだろうな。(WW

257 :212:04/05/19 19:46 ID:d0oeKiZy
皆さんレスありがとうございます。まとめてのお答えですみません。

>>234
>釈迦仏の智恵を「無量光」的な表現している原始仏典もありますよ。
これはどの経典でしょうか?

>また、大乗仏典成立前の「ミリンダ王の問い」においてもすでに在家に対する
>浄土教的な思想は成立しているようです。
知りませんでした。勉強してきます。ありがとうございます。

>>235
キーワードありがとうございます。色々検索して勉強してきます。

>>237
はい。確定は出来ないと思います。しかし、ある程度の推察は出来ますし、
証拠さえあれば偽典であることの証明は出来ると思います。
そういう意味でですが、
>というのであれば、仏教の名の下にあるすべては、あなたが疑念を抱く対象になりますね。
>そのように理解してよろしいですか?
はい、最初から信じるのではなく、最初はすべてについて疑念を抱いています。
ただ、私は真偽の確認をする技量を持っていないので学者の著書などで
自分なりの真偽の考えは持っています。学問とはそういうものだと思うのですが。
あっ、学問じゃないですね。研究を含むと自分で調べるのが当然ですから。

>>241
浄土系の方に色々と今まで教えてもらっていたのですが、釈尊と阿弥陀仏との
関係になると、方便と言われるのがだんだんと多くなってきました。
そのような事ばかり聞いているとこちらが煙たがられてしまい、聞けなくなってしまったので
最近は独学で細々と学んでいたのですが、自分なりの回答が見つからずどうしても矛盾を方便で片付ける
宗派に納得がいかなかったもので・・・
まぁこれは、浄土系に限らず他の宗派にもあるのだと思うのですが、
その辺をある程度まではきちんと分かりやすく理解できる宗派に巡り合ったことがありません。

258 :名無しさん@3周年:04/05/19 20:10 ID:AFyaL4dF
‥‥
きちんとわかりやすく?


259 :名無しさん@3周年:04/05/19 20:36 ID:7WZNuggx
>245
> そうですよね。浄土門マンセーの人達はこじ付けがひどすぎます。
阿弥陀さんが話題になっているから浄土門マンセーなんでしょうが、
どの宗派(というか、教団)をよりどころとしちゃうとそうなっちゃていますよね。

特定の立場を宗祖が説いた時には、その時代と教化対象があってのこと。
そういう意味ですべて方便説なのに、そこをわすれてしまって宗義を絶対化
することで、だんだん変になっちゃっています。

人間シャカの言葉の絶対視なんていう兎の角を追い求めるような
立場を仏教学を専攻する一類の人がとるのも同じことですね。

方便という言葉を使うと、日蓮系の人たちが妙なことを言い出しかねないし、
初期仏教〜大乗興起のあたりを取り扱う仏教学者だと、それだけで
しかめっつらをされかねないけれど、
あらゆる「仏説」とされる文言について「方便」という基準で相対化してみる
と全体像が見えてくるように感じています。

260 :212:04/05/19 20:36 ID:d0oeKiZy
>>258
あまりにも難しい哲学や理論で反論されても、私にはそれを検証するだけの術や
能力が無いって事です。


261 :名無しさん@3周年:04/05/19 20:48 ID:AFyaL4dF
なるほど

262 :名無しさん@3周年:04/05/19 20:51 ID:2ma1CCMv
デ、オマエガドウナルワケデモナシ

263 :名無しさん@3周年:04/05/19 21:21 ID:3WjZGtKa
要するに、釈迦であろうとキリストであろうと、現代とは時代が全く異なる大
昔の人間が言ったといわれる、根拠も怪しい言説をそのまま信じようとするこ
とが、大間違いであるということ。釈迦やキリストが現代に生きていれば、仏典
ヤ聖書とは全く違ったことを言ったと思うよ。

264 :259:04/05/19 21:28 ID:7WZNuggx
>263
そういうのを、糞味噌という。もっと上品にいえば「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」といいかえてもよい。

「方便」という見方を導入すると、すべてのものを無批判に肯定的に認めてしまいかねない弊害がある。
一方、「方便」という見方を導入しなければ、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という対象を限定せずに
批判するという誤謬に陥っちゃう。



265 :名無しさん@3周年:04/05/19 21:42 ID:FMZos630
>>211
「色即是空空即是色」を「現実は空である、空かも知れないが現実だ」と読むんですか?
「現実は空である、空だからこそ現実だ」なら、そう違わないかも。
この意味は一切諸法の代表として色蘊は空であり、空であるからこそ一切諸法である。
という意味でしょう。固有の本質を欠いた、つまり空であるから一切諸法は縁起する。
なぜなら、固有の本質を持っていては変化できないので縁起しない、現れない、感じないから。

金剛手の註をみると、無我になれて平等性に長時間心を保ち続けるのが三昧・定であり、
三昧・定から出た後得知の時、幻、夢、陽炎等のような一切法と空性が双入することを
信じる人たちのために「色即是空空即是色色不異空空不異色」が説かれた、と解釈しています。
 
まさに現れ、知覚である一切法を夢・幻と捉えています。しかし夢・幻と捉えるからといって、
仏教徒は因果律、縁起は無視しない。つまり善・利他を行い悪・我執は行わないんです。
この双入というのは一切法の現れに従って善・利他を行い、苦楽を体験するが、それらを
空性として捉え、心が不動であることを意味すると思います。
禅宗の方が「心は動かぬ」とかいうことを同じと考えます。

266 :名無しさん@3周年:04/05/19 21:42 ID:FMZos630
唐代天台の明曠註のこの解釈と同じかと。
「色不異空空不異色色即是空空即是色」とは、明に圓融三諦の理なり。
「色即是空」とは、色を滅せず空となすなり。
「空即是色」とは、空を離れず是れ色なり。
是れ云く中諦理、是れ云く即ち空即ち假即ち中なり。

有名な天台の三諦説です。一切法が消滅する三昧の状態、空諦でなく、
一切法が顕現している常識的な因果関係の真実、假諦の中で、
三昧を体験した後得知の結果、現れが空であるとありありと実感する。
双入と同じですね。それを中諦と呼んでいるんだと思います。

しかし、この見方は後代の解釈である可能性があることも事実です。
なぜなら「後得知の時」に対応すると考えられる「この世では」を意味する梵 iha は、
蔵訳とほとんどの漢訳には訳されていないので、後代の付加とも考えられるからです。
ですが法隆寺写本にも iha と書かれているので諸訳者が訳さなかった可能性が高いと思います。
なぜか三昧を体験した後「この世では」言い換えると211さんのいう「現実では」このように、
「色即是空空即是色」見ると、強調する言葉と考えられるからです。

267 :名無しさん@3周年:04/05/19 21:44 ID:FMZos630
いずれにしろ『十万般若』『二万五千般若』等の広本の文脈を精査し比較検討している
最先端の諸研究でも「色即是空空即是色」は色、つまり一切諸法と空の不二を
意味するそうなので、基本的に以上の考えが原義的と考えていいように思えます。

ここで最も重要なのは、現実は尊重するんですけど、それは三昧、空性の体験を経ていること、
つまり、一切法はあるがままに実在しているという凡人の意識からの転換があるということ、
だと思います。一般にいわれる「現実をみつめなければ」と言った意味ではないのです。
仏教であるなら、凡人の意識を転換する必要があり、そのために六ハラミツや三学を修行するんです。
今、話題の念仏や誓願もそのための方便の一つでしょう。

さらにこの見方を一歩進めたものが、本覚と考えます。そこでいう「あるがまま」も
三昧、空性の体験を経ていることが必須で、それがなければただの凡人ですよ。
だから本覚は最高の見解であると同時に、堕落の根拠にもなってきたんだと思います。

268 :名無しさん@3周年:04/05/19 22:06 ID:ojw6wc1L
「色即是空」はやはり原始仏教の香りがします。
「空即是色」はどこか大乗的な匂いがする。
横レス、スマソ。

269 :名無しさん@3周年:04/05/19 22:06 ID:2ma1CCMv
>>267
デモ、オマエガドウナルワケデモナシ

270 :名無しさん@3周年:04/05/19 22:08 ID:FMZos630
一応、地道に行してますけど。

271 :名無しさん@3周年:04/05/20 00:15 ID:maNJR1DX
>>265
>>266
>>267

我々「凡人」は、現実(色)にも充分な縁起を認めますが、間違いですか。
そもそも、「空」に縁起を認めるのは矛盾ではありませんか。全て空なら、
縁起の働きようが無い。

272 :名無しさん@3周年:04/05/20 00:17 ID:vaWMSI1l
>>270
ふと思うのですが、原始仏教とは出家仏教ですね。
原始仏教を語るのならば、出家して、修行していることが
大前提ではないのでしょうか?
ここで議論しておられるかたがたのどれぐらいが、
地位も名誉も親も兄弟も家を捨てて、
乞食して托鉢して出家修行しておられるのでしょうか?

机上の学問だけの愛好家には原始仏教を議論する資格はないのでは?
ふと思った疑問です。気を悪くしたらスマソ。



273 :名無しさん@3周年:04/05/20 00:40 ID:5kMINziO
原始仏教とは、原初仏であるマハーヴァイローチャナ≠ノ帰依する仏教だと
思っていました。m(__)m

274 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/20 06:57 ID:HQ9l2kJN
>>242
>ここが本当の原始仏教を求めて実践しようとする人たちのスレですか?
違います。少なくとも私は実践しようとなど思っておりません。私は修羅道に生きるものですから。

>>246
このハンドルの人は複数かもしれませんが、ものすごく低級です。

>>256
ものすごく愚劣、下劣ですね。Kのスレッドも質が低下しました。

>>272

>ふと思うのですが、原始仏教とは出家仏教ですね。

違います。

>原始仏教を語るのならば、出家して、修行していることが
>大前提ではないのでしょうか?

この手の論法が蔓延しておりますが、そんなもの小前提にもなりません。
自分のことを棚上げにして語らないといい結果は出ませんよ。
いつまでたっても境界線から出ることが出来ないのですから。

それとね、、、、基本的なことですが、「論点先取の虚偽」と言う意味を調べることですね。

275 :栗花 馨:04/05/20 07:06 ID:aGf1CmkP
シャカおたくは悟ってからいえよ。
おまえの自慢なんて誰にもやくにたたない。
お前自身をみればなにもやくにたっていない。
釈迦がめいわくしてるよ(爆藁

釈迦仏教とは出家が基本の仏教です。
実践しましょうね。

276 :栗花 馨:04/05/20 07:09 ID:aGf1CmkP
>電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k
一般的仏教者からみれば、
あんたは、ものすごく愚劣、下劣ですね。ものすごく低級と断言されてます。

277 :栗花 馨:04/05/20 07:14 ID:aGf1CmkP
>違います。少なくとも私は実践しようとなど思っておりません。私は修羅道に生きるものですから。

およげないやつに水泳の先生はできません。
およいでもいないやつが、水泳の薀蓄をかたることは茶番劇。
かたるにおちる。
学生も爆笑してます。


278 :名無しさん@3周年:04/05/20 07:21 ID:FyD0aTvY
>>272
机上の学問だけの愛好家には原始仏教を議論する資格はないのでは?

それは常識ですね。

279 :名無しさん@3周年:04/05/20 07:24 ID:wB12owOB
なーんだ、電波男は外道じゃん。

280 :名無しさん@3周年:04/05/20 07:28 ID:wB12owOB
っつーか、さえない人生のはけぐちに釈迦おたくはやめれ・・・・

281 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/20 07:58 ID:HQ9l2kJN
>>275
荒らす前に、過去ログを参照しろ。そして、

>釈迦仏教とは出家が基本の仏教です。
この根拠を説明しろ。どうせ言えないのだろうけど。

一般仏教徒?おまえはハクチ。

282 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/20 07:58 ID:HQ9l2kJN
>>279
あんたから外道呼ばわりされるのは光栄なことです。

283 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/20 08:51 ID:1LQMytjg
ちょっと議論がおかしいようで。

職業カーストがあり、身分制社会において出家するという意味と、
現代日本みたく、職業カーストがほぼなく、身分制もとられていない
社会における出家という意味は、明らかに異なるといえます。

前者の意味における「出家」は、現代では、誰でもしている
というべきでしょう。
小学生の頃から、家の外で、家・親の職業にかかわりないことを、
学業として修めているわけで。
現代では、出家、在家の文脈が、かなり異なるというべきでしょう。

284 :名無しさん@3周年:04/05/20 12:47 ID:8V8mp/UW
>>283
気持ちは分からないでもないけど、そういう安易な相対化のほうがたち悪いよ。
出家者集団が世俗社会を経済基盤においていたこと、及びそうした経済行為
を正当化したであろう教理を内包していたこと。
ぐらいがせいぜい言えるところじゃないかな。

それと、話は変わるが、
電波男さんは「宗学」を目のかたきにしたがるけども、そのやり口は「学問的」
とは言えないね。
現時点で仏教学的研究法と宗乗・余乗的研究法といった方法・目的を異に
する二つの大きな流れがあることは論ずるまでもないけど、仏教学も宗学も
たがいに違いを認めることはできても優劣を論ずることができるような領域に
までは至ってないんじゃない?
「近代」が歴史上一番優れた時代だ。なんて仏教学によって証明できないもんね。
逆に宗学についての「前近代」も同じ。大雑把に言えばの話だけどね。

仏教理解にあたって仏教学的方法を選ぶのが良いか宗学的方法が良いのかは
せいぜい「趣味・主観」の問題としておくのが一番適当な態度じゃないかな。
学問的な研究対象になりうる問題であり、実際に、ある時代の主要テーマであった
ことはもちろん認めるけど。

285 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/20 13:27 ID:1LQMytjg
>>284=275

では、釈迦仏教が出家修業を基本とするなら、現代日本では、
アーレフのみ肯定されるということですか?

284が別者の横レスなら、本質の取り違えがあるようなので、
結構ですが。

286 :名無しさん@3周年:04/05/20 14:00 ID:pXiEcA1v
UZは放置で

287 :名無しさん@3周年:04/05/20 14:48 ID:S1l+B33t
アーレフの教義は、いろんなとこから引っ張ってきた、てんこ盛り。
特に三悪趣に落ちるぞ!などと信者を脅かし、
布施を集めるのはカルトそのもの。
ところで、原始仏教的には三悪趣に落ちる、功徳を積まないと来世は、
動物に転生するってのはありなん?
て、過去レスみりゃ、答えはでてるわな。失礼。

288 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/20 15:33 ID:HQ9l2kJN
>>284
あまり言いたくないけど、文献史学の対象を除いて、宗学のどこが学問的対象となるんだね?
堕落した宗教としてか?それとも非論理一貫性の見本としてか?それとも誤謬思想としてか?

だいたい

>現時点で仏教学的研究法と宗乗・余乗的研究法といった方法・目的を異に
>する二つの大きな流れがあることは論ずるまでもないけど、仏教学も宗学も
>たがいに違いを認めることはできても優劣を論ずることができるような領域に
>までは至ってないんじゃない?

この認識自体、学問云々する資格がないんだけど?


289 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/20 16:19 ID:qN+lepHX
>>286
仏典検証抜きに、体験、特に霊的な体験を根拠にする
仏教系新興宗教には反対の立場です。

個人が仏典を解釈して個人の自由の範囲内で実践する
のは肯定の立場です。
一方、釈迦仏教を出家修業仏教として、
アーレフのような出家修業を奨励する立場、また、
青年を家庭から引き離し、教団に貼りつかせる様な
新興宗教団体は否定の立場です。

290 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/20 16:27 ID:qN+lepHX
仏典に、酒を飲むな、と書いてあった場合、
その目的を健康を害さないためと判断して、
夕食時、2日に一回、アルコール量50ml以下と
解釈して、個人で実践することは、肯定する
立場ということです。

291 :名無しさん@3周年:04/05/20 16:33 ID:3ZJVEjLA
ようするに、勝手な解釈ということだね。

292 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/20 17:05 ID:qN+lepHX
>>291

いえいえ、原始仏典にも、地震の原因など
現代では、完全な間違いといわざるをえない
ものが少なからずありますから、そのようなものは、
釈迦の主張の意図・目的を考慮して方便化する
というだけですよ。

貴殿も、仏典にある地震の原因が真理とは思ってないでしょう。
思っているとしたら、独善的ですよね。

293 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/20 17:06 ID:qN+lepHX
>>291

霊体験や、釈迦の生まれ変わりを自称・他称するような教祖の
新興宗教の主張は否定するにすぎないということです。

294 :名無しさん@3周年:04/05/20 17:12 ID:2K8YcUx4
つまり勝手な解釈だね。

295 :名無しさん@3周年:04/05/20 19:03 ID:Kv281VR2
 290 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/20 16:27 ID:qN+lepHX
 仏典に、酒を飲むな、と書いてあった場合、
 その目的を健康を害さないためと判断して、
 夕食時、2日に一回、アルコール量50ml以下と
 解釈して、個人で実践することは、肯定する
 立場ということです。

>その目的を健康を害さないためと判断して、

別に生きる上で、必要のないモノなのに、
どうしてわざわざ飲む事を前提にするのですか?
その貪りは何者ですか???

あなたは、三毒たる所以を自分の我執によって
忘れている。
あなたは、酔わないから運転してもいいだろと言っているものと
まったく遜色ないように思う。

296 :栗花 馨 :04/05/20 19:07 ID:rk9+CQMv
>UZ
284は自分のかきこみではありません。

釈迦仏教とは出家が基本の仏教です。
常識です。実践しましょうね。
議論する間に実践しましょう。(在家仏教者の自己管理ルールぐらいは守れよ)





297 :名無しさん@3周年:04/05/20 19:57 ID:15qCivTr
ところでみなさん、実践は何をされていますか?

298 :名無しさん@3周年:04/05/20 20:17 ID:RVGHyT3d
( ´,_ゝ`)プッ 正直、屁理屈は実践にかなわない。



299 :名無しさん@3周年:04/05/20 20:55 ID:kZGrCmoD
>>271
間違いじゃないと思います。縁起は重層的な意味がありますから。

ですが「色即是空空即是色」は、空だから縁起する、縁起するから空なんです。
空というのは、虚無のことではないんです。あらゆる法は恒常不変な実体ではないこと。
もし、恒常不変な何かが存在するなら、変化しないのだから縁起しないということです。
このことは中論24章が明解です。

そこでアビダルマ論者から「空なら四諦も三宝も成り立たないじゃないか?」
という批判に答えて次のように答えています。

空性に応じたものには全てが可能となる。
空性に応じないものには全ては不可能となる。14
何か縁起するもの、それが空性だと説く。18ab
縁起しない法はありえないから、空でない法はありえない。19
もし、これら全てが空でなければ、生じることなく滅することもない。
あなたに四聖諦もなくなってしまう。20

言い換えれば、何か恒常不変なものがあれば、すべてはスタッティクで働きのないものに
なってしまう。なぜならダイナミックな働きは恒常不変でないから可能なのである。
ということです。

300 :名無しさん@3周年:04/05/20 20:57 ID:kZGrCmoD
>>272 >>278
議論する資格までは言い過ぎじゃないですかね。
もちろん行をしないと仏教は意味がないというのは、
釈尊自ら「渇きを癒すには、実際に水を飲まずに、
どうすれば癒すかといくら言葉を重ねても癒されない」
と仰っているように意味がないし、学問だけだと慢心して、
我の固まりになる危険性が高いと思います。

私自身は大乗仏教徒で出家して行もしています。
一年の半年は篭もってますが(ほんとは数年間篭もりたいんですけど)
半年はこんな書き込みしてる程度の半端なやつです。

いろんな所に教えを受けに行ったりしてるんで、いろんなお坊さんに
会うわけです。そうゆう経験から、いいなというお坊さんは菩提心のある方です。
菩提心は何から生じるかというと、やっぱり行なんですね。

301 :名無しさん@3周年:04/05/20 20:58 ID:kZGrCmoD
もちろんみんな菩提心とか慈悲が重要だっていうんですけど、
会って話を聞くと、それがホントかウソか分かるじゃないですか、
で、菩提心のある方は、必ず行に相当精進された方でしたね。

そうゆう方のお話は聞いてるだけで幸せなんですよ。
本当に聞く側のことを考えて全精力を傾けて伝えようとしているのが、
ドカンと感じられるし、空とか抽象的なことが行体験から説かれたりするので、
すごく具体的に分かったりするんです。

でも、行してなくても議論するぐらいいいだろうと思いますよん。


302 :名無しさん@3周年:04/05/20 21:36 ID:15qCivTr
空は不生不滅、不増不減で不変なんじゃないの。

303 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:19 ID:0IV/dcO7
>>299
空でないものは縁起しない
空であるものはもの凄いスピードで縁起する
といった意味でしょうか?

304 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:42 ID:Xohu6LuX
六不「不生・不滅、不垢・不浄、不増・不減」〜般若心経
八不「不滅・不生、不断・不常、不一・不異、不来・不去」〜中論の帰敬頌

↑の意味を言語イメージによって論理的に思索することは、ある程度は可能?
でしょうが、つまるところは、言葉による形容を超えているということでしょう


305 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:49 ID:maNJR1DX
やっぱり釈迦は矛盾してるね。どんなに物凄いスピードで縁起しようとも、因と果
という空ならざるものを想定しない限り、縁起はあり得ない。
釈迦は現実の人間として、色という現実をありのままに受け入れ、その上に縁起の
理論を構築出来なかったのか。そもそも人間の「煩悩」を取り去ること自体が人間
そのものの否定ではないか。だからオウムは必然的に生じる。

306 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:59 ID:15qCivTr
仮に言葉で表すなら、物質現象は縁起するものであって、我々の
通常の知覚には生じたり滅したりするように見えるが、その根底は
空であって不生不滅であると。たとえば大海が雨や嵐に見舞われても
海の底はまったく変わらず静寂を保っているようなもんですな。
物質現象も無常なる表層の根底に空があるという重層的な意味があると。

307 :名無しさん@3周年:04/05/20 23:10 ID:maNJR1DX
>>306
言ってることがわからん。人間の通常の知覚を超える知覚を幻覚という。
静寂を保っている海の底は空ではない。

308 :名無しさん@3周年:04/05/20 23:14 ID:2f0I7vui
306はUZ

309 :名無しさん@3周年:04/05/21 00:12 ID:YvO0WUg9
>>305
取り去るんじゃなくて、煩悩の弊害を理解して自然に煩悩の支配から
自由になるんじゃないの?

310 :名無しさん@3周年:04/05/21 00:19 ID:OwgmTV7v
>人間の通常の知覚を超える知覚を幻覚という。
涅槃は通常の知覚を超えたものなはずです。ならば涅槃は幻覚でしょうか?

>静寂を保っている海の底は空ではない。
海の喩えで理解できないなら、空(そら)の喩えでもいいんですが・・・。
つまり空(そら)にはいろいろな形の、いろいろな色の雲がやって来ては
去ってゆくと。晴れたかと思うと、雨雲が出て来て大いに雨や稲妻をもたらすと。
しかしやって来ては去るものの背景には、常に静寂な大いなる空(そら)が
あります。雨や雲や稲妻は表面的な出来事に過ぎません。
わたしたちは自分自身の心身、及び物質世界の無常なる性質の奥に
隠された大いなる空(くう)を見極めるために修行せねばならないということです。
それが般若心経にも説かれている教えだと思います。

311 :名無しさん@3周年:04/05/21 00:24 ID:Sl9zeZ1Y
>>309
同じことじゃないか(W)。
お釈迦さんは大昔の人だから、そんなに難しいことを考えたわけではない。
叉、誤りや矛盾も当然ある。それを後世の人間が限りなく難しく考え、無謬
の真理と信じ込むことこそ大きな誤り。お釈迦さんが現代に生きていたら、
きっと激怒するのではないかな。

312 :名無しさん@3周年:04/05/21 00:48 ID:YvO0WUg9
>>311
からすの声で悟る人だっているんだからいいじゃん
真理と信じ込むのはどうかと思うけどお釈迦さんが言ったんだから
何か意図があるんじゃなかろうかと自分で考えてみることは
いいんでないですか

313 :名無しさん@3周年:04/05/21 00:50 ID:DSphylwX
>306はUZ

まちがえた。

UZは305

314 :名無しさん@3周年:04/05/21 01:05 ID:Sl9zeZ1Y
>>310
涅槃が通常の知覚を超えたものであるならば、幻覚以外の何物でもない。良く
言って、特定の精神状態。いずれにせよ実在ではない。

知覚できる世界は、感覚器官を通じて構成されるものに過ぎないから、その
世界が「本当は」存在しないかも知れない。これがお釈迦さんの言う「空」で
しょう。しかしこれは浅薄な考え。そんなこと、そもそも人間がいくら考えて
も分るわけ無いし、叉無駄なことです。人類はその発生以来、知覚できるもの
が実在であるという普遍のルールのもとに生存して来たのですから。
しかし、お釈迦さんの「空」の思想は、物事への過度の執着を取り去るために
参考になるし、叉「縁起」の思想も、「個」は「他」との関連において初めて
存在しうる、という意味で普遍の真理です。だだし、これらのことは、現代人
がその日常生活の中でちょっと常識を働かせれば分ることで、「修業」は必要
ない。修業など考えると、そこに執着を生じ、かえって「真理」から遠ざかる。


315 :名無しさん@3周年:04/05/21 04:27 ID:7toBUatf
仏教のことはよくわからんけど、たしか中道とかいう教えもあるんでしょ?
空の見解だかも、真理かもしれないが、
まだ仏教的な理論は完成されていない、不完全な理論だと思うな。
つまりまだこの不完全な理論をいきすぎると、現世そのものが
あまり意味がなくともおもえ、その思想の行き過ぎた行動が、他人の命の
軽視、今生での命の軽視につながりかねない。
事実オウムの事件はそういう面が多分にあったと思うんだよね。
なぜ仏教的な空の見解が不完全かと思えるのは、それを盲信してしまうと現世を
軽視しかねないと思えるところ。それはなんとなく間違いだと思う。

なにごとも過ぎたるは及ぶべからず。行き過ぎはよくないでしょう。

316 :UZ ◆ubsPt4BUks :04/05/21 05:37 ID:C48b7wTc
>>303、315
カルトシンパが妄想しているようですね。

そもそも、虚の「行」ができていないから、
見誤ってしまう。Ωが陥った悪しき点ですな。

釈迦の言った中には、普遍的なもの、一時的なもの、
があるという立場です。現代の脳科学・心理学の
発達に鑑みれば、縁起・空もそろそろ耐用年数に
かかってきたと思われます。涅槃寂静・中道は、
今後も残っていくと思われます。

文献文字絶対主義の、アーレフ等の出家修業教団や、
釈迦や高弟の生まれ変わり自称・他称教団から離れ、
自ら実践されることを望みます。

317 :名無しさん@3周年:04/05/21 08:49 ID:Sl9zeZ1Y
原始仏教の仏典を読んでると、「真理」とか「正しい」とかいう言葉がやたらと
出てくるので、胸くそ悪くなって二度と読みたくない。自分で自分の言ってるこ
とが「真理」「正しい」などと言うのは通常碌な人間ではないでしょう。「真理」
「正しい」の根拠を証明することこそ大切なのです。皆さんはそう思わないので
すか。

318 :名無しさん@3周年:04/05/21 08:52 ID:9/HeWHZq
>>317
それは現代語で考えるからです。
真理とは「理に適っている。合理的である」、正しいとは「適切である」ぐらいで捉えてください。

319 :名無しさん@3周年:04/05/21 10:18 ID:Sl9zeZ1Y
>>318
それにしても、何故そうであるかの説明、根拠、証明はすっぽりと抜けてますね。

320 :名無しさん@3周年:04/05/21 10:37 ID:9/HeWHZq
>>319
はて?説明、根拠、証明が必要ですか?

それを言うのなら、
|胸くそ悪くなって二度と読みたくない。

というのはあなたの感想だから仕方ないのですが、
|自分で自分の言ってることが「真理」「正しい」などと言うのは通常碌な人間ではないでしょう。

この説明、証明が必要でしょう。さらに人格に言及しているのですから説明、根拠、証明責任が
生じていると思いますよ。

それとなぜ「真理」とか「正しい」とか現代語そのままで捉えるのでしょうか?仏教関係辞書で調べる努力
ぐらいはしないとその批判は妥当ではありません。もっと言うのなら原典にも漢訳でいいから当たるべきでしょう。
もしその努力が必要ないというのなら、わざわざここでご発言する必要はないと思いますよ。

321 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/21 12:33 ID:Tcs6uYO+
>>319
具体的に引用していただけますか?

証明も説明もしていないのは、当時のインド周辺では常識だった、
ということも考えられます。常識なので説明も証明も不要ということですね。

なかにはきちんと説明している仏典もあります。
原始仏典に含めれるかどうかという問題もありますが、
「ミリンダ王の問い」は、問いと解答、解説という形式になっています。

>「真理」「正しい」の根拠を証明することこそ大切なのです
それは、あなたの囚われです。
仏教には、そういうスタンスはありません。
目的は解脱ですから。

322 :栗花 馨:04/05/21 13:02 ID:UCxxnRKl
>>317
あなたが原始仏教の仏典を読んでみたのは、どのような動機でしょうか?

何故、理に適っていて合理的である真理なのか?
何故、適切であり正しいのか?

苦しみを消すにはどうしたらよいかを
釈迦が説いている記録が原始仏教の仏典。
正しいとか真理であるとかについては、
その苦しみを消す目的にあうことが基準です。

>胸くそ悪くなって
輪廻、生存は、「苦」であるとしています。
現在のあなたも否定している内容ですから
胸くそ悪くなるのも当然と思います。

>通常碌な人間ではないでしょう。
釈迦が生存していたときも批判する人はいました。
また、出家については
当時の社会問題になっていたようです。

「真理」とか「正しい」は、現代語そのままで捉えても「真理」とか「正しい」です。
意味についてはその言葉の前後関係でニュアンスがかわります。常識です。



323 :栗花 馨:04/05/21 13:09 ID:UCxxnRKl
>>317

「真理」「正しい」の根拠は大切です。

生存のための反射、判断。
集団においての慣習から道徳への移り変わりのライン。
法律について、または倫理学でしょうか?

「人からされたくないことをグループのルールにしていく」

いろんな視座でとらえていければよいとおもいます。


324 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:12 ID:9/HeWHZq
>>322
>「真理」とか「正しい」は、現代語そのままで捉えても「真理」とか「正しい」です。
>意味についてはその言葉の前後関係でニュアンスがかわります。常識です。

馬鹿であることを宣伝しなくともいいのですよ。


325 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:12 ID:a8SjIRFF
>>「真理」「正しい」の根拠を証明することこそ大切なのです
>それは、あなたの囚われです。
>仏教には、そういうスタンスはありません。
>目的は解脱ですから。

大切か囚われかは意見の分かれるとこ、ですが、
そゆことにとことんこだわったのが、ダルマキールティやツォンカパじゃないですかね。
釈尊はマールンキャ経に示されるように否定的だと思います。
しかしそれは完全に悟っているから言えるわけで、そうでない人は必ず証拠を出してますよ。
ナーガールジュナやチャンドラキールティのような論理に否定的だった方でさえ。

まして、文字だけでコミュニケートしているネットでは、根拠を提示するのが望ましくない?
じゃないとただの思いのぶつけあい、はては罵りあいになりかねない。

もちろん最終的には釈尊や諸仏を信じるか信じないかになっちゃうけどね。

326 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:14 ID:jIFDavp8
真理は当たり前のことですから、証明可能です。
そんなの常識です。

327 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:20 ID:OwgmTV7v
「真理」「正しい」の根拠は、実践と体験だよ。
戒を守り瞑想をして智慧を以って精神・物質を観察すると、
それが真理であり正しいということを知ることができる。
ブッダや弟子に出会った人はそれを目の当たりにしたから、
弟子や信者になったんでしょう。

<法(真理)の六徳>
1、法(真理)は、世尊によってよく説かれたものであり、
2、自分で知るべきものであり
3、時間を隔てない(すぐに効果がある)ものであり、
4、「来たれ、見よ」と言うにふさわしいものであり、
5、導くものであり、
6、賢者達によって各自に知られるべきものである。

みなさん実践と体験、してますか?

328 :栗花 馨:04/05/21 13:24 ID:UCxxnRKl
>>327
>それを目の当たりにしたから、・・・・・

そのとうりですね。

329 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:25 ID:9/HeWHZq
>>326
>>325の馬鹿に何言っても同じだよ。原始仏教語っているのに「諸仏を信じる」だって?
池沼さんだね。

四諦を理解体得し、正しくものごとを捉えるように努め、苦を招くような悪い行いをつつしみ、善い行いを履行する。
これだけのことなのに皆は眼が曇っている。

原始仏教で言う真理や正しいことは行動規範から導き出すのだから説明や証明は極簡単。栗花 馨をはじめ、
ボケナスオンパレードですな。

330 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:26 ID:9/HeWHZq
>>327
瞑想は必要条件じゃないんだよ。経典を読みましょうね。

331 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:36 ID:OwgmTV7v
瞑想は必要条件だ。
テーラーガーターやテーリガーターを読めば
みんな瞑想して悟りを得ている。
ブッダの法話を聞いただけで不還果を得られるただの
見境のないサービスが説かれだしたのは、時代が下って
からだし、大乗仏典に至って出血大サービス状態。

332 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:41 ID:ZtIhdkfD
>>329=電波男
>>330=電波男

>馬鹿に何言っても同じだよ
>ボケナスオンパレードですな。

釈迦の行動規範からするとおまえはものすごく悪い。
経典を読みましょうね。無駄でしょうけど。
実践すらできない程度では全く理解できでいませんね。

333 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:43 ID:ZtIhdkfD
瞑想は必要ですね。

経典を読みましょうね。無駄でしょうけど。
実践すらできない程度では全く理解できでいませんね。


334 :名無しさん@3周年:04/05/21 13:46 ID:ZtIhdkfD
>四諦を理解体得し、正しくものごとを捉えるように努め、
>苦を招くような悪い行いをつつしみ、善い行いを履行する。

ちゃんと正しく実践してからいいましょう。






335 :名無しさん@3周年:04/05/21 14:44 ID:QAoYOtkn
瞑想は関係ないと思われます
真理は何からでも学べますから

336 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:00 ID:9/HeWHZq
>>332
わたしと電波男さんと間違えてくれたのかい?これほどのほめ言葉はありません。
ありがとうございます。

ちなみに電波男さんはインド哲学の後期博士課程終了後、大学・大学院で教鞭を
とっておられた方で、現在は一級建築士事務所を主宰され、設計や執筆などでご
活躍とのこと。現在も某大学で非常勤講師として比較思想を講義されているとのこ
とです。

氏は文献学を基礎として原始仏教・部派・唯識・仏教論理学などを認識論存在論の
観点から研究しておられ、その論文からは深く影響を受けました。経典を読んでいな
いなんてとんでもありませんよ。プラークリット・サンスクリット・チベット語・漢文など
で原典に当たられ、最近も校合されたものをおだしになったようです。

実践?修行?私の知る限り真の出家を求めて、修験・真言系・浄土系で出家され
それぞれ加行も済まされそれでも飽き足らず色んな行法を求められたとのこと。
何も知らないとは怖いことですね。誰を相手にしているのかも分からずに噛み付いて
いるだけです。これは推測ですが、浄土思想についてもペンネームで出版しておられ
ますよ。

337 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:10 ID:ZsI/ouLy
実生活から遊離した瞑想をいくらやってみても、生活の智恵(真理)は
悟れない。人間は独りで生きているのではない。釈迦はそのことを見落
しているのではないか。だから仏教からオウムが生まれた。

338 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:15 ID:1tgJKF6p
へえ、僧籍持ってる研究者なんてありきたりだが
なんで建築士も兼ねてんの?

339 :電波小僧:04/05/21 15:20 ID:9/HeWHZq
>>337
そうですね。また、釈尊は瞑想を説いていません。
沈思黙考・精神統一・心を沈めると言う意味合いでしか説いていないようですね。

「不浄観」などが瞑想だといわれていますが、それは沈思黙考の範囲だと考えます。
時代が下ってからの瞑想は余分なものが混入しており、原始仏教のそれや目的からは
乖離していると思います。オウムなどの瞑想は仏教ではなくサーンキャー・ヨーガの
タントラヨーガです。その意味では密教と関係が深いようですが。

「瞑想」という言葉の意味を解らずに使っている人が多いみたいですね。アホ阿含宗とか。

340 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:26 ID:sTZEl03j
>>336

おいおい建築業界なんて煩悩が炎上している輩はだまってろ!
お前の自演妄想なんてどーでもいいんだよクズ
荒らしは去れ!

341 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:28 ID:sTZEl03j
>>339
アフォゥはおまえだろ
>四諦を理解体得し、正しくものごとを捉えるように努め、
>苦を招くような悪い行いをつつしみ、善い行いを履行する。

ちゃんと正しく実践してからいいましょう
煩悩と妄想で瞑想できないのか?

342 :電波小僧:04/05/21 15:29 ID:9/HeWHZq
>>338
掲示板での情報ですと、出家の世界にドップリ浸かったものの、当初純粋に求めていたものが
存在しないと悟り、家業の建築設備メーカーの後継者として戻られましたがそこでも汚い実業界
を目の当たりにして独立開業されたとのこと。建築設計は門前の小僧・かえるの子と言う感じで
早期に習得され、家業に反映できたとのことです。分析哲学の論文も拝見させてもらいました。
数学を駆使されておられるようなので、理系脳をお持ちだったのでしょう。

氏の罵倒語や攻撃性の根拠を拝見させていただき、私は感銘を受けたのです。それに気づかれ
たのはベロさんや阿呆陀羅さんたちだと思います。もったいないことです。

343 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:29 ID:sTZEl03j
336 名前:電波男本人 :04/05/21 15:00 ID:9/HeWHZq
>>332
わたしと電波男さんと間違えてくれたのかい?これほどのほめ言葉はありません。
ありがとうございます。
以下
妄想・・・・

344 :電波小僧:04/05/21 15:32 ID:9/HeWHZq
>>340
あなたこそ去りなさい。
あなたが荒らしです。

悪口雑言しているあなたに

>ちゃんと正しく実践してからいいましょう

と発言する資格はありませんよ。言葉の責任は追うべきです。
IDが導入されたことですしね。

345 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:33 ID:dKVZMI8Y
どんな修行をしたのか知らんが、修験・真言系・浄土系の加行では人格が向上しないことはわかった

346 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:33 ID:Z0/xSVGT
>>342
お前のつごーなんて どーでもいいんだよ
臭い自画自賛野郎は去れよ。マジで。

347 :電波小僧:04/05/21 15:34 ID:9/HeWHZq
>>343

>以下
>妄想・・・・

わたしも2chは浅いですが、あなたは過去ログをまったくご覧になっていないようですね。
それらは原始仏教歴代スレッドでは周知の事実です。

348 :電波小僧:04/05/21 15:36 ID:9/HeWHZq
>>346
なぜ去れとあなたは言えるのですか?どれほどこのスレッドで発言貢献されましたか?
何か原始仏教について語れますか?

349 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:37 ID:T1FpyNSO
>>344
電波男?あいつ馬鹿まるだしじゃん。
うざいから馬鹿の話しはやめなさいよ。
馬鹿同士でよそでやってなさい。(冷笑

350 :電波小僧:04/05/21 15:38 ID:9/HeWHZq
>>349
馬鹿丸出しと言うのならその根拠を説明してください。

351 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:38 ID:ZsI/ouLy
実生活から遊離した瞑想をいくらやってみても、生活の智恵(真理)は
悟れない。人間は独りで生きているのではない。釈迦はそのことを見落
しているのではないか。だから仏教からオウムが生まれた。

352 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:42 ID:Vq4ZC2n5
きもちわるさで貢献?
うざい机上の屁理屈を空回りさせて貢献?
高慢な口だけ番長はされ
電波男は人の悪口が得意な腐れ。
もうこれ以上荒らすなよ。



353 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:45 ID:Vq4ZC2n5
正直、バカに分類される。

354 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:49 ID:/04mQAcZ
宗教とは?
現実みてない
綺麗事
幻想
詭弁
麻薬
理想論
借り物人間育成

355 :電波小僧:04/05/21 15:50 ID:9/HeWHZq
私の発言のせいで電波男さんにご迷惑をおかけしてしまいました。
スレッドとはまったく関係のない頭の弱い荒らしが吹いております。

以前ご提案されたMLへの本格移動を再検討していただけないでしょうか?
そして特定人の質問荒らしをもう少し制御して全員が議論に参加
できるような雰囲気を作ってください。

356 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:52 ID:p/+ydnli
やだやだ。原始電波は(W

357 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:53 ID:p/+ydnli
自演はもっと巧くやらないとね・・・・・

358 :名無しさん@3周年:04/05/21 15:55 ID:p/+ydnli
>355
つーか、ちみが荒らしであると原始の悟りをひらきな。

359 :名無しさん@3周年:04/05/21 16:13 ID:gds/dnq8
自演でもいいじゃん。分かる人には分かってるから。

360 :名無しさん@3周年:04/05/21 16:37 ID:apfF8O3+
他者の欠陥を許しなさい。しかし、自分の欠陥には厳しい態度で臨みなさい。
あなたの務めは、自己を清め、内的な浄化に励むことです。
常に助けなさい。決して傷つけてはなりません。あなたが他者を助けることができない場合は、
少なくとも人を傷つけたり苦しみを与えたりしてはなりません。それ自体が大きな奉仕です。
万人を愛し、万人に仕えなさい。たとえあなたが他者を愛せなくても、
決して憎んだり妬んだりしてはなりません。



361 :名無しさん@3周年:04/05/21 16:41 ID:apfF8O3+
>電波男Ψ(´д`)Ψ
自分の欠陥には厳しい態度で臨みなさい。



362 :名無しさん@3周年:04/05/21 16:42 ID:/04mQAcZ
信者−借り物の思想をツギハギだけのただの人形。
「本」

363 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:10 ID:a8SjIRFF
>>329
ずいぶん上からのものいいですね。しかもよく分からない。池沼さんって誰ですか?
推測するに仏教大学の人みたいだけど。私は違いますよ。

>馬鹿に何言っても同じだよ。原始仏教語っているのに「諸仏を信じる」だって?

『般若経』や『中論』アミダ仏の話が最近の中心じゃないですか?
「馬鹿」とかいうの止めませんか。意味ないし、気分も悪いです。
第一仏教の基本中の基本である十戒の不悪口と不瞋恚を犯すことになっちゃいますよ。

賢い人はそんなことしないと思いますけど。
それより証拠を出して論証してみてくださいよ。それなら意味があるでしょう。

364 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:17 ID:a8SjIRFF
>>329
> 四諦を理解体得し、正しくものごとを捉えるように努め、苦を招くような悪い行いをつつしみ、
> 善い行いを履行する。 これだけのことなのに皆は眼が曇っている。

「正しくものごとを捉える」ってどうゆうことですか? 
経典の証拠をだして論証してみてくださいよ。

365 :電波小僧:04/05/21 17:27 ID:9/HeWHZq
>>363
池沼さんとは2ch用語です。仏教大学のことはまったく知りません。
私の専攻は現象学ですので仏教大学では学べません。

ここは原始仏教スレッドです。般若経や中論、阿弥陀仏の話題は
雑音程度です。原始仏教において「諸仏を信じる」ということは埒外
のことなのです。

>第一仏教の基本中の基本である十戒の不悪口と不瞋恚を犯すことになっちゃいますよ。
>賢い人はそんなことしないと思いますけど。

私は制御してこれらの心作用を用いております。あなたのご心配は及びませんよ。
それと私は賢くありません。

>それより証拠を出して論証してみてくださいよ。それなら意味があるでしょう。
なにを論証すればいいのですか?文脈が読み取れないのですが?
煽りではなく、意味があることならお話したいですね。

これ以上はできれば電波男さんのMLでやりましょう。もうここは気分が悪くて
お話できません。

366 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:31 ID:apfF8O3+
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
自分の欠陥には厳しい態度で臨みなさい。

煩悩まるだしですね。

367 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:31 ID:9/HeWHZq
>>364
>「正しくものごとを捉える」ってどうゆうことですか?

極端に走らず云々・・・・・です。今手元に資料がありませんがこれこそ常識じゃないのですか?
常識を説明させるにはそれだけの対価を用意すべきであるというのが議論のルールだとは思
いませんか?「あ、そうか」だけで終わるのでは反生産的だという意味です。

368 :電波小僧:04/05/21 17:33 ID:9/HeWHZq
>>366
かわいそうに。

369 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:38 ID:apfF8O3+
私も制御してこれらの心作用を用いてみます。
矛盾だらけのアフォゥが逃避の為の井戸端会議ですか?
妄想はやめなさいよ。


370 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:39 ID:lrpM0/1x
電波小僧さん、専門が現象学なんですか。
どのへんですか?やっぱりフッサルなんですか。
宗教に興味在るってことは解釈学的現象学ですか。

371 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:42 ID:apfF8O3+
>367
常識って議論の余地はないんだよ。


極端なのはあんただよ

372 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:47 ID:oF9/aB8i
自称現象学、外道に分類だな。

373 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:49 ID:a8SjIRFF
>>367
常識って釈尊が仰った「正しくものごとを捉える」たぶん所謂「正見」が
一般人の常識コモンセンスという意味?

それとも「正しくものごとを捉える」たぶん所謂「正見」の意味を知っているのが、
仏教徒、たぶんあなたの視点では仏教学の常識という意味?


374 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:53 ID:a8SjIRFF
>>365
a> 池沼さんとは2ch用語です。仏教大学のことはまったく知りません。

b> 私の専攻は現象学ですので仏教大学では学べません。

矛盾してません? おもしろい。

375 :名無しさん@3周年:04/05/21 17:58 ID:j5ZgpbhW
>>363
隠語です。
(知的障害者→知障→池沼) です。
仏教スレにしてはひどいですね。
ひどすぎます。
365は差別者。ほんと最低ですね。

376 :名無しさん@3周年:04/05/21 23:12 ID:Sl9zeZ1Y
前レスで、釈迦の考えの誤り、矛盾、脱落が大分指摘されたが、信者の方々は、
感情的ではなく論理的な反論は出来ないのですか?釈迦も、時代の変化や論理
に合った反論があってこそ喜ばれると思うが。

377 :電波小僧:04/05/21 23:31 ID:9/HeWHZq
>>369
かわいそうに。
>>369
専門はフッセルを基礎とします。解釈学的現象学をおだしになるところは
あなたもこの周辺を研究されているのですね。私の興味は社会学への近親
です。NBさんに近いのかもしれませんね。
仏教学での興味は倫理と宗教との関係です。これは電波男さんから明確な
お答えを頂きました。
>>370
かわいそうに。常識の意味すらもお解かりでない。
>>372
無視します。
>>373
仏教学の常識として発言いたしました。
「ものごとを捉えるときには執着を離れ、極端に走らないように正しく判断する」
これは仏教(仏教学)の常識ではないのですか?
>>374
どこが矛盾しているのですか?
a>仏教大学における人間関係などの内部事情
b>仏教大学の学科とカリキュラム(調べりゃわかる)
これを矛盾と見るのは面白い発想ですね。
>>375
そうです。私は最低ですよ。それが何か?
別スレッドでも書きましたが、私は2chから足を洗います。それでは失礼いたします。
有名な名スレッドもこれが終焉ですね。

378 :名無しさん@3周年:04/05/21 23:49 ID:4VFrnPWj
>>376
2chに居る人間に、お釈迦さんの思考の追尾は無理と思われ・・・w
追える人間は2chに来ねーだろうと思われ・・・w
自分も、原始仏典全てに目を通したわけではないので納得させるのは困難と思われ・・・(悲

でも、やはり、人類史上最高の思想だと思われ・・・(敬
自分が情けなく思われ・・・(泣

379 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:01 ID:eevCTBrs
>>305 >>307 や、>>311 >>316
のこと。要するに常識を信じてるわけでしょ。
つまりオレが見てるものは確実に存在する、なぜならみんな同じものを見るからだ。とか。

>>299 >>304 >>306
で分からなきゃ。しょうがないでしょう。
あるいは釈尊や龍樹菩薩より自分が正しいと思ってる人は説得できないですよ。
だって経典が証拠にならないんだもん。

だから根本的に何を信じるかが問題なわけですよ。
私は科学や常識より釈尊や龍樹菩薩、我が諸師を信じます。

380 :レンマ ◆ALFqmeIVb2 :04/05/22 00:09 ID:2rynmh9Y
原始仏教における「空」の概念は、
「ある所に、あるモノが欠けている」
という意味と考えていますが、いいでしょうか?>ALL

そのうえで、長い思索のすえ、
「真理は縁起している」
「真理は空である」
「真理という実体は無い」
「空は真理ではない」
という思いが沸き起こりましたが、間違ってますか?

381 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:10 ID:ysIhIeUG
原始仏教って大事なんだろうね。


382 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:20 ID:Y+Lyw+S4
>>378
>>379
それを「盲信」という。何を根拠に信じているのかを常に反省すべき。
古文献、しかもその翻訳には無数の誤りがあるという前提はどうしますか。

383 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:40 ID:eevCTBrs
だから諸師の伝える法を信じるのですよ。
悟った人から悟った人に伝えられてきた伝統の師の法を。
もちろん師は吟味しなくてはならない。
私の場合は10年かけて吟味しているが、まだ完全に信じているか怪しい。
もしろん文献的にも検証してますが、師の行動を見ていまだ失望するどころか、
尊敬の念は深まるばかりです。

文献学の歴史は200年ぐらいあると思うけれど、そのなかに悟った人います?
フラウヴァルナーやプサン、ビュルヌフ、オルデンベルグなんか文献学者としては、
尊敬するけど、師として付こうとは思わない。

たしかに付くべき師を見つけるのはたいへんですが。

384 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:46 ID:Y+Lyw+S4
>>383
文献や他人の意見ばかり信じて、現実に立脚して自分の頭で考え、自分自身の
意見を構築することはしないのですか。そんなことばかりやって、あなたの人生
にとってどんな意味があるのですか。すべて借り物の人生ではないですか。

385 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:59 ID:K2YUNBYP
>>380
「真理は空である」
「空は真理ではない」
この2者は矛盾していますし、もっとよく考えたほうがいいと思いますよ。


386 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:00 ID:eevCTBrs
>>384
じゃあ、自分て何ですか?

387 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:12 ID:eevCTBrs
「真理は空である」
「真理という実体は無い」から、
「空は真理という実体ではない」ということじゃないですか?


388 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:26 ID:Elgv3Eed
>>384
何故「借り物の人生じゃダメ」なのか説明してください
あなた自身「借り物の人生じゃダメ」という現代の風潮に流されているだけじゃないですか?
借り物の人生でもいいじゃないか

389 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:29 ID:RARKo3XG
「真理は○○である」とはいえません。真理は真理。
そして全ては真理。


390 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:29 ID:Y+Lyw+S4
>>386
「自分」とは、共同体維持の本能を含む生物学的本能(それから生じる自然の
感情を含む)であり、思考の介入する余地はない、と考えます。それ以外に何か
ありますか。

391 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:37 ID:Y+Lyw+S4
>>390の訂正

生物学的本能 → 生物学的諸本能

392 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/22 01:40 ID:wJZQvgT1
「空」なんて真理がある訳じゃなく、「空」と言うのは「諸法無我」の側面を
「縁起」と捉え、その縁起せるものに自性はなく空であるという物事の存在の
状態を「空」と言う言葉で説明してるだけだと思うのですが。「空」にとらわれる
なんて全く本末転倒だと思いますよ。この辺りは禅家が詳しいと思いますが。

393 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:47 ID:Y+Lyw+S4
>>388
>何故「借り物の人生じゃダメ」なのか説明してください

一度きりの人生における主体性の放棄だから。誰しも奴隷の人生は嫌で
しょう。

394 :名無しさん@3周年:04/05/22 07:21 ID:LCg15XZU
自分?
自分は借り物です。借り物ですから借り物の人生でよいのです。
変化していく関係の連続の中でひらめいていくのもいいです。それだけです。
>>383
良い出会いを大切にするということですね。
諸行無常 諸法無我
>「空」にとらわれる
といわれるのもわかりますが、
「 」にこだわる、説明に拘りすぎても・・・状態像のね。
観ですね。諸行無常 諸法無我


395 :栗花 馨:04/05/22 07:26 ID:LCg15XZU
>共同体維持の本能を含む生物学的諸本能(それから生じる自然の
感情を含む)

これ興味ありますね。もっとおしえてください。


396 :名無しさん@3周年:04/05/22 08:02 ID:eevCTBrs
>>390 >>393
つまり常識的科学を信じた我の実見と断見ですね。人生が一度きりだという科学的根拠はなにもない。
自分で考えるとか自分を信じるなんていうまさに常識的考え方をする人は、そいうゆう常識、
偶然生まれた環境に培われた習慣的見方しかできないのが普通です。
それがいかに漠然とした他人の見方に支配されているか気づきもしないのではないか。
例えばこのように、
>2 名前:考える名無しさん メール: 投稿日:04/04/06 18:50
> 木田元の文章
>
> 『ついでに言うと、こんなふうに文体に慣れるということを通じて、われわれはその哲学者の思
> 考を追思考し、そうすることによってものを考える習練をするのだと思う。学生運動の最盛期に
> 大学院の学生たちが、もう西洋の哲学者が昔書いた本を読むなんてことをしている時代ではない、
> 自分の言葉で自分の思索を展開することこそが哲学だ、と言い出したことがある。こういう主張
> は、その後も時折聞く。まだ若かった私は、そう言われるとそんな気もしてきて、一時期好きな
> ようにさせてみた。だが、これはまったくダメだった。その連中が言う自分の思索というのは、
> 人の本のサワリだけ拾ってきて並べる、つまりサワリ集をつくるということでしかなかったので
> ある。

397 :名無しさん@3周年:04/05/22 08:02 ID:eevCTBrs
>  ウィトゲンシュタインのような特殊な天才はいざ知らず、普通の人間にとってものを考えると
> いうことは、そう容易なことではない。眼をつむって、さて何か考えようと思っても浮かぶのは
> 妄想のたぐいであろう。ものを考えるには特殊な訓練が必要である。その訓練として私に考えら
> れるのは、しつかりとものを考えた思想家の本をはじめから終わりまで読み通し、その文体に慣
> れ、その思考を迫思考することである。いろいろ考えてみたが、私には今のところそれ以外の方
> 法は思い浮かばない。原語で読むに越したことはないであろうが、翻訳でも仕方があるまい(もっ
> とも、しつかりした翻訳でなければならない)。そうした本を毎日続けて読んでいると、次第に
> その文体に慣れ、そこで言われていることがよく分かるようになってくる。おそらくこれが追思
> 考するということなのであろう。そうした訓練を重ねることによってはじめて、ものを考えるこ
> とができるようになるのである。』

自分は物質の中にも存在しないし、精神の中にも存在しない、その二つの総体を自分と思いこんでいるだけ、
それこそ苦しみの元であるというのが仏教です。これは自分のものについて考えてみると分かりやすいです。
自分の家とか自分の土地っていうものを持っていると執着が出やすい。しかし、自分の家とか土地なんて、
本来ないものを土地が歴史的に線を引かれ分割売買されて社会的にみんながそう思ってるだけでしょう。
しかも資産価値が上がったの下がったの、誰に譲る譲らないとかで苦しむこともおおい。
これと同じで自分があると思うから、他人が自説に合わないと苦しんだりする、と仏教は言っているんです。
>>384 さんが仰ることをちょっと変えて自分なんて仮者なんです。

信じるか信じないかは勝手です。

398 :名無しさん@3周年:04/05/22 08:29 ID:vb7h73/z
>>394
>>395
栗花さんの言っていることに同意します。
実践からの言葉はわかります。
他人の言葉の記録を字づらで読んで遊んでいる人の言葉は 傲慢ですね。
自画自賛というか自我自讃ですね。

399 :名無しさん@3周年:04/05/22 09:46 ID:Y+Lyw+S4
>>396
>>397

木田元など持ち出して、叉借り物の思想ですね。職業的西洋思想家の「思想」など、
根拠が薄弱だから、現実を突き付けられれば一発で吹っ飛ぶ砂上の楼閣です。あな
たが思想の奴隷として一度きりの人生を無駄にしたいのなら、誰も止めることは出
来ないが。

400 :名無しさん@3周年:04/05/22 09:48 ID:aSfOwVm2
無我と非我の違いにつてどなたか説明してくれませんか?
というか、空思想や唯識が原始仏教から必然的に導き出されてくるものなのかどうか、
そのあたり、詳しい方おられませんか?

401 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/22 12:49 ID:Zz/fi3f4
>>385
短い文章で、表現が正しく伝わらないことはお許しください。

>「真理は空である」「空は真理ではない」
>この2者は矛盾しています

「この服は赤い」「赤いは服ではない」
AはBであるが、BはAとは限らないということです。

>>387
そうですね。空を実体視するのは間違いではないか、と考えています。
>>398
空もまた空です。真理って実在ではなく、縁起性だと思います。
>>392
「空」と言う言葉で説明してるだけ という意見には賛成です。
>この辺りは禅家が詳しいと思いますが。
それはどうでしょう?禅家の空は、初期仏教の空とは別ものでは?

402 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/22 14:07 ID:2rG7hDl4
ROM記念

403 :名無しさん@3周年:04/05/22 15:46 ID:Y+Lyw+S4
>>395(栗花馨さん)

「宗教の危険性について 4」のスレで、自分とは何かを論じていました。
私の意見では、自分とは何かをいくら考えてみても、その考える自分を判断
する他の自分が必要であり、その他の自分を判断するためには更にもう一つ
の自分が必要になる、と無限に連続し、いわば合わせ鏡の状態になりますので、
「自分探し」即ち自分で自分の裁判官になることは不可能であると考え、下記の
結論を提示して見ました。ここで言う「抑圧」とは、同スレ>>70の「QP原則」
における宗教による抑圧を意味します。

(1)自我とは、人間の生物学的諸本能(それから生じる自然の感情も含む)。
(2)「共同体の維持」も生物学的本能の一つ。これにより、(1)の本能が
   ある程度抑制・変容される。
(3)従って、自我には思考の入る余地はない。
(4)上記(1)(2)の本能を抑制・変容するのが抑圧。






404 :名無しさん@3周年:04/05/22 19:03 ID:T0JJb0iL
そりゃ、スレも六回続きゃレベルも下がりますよ。

405 :名無しさん@3周年:04/05/22 20:25 ID:BH1fHpEt
釈尊の言説としてその無我説の核心に触れているのは、如来の死後存続という
テーマだろうと思います。ここではやはり沈黙、無記という姿勢で釈尊は対応
されていたと伝記には記されています。
だから根本的な意味で「我が無い」という意味での無我説を釈尊が説いていた
訳ではないように思われます。
そういう意味での無我、有我の二辺に囚われてしまう世人の執着を離れていく
には非我を説くのはとても有効な説法であろうと思います。
諸々のアートマン説に「それはアートマンでない」とか「我ならざるものを我
と思うな」という語り口は非我説になるだろうと思います。


406 :電波小僧:04/05/22 21:13 ID:MnpoUhpe
>>405

無我について、電波男氏のご発言をまとめます。これを辞世の苦といたします。
------------
無我の「無」は否定辞であり、「ない」と言う意味で使われるのは限定されていた。
現代語で「無」を解釈するので取り違える場合がある。
an-Atmanという語源で見ても、「我ではないなにか」を想定している。そういった時、
この「非我」を実体的ななにかを想定して「真我」を求める日本仏教や新興宗教が
多いのも否めない。

Atmanとはウパニシャッドで梵我一如の文脈で語られるものがあるが、無我の説明では
それに特化したものではなく「ものごとを成り立たしめている絶対無比な本質」と言う意味
的な解釈を否定しているものだと考えられる。
-------------
つまり、「ものごと」には「それを成り立たしめている絶対無比な本質」を認めることは出来ない。
なぜなら「ものごと」の様相には固定的なものが確認されず、絶えず変化している。
「それを成り立たしめている本質」が存在するというのなら、ここに矛盾が生じるではないか。
「ものごと」に「それを成り立たしめている本質」があるとして執着することにはなんの意味もなく、
かえって苦しみが増大するだけである。
そこに「ものごとを成り立たしめている本質がある」と言う辺見をすてて執着する心もすてれば、
精神は安穏になり、解放されるのだ。
また、そうであるからといって逆に「移ろいやすい現の世は存在していないのだ」とか「実体のない
幻だ」と」言うのも極論である。全ては縁起によって認められると受け入れなければならない
-------------

407 :名無しさん@3周年:04/05/22 21:24 ID:aSfOwVm2
>>405
無我(空観)、有我(唯識)の何れにも捉われない非我(願行)の道。
そうした解釈でよろしいでしょうか?

408 :名無しさん@3周年:04/05/22 21:44 ID:Elgv3Eed
>>388
借り物つっても何を借りるか選ぶのは自分自身なんだから奴隷とは違うだろ

409 :名無しさん@3周年:04/05/22 22:22 ID:Y+Lyw+S4
>>408
>借り物つっても何を借りるか選ぶのは自分自身なんだから奴隷とは違うだろ

「選ぶ」のではなくて、「選ばざるを得なくなる」のだろ。一旦特定の宗教に
嵌った人間は、他の宗教や教義について選択する精神の自由は奪われる。それが
信仰の意味であり、宗教を信じることは知性と批判力の放棄に他ならない。


410 :名無しさん@3周年:04/05/22 22:28 ID:bW+D+zfz
奴隷の人生で思い出したが、
人生は自分の認識の奴隷になってるんだな。

認識の奴隷。。よくいったものだ。

411 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/22 22:47 ID:2rynmh9Y
>>400
難しいテーマなので、簡単には説明できませんが、お勧めの本があります。

空の思想史 立川武蔵著 講談社学術文庫

amazon.co.jp
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061596004/ref%3Dsr%5Faps%5Fb%5F/249-8394879-8789944

松岡正剛の千夜千冊『空の思想史』立川武蔵
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0846.html

412 :名無しさん@3周年:04/05/22 23:44 ID:g0VSvD02
>>401

地球は球である
球は地球ではない

のように、空は球と同じように
ある概念を表しているということですね。
空という概念があるのであって、
空そのものはどこにもないということですね。

ということは、空という言葉は
状態の説明であって、空と言っただけでは


物質はAの状態である
Aの状態だから物質である

のように概念を言い表しているに過ぎないということですね。
つまるところ、「何かが空である」のであって、
「これが空というものである」と言える空は存在しないということですね。

なんだか訳が分からなくなってきたのでこの辺でやめます。

413 :名無しさん@3周年:04/05/23 00:46 ID:fP6+zfeZ
>>384
借り物の話を信仰の話に挿げ替えましたね
>>383は「付くべき師を見つけるのはたいへん」と言っています。
選択する精神の自由は奪われていないし、知性と批判力の放棄もしていません

414 :栗花 馨:04/05/23 03:25 ID:fhIhMDZo
>>403さん

>「宗教の危険性について 4」のスレで、自分とは何かを論じていました
なるほどね。そこからですか・・・
切り口やスタンスにクールさを感じたわけですね。
なかなか、おもしろいですね。ありがとうございました。
解剖学や生理学また心理学の学習してさらに発展させてみてください。
身体、生理的状態について
自覚に立っている発言をするとさらに深みが増すと思います。
期待してますね。

415 :栗花 馨:04/05/23 03:37 ID:fhIhMDZo
ものごとは絶えず変化していく本質があります。
無は未来。我は現在(現在まで至らしめたもの)
未来は無であるがゆえ絶えず変化していくことができ、絶えず変化している。
我は絶えず変化している=無我

416 :栗花 馨:04/05/23 03:42 ID:fhIhMDZo
選択する精神の自由なんてないです。
それぞれ、器にあうものごとが引き合うだけの関係です。
それぞれの知性と批判力が器をつくっているともいえます。

417 :名無しさん@3周年:04/05/23 08:57 ID:uQ4DeGtA
>>415
「本質」の言葉の使い方を間違ってますね。

現在まで至らしめたものが「我」と言う考え方は外道ですよ。

|絶えず変化している=無我
説明責任を果たしていませんね。間違いとも言う。

ここはあなたの感想文を述べる場ではありませんよ。

418 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/23 09:32 ID:TEpjqzeq
>>412
>空という概念があるのであって、
>空そのものはどこにもないということですね。
そうです。

> つまるところ、「何かが空である」のであって、
>「これが空というものである」と言える空は存在しないということですね。
そのとおりです。

「空は真理ではない」というのは、釈尊の説いた”空”は、「空という概念」であって、
存在する真理かなにかではない、ということを言いたかったのです。(^-^)

419 :名無しさん@3周年:04/05/23 09:44 ID:QJiOoKux
>>412 (>>418

お見事。

420 :名無しさん@3周年:04/05/23 09:51 ID:JTnPqU0s
 ◆◇◆ インターネット家庭礼拝 ◇◆◇
一.賛美歌
 キリスト教賛美歌の MIDI files
 賛美歌66番 「聖なる、聖なる」 (Holy Holy Holy)
  http://www.ylw.mmtr.or.jp/~johnkoji/hymn/066.html
一.聖書
 聖書協会ホームページ−今日の聖句
  http://www.bible.or.jp/index.html
 近畿福音ルーテル松坂教会−聖書日課
  http://seishonikka.org/200404/11/nikka.htm
 日本福音ルーテル合志教会−説教
  http://www.remus.dti.ne.jp/~hiromi-y/sekkyou.html
 インマヌエル中目黒キリスト教会−sermonf
  http://www.igmtokyo.com/sermon/sermonf.html
一.祈祷
 カトリック−初台教会のご案内−カトリックの祈り−yoogo
  http://www2.odn.ne.jp/~aai50550/kirisutokyo-02.htm
一.主の祈り
  http://www.ss.iij4u.or.jp/~ana/inori.htm
一.頌栄
 ◆◇聖歌・賛美歌 midi♪&詞◇◆
 賛美歌 541 父、御子、御霊の※ト長調のまま
  http://www32.ocn.ne.jp/~ginzanokaze/Jesus/a383.htm



421 :栗花 馨:04/05/23 10:59 ID:XBiQx0HT
根本の性質です。ものごとは絶えず変化していく根本の性質があります。
無は未来。無は未来であるがゆえ無。未来は無であるがゆえ未来。
我は現在。(現在まで至らしめたもの、条件付けの力)我は今の連続。我は今、現在の連続。
肉体、内的環境と外的環境の界面層、身体の外的環境、すべて現在の連続。今の連続。
生命体としての活動も絶えず変化していく根本の性質があります。

422 :栗花 馨:04/05/23 11:02 ID:XBiQx0HT
生命活動の「イメージによる条件付け」について、少し触れてみたいと思います。
「イメージによる条件付け」は生の存在要因が生命体の核になって行っている活動と言えます。
A点を始点としてB点まで線を書いたとします。鉛筆をつかってA点にまず点をつけます。
その点を制御しながらB点まで線を引かなくてはなりません。
その時にA点から未だ到達していないB点に向かって流れている「情報を含む力」を
「未来に向かって流れているイメージによる条件付け」といいます。
A点につけた始点を制御している書き手の手の運びは
瞬間瞬間にその時の肉体に向かって制御をおこなっています。
それを「肉体にたいして過去に向いて働いているイメージによる条件付けの力」といいます。
生命力があり核になっている生の存在要因が元気な状態は未来に向かって流れている力と
過去に向かって働きかけている力のバランスがとれている状態なのです。
A点からB点までの線があり、その先にはC点があるかもしれません。
B点から未だ存在していないはずのC点にむかって流れている力が
現在を成立させているのです。現在を成立させていくのです。
B点から未だ存在していないはずのC点にむかって流れている力は、
未来は無であるがゆえに流れていくことができます。
未来は無であるがゆえに絶えず変化していくことができ、
絶えず変化しています

423 :栗花 馨:04/05/23 11:05 ID:XBiQx0HT
B点から未だ存在していないはずのC点にむかって流れている力が
現在、生命体、また輪廻転生を成立させているのです。
諸行無常です。諸法無我です。
諸行無常ー諸法無我の根本の性質、
それゆえに、釈迦の実践法がなりたっているのです。
それゆえに、実践に精進できるのです。
ハードウエアーソフトウエア、
実際に実践精進していくといろいろなセンサーも身についてきます。
ハードウエア〜ソフトウエア〜センサー、一体です。

尊敬できる人との出会い、善智識、自然と結びついていきます。

424 :名無しさん@3周年:04/05/23 11:44 ID:7M7G8jr9
>>421
惜しいですね。
まぁー、それでもいいけど
「無我」を深く追求するとすべて(過去も)が、「無」になる。
もっとも、まだ先があるみたいですが‥

その辺の解釈で宗派が大きく分かれますね。

425 :名無しさん@3周年:04/05/23 11:47 ID:7M7G8jr9
未来=無

と考えるから難しくなるんだよ。

426 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:09 ID:oKJCZbbm
現実に有る世界(色)をない(空)などと言う釈迦の考えには無理がある。煩悩を
去れば苦がなくなるというのも、自己欺瞞であり、人生に対する誠実な態度ではない。
現実をあるがままに受け入れることこそ、本当の悟りではないのか。釈迦は間違って
いる。

427 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:12 ID:qlyu52bG
>>426
あなたの理解の方に無理がある。
でも
>現実をあるがままに受け入れることこそ、本当の悟りではないのか。
には賛成。
別に釈尊はまちがっちゃいないけど。

428 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:15 ID:oKJCZbbm
>>427
どこが無理がある?必ず理由を言ってくれ。

429 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:26 ID:7rCLVblC
>現実をあるがままに受け入れることこそ、本当の悟りではないのか。

無我の理に立脚した目覚めた意識をもって、あるがままですね

無明や煩悩にまみれたまま、あるがままに受け入れるのは、悟りとはいいません


430 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:29 ID:rtbbjOLo
「現実にあるがままを受け入れろ!」と口で言われて、
「そうですか」と受け入れられる人など、皆無である。
受け入れようと頭で考えても、それができないのが人間である。

人間は「痛い!」とか「気持ちいい!」という感覚を、単なる事実
としてあるがままに受け入れているだろうか?違う。
「痛み」という事実から「イヤだ!」という嫌悪を生み出し、
「気持ちいい!」という事実から「もっともっと」という執着を
生み出している。それで苦が止むことがない。

感覚を単なる事実として受け入れて心を揺るがさないように
するために、釈尊は戒定慧の三学を制定されて弟子たちを訓練
されたのだ。

431 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:52 ID:e7/oF1ai
>>430
おもしろいですね。
そのとおりだと思います。


432 :名無しさん@3周年:04/05/23 23:29 ID:oKJCZbbm
>>430
「現実をありのままに受け入れる」ことによって得られるのは、苦のみではなく、
快もある。苦があってこそ快があり、その逆も真である。苦がなくなれば、快も
無くなる。苦を避け、快を求めることが自然の人間性である。釈迦は自然の人間性
を否定しようとするのか。すり替えにより、苦を避けてばかりいれば、人間の成長
はない。
釈迦もキリストもムハンマドも、時代が異なる大昔の人間に過ぎないのだから、
当然無数の誤り、見落とし、時代不適合がある。現代人として何故それが指摘
出来ないのか。批判のないところに進歩はない。無批判に信じることは、これら
の古人の本意では決してないだろう。

433 :名無しさん@3周年:04/05/23 23:32 ID:qlyu52bG
>>428
空は無いという意味ではない。
いくらなんでも、そんくらいしっといてくれ。

434 :名無しさん@3周年:04/05/23 23:45 ID:e7/oF1ai
>釈迦は自然の人間性
>を否定しようとするのか
覚えておかなくてはいけないことに、
人間は不自然であると言うことです。
自然をコントロールし、便利さを求め、
苦しみ(人間が認識するところの)を避けるための人間によるシステム
を築き上げてきました。
人間以外のどの生物もそのような知性を持ち合わせてはいません。

そしてそのようなシステムでも
人間の持ちうる苦(死 病 老い)
を無くすことはできません。それは繰り返されてきました。
釈迦の教えとは苦を無くすことではありませんでした。
それは、苦と認識する自分自身を変えることを目標にしていたんです。
自分が苦を苦と認識しなくなったとき、苦は無くなります。
死さえも自身が作り上げた幻想だと知るでしょう。

435 :名無しさん@3周年:04/05/23 23:50 ID:qlyu52bG
>>432
仏教の「苦」ってのは、思い通りにならないことってくらいの意味だが、まさかそのくらいわかってるよね?

436 :名無しさん@3周年:04/05/24 00:02 ID:k40JQEBJ
>>434
>自分が苦を苦と認識しなくなったとき、苦は無くなります。
>死さえも自身が作り上げた幻想だと知るでしょう。

どこの新興宗教だ?

437 :栗花 馨:04/05/24 00:47 ID:BNIEm6QW
>424
宇宙の物質と時間が始動した最初の瞬間は一つの点。
無のゆらぎに向かってその一点が大爆発した。
宇宙の創成には無の揺らぎが引き金となった・・・・
ハードウエアーソフトウエア、
実際に実践精進していくといろいろなセンサーも身についてきます。
ハードウエア〜ソフトウエア〜センサー、一体です。
しかし、
肉体で受け止めることの出来ない・・・それ以前は知る由もない。
始源の無のゆらぎ
知る由もない次元でなりたっている。

438 :栗花 馨:04/05/24 00:51 ID:BNIEm6QW
考え、論。
感知できる開かれた個体では、時の流れの中の現実でしかない。
実感されたという前提があるのです。

ハードウエアーソフトウエア、
実際に実践精進していくといろいろなセンサーも身についてきます。
ハードウエア〜ソフトウエア〜センサー、一体です。

439 :名無しさん@3周年:04/05/24 00:56 ID:KqqndUke
>>437
そんなこと造られた人間がいくら考えても分るわけない。現実をあるがまま
に受け入れよう。それが悟りというもの。

440 :NB ◆YIoCB90ZbI :04/05/24 01:17 ID:on9Z2WlK
問題としての「原始仏教」と「仏教の原始(原初)」は、まったく別の話です。
話がかみ合いません。

と、言ってみるテスト。

441 :名無しさん@3周年:04/05/24 01:25 ID:k40JQEBJ
>>439
クリスチャンでつか?

442 :名無しさん@3周年:04/05/24 01:31 ID:KqqndUke
>>441
残念ながら無宗教、言うなれば人間教です。

釈迦が「分らんことは分らん」「仏教は方便に過ぎん」と言った(とすれば)エラ
イですね。

443 :名無しさん@3周年:04/05/24 01:44 ID:AhbArqPv
>>439
作られた人間のあなたに、なんでそんなことが分かるんですか?


444 :栗花 馨:04/05/24 07:31 ID:lS3jwVn9
>>424
>「無我」を深く追求するとすべて(過去も)が、「無」になる。
>もっとも、まだ先があるみたいですが‥
>その辺の解釈で宗派が大きく分かれますね。

>>421 >>422 >>423 と続けて読んでください。
>>424に対してのレスは
>>437>>438と続けて読んでください。

445 :名無しさん@3周年:04/05/24 07:34 ID:KqqndUke
>>443
作られた人間の小さな脳みそで、その脳みそを作った者のことは分らないと考える
のが自然でしょう。お釈迦さんも創造神のことなど考えてはいないはずですよ。

446 :栗花 馨:04/05/24 07:47 ID:lS3jwVn9
「原始仏教」と「仏教の原始(原初)」は、全て仏教に含まれていることです。
実践に精進したことすらない人にとっては、「まったく別の話です。
話がかみ合いません。」と仏教を自分の理屈や考えだけで放棄しています。

仏の教えを実践しましょう。
ハードウエアーソフトウエア、
実際に実践精進していくといろいろなセンサーも身についてきます。
ハードウエア〜ソフトウエア〜センサー、一体です。





447 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/24 09:00 ID:wT01/sQz
>>437
>宇宙の創成には無の揺らぎが引き金となった・・・・

”無のゆらぎ”ってのはどういう意味だろう?
二項による無、というならそれは有にほかならない。
つまりここにおいて有無のバランスが崩れる。
そんなアンバランスな世界がこの世界。→物理的にはそういうことになる。

絶対無、というなら、それは意味が違う。

宇宙の創生には”ゆらぎ”が関係していたとしても、以前”ゆらぎ”は謎のままだ。
謎は謎のままで”ゆらぎ”に遊び戯れるのがいいのだろう。
理屈で捉えるもんでもないし。


448 :424:04/05/24 11:26 ID:g2UeSfGx
>>444
なるほどよく解りました。
あなたは日々生活や実践の中で「それ」を感得したのですか。

それとも中論とか読んだんですか?

449 :名無しさん@3周年:04/05/24 11:32 ID:ZOqjjgyn
>>445
なんで作られたあなたに他人や神の考えが解るんですか?


450 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/24 12:23 ID:kpKs8M9T
>>449
素朴な疑問ですが、どうして「作られた」と思うのでしょうか?

ここにいる大勢の人たちは、わたしも含めて、自分は「作られた」とは
考えていないと思います。

451 :名無しさん@3周年:04/05/24 12:36 ID:0JME0Kh6
>>450
作られたと言うと偽善者が納得すると思ったのでしょう。

452 :名無しさん@3周年:04/05/24 13:15 ID:KqqndUke
>>450
人間や自然が存在する以上、それらは何らかの原因で発生したのでしょう。
神様でも、偶然でも、ビッグバンでも、真空エネルギーでもなんでもよい
のです。これらの不可知な発生原因によって「作られた」と言っているの
です。しかしこの発生原因は人間には不可知ですので、考える必要はない。
叉考えてはならない。人間は、発生の結果である現実の人間と自然を考え、
大切にすればよい。

453 :名無しさん@3周年:04/05/24 13:17 ID:78w20pW+
お父さんとお母さんの交合によって、また食物を摂取することに
よって得られたさまざまな構成要素から作られたものと心得ますが。

454 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:03 ID:KqqndUke
>>453
そのお父さんお母さんそして食物はどうして出来たのでしょうか。
しかしそんなことを考えても無駄なこと。一神教は思考すべからざるものを思考す
るから、人類に巨大な罪悪をもたらした。仏教でも、一神教的要素を取り入れた
ものがあるから、要警戒。

455 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:13 ID:gGFboRVw
おまえら頭大丈夫?

456 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:25 ID:ushTzHhm
自生にあらず
他生にあらず
自他にあらず
無因生にあらず


457 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:27 ID:gGFboRVw
┌─────────┐
 │ 基地外警報!!!  |
 │   基地外警報!! |
 └―――──――――┘
      ヽ(´ー`)ノ
         (  へ)
          く


458 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:29 ID:ushTzHhm
>>456
訂正

自他にあらず→ 自他生にあらず



459 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:30 ID:YnXdGaxx
自然物を材料として作られた人間は自然のことを考えることができます。
人間のことも宇宙のことも考えることができます。
子供は親のことを考えることができます。


460 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:30 ID:gGFboRVw
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| 電波を感知しました。 |
|__________|
              / /
              /
      _         ビビビ
     /||__|∧    /
  。.|.(O´∀`) /
  |≡( ))  ))つ
  `ー| | |
    (__)_)


461 :名無しさん@3周年:04/05/24 16:44 ID:gGFboRVw
    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄                     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
    |妄想異常者・宗教人を回収に来ました。                   板をきれいに |
    |__  ________                    __  ___|
     ,_∨_______       γ===============┐..    V
   . γ;二二二, ll .__/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//  \______/ )\ゥアア・・
. _  // ∧_∧ |.|| | .|    東京都   .l l,,,,,,,,,,,,,,,,,,\____/ /__\
[_].//( ´∀`).| || | .|           ヽヽ丶    |8|| ̄ / / ̄ヽ  |6|
.└/l__/__  ).| || .|__| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽヽ ヾ-ー「:l|_/ /__∧ ヽ  ||
  |    (_/ [||| --|_________ヽヽ  ゞ |.:ll ./ /;´Д`) ミ. ∧_∧ ポイッ
  lフ  ,------|.l_|二二l_l/ ̄ ̄/l /γ二二..ヽヽ __ヾ |.:|/.    \ヽ⊂(∀`  )ミ
 [ll三// ̄ヽ\|.\===l二二l__l /// ̄ヽ\~ヽヽ_匚|]二||二二二||_.(⊂  )
  └--l .※ ..l ..凵======-l/.l .※ ..l |_l~(\__/~'==l=======l==/y  人
    丶  ./_/   丶_/_/    .丶  ./_/_/ ̄~~丶_/_/_/ ̄ ̄ ̄ (___)__)

462 :名無しさん@3周年:04/05/24 19:08 ID:78w20pW+
親のことも食物のことも考えるな、ってなんだか
オウムによく似たカルト臭がする。
原始仏教スレには必ずそっち系の人が紛れ込むから難儀だな。

463 :名無しさん@3周年:04/05/24 19:27 ID:q8OsYABw
>>462
親のことも食物のことも考えるな、などとは言っていない。それらがどうして出
来たのかなどという分からないことは考えるな、と言っているのです。現実を直視し、
大切にするという意味で、オウムやその他の宗教とは正反対です。
原始仏教や密教スレにオウム系の人間が寄り集まっているのは確かですね。彼等の
源流だからです。

464 :名無しさん@3周年:04/05/24 19:34 ID:01RHOi+z
まず、レンマさんは

あると思っているものに、ない という考え方は

色即是空 の考え方で

無いものに、ある という考え方で

空即是色 の考え方になります。

あなたには、後者の考えがもてない限り、
あるものと言っているのものを全て、思索しなければ
空という概念(色)に終始してしまいます。

465 :名無しさん@3周年:04/05/24 19:48 ID:01RHOi+z
本質という言葉には、二つの意味を持たすことが出来る。

それは、空という意味での本質と
諸法実相の立場からの本質です。
例え、宇宙の出来る原理を理屈で理解を示しても真の理解ではない。
概念は、無知と智慧の二面性を持っているので
多くの人が混乱するけど、本質に2種類の意味を使い分ければ
「あるがまま」というのも、無常、無我というのも
もっと簡単にイメージできると思います。

>栗花 馨 
あなたに、使い分けを提示します。

>>434さん。話のレベルが高いですね。
ついてこれない人が続出してます。
あなたがもし、かつて私に釈尊の真の言いたい事を聞いた人だとしたら
先日。やっと気が付きました。
輪廻転生からくるカルマの思想というのが良く理解できました。

466 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/24 22:15 ID:vIGHtsF0
>>464
すみません。何をいっているのかよくわかりません。

空に関する本は、たくさん読みました。ほとんどは、ちゃんと理解できました。
人並みの理解力はあるつもりですが、あなたの書き込みは、意味不明です。

いまのところ、初期の仏教における空の概念は、
「あるところに、自性が欠ける」という意味で理解しています。

では、後世の”空の概念”が、初期の仏教と異なる場合は、はたして、それを
”空”とよぶのが適切でしょうか?
空でないものを、空と呼んでいる気がしてなりません。

467 :名無しさん@3周年:04/05/24 22:28 ID:7SSxvcmF
初期も今も空は空です

468 :名無しさん@3周年:04/05/24 23:32 ID:g2UeSfGx
まだまだ続くのか?この議論は。
つーか、なんの議論をしているのかを整理して下さい。
わけ解りませんので‥

469 :名無しさん@3周年:04/05/25 00:19 ID:28N61kGw
>>466

>いまのところ、初期の仏教における空の概念は、
>「あるところに、自性が欠ける」という意味で理解しています。

その考え方は、人の癖です。現代でも勿論あります。
物理学です。物質を分解して、分解して、最小の単位を探したが
結局は、いくつかに限定したに過ぎず、解明できなかった。
この行為は、あなたの思想そのものです。
色即是空 だけの視点は、物理学で世界を解明しているのと同じくらいの
難易度だと私は考えています。

あなたは、空即是色が頭のどこにも無いようです。
「あるところ」というのが、すべての前提だからです。
般若心経での順番は、色即是空の次に空即是色と書かれています。

それでは、無自性が色になる事を考えましょう!
空と一応名前をつけたが、それが色になっちゃう原理を考えるのはどうですか?
自分自身を見つめるとよいかも知れません。
昔の人は12因縁を逆にも考えたのです。
空に近づいていたのに、遠のいていたことに気がつけるかも知れません。
行き着く所は「我」だと思います。

あと初期も後世、目をつぶって象さんをさわるようなものでは?

470 :名無しさん@3周年:04/05/25 00:39 ID:izVNoOmA
空がすなわち色であることは、色が空であることを瞑想によって
実体験した時だけ、同時に理解されうるであろう。

現代物理学は物質を分解して、分解して、最小の単位を探したが、
物理学者自身が自分の身において体験したわけではなかった。
ただ観測対象として外部を觀察しただけだ。

しかし仏陀の教えた觀察とは、まずおのれの一尋の身において、だ。
瞑想において自分の心身は空だという完全な智慧を得たなら、それから
後は空が起き、空が座り、空が食べ、空が寝ることになる。
どこにもエゴのある余地がない。だから色即是空、空即是色なんだろう
と推察する。


471 :名無しさん@3周年:04/05/25 00:49 ID:U3CWV7Lo
>>470
まともな生活者は、冥想に耽っている暇などない。暇人釈迦がいくら冥想に耽けろう
とも、人生の真理が悟れるはずがない。本当の悟りは、他者との係わり合いの中で
ひたむきに生きることによってしか得られない。

472 :名無しさん@3周年:04/05/25 00:53 ID:LJvXZEHk
>>471
なぜそう断言できるんですか? その根拠は?

473 :名無しさん@3周年:04/05/25 00:59 ID:U3CWV7Lo
>>472
現実の人間社会を観察すれば自明でしょう。多数の無名の生活者は悟っていないと
でも言うのですか?有名人だから偉いのではありませんよ。

474 :名無しさん@3周年:04/05/25 01:14 ID:izVNoOmA
現実の人間社会を観察すれば、怒りと憎しみと愚かさと貪りに
満ちているのがわかりませんか?
こうしている間にも血で血を争そう衝突が世界中で行われている
のですが、あなたはそれを知りませんか?聞いたことはないですか?

これらの闘争は心の中に怒りと憎しみと愚かさと貪りを抱え込んだ
人たちが活動することによって引きおこされているのに他なりません。
ほとんど全ての人が多かれ少なかれ、心にそのような苦しみを
溜め込んでいます。ですからその行動は必然的に苦しみをまき
散らすものとならざるを得ません。苦しみの心が苦しみの活動を
生み、それがまた他人に苦しみの心を植え付けているという悪循環です。

ですから、まず三学を学ぶ事です。瞑想して己を律しながら
他人と関われば、苦しみの悪循環は断ち切られます。
これが輪廻からの解脱です。

475 :名無しさん@3周年:04/05/25 01:17 ID:vOsF7Nh8
このスレと前スレをすべて読んだのですが、大乗非仏説は間違っている、と言う発言は
多数見受けられましたが、根拠をきちんと説明している発言は見つかりませんでした。
大乗非仏説を否定されている人達の理由は何なのでしょうか?
ポインタを示していただけるだけで結構です。

あと、スリランカの仏教は原始佛教に近いと思っているのですが、間違っていますか?
タイの仏教は19世紀までは変な土着の思想が入り乱れていたのを国王が整備した事は
調べて分かったのですが、スリランカの仏教が過去に変な宗派が入ってきたとの
文献は見つかりませんでした。ご存知の方、教えてください。

476 :名無しさん@3周年:04/05/25 01:29 ID:U3CWV7Lo
>>474
>現実の人間社会を観察すれば、怒りと憎しみと愚かさと貪りに
>満ちているのがわかりませんか?
>こうしている間にも血で血を争そう衝突が世界中で行われている
>のですが、あなたはそれを知りませんか?聞いたことはないですか?

現実の人間社会には、怒りと憎しみと愚かさもあるが、同時に思いやりや
知恵もある。宗教が言うようにどちらか一方だけでは、他方は存在し得ない。
それが人間というものです。宗教者は人間観察・理解が極めて浅薄。
世界中で血を血で洗う闘争をやっているのは、まさに宗教ではありませんか。




477 :名無しさん@3周年:04/05/25 01:34 ID:28N61kGw
>>470さん

わたしの意見に見事な補足ですが。
まずは、我が非常に根深くあることを気づいて頂く為に
そう申しました。
空即是色も言葉にされている通り、言葉で暫定的な理解ができると
思います。
やがては、あなたの言う三学のピラミッドを突き進まねば
ならないとは思いますが。

実は、現代物理学にも色即是空、空即是色の考え自体はあるのです。
あなたの仰るとおり、それでは当然壁があります。

478 :名無しさん@3周年:04/05/25 01:34 ID:LJvXZEHk
>>473
では、悟りの意味はなんですか?

479 :名無しさん@3周年:04/05/25 02:06 ID:U3CWV7Lo
>>478
宗教者なら「悟り」の意味は自分で考えてくれ。本など読まずにね。

480 :名無しさん@3周年:04/05/25 02:51 ID:ZIA9m97A
5行以上のレスは読み飛ばす
悟りへの近道

481 :栗花 馨:04/05/25 04:31 ID:Z13CLNOx
>>447 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.

可能な限りエネルギーを抜ききった状態では、振動(ゆらぎ)が残ります。消せません。
振動(ゆらぎ)は、素粒子の生成と消滅が繰り返されておこっているのです。
無と有の境かい層をゆらいでいる状態です。

482 :栗花 馨:04/05/25 04:52 ID:Z13CLNOx
>>448 :424
>あなたは日々生活や実践の中で「それ」を感得したのですか。
「それ」をすでに感得している人が亡くなったときにはじめて、
その種の感覚の機能ができました。
(亡くなったそのひとには、良くかわいがっていただきました。)
その種の感覚の機能ができているひとは、会えばわかります。
 絶対他力の一瞬があって感得できるのです。
あくまで、これは個人的な体験のかきこみです。


483 :栗花 馨:04/05/25 04:55 ID:Z13CLNOx
輪廻転生の真実において、

地球上に存在した全ての生き物は、すべて「同じ」です。

「ある次元世界」に向かって、
食物連鎖の連鎖の瞬間にでる作用子(情報を持つ力)を取り出すために
生存競争が行われているのです。
ある対象に対して否定的な行動をとる場合にも
「ある次元世界」に向かってそのエネルギーから「情報を持つ力」が取り出されています。
「ある次元世界」を成り立たせている構成力のもとの材料となります。
そのために食い合いや不条理な争いをしているのです。
最近、陰陽師がしられてきました。陰陽師がつかうまじないで壷毒があります。
壷の中で食い合いをさせて、まじないの通力につかいます。
地球はいわば大きな壷毒ともいえるのです。
話題として闇の部分ですが、希望もあります。
人間はその人の行動がどのような行動をしているのかが大切です。
輪廻転生の真実とは、その精錬なのです。


484 :栗花 馨:04/05/25 05:05 ID:Z13CLNOx
>>465
>本質という言葉には、二つの意味を持たすことが出来る・・・・・・
>・・・あなたに、使い分けを提示します。

「根本的な性質」として、「本質」という言葉をつかいましたが・・・

465の書き込みを英語に訳して書きこんでみてください。


485 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/25 08:11 ID:z3qx6Ler
>>467
初期と中期と現代では、かなり異なります。469さんは、まさに現代の空ですね。
>>469
>行き着くところは「我」である。
ハッキリいいましたね。でもわかりやすくていいですね。(^-^)
それこそ「現代の空」ではないでしょうか?
それは、初期の仏教には見出せない概念では?

>あなたは、空即是色が頭のどこにも無いようです。
初めはありましたが、長い思索の末、あるとき
「真理は自性が存在しない!」と目覚めた結果、なくなりました。


486 :名無しさん@3周年:04/05/25 08:40 ID:y7U3bPU6
>>479
あなたの言う悟りの意味が分からないから聞いているんですが。


487 :名無しさん@3周年:04/05/25 08:54 ID:U3CWV7Lo
>>486
人間界では、現実がすべてであり(あるものがないなどと考えるのは、
こじつけでナンセンス)、叉、個の存在は他の存在に依存するという
ことです。あなたの「悟り」とは何ですか?

488 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/25 09:00 ID:DUVxnHOg
>>481
>可能な限りエネルギーを抜ききった状態では、振動(ゆらぎ)が残ります。消せません。
>振動(ゆらぎ)は、素粒子の生成と消滅が繰り返されておこっているのです。
>無と有の境かい層をゆらいでいる状態です。

そもそも素粒子は、陽子が核だから陽因子ですね。
陽と陰がバランスよくあるなら、互いに相殺するから因子は消滅する。
しかしながら、なぜに陽因子が残存してるのか?ってのが謎のまんまです。

ブラックホールのようなもんがあるから、陰因子の世界があるんじゃないか?ってのが
現代の理論物理学では有力です。

まあ、そんなことよりも・・・
世界ってのは緻密に計算されて出来ちゃったもんじゃなくて、なんかの偶発的なことによりできちゃったんでしょうね。
それが”ゆらぎ”かと思います。

喩えていうなら、新しいモーターは振動はあまりしないけど、ガタがきちゃったモーターは激しく揺れる。
その振動がたまたま”F分の1ゆらぎ”なんでしょうね。


489 :名無しさん@3周年:04/05/25 10:42 ID:vZxp1luD
>初期と中期と現代では、かなり異なります。
空は空です。
おかしなことを言わないで。

490 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:09 ID:U3CWV7Lo
大昔の人は、物事をもっと単純素朴に考えたのではないでしょうか。後世の人々
がそれを誤解し、無理やりに難しく考えているだけ。金子武蔵の本を読んで理解
出来るほうがおかしい。「色即是空、空即是色」も単純素朴な存在論。それだけ
に普遍の真理です。イギリスのバークレーも「存在とは知覚されることである」
といっています。「ないものがある」などと言い出すから、カルトが蔓延る。

491 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:17 ID:y7U3bPU6
>>487
それは普通悟りと言わず。常識、コモンセンスというでしょう。

少なくとも悟りは通常の意識状態とは別の意識を呼ぶ言葉でしょう。

ただ単にあなたは今の自分の意識状態を悟りと呼んで、仏教の悟りを否定したいだけではないですか。
ようするにクソをミソだと強固に言い張っているだけじゃないですか。
そうゆう、言葉の意味を意図的にすり替えた詭弁は全く意味がないとしか思えません。

常識を信じるのは勝手ですが、そんなつまらない考えは、まったく議論する価値もないとしか思えません。

492 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:28 ID:U3CWV7Lo
>>491
常識とは、人間が他者との係わり合いの中でひたむきに生きるうちに、
長い年月をかけて築き上げた生活の知恵です。常識以外の悟りに、如何
なる価値を認める根拠があるのですか。「通常の意識状態とは別の意識」
は単なる精神の病に過ぎません。精神病とはどう区別できますか。

493 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:31 ID:y7U3bPU6
>>490「色即是空、空即是色」はそんな意味ではないですよ。
それは般若心経の原型あるいは発展形態と考えられる『大・中般若経』の
サンスクリットからも分かるし、インド、シナ、チベット、日本の註釈も
一致して述べること。単純素朴な存在論なんか現代日本のインチキ解説本に
しか述べられていないです。

しかも既出 >>265-267

494 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:37 ID:y7U3bPU6
だから常識は悟りとは言わないって、仏教経典ではいうまでもなく、
日常会話でも普通いわないでしょう。例えば「私は空を悟った」
と言ったら普通見えている空以外のなにか別の空を感じたという意味で
つかうでしょう。

>>492「通常の意識状態とは別の意識」は単なる精神の病に過ぎません。

と何故、断言できるのか。まあ、そこまで強弁するならご自由に。

495 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:37 ID:izVNoOmA
「存在とは知覚されることである」とバークレー僧正が主張するはるか以前に、
ブッダは存在はもろもろの知覚の集まり(五蘊)に過ぎないと言った。

現代常識の「人間」の定義は「肉体プラス人格のような精神体」だ。
だがブッダが主張するには人間は「色覚、耳覚、鼻覚、舌覚、身体感覚、
プラス思考の束」といった所だ。
どこにも人格とか霊魂のようなものを想定しない。
ただその場その場、一瞬一瞬に感じる感覚と思考の泡が、ブッダの言う人間。
単純な存在論どころじゃない。
2500年前にこんなことを発見した人がいた。
しかも単なる哲学としてではなく、生き方としてそれを説いた。
なぜなら人間が単なる瞬間の知覚と思考の集まりに過ぎないなら、エゴの
存在する余地がない。エゴのない生き方へと変容する。
ブッダは誰でもそれを発見して自ら生きることができるようなシステムを残された。

496 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:37 ID:U3CWV7Lo
>>493
「そんな意味ではない」といわれるが、あなたはお釈迦さんにその真意を
確認したのですか。後世の解釈も当てにはならないのだから、現代人として
自由に解釈すべきだと思いますよ。

497 :名無しさん@3周年:04/05/25 11:44 ID:y7U3bPU6
>>496
「色即是空、空即是色」は諸『般若経』の教えなんですね。
その諸サンスクリット本が一致して同じ意味を説き、
また、諸註釈も同様の解釈をしていたら、そこには解釈の余地はないでしょう。

それをあえて「現代人として自由に解釈す」るというのは単なる自分の思いの投影であって、
それ以外のなにものでもない。そんな行為は映画とか小説とかそういった思い入れを語るジャンルで
やっていただきたいんですけど。

498 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/25 12:18 ID:hz42lQMh
>>489
わたしと469さんの会話を聞いていないのですか?
すでに異なっていると思いますが。
469さんは、「無自性が色になる」と書いていますが、
あなたは、そう思うのですか?
あなたの”知っている”空は、諸法実相ですか?

わたしの到達した空は、諸法無我です。
決して「無自性が色になる」ことはありえません。


499 :名無しさん@3周年:04/05/25 12:29 ID:LLQzEWDZ
>>498
自性とか関係ありません。
仏教ですから。
思いっきり話の的がズレています。

500 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/25 12:39 ID:hSauzG0o
人間が認識する。とは、そこに必然的に相対化されますね。
だからこそ認識(色)されるわけでして。
しかしながら相対しているものを認識しているわけじゃない。
理屈は簡単です。

この認識における論理性の限界まで・・・絶体絶命のとこまで行き着いたのが
いわゆゆる直覚というもんですね。

これを、認識(色・五蘊)は→空である。五蘊皆空。
色即是空。の意ですね。


501 :465:04/05/25 13:29 ID:vCqldWvW
>>484
>栗花 馨
>「根本的な性質」として、「本質」という言葉をつかいましたが・・・

ナーガールジュナは、むしろ本質を否定した観点から
教えを説いている節がありますね。
根本的な性質というと、混乱するものが多く出てくると思います。

あなたの言う本質とナーガールジュナの本質は意味が違いますね。
それをしっかり提示してほしく思います。
例えば本質について、世俗と勝義での比較など
もっと、詳しく提示していただきたい。

502 :465:04/05/25 15:04 ID:vCqldWvW
>>485

なんと!そうですか。空を観察している人なんですね。
勉強だけで、空を観察しようとしていると思って話してましたよ。

>>行き着くところは「我」である。
>ハッキリいいましたね。でもわかりやすくていいですね。(^-^)
>それこそ「現代の空」ではないでしょうか?
>それは、初期の仏教には見出せない概念では?

そうです。それでは、行き着くところが我になってしまうから
おかしいと。それに気づくと、自分の根本の我執にハッとする。
あなたの主張がまさに、初期仏教に反する論点に思えたのですよ。
そう思って、不十分だと指摘してたのです。
「無自性が色になる」について、後で述べます。

それと、後世の空は、「現代の空」のことだったのですね。
てっきり、後期の経典のことだと思いましたよ。
では、改めまして。
「現代の空」がどんな実情だか、よく知りませんが、色即是空だけの
理論に終始するのだったら、足りないと思います。

>わたしの到達した空は、諸法無我です。
>決して「無自性が色になる」ことはありえません。

それでは、あなたの話している言葉はなんですか?という疑問です。
初期仏教は「あるところに、自性が欠ける」というのと
      「無自性から、色になる」の
二面性を考えていると思います。前面に諸法無我が出てますが。
諸法無我も諸法実相もただ、どちらかの側面を強調するかの違いで
つまり、見方の違いだけの話で、表裏一体ではないですか。

503 :名無しさん@3周年:04/05/25 18:26 ID:dcOkpzv7
>>497
>「色即是空、空即是色」は諸『般若経』の教えなんですね。
>その諸サンスクリット本が一致して同じ意味を説き、
>また、諸註釈も同様の解釈をしていたら、そこには解釈の余地はないでしょう。

文献がそう解釈しているからでは、「あなたの」解釈にはなりません。それに、諸解
釈者によって意味は大きく異なっていると思いますが。



504 :名無しさん@3周年:04/05/25 18:36 ID:dcOkpzv7
「色即是空、空即是色」において、何故にわざわざ一旦「聖なる」空へ行き、
それからまた「俗なる」色に戻って来なければならないのでしょうか。色は
「聖」ではないと言うのでしょうか。諸法実相との関係は?

505 :ハルカ ◆0tZOcyVq86 :04/05/25 19:39 ID:IqwhIMtG
>>504
その様に『聖/俗』などと分けてしまう時点で的外れです。
『色』は俗で『空』は聖なんて事はありません。
『空』と『色』は=ですよ。

506 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/25 19:44 ID:lVZ7Cczy
>>504
>何故にわざわざ一旦「聖なる」空へ行き、

空は、聖なるもんでもなんでもない。一枚平等の仏智(勝義諦)。

>それからまた「俗なる」色に戻って来なければならないのでしょうか

人間関係とか、仕事、家族など世間との関わりなくして生きてはいけませんから、
どうしても世俗の智慧(世俗諦)が必要です。
いわゆる世俗諦とは生きるための智慧です。

>色は「聖」ではないと言うのでしょうか。諸法実相との関係は?

色即是空。読んで字の如し、色は空。ということです。

つまり空(勝義諦)、色(世俗諦)の二諦において生きるのがもっともいいかと思ふ。
無可無不可。とも言ふ。
ようするに決めつけないことが生きる智慧。ってことなんでしょうね。

ようするに仏教は生きる指標ですから、死んだらそこで無効ですね。
そういう宗教ですから。

禅僧がそれは一番わかってることです
しかしながら禅僧も生きねばならんから読経して読経代はちゃんと貰います。
これも二諦の、生きるための智慧です。


507 :栗花 馨:04/05/25 20:11 ID:vhDp7EhF
>501 :465

諸行無常−諸法無我=涅槃寂静
諸行無常+諸法無我=涅槃寂静
諸行無常×諸法無我=涅槃寂静
諸行無常÷諸法無我=涅槃寂静


508 :名無しさん@3周年:04/05/25 20:14 ID:12KkmRzo
>>406
非我説の行き先に予め何某かを想定してしまうというのは、確かに欲に動かされる
人間ですから、陥り易い難所になります。
諸行無常と言いながら、そこに何某かの本質を設定してしまうのにも確かに矛盾が
あるように思います。
しかしながら、無記、沈黙を通した釈尊も唯一ニルバーナと命名して修行者に勧め
ていた課題がありました。ニルバーナが縁起に依って是認められるものなら、縁起
に依って否認されてしまうものでもありましょう。
釈尊、並びに最初期の仏教徒達は、無常とニルバーナのこのような関係をどのよう
に解決していたのでしょうか?

509 :名無しさん@3周年:04/05/25 20:30 ID:12KkmRzo
初期の仏教では明らかに、聖俗を分けて説いていたようだけどね。

510 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/25 20:54 ID:lVZ7Cczy
>>508
>釈尊、並びに最初期の仏教徒達は、無常とニルバーナのこのような関係をどのよう
>に解決していたのでしょうか?

無常というのは、普通はどういう概念でしょうか?
時間的な連続性においての、たゆみない変化。というようなことそ想起するかと思う。

実際には仏教に、縁生・縁滅の理法というのがありまして、これはなんとも理屈では分からんもんです。
それは人間の認識が理解できるような設定になってないのです。
この時間的な連続性を一端切断しようとする実践的なものが禅における公案です。

つまり公案というのは認識の狭間を透過する。というふうに考えてくれたらいい。
いやゆるこの切断された刹那。これをニルバーナというていいかと思う。

禅においては即今即所。というい言い方をする。
涅槃寂静もいわゆる「今ここ」。の寂光浄土。と解されます。

(つづく)


511 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/25 20:58 ID:lVZ7Cczy
>>508
道元(曹洞宗)はこの時間的な連続性の切断について次のようなことを言うてる。

木を燃やして灰になった場合、木が灰になったのではない。
木は木であり、灰は灰。
そこになんら時間的な連続性はない。

というような喩えで言うてる。

(つづき)

512 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/25 21:05 ID:lVZ7Cczy
>>508
臨済宗においては倶胝和尚とうい禅僧がおった。

この禅僧は公案の時は指を一本だけ立てる。
これはどういう意味かというと、時間的な連続性の・・・その狭間を透過せよ。
ってことです。

これをいわゆる無門関といいます。
ニルバーナとは、いわゆるこの涅槃(今ここ)かと思う。

されば釈尊の十無記がなんら意味をもたない。
釈尊は沈黙を守った。というよりも、むしろ意味がない。
分別できない。
と、このようなことかと思う。

私は、釈尊は明確に答えていると、そう受け止めているが。

513 :名無しさん@3周年:04/05/25 21:12 ID:y7U3bPU6
>>503
「文献がそう解釈している」のではなく「色即是空、空即是色」の意味を
色空不二の意味で述べているので、それは間違いないでしょう。
>>505 ハルカ正しいよん。

私の解釈など入り込む余地はない。あなたの意見は、まるで法律用語を
知らずに勝手な思い入れを語る妄想家のようですよ。

仏教ではユマニスム以降の西洋人文主義と反対に個人の解釈など重要視されない。
経典の正しく読み、それを実践し体得するんです。たとえばマニュアルみたいなもので、
読み違えれば正しく働かない。もちろん師匠というインストラクターがきっちり修正してくれますが。

「諸解釈者」って一体誰のこといってるんですか?
まさか般若心経をネタに妄想を語るインチキ本じゃないでしょうね。


514 :名無しさん@3周年:04/05/25 21:29 ID:cqtTW6b+
なんかおもいっきりスレ違いになってきてるみたいだけど、
空って結局こういうところじゃないの?
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1079470910/369
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1079470910/375


515 :名無しさん@3周年:04/05/25 22:05 ID:0p5EH4TE
「空の思想」ってどう考えてもこじつけ臭いね。当時から批判も沢山あったそうだが。
そもそもすべての人間が「ある」と考えているものが「ない」というのは不自然だし、
「ない」という以上、「ある」ことを前提としている。縁起も、因と果があることを
前提とするし、すべて空なら、釈尊も、真理も、涅槃も、「清らかな真如」も、如来
も、「空の思想」自体もない。そんな無理をしなくても、「ある」ことを受け入れて
悟ることのほうが本物ではないでしょうか。どなたか「空の思想」に対する批判は出
来ないのですか。「色即是空、空即是色」は、単なる単純素朴な存在論と考えれば、
極めて明快で、普遍の真理だと思いますが。

516 :名無しさん@3周年:04/05/25 22:09 ID:cqtTW6b+
>515
ある、ない、の二項対立自体を否定するものですよ。


517 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/25 22:28 ID:z3qx6Ler
> この禅僧は公案の時は指を一本だけ立てる。
わたしの師匠が、何も言わず親指を一本たてます。
そこに、”仏の姿が見えたら”合格。
見えなければ不合格。(^-^)

> 「これはどういう意味かというと、時間的な連続性の・・・その狭間を透過せよ。」
などといっている人は、不合格。

518 :名無しさん@3周年:04/05/26 00:08 ID:waiAieUh
>>510
うわっ!! トリプルレスすげー!!

>それは人間の認識が理解できるような設定になってないのです。
縁起説は元より、どんな高度な理論を持ってしても説明しきれるものでもないか
もね。始めから人間のある認識から生じたんだから、ある認識論になっちゃうし。
まあ認識論的な答えが怪しくなるのは、現代なら物理学からでも到達できます。

しかし、不二法門とか無門関、或いは色即是空、空即是色などは初期仏教では説
かれていません。何故、釈尊はそういうことを説かなかったのだと思いますか?


519 :名無しさん@3周年:04/05/26 00:44 ID:/2eNMaHY
>>518
あほ!

520 :名無しさん@3周年:04/05/26 00:48 ID:SJJn2Cvm
仏教、特に原始仏教・密教から何故オウムが生まれたのでしょうか。どなたか
ご教示下さい。仏教の非難ではなく、理論的興味からです。

521 :名無しさん@3周年:04/05/26 00:58 ID:/2eNMaHY
>>520
オウムの教義を知っていれば、それが原始仏教から生まれたなどとは口が裂けても言えないでしょう。
理論的興味を満たしたいのなら、ひとに訊ねる前にちっとは勉強しようよ。

522 :名無しさん@3周年:04/05/26 01:25 ID:SJJn2Cvm
>>516
すべての人間にとって「ある」ものを「ない」と言うのですから、明らかに
2項対立ではないですか。鈴木大拙さんなんか「溶けこむ」などと言って誤
魔化しているようですが。

>>521
説明できないのですか。オウムについて、仏教者だけでなく、その他の宗教者
から納得のゆく説明を聞いた覚えは私にはありません。そのまま自分達に跳ね
返って来るからではありませんか。「麻原は優れた宗教者」と言ってる人も
います。他の宗教被害の場合と同様、教義だけの問題ではないと思います。

523 :名無しさん@3周年:04/05/26 01:33 ID:/2eNMaHY
>>522
なんでもいいけど、もっと論点をまともな方向に絞ってからにしましょうね。
しかしこのスレはいつからこんなことになったんだ?

524 :名無しさん@3周年:04/05/26 03:26 ID:YKPa7qai
なにかアーレフの信者は、自分達は凡夫、外道とは違うと、おごった態度の書き込み
をみかけるが、真理を追求するというより、
仏教の教義を、自分達を正当化するため、屁の理屈にしてしまっているような
感じを受けます。

たとえば、被害者にたいしては、カルマの法則。
三悪趣、輪廻転生などの矛盾点をつかれると、空の理論で正当化というふうにね。
はっきり、空の理論で説明すると矛盾点がなくなり、便利だと
そういう風に言っている人もいるみたいです。なにか、真理を追究するものの姿勢としては
本末転倒ですよね。
ところでここには、仏教に詳しい方が多々おられるようですが、かれらの、いや、麻原の残した
教義の矛盾点など、参考の為、指摘していただけないでしょうか?
特に問題のある教義、オウム流のヴァジラヤーナです。
ttp://www.bekkoame.ne.jp/i/sinzinrui/vkyogaku.htm
ここは、三悪趣などと信者を脅かし、証明不能な輪廻転生を、教義の土台に据えている以上、
真理とは程遠いと思います。
皆さんの指摘で、いまだ、三悪趣などという馬鹿げた教義の呪縛に囚われているものが、その呪縛から
開放されれば、幸いです。
間違いなく、彼ら、アーレフの信者は、ここを観ています。

525 :名無しさん@3周年:04/05/26 03:32 ID:YKPa7qai
ヴァジラヤーナ、密教などは原始仏教とはいえないと思いますが、
どうやら彼らは自分達こそは原始仏教をも実践していると思いこみ、他の仏教徒をも、
見下している節が見受けられるので、あえてこちらに書き込みさせていただきました。

私はあまり仏教には明るくないので、ちんぷんかんぷんなこといっていましたら失礼を。

526 :名無しさん@3周年:04/05/26 03:40 ID:oMnJyowu
では逆に何処等辺が、オームと原始仏教またオームと密教が似てると感じてるんですか?
オームの事はあまり知らないので、出来たら教えて下さい。

527 :名無しさん@3周年:04/05/26 04:03 ID:YKPa7qai
>>526
>では逆に何処等辺が、オームと原始仏教またオームと密教が似てると感じてるんですか?

私に聞いているんですか?
さぁ、それこそ私の方が、彼らに聞いてみたいですね(苦笑)
ちなみに彼らのスレッド。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/psy/1084182557/l50
彼らによれば、
>オウム(アーレフ)の教えは、原始ヨーガ、原始仏教、大乗仏教、
>チベット密教、仙道など伝統的な教えのエッセンスを統合したものです。
だそうです。

528 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/26 05:33 ID:9NByAH30
>>517レンマ氏
>そこに、”仏の姿が見えたら”合格。

仏の姿が見えたら、仏を殺してしまいます。

>などといっている人は、不合格。

いろいろご教示くだされましm(__)m



529 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/26 05:42 ID:9NByAH30
>>518
>しかし、不二法門とか無門関、或いは色即是空、空即是色などは初期仏教では説
>かれていません。何故、釈尊はそういうことを説かなかったのだと思いますか?

釈尊は菩提樹の下で悟りをひらいた後、一週間ほど考え抜いたそうです。
衆生に説法すべきかどうか?

つまり釈尊は衆生に説かなかったのじゃなく、どう説法していいか言いようがなかったのかと思う。
どう説明すべきか?
衆生の機根にあわせて先ずは方便から説かれていったのでしょう。

仏教においては方便の連続です。
方便(方法)を経て彼岸まで逝ったらよろしいかと、かように思ふ。



530 :名無しさん@3周年:04/05/26 07:35 ID:d9vwhImL
>>519
ばか!

531 :名無しさん@3周年:04/05/26 07:55 ID:JxQB/+ck
こうして長く続いた名スレは栗花 馨や机などの勘違い脳内麻薬によって穢されていく。

532 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/26 08:02 ID:C2e3nXbv
>>531
机の穢れを、貴殿のスキルでもって塵払看淨なされたら如何ですか?



533 :名無しさん@3周年:04/05/26 08:09 ID:7TILuu+4
531は電波男本人。

元阿含宗信者。脱会後、仏教書の自己流解釈で煩悩と妄想を強固にする。


534 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/26 08:40 ID:C2e3nXbv
531の
脳内麻薬に穢されない状態とか・・・
533の
煩悩と妄想を強固でない状態とか・・・

いわゆる純粋培養の論理を期待しちょるのですね?

しかしながら人間は仏性といえどもパーフェクトにはいかない。
また、パーフェクトである必要もない。

パーフェクトでありたい。って固執は・・・これは何でしょう?

いうなれば仏教とは、限りなく自己への洞察かと思います。


535 :名無しさん@3周年:04/05/26 08:45 ID:JxQB/+ck
食いつきがいいですね。

536 :名無しさん@3周年:04/05/26 08:48 ID:JxQB/+ck
>>533
>元阿含宗信者。脱会後、仏教書の自己流解釈で煩悩と妄想を強固にする。

これ、箇所教えてください。面白いことになりますから。けけけ。

537 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/26 09:17 ID:C2e3nXbv
>>536
>これ、箇所教えてください。面白いことになりますから。けけけ。

このスレは、電波先生のおかげで名スレになったかとおもうよ。

あまりスレを穢さないようにね。
おながいしますよ。

合掌。






538 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/26 09:28 ID:VWpQE3hp
出張やら引っ越しやらPCの不具合やらが重なって、すっかりご無沙汰になってしまったスレ建て人でございます。久し
ぶりにやって参りますと、見る影もない有り様(泣)。まあ、ぼちぼちと復元できればと思っています。



539 :名無しさん@3周年:04/05/26 10:29 ID:Je5sXf20
阿呆陀羅經さん、御健在でしたか
なによりです
GW期間中もレスがなかったので心配してました


540 :名無しさん@3周年:04/05/26 10:32 ID:SJJn2Cvm
>>538
>ぶりにやって参りますと、見る影もない有り様(泣)。まあ、ぼちぼちと
>復元できればと思っています。

今までのスレが異常だったのではないですか。それに、オウムを持ち出すと
激しく反撥されるのは何故か。宗教者は、オウムや他の宗教被害が社会に
とって最重要の問題であると言うことが理解できないのでしょうか。





541 :名無しさん@3周年:04/05/26 10:35 ID:h/FPnXv8
机は、いつもスレの腐り時を見計らって、食らいつく。
腐敗の指標生物だな。

542 :名無しさん@3周年:04/05/26 10:44 ID:SuFeyGHK
>>529
スッタニパータの最古層などは、対話集ですからね。釈尊は何十年も説法し
続けたようだけど、教団の師というより対話者的なものを感じ受けています。
しかし、何十年も説法していた釈尊の言説として対話集があり、原始仏典が
成立してきたようですが、釈尊その人は経典にして残すということをしない
人で、教団の後継者も立ててはいなかったようです。

>どう説明すべきか?
これは、それぞれの機根にも依るのでしょうが、人間の理解、認識の範囲に
おいて説いたのでしょう。だから釈尊をして分別論者とも言われます。
まあ言論というのは必然的に分別しますから、そこで無分別を語っても意味
が通じませんからね。


543 :名無しさん@3周年:04/05/26 11:08 ID:aCpTsxmz
>all
煽り・荒らしは、2ちゃんねるの神様・仏様にお任せして、放置しましょう。

544 :名無しさん@3周年:04/05/26 12:15 ID:8uIdQ7iS
>>522
>「麻原は優れた宗教者」と言ってる人もいます。
だれですか?
「ワールドメイト」ですか?ww

545 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/26 12:29 ID:78lImSvp
> 初期仏教に反する論点に思えたのですよ。
すみません。よく意味がわかりません。(^-^;;

> それでは、あなたの話している言葉はなんですか?という疑問です。
ええっと?

> 初期仏教は「あるところに、自性が欠ける」というのと
>       「無自性から、色になる」の
> 二面性を考えていると思います。
初期仏教では、そのような二面性は説いていないと思います。

もともと、縁起と空は、別々な教えとして扱われていたと学問仏教は教えています。
それを、ひとつのものとして”教えた”のが、かの龍樹です。
つまり、二面性を見出したのは龍樹で、初期仏教ではありません。
龍樹が説いた空が、中期の空観と呼ばれています。

その龍樹ですら、諸法実相は説いていないのでは?


546 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/26 12:31 ID:SS+qZzCi
>>539
ご心配おかけして申し訳ありません。予定外の雑用が多発して出て来られませんでした。以後もよしなに。

>>540
私は「宗教者」でもなんでもありませんが、オウムの似非佛教性に関しては当該スレでさんざん論駁しまし
たので、もはやあまり関心が湧きません。

547 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/26 12:42 ID:GNAmOezJ
>>542
スッタニパータは、仏性とか空は説いてはいないですね。
龍樹が第二の釈尊と言われるごとし、初期仏教をわかりやすくしたのが空思想なんでしょうね。
空思想ももともとは初期仏教からの流れによるもんですから、
ここにおける仏性というのは概念とすれば非常にうけいれやすい。
しかしながらこれもある意味、彼岸にいたる舟の役割なんでしょう。

いつか仏性の概念も変化する。
その時は初期仏教となんら変わらないものかと思います。

大乗非仏説とか言われますが、それは言い方の違いですね。
私はそう思います。





548 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/26 12:54 ID:SS+qZzCi
>>547
『スッタニパータ』の最古層とされる第五章の『パーラーヤナヴァッガ』の1119偈に

 つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。
 そうすれば死を乗り越えることができるであろう。
 このように世界を観ずる人を、<死の王>は見ることがない。

とあり、原始佛教においても空観が重要視されていた事が窺えます。「佛性」に関しては当時は問題にも上って
いなかったのではないかと思われます。

549 :名無しさん@3周年:04/05/26 13:07 ID:h/FPnXv8
ゆるがない正しい知識が正見を生むんですね。阿呆陀羅經 氏に感心しました。

550 :名無しさん@3周年:04/05/26 14:12 ID:i44Ip+26
>>547
>大乗非仏説とか言われますが、それは言い方の違いですね。
私もそう思います。
つまるところ、人間を観念的な囚われから解放していき、基本的な心がまえ
として心の和らぎを尊ぶなら、仏教の実践になるのだと思います。
そこを外さなければ、あとはそれぞれに任せておいていいんでしょう。





551 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/26 15:16 ID:SS+qZzCi
>>545
横レスですが、

> もともと、縁起と空は、別々な教えとして扱われていたと学問仏教は教えています。
「縁起=空」ではなく、「縁起しているもの=空」もしくは「事物事象の此縁性=空性」と理解すべきかと思います。

> それを、ひとつのものとして”教えた”のが、かの龍樹です。
> 龍樹が説いた空が、中期の空観と呼ばれています。
『根本中頌』に教証として引用される教法は、そのままアーガマやニカーヤに説かれる教説に還元可能のよう
です。以前にもカキコしましたように、『中頌』を原始佛教思想の綱要書として読むことも十分可能かと考えます。

> その龍樹ですら、諸法実相は説いていないのでは?
羅什訳の『中論』に「諸法実相」は頻出しますが。複数の語をこのように訳しているので混乱を招くかもしれませ
ん。

552 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/26 15:36 ID:SS+qZzCi
『雑阿含経』に興味深い経があります。『第一義空経』と呼ばれています。

 雜阿含經卷第十三    宋天竺三藏求那跋陀羅譯

 T02n0099_p0092c12?(三三五)如是我聞一時。佛住拘留搜調牛聚
 T02n0099_p0092c13?落。爾時。世尊告諸比丘。我今當為汝等説
 T02n0099_p0092c14?法。初.中.後善。善義善味。純一滿淨。梵行清
 T02n0099_p0092c15?白。所謂第一義空經。諦聽。善思。當為汝
 T02n0099_p0092c16?説。云何為第一義空經。諸比丘。眼生時無
 T02n0099_p0092c17?有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
 T02n0099_p0092c18?生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。異
 T02n0099_p0092c19?陰相續。除俗數法。耳.鼻.舌.身.意亦如是
 T02n0099_p0092c20?説。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。此
 T02n0099_p0092c21?起故彼起。如無明縁行。行縁識。廣説乃至
 T02n0099_p0092c22?純大苦聚集起。又復。此無故彼無。此滅故彼
 T02n0099_p0092c23?滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。
 T02n0099_p0092c24?乃至純大苦聚滅。比丘。是名第一義空法
 T02n0099_p0092c25?經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉
 T02n0099_p0092c26?行

553 :465:04/05/26 17:48 ID:bzD60+Ou
>>507 >栗花 馨

まあ、個人的にはあなたの本質の使い方が理解できますけど。
その式は、どうかと。涅槃寂静を示そうにも
頑張れば頑張るほど、意味のない事のように思いますよ。

ただ、龍樹の主張する意味の本質では、ないという事ですね。
敢えて言うなら、仏陀の視点からのあるがままの其れを
根本的な性質として、本質しているという事ですね?

554 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/26 17:55 ID:a93E2clF
>>548
>つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。

空なりと観ずると、主体における認識論の範疇かとおもわれますが、如何でしょうか?
まだまだ空思想という体系だったものはそのころはなかったんじゃないでしょうか?

龍樹のいう空とは主客の分別のない。つまりそこに対象化される世界という捉えかたはしなかったかと思う。

>>550
>つまるところ、人間を観念的な囚われから解放していき

開放していったものを、仏という概念に集約していったんでしょうね。
意味とすればそういうことかと思う。


555 :465:04/05/26 18:20 ID:bzD60+Ou
>>545
>初期仏教に反する論点に思えたのですよ。

前の文章しかみてなくて、対話外のこれをみてなかったんです。
>>418
>空は真理ではない」というのは、釈尊の説いた”空”は、
>「空という概念」であって、
>存在する真理かなにかではない、ということを言いたかったのです。(^-^)

この発言を見逃してました。「あるところにない」
と言った表現だけなら、
空を有常にしていると思ったのです。
そう思っていたので、>初期仏教に反すると言った訳です。
その後に、もう少し言葉を付け足して欲しかったのです。

>その龍樹ですら、諸法実相は説いていないのでは?

竜樹は空を観察すれば、仏をみると言ってたと思いますよ。
だからといって確かに諸法は実相だとは言ってません。
諸法実相は、凡夫からの視点でしょう。
仏陀の観点として、実相という事で異次元のそれを示すと。

空即是色は
あなたが世俗の言葉を使っているではないですか?
という訴えです。
雲に形も認めれるかという事です。

556 :名無しさん@3周年:04/05/26 20:11 ID:O3ZL6QLz
空を定義づけることは無意味です。定義づけられるのだったら
最初から「空」なんていいません。

557 :名無しさん@3周年:04/05/26 21:36 ID:vSWQdP+6
『スッタニパータ』において空観が重要視されていたという
事実が大切なんだと思います。


558 :名無しさん@3周年:04/05/26 22:30 ID:/j2tG0CX
重要視されていた事実と言っても、仏教の要になっていたわけではないと思うよ。
仏教の要といったら空観ではなく、ニルバーナだろうと思います。
先のスッタニパータを見ても、ニルバーナに至る為に空観を用いるだけのように
見うけられます。つまり空観も筏に喩えられる。ニルバーナは筏に喩えられない。

559 :名無しさん@3周年:04/05/27 00:20 ID:YjtRpwzY
>>栗花
>諸行無常−諸法無我=涅槃寂静
>諸行無常+諸法無我=涅槃寂静
>諸行無常×諸法無我=涅槃寂静
>諸行無常÷諸法無我=涅槃寂静

成り立たせるには全て零
0+0=0
0−0=0
0×0=0
0÷0=0

だよね?




560 :名無しさん@3周年:04/05/27 00:45 ID:ZFHo+pc+
>>559
算数できないだろ(w

561 :名無しさん@3周年:04/05/27 00:59 ID:BbSj/lKX
どうも「空思想」がよく分りません。「色」との折り合いはどう付けたらよいので
しょうか。「人間を観念的な囚われから解放する」ための一つのアイデアとしてなら
分りますが。しかしそうすると「空思想」自体が観念的囚われになってしまいます。
座禅でもやると分るのでしょうか。

562 :ベロ ◆eOod7XM/js :04/05/27 01:04 ID:L337E5ml
阿呆陀羅さん、お帰りなさい。
電波男さんや阿呆陀羅さんの活躍で名スレ復活を期待していますよ。

563 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/27 01:09 ID:azXKMe00
>>554

> 空なりと観ずると、主体における認識論の範疇かとおもわれますが、如何でしょうか?
ここで「世界」と訳されている語〔loka〕とは自己とその認識対象を含む一切を意味すると考えております。いわゆる
対象化された「客観世界」のような概念は原始佛教の段階では問題にされていません。

> まだまだ空思想という体系だったものはそのころはなかったんじゃないでしょうか?
そもそもブッダに教法を「体系化」する意図はなかったと思われます。ナーガールジュナにしてもブッダへのいわば
原点回帰を目指しても、何らかの教理体系を形成しようする意志をその著作から読み取るのは困難でしょう。


564 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/27 01:22 ID:azXKMe00
>>558

> 仏教の要といったら空観ではなく、ニルバーナだろうと思います。
もしニルヴァーナに留まり、それに執著すればもはやニルヴァーナではありません。
 
 阿羅漢-如来も同文-は、ニルヴァーナよりニルヴァーナを知り、ニルヴァーナを思惟せず、「この
 ニルヴァーナは自分のもの」とは思惟せず、ニルヴァーナについて喜ばない。それは何が原因か
 といえば、かれには熟知されたからである、とわたくしは説く。
                                    『マッジマニカーヤ』T-1 『根夲法門経』

565 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 05:25 ID:ummZSDdc
>>563
>対象化された「客観世界」のような概念は原始佛教の段階では問題にされていません。

なるほど。
そもそもがバラモン教(梵我一如)の流れですからね、言われてみればそうなんでしょうね。

>原点回帰を目指しても、何らかの教理体系を形成しようする意志をその著作から読み取るのは困難でしょう。

スッタニパータは会話集みたいな感じですね。

>そもそもブッダに教法を「体系化」する意図はなかったと思われます。

たしかにそうみえますね。そもそもが如是我聞として仏説は伝えられたもんだろうし、

禅師は数多くの論書を後世に残してますが、人情とすれば残したがるのが普通ですね。
白隠などは残したがる方なんでしょう。
道元も残しましたね。

してみれば、釈尊の口伝はまったく執着がないニルバーナなんでしょうかね?

いやいやどうもぅ〜〜
ついつい脱線しちまいました。机龍之介です。よろしこ。



566 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 05:45 ID:ummZSDdc
>>561
>どうも「空思想」がよく分りません。「色」との折り合いはどう付けたらよいので

例えば人間の五感(五蘊)にしても単純な因果律ではないですね。
複合的な条件とか関係性が折り重なるような状態によって感覚となる。
感覚(色)も現象にしかすぎない。
痛い、とか美味しい、とかその時の関係性(縁起)にほかならない。
縁が消滅すれば感覚(色)も消滅する。

簡単に言えば、この縁起の理法を空というのでしょう。
感覚・五蘊(色)は空にほかならない。→五蘊皆空(色即是空)。

567 :名無しさん@3周年:04/05/27 10:17 ID:BbSj/lKX
>>566
机先生にお言葉を返すのもなんだが、人間の五感は思考など入れる余地のない最も
単純な因果律ですよ。飯を食う時に、「本当にこの飯は存在すのだろうか」と考え
て食ってる人間は一人もいませんよ(笑)。

568 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 12:07 ID:1dmlkZtz
>>567
貴殿に言葉を返すのもなんだが・・・あえて自論を言いまふぃ。

働くとか、働いて金を得るとか、たまたま食物の素材に巡り合うとか、その時の巡り合わせによって金と素材を交換するとか、
たまたまそこに料理ができる環境があるとか、そんなふうにあらゆる巡り合わせに依り人は食べられる。

そこに食べ物があった。だから食べた。とか、簡単な因果とは違いますね。

これを因果の相依性とでも言いましょうか。
食べ物の素材を作った農民とも関わりがあるでしょうし、スーパーの仕入れ係りの人とも関わりがある。
金を支払ったレジのオネェちゃんとも関わってますね。
どれひとつ欠けても食べられない。

日本の食糧自給率は大変低いです。
いうならばグローバルな観点からも人との関わりはありますね。

一無位の真人とは、こういう関わりにおいて「ある」のかと思います。

569 :名無しさん@3周年:04/05/27 12:23 ID:V5SkZxGt
縁起というのは過去の因果が未来に報いるという連続性の捉え方ですよね?
龍之介さんは縁起ということばを瞬間のことと勘違いされていますか?

570 :レンマ ◆WOFVciA9uE :04/05/27 12:34 ID:i2BKcGEX
>>528
レスありがとうございます。

冗談のように書きましたが、わたしの書いたものは
れっきとした、中国仏教の「一指頭禅」です。
日本の禅家の方々は、ほとんど不合格になるでしょう。

日本の禅においては、「指にとらわれてはいけない」などといって、
”独自”の答えを用意しましたが、本家中国ではまったく捉え方が
異なっっているということを申し上げたかっただけでございます。

571 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 13:52 ID:1dmlkZtz
>>569
ご飯を食べたり、お茶を飲んだり、食べた後は後かたつけ。
お風呂にはいったり、便所で太いもんを垂らしたり、
縁はどんどん生起する。よって生起するといふことは縁は消滅してる。

縁生するものは、そのまま縁滅す。

便所で太いもんを垂らすのは果報です。
朝に美味いもんを食べたので結果としてイイ具合に垂れる。

しかしながら腐ったゲソとかを食うたらイイ具合には垂れない。
縁滅せざれども果報はクソをご覧あれ。

合掌


572 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 14:01 ID:1dmlkZtz
>>570
禅は自力行ですから、作仏するという概念がないんでしょうね。
森羅万象、仏の当体。という言い方ならば対象化された仏はないことになる。
つまりここにおいて仏という意味が消失しちゃうんでしょうね。
じゃあ、仏とは何だろう?
ってことになりますと、本来から人が兼ね備えてる慈悲の心。
これを仏と気づくのかと思いまふ。

貴殿が書いている、仏教@質問箱はロムってます。
なおいっそうのご活躍を希望します。


573 :名無しさん@3周年:04/05/27 14:07 ID:Y1zkkLNj
>>572
結局過去の因果が今出ていると捉えることによって消えていくのですよね?

まあ、ただ何も考えず目の前のことをやり過ごすだけでもよろしいわけですが。

縁起と捉えた場合は前者になるかと思います。

574 :名無しさん@3周年:04/05/27 14:08 ID:Y1zkkLNj
×>>572→○>>571

575 :名無しさん@3周年:04/05/27 14:31 ID:f6avVUFY
>>569

ナーガールジュナは、「空とは縁起である」と言ってるそうです。あなたの勘違い
なのでは。

576 :名無しさん@3周年:04/05/27 15:25 ID:rdLJT6PG
>>575
縁起しているものは空ではないですよ。ググッてみましたが、執着が縁起するみたいです。
ナーガールジュナがどうして
縁起しているものは空であると言ったのか分かりません。

ナーガールジュナの空を「執着」に変換して読むと、
「縁起は執着である」
(そして執着は元々空であるから「縁起するものは存在しないも同然である」と言いたいのでは?)
と読めるのですが。


577 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 15:29 ID:1dmlkZtz
>>573
>結局過去の因果が今出ていると捉えることによって消えていくのですよね?

過去の因果が今出ることはないですよ。
六祖・慧能ふうに言えば「心が動いてる」ってことになる。

例えば、過去のに喧嘩した友達と再会したとする。
そうすると過去を想起して、どうも居心地が悪い。
つまり縁滅しているが記憶(心)だけ縁滅しきれない。
勝義諦(空性)では縁滅してるんだが世俗諦では完全に縁滅しきれない。
世俗の人間関係を無視する。ってんだら別だが・・・

だからここは、勝義諦(縁滅)と、世俗諦(分別智)の二諦において対処されるのが禅的生き方です。

すなわち、なんら友達に拘ることはないんだが・・・→勝義諦
世間の付き合いもあるし、まあ、なあななにイイ顔すりゃぁいいや・・・世俗諦
このように捉えたらいいかと思う。

これは因果律です。

縁起とは、読んで字の如し「縁が生じる」。
人間の意識に関わらず生起するのが縁起です。


578 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 15:36 ID:1dmlkZtz
(つづき)
善因善果、悪因悪果というのは因果律ですね。
過去の拘りが果報となって出る。

いうならば、これは心次第です。
なんらそこに法則性とかがあるわけじゃない。

縁生・縁滅は仏教の理法です。
これは因果律とは意味が違います。

579 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/27 15:36 ID:ZYzFd914
>>565
> たしかにそうみえますね。そもそもが如是我聞として仏説は伝えられたもんだろうし、
> 禅師は数多くの論書を後世に残してますが、人情とすれば残したがるのが普通ですね。
そのような経典や論書もしくは公案にせよ、それらを体系化してタイトな教義を確立してしまうとかえって矛盾や綻びが発生
したりしますし、それを盲信や執著の対象とすれば苦が生じるでしょう。むしろ各個人に向けられた「措定された仮説」として
それらに対峙し、吟味探究に資することが肝要かと思います。「筏の譬喩」もありますしね。下記の経文などそうした方法論
を考える上で示唆に富むものと思っております。
 
 汝らは風説を信ずる勿れ。伝説憶説を信ずる勿れ。蔵経の教えと合致するからとて信ずる勿れ。単なる論理、単なる
 計画案、特殊な考え、単なる思慮に基づいて信ずる勿れ。この沙門は我らの師であるからといって信ずる勿れ。若し
 汝らが自ら、この法は不善なり、有罪なり、この法は智者の訶斥する所のものなり、この法を円満し執取すれば無益
 と苦とを引く、と覚えるならば、汝らはその時それを断つべし。
                                               『アングッタラニカーヤ』 T 『カーラーマ経』

> してみれば、釈尊の口伝はまったく執着がないニルバーナなんでしょうかね?
というより「ニルヴァーナにも執著しない」という無窮の求道を説いているのではないかと思います。>>564で引用した経文の
内容など、後世に強調される「無住処涅槃」の祖形かと考えています。

> いやいやどうもぅ〜〜
> ついつい脱線しちまいました。机龍之介です。よろしこ。
こちらこそよしなに。


580 :名無しさん@3周年:04/05/27 15:42 ID:AuANuQeG
>>564
しかし、初期の仏教徒もニルバーナを目指して精進努力していたわけですよね?
仏教の最高目標は、他でもないニルバーナではないのですか?
釈尊も弟子に、ニルバーナへ向かうに役に立つものと役に立たないものを弁別
していたことが有名な毒矢の喩えで十分に説明されています。
現代の仏教でもそれは変わらないと思います。


581 :栗花 馨:04/05/27 15:51 ID:79O/JTyY
初期の仏教徒もニルバーナを目指して精進努力しています。
仏教の最高目標は、ニルバーナです。
有名な毒矢の喩えは、まず実践しかないということです。
現代の仏教でもそれは変わりません。

仏の教えの実践をしましょう。


582 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/27 16:01 ID:ZYzFd914
>>580
> しかし、初期の仏教徒もニルバーナを目指して精進努力していたわけですよね?
> 仏教の最高目標は、他でもないニルバーナではないのですか?
「ニルヴァーナ」は最高目標ではありますが、それをを対象化し実体視することは過誤ではないかと思いますよ。正覚に
逹したブッダが入滅するまで歩み続けた求道の生活について考察すればその意味が理解できるかと思います。
  
 スバッダよ。わたくしは二十九才で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから五十年余
 となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には『道の人』なるものも存在しない。
                                                           パーリ『大般涅槃経』

縁起観ないし空観はその求道の生活を基礎づける大切な行法であり観法であると考えます。

583 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 16:06 ID:1dmlkZtz
>>577訂正
>過去の因果が今出ることはないですよ。

「親の因果が子に移り」。という因果は常識的にはありますよね。

象に踏まれた妊娠中の母親が、生まれてきたのはジョン・メリック。
なんかのアクシデントに依りエレファントマンが生まれる。

象に踏まれたことが原因かどうかわかりませんが、まあ、常識的に考えれば因果はある。
ただそれだけのことを釈尊は言ってるのかと思う。

いわゆる物理作用の範疇ですね。
他に付帯するほどのことでもないでしょう。


584 :栗花 馨:04/05/27 16:08 ID:79O/JTyY
>>559 >>>栗花
>>諸行無常−諸法無我=涅槃寂静
>>諸行無常+諸法無我=涅槃寂静
>>諸行無常×諸法無我=涅槃寂静
>>諸行無常÷諸法無我=涅槃寂静
>成り立たせるには全て零
>0+0=0
>0−0=0
>0×0=0
>0÷0=0
>だよね?

零というより空です。
可能な限りエネルギーを抜ききった状態では、振動(ゆらぎ)が残ります。消せません。
振動(ゆらぎ)は、素粒子の生成と消滅が繰り返されておこっているのです。
無と有の境かい層をゆらいでいる状態です。
無と有の境かい層は空です。無と有の境かい層が空です。

無矛盾となるには高次元ではじめて成り立ちます。
文章の記録では、伝達・理解は不可能です。

釈迦が無記された領域です。

有名な毒矢の喩えは、まず実践しかないということです。
現代の仏教でもそれは変わりません。
仏の教えの実践をしましょう。





585 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 16:21 ID:1dmlkZtz
>>584
仏教は本来、物質の有無はあまり関係ないかと思いますよ。
有無というのは認識の概念なんですから、無であろうと有であろうと関係なく空です。
色は空です。

たとえ宇宙が存在しなくても空です。

有無の二項には全く関係はないんです。それが空思想かとおもいますよ。


586 :栗花 馨:04/05/27 16:35 ID:79O/JTyY
認識の概念では全くありません。

無と有の境かい層は空です。無と有の境かい層が空です。

無と有の境かい層=空

思想ではありません。

>たとえ宇宙が存在しなくても空です。
 空と宇宙はそのような関係ではありません。
>有無の二項
 有無は二項でなりたっていません。
 
 空は思想ではありません。

可能な限りエネルギーを抜ききった状態では、振動(ゆらぎ)が残ります。消せません。
振動(ゆらぎ)は、素粒子の生成と消滅が繰り返されておこっているのです。
無と有の境かい層をゆらいでいる状態です。
無と有の境かい層は空です。無と有の境かい層が空です。
無矛盾となるには高次元ではじめて成り立ちます。
文章の記録では、伝達・理解は不可能です。

釈迦が無記された領域です。





587 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/27 16:38 ID:ZYzFd914
>>ALL
毒電波は放置が吉かと思います。

588 :栗花 馨:04/05/27 16:46 ID:79O/JTyY
釈迦が無記された領域。

無矛盾となるには高次元ではじめて成り立ちます。
文章の記録では、伝達・理解は不可能です。
記録マニアは自らの実践はなく、
まさに毒矢に屁理屈つけているだけに喩えられます。
有名な毒矢の喩えは、まず実践しかないということです。
現代の仏教でもそれは変わりません。
仏の教えの実践をしましょう。


589 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 17:00 ID:grPEZwPm
>>586
>釈迦が無記された領域です。

無記(答)には関わらないこのスレッドからお引取り願えば幸いです。
認識の概念でないことを言葉にしても意味のないことです。
あなたとは論理が使えません。つまり言葉のやりとりが不可能ですから。
どうかお一人で自己完結なさってください。

>>587 阿呆陀羅経さん
お久しぶりです。色々忙しくて発言できずにおりました。
このスレッドを最後にMLに移りましょうか?
MLでは真面目なお話が出来るのですが、参加人数が少ないので
盛り上がりに欠けるのが痛いですね。

>>電波小僧さん
もし私のMLでご発言されるのなら、そのハンドルでお願いいたしますね。
ご専攻は現象学とのことですが、おそらく仏教に対する興味が先行して
おられるようですね。有意義な議論を期待しております。

590 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 17:09 ID:grPEZwPm
釈尊の示した道を歩むには【認識の根拠】を突き止めることです。

それには知識も学歴も名誉も地位も必要としません。
またエネルギーや涅槃や無矛盾や高次元やゆらぎ(振動)や
無記などまったく関係してきません。

これが【信解】です。信じるという宗教的前提ではありません。

591 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 17:17 ID:grPEZwPm
私はこの信解だけを得てそれ以上の実践はしておりません。釈尊の示している
道を歩んでいないのです。

ですが、その道の門に立ちはだかり、邪義を持ち込もうとする人をやっつける修羅
門番としてその存在意義を自認しております。輪廻転生を根本教義に位置づけたり、
論理否定を言葉で説明したり、共有できない体験主義を前面に出してくる輩は切り捨て
ます。

592 :名無しさん@3周年:04/05/27 17:20 ID:w0XwiS/w
>>591
あごん宗で修行したって本当?

593 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 17:24 ID:grPEZwPm
>>592
>あごん宗で修行したって本当?

だれがそんな出鱈目を捏造しているのですか?
阿含宗は私のもっとも忌み嫌うカルト教団の一つです。

594 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/27 17:36 ID:cjiMsDMy
>>589 電波男さん
> お久しぶりです。色々忙しくて発言できずにおりました。
こちらこそ、多忙に紛れて不義理を重ねまして申し訳ありません。今後ともよろしくお願ひ申し上げます。

> このスレッドを最後にMLに移りましょうか?
それでもよいのですが、ここをMLのロビー代りに使えないかなとも思っています。それにこうした「無法地帯」で
邪見を批判するのも一定の効果はあるのではないかと考えています。まあ輪廻問題が文字通り輪廻する傾向
がありますが(苦笑)。

> MLでは真面目なお話が出来るのですが、参加人数が少ないので
> 盛り上がりに欠けるのが痛いですね。
それには私の多忙と怠慢も関係しておりますので慚愧に堪えません(泣)。懸案の『スッタニパータ』の輪読もや
りたいです。

595 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 17:53 ID:grPEZwPm
>>594
MLのロビーですか。それもいい案ですね。そうしましょう。(笑)

>懸案の『スッタニパータ』の輪読もやりたいです。

ゆっくり開始しましょう。以前の質問攻め方式は読者の興味も限定されるので失敗だったかも知れませんね。
私が@Niftyで始めた唯識二十論の輪読会も平行しましょうか?

596 :阿呆陀羅經 ◆MGPuxvZ3xQ :04/05/27 18:19 ID:g4SCdvr+
>>595
> ゆっくり開始しましょう。以前の質問攻め方式は読者の興味も限定されるので失敗だったかも知れませんね。
> 私が@Niftyで始めた唯識二十論の輪読会も平行しましょうか?
Niftyに加入していない私のようなものには朗報です。よろしくお願いいたします。『唯識二十論』の和訳、手許には
梶山雄一氏と横山紘一氏のものがありますが、これらを使用してよろしいでしょうか?スレ違いですみません。

597 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 18:40 ID:grPEZwPm
>>596
唯識二十論には冒頭部分、サンスクリット原本が欠損していて、校訂者はチベット語から還元梵本にしている
など原典的な問題が含まれております。幸い二十頌の梵本が発見されたり、引用経典部分のパラレルを推定
したり、諸問題は極力解決いたしました。

訳については梶山先生のものをさらに手を加えてアップしていこうかと考えております。その都度、文献学的な
説明と、思想関連やその他思想史としても解説していきたいと考えております。
唯識二十論に説かれていることを題材にして深めていけば、原始仏教から部派・大乗の概観が可能となります。

@NiftyのFSHISOに転載許可願いを代理人を通じて(私は退会処分になりましたから)出しております。

598 :名無しさん@3周年:04/05/27 19:03 ID:SzhgiZaK
97 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆oGUHqg51EY :03/05/11 22:42 ID:j/WVk7VZ
>>95
>そのような闘争的な思想こそ、仏教のもっとも嫌うものではないでしょうか。
それは私の思想ではなく、行動規範であり、ライフワークです。仏教的であるとは思っておりません。

>誤りは指摘すればいいだけの話です。無知を蔑むことは卑しいことだと思います。
無知を蔑んでいるわけでは有りません。誤りを指摘することに意味が無いので、その主張を
根底から否定し、叩き潰す事に意味があるのです。

107 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆oGUHqg51EY :03/05/11 23:42 ID:XWJpil2v
>>101
> なぜ本当の仏教を標榜しているあなたが仏教の教えに背くようなことをするのでしょうか。説得力が
>ないのではありませんか?
わたしは偽善者ではありません。カルト被害に遭う人を見捨てられないだけです。破邪、
折伏の精神と同じですよ。ま、罵倒雑言などはネット人格を装っているだけですがね。
私のカルト攻撃を邪魔するものは、たとえ誰であっても叩き潰します。伝統教団の僧侶で
あっても私の社会的地位を駆使して社会から葬ります。以前、梶山スレで私にチョッカイ
を出そうとしたもと先輩がいましたが、こんど同じことすれば、完全に社会から排除します。
その周辺含めてね。

599 :名無しさん@3周年:04/05/27 19:11 ID:erloDUuq
なんだか難しそうなお話が続いているが、そんな根拠も不確かな大昔の本ば
かり読んで結局は何が得られるのでしょうね。本など読まないで、現実の人間
社会を観察し、自分自身の思索を築き上げるべきでしょう。釈迦が現在生きて
いたら、きっとそう言われると思いますよ。
あと、仏教者は「自分だけの」涅槃を目指して修業しているのですか。なんだ
か浅ましいとは思いませんか。

600 :机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/05/27 19:17 ID:VFkFF+QR
のそぉ〜〜〜りと、600get

ROM記念

           <机龍之介>

601 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 19:28 ID:grPEZwPm
>>598 SzhgiZaK氏

引用だけでコメント無しですか?完全な転載ですね。今は著作権を云々しませんがコメントぐらいしてください。


>なんだか難しそうなお話が続いているが、そんな根拠も不確かな大昔の本ば
>かり読んで結局は何が得られるのでしょうね。本など読まないで、現実の人間
>社会を観察し、自分自身の思索を築き上げるべきでしょう。

根拠も不確か?その大昔の本を求め、守るためにどれだけ多くの命が失われたか
ご存知ですか?それを解明するためにどれだけ多くの人たちが寝食を惜しんで書き伝え、
身を捧げてきたかご存知ですか?この現代でもそれらを守り、虐殺された多くの
人がいます。それを考えると非常に失礼だとはお感じになられませんか?

得られるものは多いです。現実の人間社会を観察し、自身の思索を築き上げる
ための前提にもなります。そしてまた再生産していくのです。何も学習しないで
社会を見ても得られるのは幼稚な知見です。その幼稚な知見とはたとえば

>釈迦が現在生きていたら、きっとそう言われると思いますよ。

このようなご発言です。

>あと、仏教者は「自分だけの」涅槃を目指して修業しているのですか。なんだか浅ましいとは思いませんか。

読解力を養ってくださいね。

602 :名無しさん@3周年:04/05/27 20:15 ID:5t+NQpA/
>>581
あなたの言う実践とは瞑想することや、坐禅をするという意味ですか?
それも大切なことですが、地道に仏典の内容を確かめていこうとするのも、大切な
実践だろうと思います。このスレはそれに適しているんじゃないでしょうか。


603 :栗花 馨:04/05/27 20:57 ID:8dIeFSJr
釈尊の実践した道を実際に歩みましょう。・・・・涅槃寂静
>>602
>このスレはそれに適しているんじゃないでしょうか。
適しています。
>仏典の内容を確かめていこうとするのも
釈迦の実践した中道を実際に歩んでいきましょう。
その歩みを自分の生活体験の中で実際に確信していきましょう。

釈迦の実践した中道を歩みましょう。

604 :栗花 馨:04/05/27 20:59 ID:8dIeFSJr
>>602
あなたの言う実践とは瞑想することや、坐禅をするという意味ですか?
それだけでもないしそれいがいでもありません。
 
 法です。

605 :栗花 馨:04/05/27 21:08 ID:8dIeFSJr
怨憎会苦
自分の気に入らないことにめくじらたてて
排斥しようとする攻撃衝動。
結局、慢心を満たして終わります。
貪(貪り)・瞋(いかり)・癡(おろかさ)
釈迦はどのような道を歩まれたのかおわかりでしょう。
中道を歩みましょう。

606 :名無しさん@3周年:04/05/27 21:22 ID:1aNmNSQ+
>>569 >>575-576 それは十二支縁起でしょう。
十二支縁起も龍樹菩薩は中論26章で説かれてますよ。しかも明らかに輪廻を前提にして。
縁起するものなら空であるは、既に >>299 であげられてるんで、読んでね。


607 :栗花 馨:04/05/27 21:31 ID:8dIeFSJr
>あと、仏教者は「自分だけの」涅槃を目指して修業しているのですか。
>なんだか浅ましいとは思いませんか。

心を汚し人を苦しめる心の働きは、浅ましいです。

生の存在要因が生命体の核になって行っている活動のなかにたいしては
釈迦の実践した中道を自分だけで実際に歩んでいくのです。


608 :栗花 馨:04/05/27 21:38 ID:8dIeFSJr
諸行無常 諸法無我 涅槃寂静
それゆえに、釈迦の実践法がなりたっているのです。
それゆえに、実践に精進できるのです。
ハードウエアーソフトウエア、
実際に実践精進していくといろいろなセンサーも身についてきます。
ハードウエア〜ソフトウエア〜センサー、一体です。
ハードウエア〜ソフトウエア〜センサー
ハードウエア〜ソフトウエア〜センサー
互いにじっさいにむすびついていきます。
善智識の集合体です。
そして法、そして仏、一体です。


共有できていきます。
尊敬できる人との出会い、善智識、自然と結びついていきます
 
 法です。

609 :電波男Ψ(´д`)Ψ ◆RHudQb4c9k :04/05/27 21:43 ID:grPEZwPm
>>605
多くの辞書を使い多国言語の原典購読している最中に、雲水がその部屋に乱入して
吠え立てまくり、なかなか出て行かない。それがあなたの所業です。
まず、場所を弁えてください。これを排斥などと捉えるのはあなたの根本無明の責任を
転嫁させるのと同じぐらい重罪です。
ではあなたに確認いたしましょう。

>釈尊の実践した道を実際に歩みましょう。・・・・涅槃寂静

あなたは意味を理解して発言されていますか?まったく理解できていないと思いますよ。

>>606
ここは原始仏教スレッドです。ま、それはいいとして、空と空性の違いを調べて御覧なさい。
十二支縁起の捉え方が飛躍しますよ。それと、

>しかも明らかに輪廻を前提にして。

これはもう少し前後を確認してから判断したほうがいいですよ。中観派において、業感縁起
がどう取り扱われたかは多くの書物が言及しています。それもあわせて読んでおいてくださいね。


271 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)